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リスは目を瞑ったまま粥を飲み干すと、また静かに眠りに落ちていった。規則正しい寝息には苦しさは感じられない。もう少ししたら、願いを聞き出せるくらいにはなるか。
リスを寝台に寝かせると、クノは粥の残りを椀によそって俺に差し出してきた。
「要らん。お前が食え」
味付けもしていない押し麦粥など家畜の餌だ。心の底から要らないのでそう言ったら、クノは遠慮と受け取ったのか頭を下げてから口を付けた。一度食べ始めると後は早い。椀ごと食らうように粥を啜り込んでいる。飢えていたならリスや俺に食わせる前に自分の腹を満たせば良いものを。愚かな女だ。
愚かで、善良。神の好みそうな人間だ。いや、神というか天使か。神はもう何もかもがどうでもよくなっている。
人間に伝わる聖典にも色々書かれているように、この世界を作ったのは神だ。天地を分け、そこに生きる生物を作り出し、己に似せて人間を作った。それを導く存在として天使と悪魔も作った。俺も含めて、全ては神の思し召しだ。
そんなこの世の全てを作った神は、ある時それに飽きた。そして全てを投げ出し、深い眠りに就いた。まあ、気持ちは分からんでもない。何もかも思いのままにできるというのは、実はそれほど面白くはない。双六が面白いのは、出目を制御できないからだ。自分の思うままの目が出て、なんなら一から六までどころか一気に上がりの数字まで出せるのなら、双六をやる意味がない。誰かと賭けをしているならまだ良いが、全知全能の神はその相手さえ思いのままに操れる。金でも命でも無限に生み出せるのだから、負けても何の痛手もない。何もかもが思い通りになる、空虚な世界。その全てを破壊するのではなくふて寝を選んだのは、まだ創造主としての良心が残っていたのだと思いたい。ともかく、俺達は神無き世界を行き着く先も知らずに生きているわけだ。
俺は制限のある悪魔としてこの世に存在できて良かったと思っている。抜け穴だらけとはいえ、悪魔は契約が無ければ大きな力は振るえない。契約を巡ってあれこれと駆け引きがあるからこそ、俺は神が放り出したこの世界を楽しめている。天使もそうだろう。あいつらは人間に力を与えることはできても、その使い方に介入できない。意に沿わなければ滅する以外の手段がない。だから人間の資質を見極めるために試練だなんだと無理難題を吹っ掛ける。陰湿な連中だと思うが、人間は奴等の方がお好みのようだ。
それにしても、リスにしてもクノにしても、早いところ願いを口にしてくれないものだろうか。俺はいつまでこの薄汚い掘建て小屋に居なければならんのだ?
クノは粥を食べ終えると、鍋に水を入れて洗い、今度はその水を飲み出した。……まあ貧民はこんな感じか。最後の一滴まで無駄にせず喰らい尽くす。そうでなければ生きていけない。
「なあ、クノ」
「はい」
椀を舐めるように綺麗にしているクノに呼びかけると、クノは手を止めて俺を見た。全てが小汚い中で、瞳だけは汚れていない。
「改めて、リスを看病してくれたことに感謝を。何か礼をしたいのだが、欲しいものはあるか?……薪と押し麦以外で」
願いを聞き出そうとしても、相変わらずクノは上の空だ。何かを願うという機能が付いてないのかこいつ?まあ、思い当たる節は無くはない。病気の我が子に何もできずに死なれた直後、自分の願いは何かと聞かれても答えようがあるまい。あるいは反魂を願うのかもしれないが、死者の復活は悪魔の力をもってしても不可能だ。何かこう、リスといいクノといい、偶然出会ったにしては出来すぎている気がする。悪い意味で。辛気臭くて悪趣味な天使共が好きそうな状況だ。俺はもっとこう、生き生きギラギラした欲望の方が好きなのだ。
「まあいい。考えておけ」
クノとの契約はリスが回復してからでもいいか。俺も久し振りに目覚めて少々気が急いているようだ。悪魔の最大の武器は時間。数多の国が興り滅びるのを見てきた俺にとって、人間の一生など瞬きの間だ。ただ待てばいい。