5-1 慣れない起床
きっちり八時間、意識を手放していたので、気づけば朝になっていた。
どことも分からない、木造の天井。なぜだか親しみを感じる部屋の雰囲気と、布団の柔らかさが、再びおれを眠りの底に誘う。
「おはよう」
「おはようござ――」
まどろみに突っ込みかけた頭を動かして、声を掛けられたほうを見てみると、カラジナルがそこに寝そべっていた。
ここが彼の家であることは何となくわかっていたし、その寝室におれが居ることも分かっていた。
寝室ならば、彼が寝間着でいることも何ら不思議ではない。
しかしながら、それらの当然に除くことができる疑問点らを解決しても、どうして、彼は寝間着の前面をはだけさせているのか、までは、答えは分からなかった。
以前から、幾度か述べているから、もう分かっている人もいるだろう。おれはあまり人の風貌に関しては気にしないようにしている。できる限り、特徴的な(例えるなら、カラジナルの場合は赤い髪をしていて顔に傷がある)部分を抜き出している。
これは、おれが他者の顔をじっと見るのは失礼であると思っていたことと、そもそも顔を見るのが苦手であったせいである。
さて、なぜこんな話を急にしだしたか、というと。
カラジナルという人、ヒトは、長髪であり、細身の長身であることに加え、世に言う中性的な顔立ちをしている。
普段、街中では体型を隠すような(リンネ曰く帯刀を隠すためという)服装をしているせいで、酔っ払った人たちからナンパされたり、酔っていなくてもナンパされたりするらしい。
酔っ払ってはいないが、しかし、寝ぼけた頭では、同じことだろう。
つまるところ、「見知らぬ女性が隣に居た」と勘違いしたおれは、がっちり固まってしまったのだ。
しかも、先述した通り、カラジナルは寝間着の前面をはだけさせている。薄くも筋肉質な胸板を見てしまっている。
一気に眠気は冷めたが、硬直が解けないおれを見て、カラジナルは目を細めて笑う。
「おやおや、どうしたんだい。そんなにじっと、おれのことを熱く見つめちゃって、さ」
彼のしなやかな、とても剣豪とは思えないような、細い指が、おれの目の前に迫る――。
ズパァン!! と。
珍妙な時空を、扉と共に勢いよくぶっ飛ばしたのは、腰にエプロンを巻いたクランであった。
その表情は微笑んでいるが、しかし。
「おはようございます、シシさん」
努めて穏やかな声色で、おれに微笑みかける。
硬直の上からさらなる硬直を受けたような感触。
存在しない突風が通り過ぎていく。
いや、「はらう」というのはこういうのを言うのだろう。
むくりと起き上がる。カラジナルがあくびした。
「おはようございます、クランさん」
「朝食はできております。どうぞ」
おれは見逃さなかった。
言葉のあと、おれに微笑んだのちに、
氷よりも冷たい、恐ろしく冷たい目線で誰かを突き刺したのを。
隣を見てみると、炎のような赤い髪の人が、またあくびをした。
しばらく整えていないために、もさもさになりつつある髪を掻きながら、廊下を歩いていると、換気のために開けているらしい大窓から、庭の様子がうかがえた。
入ってくる風はやや冷たい。
そんな中、
ぶん。
ぶん。
一定間隔で、リズムを刻むように、空を切る音が聞こえてきた。
久しく聞こえてこなかった音だった。
窓の方に寄って、そこから庭に顔を出してみる。
すると。
「あら」
長い髪を後頭部でまとめ、タオルを首に掛けた軽装の姿のリンネと、ばっちり目線が合ってしまった。
手に持っているのは、おそらくいつも右手に持っている方の剣である。
久方ぶりに握ってもらえて、さぞかし喜んでいるのだろう。朝日を目いっぱいに浴びて、煌めている。
額や頬についている汗をやや強引に拭いながら、彼女は一度、大げさに呼吸する。たったそれだけで息が入るのだから、恐ろしいものである。
「おはようございます」
「おはよう。元気?」
「ええ、おかげさまで」
にこやかに笑ってくれた。
おれも目を細めて笑う。
ふと気づいた。
朝日がやけに眩しい理由に。
彼女の髪色が、一色に染まっていることに。
「リンネ、髪」なんとたどたどしい言葉だろう。我ながら恥ずかしい限りだ。「戻ったね」
「そうみたい、ですわね」
染髪料が落ちてきているような中途半端な状態ではなく、まったく最初からそうなっている、金絹色が、戻っていた。
戻ったのは色だけではない。長さもそれなりになっていた。
髪型に明るいわけではないが、つい先日まではショートくらいだったのが、セミロングくらいになっている。まとめられるほどの長さでもなかったはずだ。
そのまとめているのを解く。ふわっと、まるで重力がそこだけ弱くなったかのように、ゆっくりと落ちる。
戻っている。
『あの頃のように。』
――あの頃?
