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外に出ると、辛気臭い曇り空が広がっていた。まあ、辛気臭い小屋の中よりはマシか。クノはリスにしか関心を向けないし、俺のことなんか空気以下のようなのでその辺をぶらつくことにした。……べつに何とも思っていないぞ?俺はそこまで構ってちゃんではない。断じて。
久方振りの王都だ。色々変わっているところもあるだろうし、散歩も悪くはない。近くの市場には行ったし、次は広場にでも行ってみるか。
この王都は、今の王国になるずっと前からこの地に栄えてきた都市だ。古くは一氏族の拠点であったこの地は、周辺の都市国家を併合し帝国化していく中で巨大化し、一時は世界の首都と呼ばれるまでになった。何度か敵の侵入を受けて略奪の限りを尽くされたにしても、今も世界有数の大都市としてかつての威容を残している。
広場はその古の都の始まりの場。高台にある広場を中心に王の居城や聖堂、公会堂といった重要施設が立ち並び、そこから伸びる道沿いに都市が広がっている。遠征に向かう軍が閲兵を行うのも、政変で王が吊るされるのもこの広場。普段は市が立ち人々の欲望に塗れていて、実に俺好みの場所だ。
王都の細かい所は変わっているが、広場と街道の基本構造は変わっていない。広場は丘の上にあるので、どんな道でも上っていけば必ず広場に出る。ぶらぶら歩くうちに人通りも多くなり、街道に出ればガラガラうるさい馬車が行き交うようになる。そのまま道沿いに進むと、だんだん建物も背が高くなっていく。城壁のように聳え立つそれが途切れ、急に視界が開けた。かつての帝国から続く、万を超える人々の集う広場。活気溢れる姿は記憶のままだ。空に向けて立ち並ぶ巨大な石柱が列柱回廊を形成し、その柱を基準にしてテントの商店が立ち並ぶ。方々に芸を披露する者、演説する者がいて、それを楽しむ者、囃し立てる者が集う。世界の全てがここにあると豪語された場所だ。
石柱の一つに寄り掛かり、行き交う人々をただ眺める。さっさとリスとクノの願いを叶えて、こっちに戻ってくるとしよう。そんな算段を立てている俺に、誰かが近付いてきた。
「悪魔……!」
教会の下働きの格好をした、若い男だった。ふむ。悪魔の姿を知っているとは勉強熱心なことだ。無知な連中ばかりで辟易としていたところに、スーッと効いてくる。
「ほう、不完全な聖典を信じ込む頭の固い連中にしては博識なようだな。いかにも。お前も何か願いはあるかな?褒美に叶えてやっても良いぞ」
「退け。世の理を乱す邪悪を、我等が主は赦しはしない」
聖印を掲げて俺を睨みつけるその姿に、思わず口角が上がる。うんうん、悪魔は恐れられる存在でなければ。
「我もお前の言う主によって生み出された存在。赦すも何も無いのだが?」
「この都に出没していた悪魔は、二百年前に封印されたはず。その御印が何者かに盗み出されたという噂は本当だったのか」
ほう、やはり二百年ほど経っていたか。広場に掲げられた旗を見る限り、王国は健在のようだ。人間の一族にしてはよく治めているらしい。
「悪魔を封じた聖印など、秘中の秘であろうに。それを盗まれ、あまつさえ噂まで抑えられぬとは情けない」
「貴様が言うか。悪魔の力で何かしたのであろう」
「教会の不祥事まで我の仕業とするのは少々筋違いではないか?昔から変わらんな」
教会の連中はいつもそうだ。金を横領しても貴人を暗殺しても全部悪魔の仕業と押し付けてくる。若く信仰に燃えるこいつには申し訳ないが、そんなに良いものではないぞ?良心があるなら早めに転職することをお薦めする。
「理に従い、再び眠りに就け。そして二度と目覚めるな」
「ふむ。お前に封印ができると?大した自信だ」
掲げる聖印を握り、ぐいっと引っ張るとそれはあっさり鎖から外れた。切れた鎖を手に後退りする男に、悪魔らしい微笑を返す。
「精進せよ。せめて我に触れられる程度には、な」
俺はくるりと踵を返すと、雑踏の中に飛び込んだ。ほんの少しまやかしの術を使ってやるだけで、あの男はもう俺の姿を見付けられない。何か叫んでいる声が聞こえたが、それもやがて遠ざかった。
少し気分の良くなった俺は、広場からの道を下っていった。どれくらいの時間が経ったのかは分かったし、一旦はあの小汚いボロ小屋に戻ってやるとしよう。その前に。
掌に残る聖印を改めて見てみると、小さいながら銀が使われているようだった。これならそれなりの値で売れることだろう。貧民窟近くの市場なら、盗品を買い取る店も多い。換金して何か食い物でも買っていってやるとするか。食器も必要だな。ゴミ溜めから拾ったほうがマシな代物ではリスの体調に関わる。