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戦姫、ブリュンヒルデに捧ぐ  作者: 野之 乃山
四章 プラッツ
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6-3 血染めの公都

 鮮血が噴出する。

 もはや生物とは思えないほどに変色し変形した肌から、まるで生きているかのような、明るい赤が、はじけ飛ぶ。


 湯気が立ち上る。

 さっき見た、スープのように。

 あたり一面に飛び散った肉片や、黄色い物体から。


 異臭が立ち込める。

 寒々しいほどに青々とした空の下で、殺し合いが行われていた。

 否、殺し合ってはいない。


 しているのは、一方的な虐殺。

 

 結果として、<アセンシオン>は始められてしまったらしい。

 ガズダームの鎧を着たヒト型の魔物たちが、拡散した戦闘の匂いを嗅ぎつけ、よろよろと集まり始めている。

 彼らが元からこの場所に居たのは、おれたちにとって、単なる不幸なだけだった。今となっては、もはやどうでも良いことになっているが。

 

 しかし、この場に居るのは、<アセンシオン>によってχ化させられてしまったガズダーム兵だけではなかった。

 本人いわく、リンネが斬った者の中には、あの家の持ち主らしき人物がいたという。ガズダームの兵士の中に紛れ、明らかに非戦闘員の風貌をした者がおり、しかし<アセンシオン>によるχ化の影響を受けていた、というのだ。

 おれもそれらしい姿を見たので、このヒュムネンの住民がそうなってしまった、ということに関しては、間違いないと思っている。


 だが、それはおかしいと言わざるを得ない。

 そもそも、おかしいことだらけである。


 城壁、空の色、そして時間のズレ。

 外界とほぼ完全に隔絶されてしまった空間の中に、蔓延る魔物たち。


 奇妙なことに、これらをひとくくりに表現してしまえる言葉を、おれは知っている。


――『迷宮』。


 まさに、つい先日まで厄介になっていたあの迷宮の特徴である。

 言ってしまえば、ヒュムネンは魔物の襲撃レイドを受け、『迷宮化』した、ということになる。

 

 となると、ヒュムネンへの立ち入りが禁じられていた、というのも、おかしくはない。そもそも、立ち入ることが出来なくなってしまったのだから。

 

 さらに、迷宮と言うのは、前例が一度しかないので断言はできないが、<レッド・ホロウ>の目的と合致した存在であるようだ。

 ズーベ・ヘーアの元町長、カザンが行っていた、<アセンシオン>も、その迷宮の特殊な場所で執り行われており、最終的に、神話の生物まで呼び起こしてしまったのだから、互いに影響力を増幅させる何かがあるのでは、とおれは考えている。


 であれば。

 今回、この迷宮化したヒュムネンを、彼らが利用しないハズがない。

 というか。

 実際、もう利用されてしまっているのだ。


 彼らの姿が、全てを物語っている。

 ここで倒しても、霧散しても、きっと時間が経てば、この地を徘徊する迷宮の魔物となるだろう。

 彼らには、もう安息は訪れない。


「シシ、あれを!!」


 穂先についた血を振り払っていると、屋根に上ったリンネが、ある方向を指差した。

 

 その先には、白い巨大な建物、旧中央政府議事館があった。

半円に広がる、まるで戦車のような威圧感を誇るその玄関口の前には、ヒュムネンの伝統をずっと見守ってきた、巨大な女神像がある。おそらく両大陸に建てられている数多くの像の中でも、最も巨大なものと言えるだろう。

ここが公都ヒュムネンとなる以前から、この地を見守り続けてきた像の足元に、影が集っていた。


「やあ、来たか」

 

 群衆の中から一人、男が抜けてこちらに歩み寄った。鎧を着ているが、武器は持っていなかった。

 名前は分からない。もしかすると、臨時政府でのブリーフィングで紹介があったかもしれない。

 雲が切れて、太陽が彼に光を浴びせた。舞台に上った人物を紹介するように。


 滑らかな造形の鎧をまとっている。右鎖骨を覆う所に、領家のシンボルがきらめいていた。船と錨を模している。

似たようなシンボルはない、ポルトのものだ。


「キミたちが来ることは、あの人から聞いていた。その通りになったな」

「あの人?」

「よく知っているだろう」


 ゆっくりと左腕を上げる。

 すっと、人差し指が、おれの方に向けられる。


 武具を持つ左腕が痛む。

 気持ちが、心が揺らいでいるのが分かる。分かるのだが、どうすることもできない。

 あのポルトの傭兵が、いったい何の話をしているのか、何の目的があって、おれたちの前に現れたのか。

 