おれは首を傾げる、心の中で。
フリュークで出会った頃、だろうか。
確かに、あの時の彼女も、これぐらいの髪の長さだった。
既視感、懐古だろうか。
なにはともあれ。
「そんな急に身体を動かしても大丈夫なの?」
「動かしたくてたまりませんの。ずっと眠っていたような気さえしますわ」
ん~、と腕を伸ばし、伸びをする。
実際のところ、この数か月は悪夢の中で眠っていたようなものだ。
自分を蝕んでいたモノが取れたのだから、文字通り憑き物が落ちた心地なのだろう。
一枚の葉が、ひらひらとリンネの背後に落ちる。
「ッふ」
鞘もなしに、居合の構えをし、その葉を斬った。そしてすぐさま、それを手に取った。
すっと、それをおれに見せてくるので、どれどれと見分してみる。
確かに斬ったはずなのだが、その葉は形を保ったままだった。
ふふん、と笑う。
つまんでいる人差し指と親指をずらすと、その葉と全く同じ形の葉が、後ろから現れた。
「なんだい、手品かい?」
「よくご覧くださいまし」
その二つを見比べても、全く同じ形をしている事しかわからない。
しかし、それでもじっと見つめてみて、ようやくわかった。
ああ、そういうことか。
全く同じ形をしているのも当然である。
なにせ、それらは、元は一枚の葉なのだから。
縦に薄く斬ったというのだろう。
「よくもまあ、こんな薄く、しかも乾燥した葉を。……刀身よりも薄いのに」
「身ではなく、刃で斬ったのです」
葉を、か。
ふっと、息を吹きかけると、あっさり、それらは折れてしまった
「じゃあ、キミがおれのことを殴ったことも、覚えてなかったり?」
「それは……」
一瞬、間が空く。
そのわずかな合間に、彼女の表情は一度ならず、二度、三度、それ以上に、変化した。
思い出している。三日間、いや、それ以上前からのことを。
想像は付く。
別に意地悪をしようと思って聞いたわけではない。単純にあの時の記憶があるかどうかを知りたかっただけだ。
他にも訊きたいことはある。
ああなってしまった原因と思しき夢についても、結局は訊きそびれているのだから。
今は、単純におれが聞き方を間違えただけ。
「ごめん、意地悪な聞き方だった」
「いえ、したことは謝ります。ですが」
――言ったことは、撤回しませんわ。
付け足されたその言葉を聞いて、おれは思わずにやけそうになる。
どうしてかは、正直のところ分からない。
嬉しい、というのは理解できた。
いつものリンネが戻ってきた、と言った感じだろうか。
おれの力はまだまだだと、驕らせることがない、彼女のその目つき。
赤い瞳。
今は明るいからわからないのかもしれないが、強く意志を表すと、そこに魔力が宿って、ほのかに揺らめく炎を生む。
あの状態の彼女の姿からは、想像もつかないくらい、力に満ちている。
ごめんごめん、とおれは笑った。
「さて、おれは、なにを言われたかな」
「……」
肩を竦めながら、とぼける。笑うことはしなかったが、表情が緩くなるのがわかった。
得るべき信頼は失われていない。
目標としても、そして存在としても。
それが分かるから、嬉しいのかもしれない。
「クランさんが朝食を用意してくれている。それを食べたら、いったん屋敷へ戻ろう」
「わかりました。シャワーを借りますわ」
顔を引っ込めて食卓へと向かう。
――さあ、いつもの以上の朝が始まるぞ。
そう気合を入れながら、勇みながら。




