6-2 作戦開始
天地がひっくり返りつつある車内で、おれの頭は嫌と言うほど冴えわたっていた。
まず、この車の前後一両ずつ、つまり、三両を包み込む程度の大きさの「緩衝材」を作ることを思いついた。出来そうだったので、そのまま実行した。
雲のような、柔らかそうな白い物体が、宙に浮く車の下部に一瞬にして広がった。
ちょっとした落下、すぐに妙な弾み。
その次にやったのは、追撃を防ぐために、壁を作った。
防護壁ならば、壁が透明なので状況把握がしやすいのだが、流石に十数メートルの壁を、純粋な魔力のみで生成するのは、一瞬では難しい。
なので、霧を作った。
連携できる状態ならば、数メートル先も見通せない濃霧の方が好都合だったが、あまりにも濃すぎるとかえって混乱を招く。
「射点」はおおよそ特定した。そことの間を途切れさせることが目的だった。
ここは公都ヒュムネン跡、南城門前、おおよそ五百メートル地点。
まっすぐに北進するだけの舗装路を車で進んでいる途中、おれたちは正体不明の攻撃を受けた。
「動ける者は、負傷者とともに西側の林の中へ!! 急いで!!」
シートベルトを外して、横転し、大破してしまった装甲車からずるずると這い出る。
衝撃を吸収させていた白い物体は、オイルや兵士たちの血で汚れているのが分かる。しかし、これがなければ、負傷者はともかく、死者が出ていた可能性がある。
霧によって白む林の前に、カサナシヴァが声を張り上げながら指示を出していた。
とにかく、この道に居てはまずい。そう考えていたのは、おれだけではなく、他の二人、リンネとドラクネルも同じだった。
助けが必要そうな兵士に肩を貸し、霧が晴れてしまう前に、全員が林の中に身を隠すことができた。
そのうち、破損した燃料タンクからオイルが漏れ、火が上がり始めたところ、おれが作った霧はふわふわと立ち消えていった。
白い世界が晴れていく。
が、視界はそれほどクリアな状態にはならなかった。
空は赤黒くよどみ、雲は影のようになり輪郭を失っている。陽の光が届きにくくなっているのか、夜明け前よりも視界が暗い。
肌寒いとさえ感じていた朝の風は、今では生ぬるい。
隠れた先の林のなかは、けが人のうめき声で満たされていた。早鐘を打つ心臓の音が鎮まると、悲痛な空気が肺に押し寄せてくる。
衛生兵と伝令兵たちがせわしなく動いているのを、ぼうっと立って眺めていると、肩を二回、ぽんぽんと叩かれた。
振り向くと、獣人の男性、ドラクネルがいた。
「よくやった」
「ど、どうも……」
「魔法に秀でているようだな」
「まあ、相棒よりかは得意です、魔法は」
「謙遜するな」
見よ、と。
ドラクネルは指をさす。その方向は、先ほどまでぼうっと眺めていた、兵士たちのいる場所だ。
包帯を巻かれた兵が横にされ、少しでも軽傷な兵が、衛生兵の助力や、状況把握に努めていた。
悲惨である。
しかし、ドラクネルはもう片方のおれの肩に手をやった。
「わが隊は、負傷者は出たが、死者はゼロ。これはお前の功績だ」
ドラクネルはそう言ってくれた。褒めてくれたのだろう。
だが、嫌なことに気づいてしまった。だから、そのことについて聞かざるを得なかった。
「他の隊はどうなったんです」
「南隊、アロガンは全滅した」
――ということは、やはり。
「ポルトとガズダームは、抜けられたんですね」
「なぜ、そう思う?」
「地形上、彼らの方がわずかに早く、城門前に到達するはず。なのに、爆発音が聞こえなかったから、です」
「もともと、目を付けていたのだろう?」
「それもあります。これで決定的になりました」
さて、とドラクネルは呟き、肩から手を離す。
「えっと、二人は何処に?」
「林は城門まで続いている。あちらに歩いて行けば、分かるだろう」
「撃たれないのでしょうか」
「直接、見えていないと、撃ってこないようだ。現に、林に逃げ込んだことで、止んでいる」
予兆はあったはずでした、とおれは言った。しかし、ドラクネルはただ首を横に振るだけで、何も言わなかった。
ここに居ても何もできないので、兵士たちはドラクネルに任せ、おれは言われた通りの方向に進んだ。
その途中、右手側の木々が薄くなったところがあったので、外の様子を慎重に伺ってみた。