 人差し指を向けている手が裏返され、何かを手繰る手つきに変わった。

 途端、足元がぐらつく感覚。

 そして――。


『わたしはすでに完成したのだよ』


 聞き馴染みのある声が、頭上から降ってきた。

 それと同時に、リンネが目の前の彼を、左肩から斬った。

 血は一滴もなく、その死体は一瞬で散った。


『ここは良い場所だ。利用価値がある』


 空を見上げると、この町に入る前に見た、赤い空に変わり果てていた。しかし、雲の流れが異様に早いのに、風は微風すらない。


『聞こえているようだね』


 時の流れがおかしい。

 目の前で、彼を斬り伏せたリンネの動きが、異常なほど遅い。剣を振り下ろした体勢のまま、止まってしまっていた。

 なのに、おれは動けるし、女神像の前の有象無象たちも、救いを求めるかのように、その足元から手を伸ばしたり、振ったりしている。


「なにをした」

『なにもしていない。知っているだろう、光と闇は、在る世界が違うのだ。世界が違えば、見えるものも違う』


「おれは、人間だ」

『果たしてそうかな』


 左腕が酷く痛む。右側の視界もなんだか変だ。

 空気が澱んでいる。吸い込むと、気道に絡みつくほど粘っこい。そのせいか、ひどく気分も悪い。

 

 だからこそ、だからこそだ。

 踏ん張ることができるのだ。

 苦しさの正反対が、抗う意識が失われていないのが、分かるから。

 ありったけの力を込めて、叫ぶ。


「おれは、人間だ!!」


 高笑いが響く。

 赤い空に流れている雲は、ある一点に集まり始めた。

次第に渦を巻き、「目」を作り出すと、

――巨大な影を吐き出した。


 身体の拘束が解ける。息苦しさにあえいでいると、リンネが心配して駆け寄ってきた。


「いったい何が……」


 二人して空を見上げていると、黒い渦中に蠢く巨大な影が、雲を切り裂き、姿を現した。

 巨大な、蛇。全長数百メートル、それ以上はありそうな、うねる紐のような物体が、空を悠々と滑っている。


 紐と言えど、それはすさまじく巨大である。直径は百メートルを超えているだろう。それに、蛇はなだらかな体表をしているが、これは遠くから見ても、表面には無数の突起物があった。腹側には、無数の手のような動くものもある。

