2-4 おやすみなさい
「背中を流すまでだったような気がするんだけど」
「仕方ありません、なにせ、この家にはベッドが一つしかありませんもの」
「だからぼくが下で寝るから、ネロがそのベッドで寝れば―――」
「そんなことはさせません。風邪を引いてしまいます」
「でも、ベッドは一つしかない」
「だから一緒に入ってしまえば良いじゃないですか」
「じゃあ、一緒の部屋で寝るから、他の布団一式を」
「ありませんよ、このベッドしか」
「予備とか来客用とかも?」
「まあまあ。悪いようには致しませんから」
「今は心臓に悪いよ」
「最近は他の町や国に出稼ぎに行く方が増えていまして。村の人口を増やす手助けとでも」
「猶更、一緒に寝れなくなるよ……ッ」
などと言う会話をしていると、急にネロが静かになる。途中で埒が明かなくなって、最終的には隣に失礼することになったのだが、黙られるとやはり居心地が悪かった。
天井を、虚空を、じっと猫のように見つめる。ぼくも天井を見てみるが、顔っぽく見える木目を探したが、何も見当たらなかった。
明かりも消し、暗い空間の中、自分の心臓の音と、彼女のか細い呼吸の音だけが存在する。ふと窓の外に視線をやると、明かりがついている家はほとんど無かった。青く冷たい月光が、木々に影を生み出している。
目を室内に戻すと、ネロはぼくに背中を向けていた。壁の方を向いていた。
ぼくがネロに背を向けると、目の前には空間があった。静かで、時計の針が動く音が、やけにうるさく感じる、真っ暗な空間だ。窓枠が月に照らされて影を床に落としている。
かろうじて、今は二つの呼吸音がある。寂しさはない。初夏ではあるが、夜は冷え、半そででは少し肌寒さを感じる。布団の中は、お互いの体温がまじりあって、案外眠気を誘うのにちょうど良かった。今日はいろいろなことが起きすぎたから、眠れるのかどうかを心配していたが、割とぼくは適応できる人間だったようだ。今は、身体がとても重たく感じる。
何かが背中に当たる。小さくて、柔らかくて、暖かい感触。まるでぼくの心拍を確かめるように、じんわりと押し付ける。形からして手のひらだろう。
「誰かと一緒に寝るなんて、久々です」
背中に言葉が当たる。ただし、先ほどまでのような言葉遊びとかではなく、これはそのままの意味で受け取った。
「一人は長いの?」
誰もいない空間にやけに響いた。返答までに時間がかかったので、ネロがクスリと笑った。急に恥ずかしくなったので、掛け布団に包まろうと引っ張ったら、彼女もいっしょについてきた。
「最初から一人ですよ、親の顔は知りません」
「……」
「シシさんと同じく、セント・ヴァイシュの森に居ました」
「じゃあ、キミもぼくと同じく、ヨビビトなのか」
「どうなのでしょう。単純に捨子だっただけかもしれません。この村には孤児院があるのですが、その主人に拾われたんです」
「孤児院、か」
「特別なものではありません。どこの街や村に行っても、それらしい施設はあります。なにせ、モンスターが居るんですから」
「ひどい話だ」
「仕方ありません。人が増えればそれだけこぼれる数も増える」
「それを少なくするのが、ネロの仕事?」
「おやおや、なかなか察しが良いですね」
ぎゅう、と抱き着かれる。思った以上に力が強いが、この体格で剣を振り回し、実力者と呼ばれているんだから、考えてみれば当たり前だ。むしろこれでも全然足りてないだろう。帰路の、酒場に向かう彼らの姿と比較すれば、ネロが彼らよりも強いなどとは、到底信じられない。
今のぼくは、この世界で最弱の存在と言ってもいい。ならば、強く在らねばならない。でなければ、この世界で何かをなすことは叶わない。それは精神的にも、そして身体的にも。
寝返りを打って仰向けになる。視線を感じたので右を向くと、ネロがじっとこちらを見ていた。大きいサイズのベッドとは、ネロに対しては、ということで、今のぼくにはちょうどいいか、寝相が悪い場合は狭いものだった。しかも、彼女は今、その半分以上のスペースを占有している。そのせいで、ぼくはいま、肩を支点に寝返りをすることができない。
ネロが寝たら、適当に毛布を持って下に行こうと思っていたのだが、どうやら今回は諦めるしかなさそうだ。
「どうしてキミは、ぼくにそんなに距離が近いんだい?」
「……、どうしてでしょうね」
ふざけた回答が来るかと思っていたが、ネロは至って普通に答えた。
風呂でのこともそうだが、今こうして一緒に寝ていることも、普通に考えるとおかしいのでは、と思う。いや、ヨビビトという言い伝えられた存在が目の前に現れればそうなるか、いやでもやっぱりおかしいのではないか、などという思考がめぐる。
しかし、ネロも分かっていないとなると、打算での行動ではない。
「甘えたくなる何か、魔法とか漏れてるんじゃありませんか?」
「そんな魔法があるの? というか、魔法を見たことない人が、魔法を使えるの?」
「あり得なくはないです。ただ、もしもそうだとすると、シシさんには一刻も早くコントロール出来てもらわなければなりません」
「キミの、あの爆発するやつも魔法だよね」
「はい、火をこう」腕を伸ばしてから人差し指を立てると、そこにろうそくほどの穂が生まれる。「こうやって」
見よう見まねで腕を伸ばして、人差し指に気合を込める。が、何も出てこない。ムッフフ~という笑い声がする。おそらくお化けだろう。
「熱くないの、それ」
「熱くないですよ」
熱くない火とはどんなものなのだろうかと、小さい、揺らめく穂先に指を近づけると、意図を理解したのか、即座に火は消され、もう片方の手で阻止された。
「他の人が触ったら怪我するに決まってるでしょう」
「ごめんごめん。だからコントロールできないとダメなんだね」
危険性を理解していないままの使用は、他者に対して危険を及ぼす。魔法に限らず、武器だってそうだろう。もしかすると、今後、ぼくもそれらを所持し、場合によっては行使し、敵を打ち倒す、そんな未来があるかもしれないから。
一息の静寂。再び時計の音が二人しかいない空間に侵入してくる。天窓から、青く丸い月が、二つ見える。黄身が二つある目玉焼きを連想させるが、このフリュークの月と太陽は、どちらも二つあるらしい。区別は一応つけられるらしいが、肉眼ではわからないという。
「こちらに来て早々、連れだして悪いのですが、明日はちょっとお付き合い願います」
「いいよ、しばらくお世話になるだろうし、ここには慣れておかなくちゃ」
二度目の「おやすみ」を言ったあと、ネロは静かに寝入った。
ぼくはしばらくの間、二階の時計をぼうっと眺めていた。
今の時刻は十二時を過ぎ、
十三時を目前としていた。