不気味な空に、視界の半分程度を占める巨大な城壁。もう半分は、抉られた黒い地面だった。
ヒュムネン自体はアラムほど広くはないはずだが、城壁はどこまでも向こうへと続いていそうだった。
目線で城壁を駆けのぼっていくと、案外すぐに頂上になった。
そこで、目が合ってしまった。
なにと、と言うと、不気味なモノ、としか形容しがたい異形とである。縦に細長く、大きさは、すぐ近くにある物見やぐらと同じくらい。5メートルほどの高さだ。
それ本体の色が、空と同化していてはっきりとした輪郭が掴めない。しかし、その影が、うぞうぞとうごめいて、生きているのがわかった。
あれが魔法を撃ってきたのだろう。
細い触手のようなものが、それから空に向かって伸びている。一本や二本どころではない。無数にある。
そういったものが、城壁の上の通路に、一定間隔にあった。インターバルはそれほど狭くない。
静かに身を引いて、そのまま足早に、二人のもとに急いだ。
ドラクネルの言う通り、二人は城壁のすぐそばにいた。
「シシ」リンネがおれに気づいて手を挙げた。それに応える
「何をしているの?」
「秘密通路を確認していたところ」カサナシヴァが言った。「お決まりのやつね」
「ここにあるんですか」
「ええ」
少し後ずさったカサナシヴァは、どこからか、ランタンのようなものを取り出した。
左手に鎖を絡ませ、顔の高さまでそれを持ち上げると、空いている右手に魔力を纏わせる。
それに反応して、ランタンに火がともる。が、その火の形は穂型ではなく、何かの模様を象っている。
城壁の方を見ると、ランタンの火と同じ模様が、影のように浮かび上がっていた。
すると、その模様が浮かんでいた部分の城壁が、奇妙に波打ち始めた。質感もまさに石造りな壁が、ぐわんぐわんと波紋を広げていく。
気が付けば、そこに扉が現れていた。
いわゆる、隠し通路というやつだろう。ここに住まう重鎮たちが逃げるための。
その割には、見た目はただの木の板を張り合わせて作ったようなものだ。重厚な石造りの壁には、あまりにも似つかわしくなく、頼りない出来だった。
重要人物がまさかこんなところを、みたいな、そう言ったカモフラージュだろうか。
二人は、その扉を眺めている。
入らないのだろうか、と口を挟もうとしたとき、
「不気味ね」
「ええ」
不気味。
呟くようなその言葉で、ようやく違和感を覚えた。
一歩引いて、左右に続いている壁を眺める。
何もない、巨大な城壁を。
「そうか」
四つの目線がおれに向く。
おれは顎を彼女たちに向けながら、喉から勝手に出てきた言葉を、そのまま通した。
「綺麗すぎるんだ」
やや古い記憶が蘇ってくる。アリアと、フェンデルと、あの冬。
ギルドの窓口で話していたときの記憶だ。
ヒュムネンへの立ち入りが禁じられることとなった直接の原因は、公都内部に「魔物の襲撃があった」からである。
外壁に傷がないのも当たり前だ。
中から侵食されたのだから。
その当時は、不思議な事があるものだ、と、他人事のように感じていた。
直後、リドの村やアラム王国も襲撃を受けた。そいつらは、遠路はるばる、やってきた。そのせいで、連中は外からやってくるという思い込みもあったのかもしれない。
だが、今では、そのからくりに、おおよその見当がついている。
「公都内で、<アセンシオン>があった、というわけね?」カサナシヴァは言う。「そして今も、行われている」
「可能性は高いでしょう」
リンネが扉へ顔を向けた。カサナシヴァは顎に手をやって、考える仕草をしている。
「ちなみに」人差し指だけを立てて言う。「止めなければ、何が起こる?」
「分かりません」
「あら、そうなの」
「ろくでもないことが起きるのは、確かですわ」
シシ、と名前を呼ばれる。ふとそちらに目を見やると、いつの間にか扉を開けていたリンネが、奇妙なポーズをしていた。
扉を開けて、中に立ち入ったすぐのところで、空中に手を添えていた。伸ばしている左手は空中で完全に停止している。体重をかけるために、身体を傾けているにもかかわらず、その体勢はなかなか綺麗に安定している。
カサナシヴァはその格好に首を傾げていたが、おれはすぐにわかった。
油をひいたような嫌な色合いをした、薄い膜を押しているのが見えたのだ。