 頭部は生き物とは思えない悍ましい形をしている。丸い筒のようなものが何重にも折り重なり、歯のような白い物体が無数に取り囲むその中心に、光る眼が見えた。


そんなものが、空中を飛んでいる光景を受け入れられている自分が、信じられなかった。


 巨体が一度、ヒュムネンの外周を周回すると、再び高度を上げて、雲の中に顔を突っ込んだ。ヒュムネンほどの小さな街だと、頭部は、一周半以上必要があった。


 尾が雲の中に入り切らないまま、その蛇は地上目掛けて急降下してきた。


「やばいやばい!!」


 おれたちは急いでその場から離れた、離れようとしたが、あまりの巨体にスケール感を狂わされたのか、さほど逃げることはできなかった。

 蛇の頭部は、群がっていた有象無象ごと、女神像を飲み込んだ。地面に激突し、そのまま地中へと潜っていった。


 石造りの通りは空高く捲り上げられ、隕石のように住宅街へと降り注ぐ。四方八方で土煙が上がっているのが見えた。


 走るのはやめない。上空と地表を警戒しながら、そのまま城壁のもとへと急いだ。

 城壁の下に着いたとき、


『応答せよ!!』


 渡されていた、連絡用のタグから、カサナシヴァの声が聞こえてきた。


『こちらカサナシヴァ、二人とも、無事⁉』

「こちらシシ、おれたちは無事です!!」

『よかった。こちらは負傷者を搬送済み、トーテムも止められたから、二人は早く逃げて!!』

「わかりました、リンネ!!」


 中央議事堂を突き破り、再び上昇していく巨大な蛇を、リンネはぼんやりと眺めていた。

 その手を掴み、槍を投げる。物見やぐらの屋根らしきところに刺さったのを確認してから、ぐっと彼女の身体を引き寄せ、しっかりと保持する。

 青白い粒子がおれの身体から零れ始めたのをみて、相棒は目を白黒させていた。


「しっかりつかまって!!」

「え、いったいなにを」


 槍を手元に戻す魔法の逆。身体を槍へと戻した。

 一瞬にして城壁の上へと昇ることができ、今度は地上の道へと槍を投げる。


 城壁を越えたので、リンネを下ろすと、目をキラキラと輝かせていた。


「すごいですわ、こんなことができるなんて」

「後で教えるから、今はここから離れないと」


 カサナシヴァの指示通りに動くと、城門の前に、一台の装甲車が停まっていた。


「はやく!!」


 爆音が響く。上空でほえたのだ。皆が一様に耳を塞ぎながら、空を見上げていた。

 車に飛び乗ると、すぐさま急加速する。トーテムは反応していない。みるみるうちに城門が遠くなっていくが、雲の上の奴はまだ見える。速度は向こうの方が速い。


「どこに行くのかしら」

「わからない、目的はあるようだけど……」


 影は雲の中でとぐろを巻き、そしてフェードアウトしていった。

 蛇が消えたあと、赤い空は徐々に明るさを取り戻していき、青い空に戻っていった。風もやみ、空気がまとわりつくこともなくなった。


 唖然としていたが、時間を無駄にするわけにはいかない。


 状況を聞き、こちらで見たものとのすり合わせを行った。


 負傷者たちは、援軍を呼んで移動させたようだ。ドラクネルが同行しているから、心配はいらないと言われた。

 アロガンとガズダームの兵士は利用され、供物にされた。おそらくあの蛇のために集められたのだ。偵察部隊がアロガン部隊の死体を一つも発見できなかったという。もしかすると、あの中にいたのかもしれない。


 そもそも、公都は、あの襲撃のさなか、何らかの儀式が行われ、空間にひずみが生じ、迷宮化していた。これは帰還してから、このことについて、臨時政府を詰問することにした。情報の開示を行わなかった責任があると、リンネは悪い笑みを浮かべていた。

 蛇のことについては、おいおい対処しなければならない。これに関しては、おそらくおれたちがどうにかすることになるだろう。すでに上空からは消えていた。どこに行ったのかは、誰にも分からない。


 ただ、感じることがある。少なからず、あの場所で行われていた<アセンシオン>の影響を受け過ぎたのかもしれない。

 <レッド・ホロウ>との接触が、おれへ力を与える結果になっているのは、否めない。あの儀式は、χ化を引き起こす。つまり、闇の力を増幅させるために行われているのだから、どうしたって引き寄せられてしまう。

 

 彼らが<アセンシオン>を行う場所も、何か意味があるに違いない。迷宮と言う環境条件が、もっとも効率的に魔力を供給してくれるとか、そういう理由があるはずだ。

 ズーベ・ヘーアとヒュムネンを詳しく調査すれば、もしかすると判明するかもしれないが、そんな悠長なことはできない。情報は提供して、誰かに任せるとする。


 そして、今回の騒動を主導したと思われるポルトについて。


「レレヴァさまはああいった集団には否定的であったはず」リンネは声のトーンを落として言った。「心変わりされたとは思えない。あの方は信念という者を真に理解していた」


「それなんだけれど、ウチの兵士からへんな報告が上がっているんだ」

「へんな?」おれは聞き返した。

「レレヴァさまの奥様と娘は、アラム王国の襲撃の日に、現地に居たはずなのに、何事もなく帰ってきたとか。それに、夜中に光るとかいう噂が流れているとかなんとか」


 意味が分からないわよね、と言うカサナシヴァとは対照的に、おれとリンネは、つい最近の出来事をハッキリと思い出していた。


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