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 時々竈に薪を焚べる以外は何もすることがない夜が明け、ボロ布の向こうが薄明るくなってくる頃。女がゆっくり起き上がった。ぼんやりした目で俺を見上げ、興味無さそうに目を離すとまたリスの額にかかる髪をゆっくりと撫でる。悪魔の俺を無視するとはいい度胸だな?

 リスの顔には赤みが戻ってきている。とりあえず魂がすぐにどこかに飛んでいくってことにはならなそうだ。女がパキパキにヒビが入った素焼きの壺から水を汲み、そっとリスの唇を湿らせた。……その水、そこのドブのやつだよな?なんか油浮いてない?大丈夫?前にちょっかいかけていたお姫様との生活水準の違いにクラクラする。

「おい」

 無視され続けるのも業腹なので声を掛けると、女は相変わらず興味無さそうに俺を見た。全てが薄汚れているが、顔立ちは整っている方だろう。ガビガビ汚い長い髪は、綺麗に洗えばそこそこの値で売れる薄い金色だ。それに、緑がかった青い目。貧民にありがちな眼病で潰れることもなく、二つ揃ってまっすぐ俺を見る目線には妙な力強さがある。

「名を名乗れ。昨日から俺を無視し続けやがって」

「クノ、です」

 あっさり名乗ると、クノはまたリスに目線を戻した。だから無視するな。

「クノ、とりあえずリスを一晩看病してくれたことには礼を言っておこう。それで」

「リス。リスと言うのね。そう、リス……」

 一度怒鳴りつけた方がいいかこの女?いいかげんイラっときたが、クノの視線と手付きの優しさに声を荒げるのも憚られた。悪魔を翻弄するとはなかなかやるな、人間。

「……それで、何か願いはあるか?何でも叶えてやろう」

 悪魔らしい微笑を浮かべてそう言うと、クノはまた興味の無さそうな視線を俺に向けてきた。しばらくぼんやり俺を見上げていたが、やがて何か思い付いたようでリスの寝ている寝床の下を漁りだした。

「これで、何か食べ物を買ってきていただけると……」

 そう言って差し出してきたのは、緑の錆が浮いた銅貨だった。ここまで汚いと額面の価値は無い。ビタ銭の相場は今いくらだ?いや待て、そうではなく。

「そういうことでは無くてだな?」

「はあ」

「食べ物が欲しければそう願え。すぐに出してやる」

「はあ」

 反応が芳しくない。ああそうか、こいつはまだ俺が悪魔だということを知らない。俺としたことがうっかりしていた。

「我は神より分かれ人の願いに寄り添う存在。口さがない者共は悪魔などと呼ぶがな」

「はあ」

 クノはきょとんとした顔で銅貨を差し出したままだ。ねえどうしたらいいの?

「だからな、願いを言え。食べ物が欲しいと願えば、一生かけても食い切れないほどの食糧を出してやろう」

「はあ。あの」

「何だ」

「ひとまず、リスが口にできそうなものを。押し麦などあれば良いのですが」

 押し麦一掴みで魂を差し出す気かこいつ。契約に見合わなすぎる。悪魔は神と違って公正な契約にうるさいのだ。

「……買ってくる」

「ありがとうございます」

 説得するのも面倒で、俺はクノの手から銅貨を引っ掴むと外に出た。相変わらず曇った空の下、小汚い掘立て小屋がドブに沿って延々並ぶ。どうやらここは、王都の下水道が集まって排水される先のようだ。なるほど、大雨でも降れば王都中の落とし物が流されここに集まる。そこに金目のもの狙いで貧民が集まるという寸法か。俺を封印していた聖印は何かの事情で下水に流され、泥に埋もれていたところをドブ浚いをしていたリスに拾われたらしい。

 こんな所にまともな商店などあるわけもない。クノにどこに買いに行けばいいのか聞いておくべきだったか。だが今から聞きに戻るのも何となく癪に障る。どうしたものかとぶらりと歩く俺の行く手に、男が一人飛び出してきた

「おい、旦那。ずいぶん良い身形だなあ、ええ?」

 お手本のように下卑た笑みを浮かべた男が、棒切れを手に道を塞ぐ。後ろにも棍棒を手にした男が一人。こんな時間、こんな場所にも盗賊か。ご苦労なことだ。俺の格好はシンプルな黒服だが、たしかにこの掃き溜めでは汚れ一つ無い俺の姿は目立つだろう。

「なあ、痛い目に遭いたくなければ身ぐるみ置いてけ。命まで取りゃあしねえよ。ノーべ一家は優しいんだ」

 聞く前から半分名乗ってくれるとはありがたい。そうそう、悪魔を前にした人間とはこうあるべきだ。欲の皮を突っ張らせて、愚かで……。

「何を笑ってやがる、旦那」

「ああ、すまん。察するに欲しいのは金だな?」

 俺は懐に手を入れると、皮袋を一つ取り出した。それを引ったくった男は、その重みに顔を綻ばせる。中に銀貨と銅貨がずっしり入っているのを見て目を輝かせる姿は、むしろ可愛らしい。

「それをやろう。お前たちは、『ノーべ一家の誰だ?』」

「……ダノ」

「……ノヴィだ」

 男達は放心したようにそう答えた。契約完了。悪魔は願いを叶えた後なら強制的に名を引き出せる。あまりスマートなやり方ではないから俺は嫌いだが、こんな奴等に時間をかけたくもない。

「では、ノーべ一家のダノ、ならびにノヴィ。我はお前達の望むものを与えたぞ。疾く去れ」

「おう」

「……ああ、そうだ」

 フラフラ立ち去る二人に、もう一つだけ聞くことがあった。

「この辺で食べ物を買える場所はあるか?」

「ねぇよ。市場に行ってかっぱらってこい」

 にべもなくそう答えると、二人は路地とも呼べない掘立て小屋の隙間に消えていった。市場、か。王都に数ヶ所あったはずだが、なにぶん古い記憶だ。ここが下水の集まる湿地なら、大体の地理は推測できる。とりあえず近場からあたってみるか。

 ……ああ、あの二人の魂はすぐに俺の手元に届くはずだ。あの皮袋はノーべ一家の親玉の金庫から抜き出したもの。急に羽振りの良くなった奴等は、仲間によってあっという間に吊し上げられることだろう。

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