「立ち入りを禁じていたのではなく、立ち入れなかった、というのが、本当の理由でしょう」
「これは、一体……」
カサナシヴァが同じように手を当てるが、あまりにも奇妙な感触に、すぐに離した。
「知っているの?」
「つい先日、似たような現象に遭いまして。しかし、こんな状態なら……」
――中の状況は、どうなっているのだろう。
胸と顎をくすぐるような好奇心が、思考を回転させる。
「斬る?」
「もちろん」
返事と同時に、リンネが左側の剣を抜く。以前よりも輝きを増したように見えるそれは、こんな環境でも、何かの光を反射し続けている。
念のためにおれたちは数歩程度、後ろに下がった。おれはバフを準備する。
カサナシヴァがいざという時にリンネを引っ張ってくれるそうだ。それなりに魔法が使える人と肩を並べるというのは、どうしてか新鮮な気持ちになった。
相棒の背に指を向けると、紫色をした粒子が、彼女の剣に吸い込まれていく。
そこからやや間があって。
「!!」
巨大な城壁さえも斬ってしまったのではないか、とさえ思わされるような、見事な剣筋が、防護壁を断ち切った。
途端、
ブォォッッ!! と。
ため込まれていたらしい、瘴気を孕んだ濁った空気が、そこから吹き付ける。
腐った肉とすえた血の匂い。
顔を顰めることを禁じ得ない、経験したくない匂いだ。
それを間近に受けたはずの、わが頼れる相棒は、何事もなかったように、一度剣を払って、鞘に納めた。振り向いたときは、ややはにかんでいたようにさえ見えた。
「さて、あなたはどうするのです?」
「うーん」と悩む。おそらく悩んでいるフリだ。「一緒について行っても面白そうなんだけれど」
「カサナシヴァさんには、あの、城壁のやつを止める方法を探して頂きたいのです」
「『トーテム』か。うん、そうしよう」
あれは『トーテム』というらしい。
後ほど聞いたが、どうやらヒュムネンの自動防衛機構を、魔物が乗っ取ったのが、あれだという。
もとは非致死性兵器だというらしいが、リンネは疑っていた。
魔物が改造するにしても、あれほどの威力の兵器にできるかどうか。
『もとはあれ以上の威力を持っていたのではないか』と。
「足もちゃんと用意しておくから、帰ってくるように」
「言われずとも、きっちり成果を上げて帰ってきますわ」
テレパシー連絡用の護符を貰って、おれたちは先だって扉の中へと這入っていった。
螺旋階段を昇って、降りて。城壁の中の廊下を渡っていくと、細い坑道のような道に繋がっていた。
つるつるした土壁ばかりで、明かりになるようなものは何もないはずなのに、やけに視界がハッキリしていた。リンネもそうらしい。
その道を走って一分もしないうちに、行き止まりになった。あるのは、上に行くためのはしごだけ。
「どこに繋がっていると思う?」
くだらないことを聞いてみた。
「敵の真ん前」
冗談でもやめてほしい答えが返ってきたので、おれが先に上った。
入口よりもしっかりした扉を開くと、上った先は、人家の台所だった。
リンネが上ってきてから、音を立てないように扉を閉める。その間に、リンネが飾られていた写真たてを眺めていた。
肩越しに覗いてみれば、三人家族の写真がそこにあった。
何の変哲もない、ヒュムネンにしては珍しい、中流家族らしい家族の姿が写っている。男性と女性、真ん中には、その子ども。
「おかしいですわね」
振り返ってみると、リビングの真ん中、暖炉の前に、三人分の椅子が並べられた机があった。
そこの上には、未だに湯気を立ち上らせているスープと、柔らかいパンが、今まさに用意されたかのように、三人分、それぞれの椅子の前に、食器とともに並べられていた。
「中に入った連中が用意した、とかではなさそうだ」
「ええ。まるで、ここの住民が、朝食をとろうとした瞬間で、時が止まっているかのよう」
「時間がおかしくなっている、とか?」
「わかりません。ただ、やはり普通ではない」
リンネはそう言いながら、肌寒そうに手と手をすり合わせた。
スープから立ち上る湯気をみつめているとき、肩のあたりを通り過ぎた風が、やけに冷たかった。
はっとして、おれはおもむろに玄関にたち、戸を開いた。
「――!!」
目の前に飛び込んできたのは、寒々しいほどに晴れた空の明るさを纏った、銀色の矢じりであった。




