第一話 最悪で最強な悪役令嬢様
『私は悪役なのでしょう? 手段は選ばないわ』
✞
「サーカスの象を知っているかしら?」
「かろうじてではありますが、存じ上げております」
バルコニーから生ぬるい嫌な風が入ってきた。部屋は仄暗くも月明かりに照らされている。
あれから、十年が経ち、お嬢様は博識多才な完璧令嬢として名を馳せていた。一方俺はお嬢様の従者として、今でも首の皮一枚で生き延びている。
「ある学者は、力を持っていても、植え付けられた支配から逃れられないことの象徴をサーカスの象と称したの」
「愚かよね。当たり前のことだもの。力は手段にすぎないわ」
「全ては精神の鎖を繋ぐため……」
「ねぇ、貴方は賢いわよね?」
お嬢様は俺のネクタイを掴み、不敵な笑みを浮かべている。
……はい、以外の何を言えるだろうか。あの日から、俺はこのお方に何もかも握られているのだから。
「お嬢様のためなら、なんでも致します」
逆らってお嬢様に殺されるか、従ってお嬢様のために死ぬか。選ぶなら後者だ。
「私はね、他人の中で貴方を一番信用しているの」
十年間、付き従わせていただいているが、お嬢様は俺以外の使用人とは距離を置いていた。お母様はすでに亡くなられていて、父である公爵様はお嬢様に全くの興味がない。ご兄弟もいない。本当に俺一人しか、お嬢様の周りにはいない。
「今から私が話すことに、嘘偽りはないわ。心して聞いて頂戴」
お嬢様はパッとネクタイを放し、椅子へ掛けた。そして「座りなさい、少し長くなるから」とだけ仰った。
「コーヒーと紅茶、どちらになさいますか?」
「コーヒーをお願い。……カップは二つね」
「かしこまりました」
コーヒーを淹れている間、お嬢様はぼうっと青白い月を見ていた。コーヒーを渡すと、「ありがとう。貴方も飲みなさい。ほら」と今度こそ座るように言う。相変わらずオンとオフの切り替えの早いお方だ。
「さて、どこから話そうかしら」
お嬢様はコーヒーを飲んで微笑んだ後に、どこか遠くを見ながら頬杖をついた。常に所作の美しいお嬢様らしくない素振りだった。
「私、イザベラ・グトケレド公爵令嬢は一度死んだの」
……っ何を……言っているのだろう。
理解が追いつかず、驚きと共にカップが床に落ちて、破片が広がった。
✞
『お前は道具だ』
『悪女めっ……君との婚約を破棄する』
『聖女を唆し戦争を引き起こした……よって判決は死刑を言い渡す』
……どうして。どうしてなの。
『悪役令嬢が主人公に勝てるわけないじゃん』
私が……悪役令嬢……?
生まれた時に、すでに母は死んでいた。乳母は私を殺そうとして処罰された。お父様は……私への興味がなかった。食事は別、話しかければ無視をされ、ろくに会話をしたことがない。
『お前は道具だ』
それしか言われたことはない。
使用人と仲良くすれば、その人はクビになる。刺客かもしれないから、だそうだ。それを知ってか、使用人は私と最低限の会話しかしない。私は一人だった。
「お嬢様、庭のお花が綺麗ですよ」
でも一人、密かに仲良くしてくれる使用人がいた。名前は、アンナ。彼女はとても優しくて、少し面白い人だった。
……なのに、私のせいで、彼女は傷つけられた。宰相が我が家に訪れた際、襲われたのだ。宰相は女好きで有名だった。誰かが犠牲になる。そうなった時に、使用人たちは、私と仲良くしていた彼女を差し出した。
……私のせいで彼女は傷つき、辞めていった。
私は誰とも仲良くしてはいけない。
「イザベラ、君がやっておいてよ」
けれど、殿下だけは。殿下の後ろにいることだけは許されていた。アンナが辞めてから、私には殿下しかいなかった。殿下のためならなんでもしたの。言われれば公務だって、代役だって何だって。それで殿下が私に笑いかけてくれれば、それで良かった。誰にも愛されない私を、側に置いてくれるだけでも嬉しかった。
それも、300年に一度、この世界が瘴気に包まれし時、異世界から聖女がやってくるという伝説の通り、聖女様が現れたことで私の希望は崩れていった。
『悪女めっ……君との婚約を破棄する』
いつの間にか、国中に私の悪評が流れていた。裏腹に、聖女様の支持は上がっていって。
国の重鎮たちが、次々に聖女様に目を眩ませ、傅き、言いなりになっていった。国際問題である瘴気を聖女様は一切払おうとせず、殿下やご学友と遊んでばかりで。
戦争に繋がるのは時間の問題だった。国がどんどん腐敗していくのが、目に見えて分かった。
気づいた時には、もう遅かったというのに。私は他国との関係を崩さぬよう、奔走していたの。今もどこかで生きているアンナや、殿下、民たちが戦争に遭うなんて嫌だった。
『聖女を唆し戦争を引き起こした……よって判決は死刑を言い渡す』
第三王子であるレオン様も戦争に反対していたけれど……止められなかった。
戦争によって多くの死者が出た。
連合軍に敗れ、どうしようもなくなった国王陛下や宰相、公爵であるお父様は“聖女が悪女に唆されていた”ということにした。
どうしてこんな目に遭うのか、私にはわからなかった。実の父親に捨てられた。沢山の拷問をされた。処刑台で石を投げられた。
処刑直前に、聖女は言ったの。
『悪役令嬢が主人公に勝てるわけないじゃん』
その時に私は気づいた。これは定めだったのだと。私が悪で、彼女が正義だと決められていたのだと。
目の前が、真っ黒に染まった。憎くて、辛くて。
もし時が戻るのなら、私は幸せになりたい。
自分のために生きて、誰かを愛して、愛されて、穏やかに死にたい。
✞
「首を落とされ、眩い光の中、目を開けたら、過去の……齢3歳の時の自分に戻っていたの。18年の記憶を残したまま、ね」
俺は声が出なかった。それはあまりにも衝撃的で、何かを感じた。そして同時に今までの謎に全て合点がいく。幼児にしてあの剣術、威圧、完璧な立ち振る舞い。そして今も思うがままに事が進んでいるのも。
「とても嬉しかったわ。これで復讐ができる、やり直せると。力をつけ、策を練り、私は必ず成し遂げる」
「私は悪役なのでしょう? 手段は選ばないわ」
俺は、お嬢様の血の滲むような努力も、辛かったことも、全て知っている。あれは全て、このためだったのか。
「……俺は何をすれば良いでしょうか?」
傅き、胸に手を当てお言葉を待つ。
お嬢様は艶やかに指折り数えて、
「……まずは、聖女から。宰相、国王陛下、殿下……そしてお父様、全員亡くなって頂くわ。手伝って頂戴」
と仰った。
「御意」
お嬢様の敵は、俺の敵だ。