最終話 幸せのために
「今ここで、イザベラ・グトケレド公爵令嬢は死んだわ」
と言って、お嬢様はナイフで髪を切ってしまった。白銀の髪が、天使の羽のように落ちて、紅い瞳に映るのは、驚いた顔をした俺で。
「フフッ、皮肉なことね。せっかく死に戻ったのに自らもう一度死ぬなんて」
そのままお嬢様は、敵の女の死体を自分の死体のように偽装し始めた。首を切り、自分の服を着せ、あたかも己が死んだかのように。俺は動けず、ただ茫然としているだけだった。
偽装の終わったお嬢様は一番下に来ていた白いワンピースだけの姿で言う。
「さ、逃げるわよ」
「……ど、どこへ」
「予定は早まったけれど……自由な場所よ!」
そういうと、お嬢様は俺の手を引いて、外へ飛び出した。裏口から通りを抜けて、街を過ぎ、領地を出て。
たどり着いたのは、あの聖女を殺した村外れに近い、花畑。そこには慎ましやかな小屋と、小川があった。
ギラギラと光り輝く星空の下で、お嬢様は踊るようにはしゃぐ。
「あーースッキリしたわ!」
「お、お嬢様!?」
「もうお嬢様は死んだわよ。そうね……ベラと呼んで」
もうめちゃくちゃだ。何がなんだか全くわからない。こちらの困惑なんてつゆ知らず、お嬢様は上機嫌で勝手気ままに花を摘んだり、編んだりしていた。
「お嬢様」
「……死人に口なしというでしょう?」
「お嬢様!」
「……私だって、怖いの」
どうしたというのだろう。こんなお嬢様……いや。
「……ベラ様、教えてください」
「そうね。……私はもう、ベラなのだから、話さなくては」
ベラ様は、自信なさ気に、静かに話し始めた。こんな姿を見るのは初めてで、ポツポツと紡がれていく言葉に俺は耳を疑った。
「貴方と会う前の私は、自分を犠牲にしてでも必ず、一人で復讐を成し遂げようと思っていたの」
「けれど、首が落とされ死んだあの時、私は幸せになりたいと願っていた」
「貴方のおかげで、思い出せたの。初めはね、ただ殺すためだけに剣の腕を鍛えていたのよ? なのに、思い出してからはずっと幸せになるために準備をしてきた」
偽の戸籍を入手し、新たな聖女が降臨しても監視できるようここに家を買い、逃走ルートを考えたという。本来なら公爵の死を見届け、その後自害したように見せかける予定だったが、俺の血が付着したことで逃げるのが早くなったとかなんとか。
「ここまで長かったわ……すごく短かったはずなのに」
剣術の鍛錬も、時折家からいなくなっていたのも、復讐のためだと思っていたが、このためだったのか。
「私の復讐劇は、ここで終わり。もう、幸せなエンドロールなの」
編み終わった花冠を俺の頭に乗せて言う。
「だから、貴方を縛る鎖はもうないわ。もう貴方は私に殺される心配はないし、私に跪かなくていい。今までありがとう」
なんだ……なんだそれ。そんな、優しくて寂しそうな顔でそんなこと言うなんて、まるで別れのようじゃないか。
「俺が、ベラ様から離れていくと思ってるんですか?」
「もう主従関係はないもの」
「っ俺が、どんな思いで貴方に仕えてきたか……」
思わず、下を向いて花を摘み続けるベラ様の肩を掴んだ。
驚いた顔で、ベラ様は顔を上げる。当たり前だ、俺からお嬢様に触ったことなど一度もないのだから。
「で、でも誤解しないで。貴方のことは大好きよ」
「は? おじょ……ベラ様が、俺の事を、好き!?」
「当たり前じゃない。貴方のことを愛していたわ。……ごめんなさい、伝えるつもりじゃなかったのに」
まさか、まさか、まさか、まさか。お嬢様は俺なんて眼中にないほど高い所にいるお方だ。高嶺の花より高い。そんなお嬢様が、俺のことを好きなはずがない。
「そろそろ、新居に入ろうかしら。このままの髪では目立つし、染めなくては」
そういうとベラ様はスタスタと家に入り、棚をゴソゴソといじり始めた。そこには全て一人分の家具しかない。
「な、何してるんですか!?」
「言ったでしょう? 目立つから髪を染めなくては、と。ああ、貴方の髪色に染めるなんて女々しいわよね……」
ああ、もう余計訳わからなくなってきた。これは夢なのだろうか。
「俺が貴女のことを好きじゃないわけないじゃないですか!」
「あ、貴方言葉がめちゃくちゃよ?」
「めちゃくちゃなのはベラ様ですよ! どうしたら俺が貴方のこと愛してないなんて思えるんですか!? 貴方のためなら死んでもいい程愛してますよ! ああもうわけがわからないっ」
お嬢様の顔は真っ赤で、ガラスに映った俺はもっと赤くて。その後吹き出したようにベラ様は笑い出した。まるであの時のように。
「ふふっ、あははっ。私の方がわからないわよ。とりあえず、様付けをやめて頂戴」
……数日後。
「……ベラのことが新聞に出てる」
「それで、なんですって?」
「鮮血の白薔薇は枯れ、公爵家を襲った犯人は分からず……とかなんとか」
伝えると、お嬢様は得意げな顔で作戦通りだと鼻高々にしている。
ブライト家が証拠を残すわけがないとか、死体のすり替えがうまくいったとか。
「それにしても、いいわね。白薔薇が枯れたなんて」
「普通枯れたらよくないんじゃ……」
「枯れた白薔薇はね、“永遠を誓う”という花言葉があるの。まるでプロポーズのようじゃない?」
聞き覚えのある言葉。耳を赤めたベラ。言うことは一つだと、俺だってわかる。
「俺はベラに一生……永遠の愛を誓います」
「私も誓うわ、レイ」
『貴方の名前はレイよ。どんな時でも強い光を放つように、私の希望となるように、ね』