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戦姫、ブリュンヒルデに捧ぐ  作者: 野之 乃山
四章 プラッツ
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4-2 荒療治

 そうか、とカラジナルは言った。


 林の中の彼の家の居間にて、おれとクラン、そして彼の三人は、互いに向き合うような位置で正座していた。


 ごくわずかに唸ったあと、カラジナルはおれの方を見た。


「リンネのこともあるだろうが、シシくん、キミさえよければ、話してやってくれないか」

「良いのですか?」

「それはおれが決めることじゃあない」


 と、今度はクランの方を見た。

 おれと二人に見られたクランは、唇をきっと一文字に結んだ硬い表情のまま、おれを見てゆっくりと頷いた。


「わかりました。ただ、おれもすべてを話せるわけではありません。なにせ、クランさんとは二度ほどしかお会いしていないのです」

「わたしのことは構いません。それよりも、この子の父のことを、教えてください」

「……、わかりました」


 それから、どれぐらいの時間が経っただろうか。


 出会いがしらのこと、森籠り訓練のこと。

 アラム王国への遠征の際に、ものすごく仲のいい所を見せてきたこと。


 最期は、家族を思って戦ったこと。

 これだけに留まらないが、とにかくいろんなことを話した。

 話している最中は、おれも思い出に浸っていた。悪くない日々であった。集った目的が悪かったとは思うが、そもそもそれがなければ出会わなかっただろう。

 だが、そんなことは言う意味はない。


「お墓は」


 誤魔化そうと思っていた、彼の死に際まで聞きたいと熱望されたあと。

 おれの知っている彼のすべてを語りつくし、熱いお茶を貰っていると、しっかりとした目つきでクランはおれを見つめた。

 目じりがほんのすこしだけ、赤くなっていた。


「お墓は、あるんですか?」

「はい。共同にはなっていますが、リドの村のはずれに」

「そうですか」

「行くかい?」

「今は、まだ」


 この子が来てからでも、遅くはないでしょうと、笑った。


「何か、思い出した?」

「なにも。教えてくださったのに、申し訳ございません」

「いえ、そんな……」

「ですが」


 すこしだけ。


「シシさんが、彼のことを話しているとき、共感してしまったんです。同意、とも言えますかね。懐かしい思い出話を、互いに知っているかのような」


 それだけで十分です、と笑った。


「顔も、姿も、思い出せない。けれど、その人がわたしの夫となる人だと言われても、なんら違和感も抵抗感もありませんでした」

「思い出すには至らずとも、心の奥では覚えているのだろう」

「そう、きっと、そうなのでしょうね」


 なんだか、懐かしい気分です、と呟きながら、クランは胸の前で両手を握った。


 死者へ、祈りを捧げる。

 女神像とその信者を象った彫像では、ほとんどの場合、信者たちは頭を下げ、思いを受け止めるかのように、女神は両腕を柔らかく広げている構図となっている。


 いつからか、それはこの世界において、死者への祈りを捧げる構図として認識されるようになった。墓標に彫る絵として、葬式の礼拝の祭具として


 そこに居るのは、生者と、それを見守る女神しか、彫られていないのに。いつの間にか、死者という要素が加わったようだ。


(見えない概念へ、女神という存在を媒介して祈りを捧げる。そう考えると、ちょっと不思議だ)


 なぜか、急にそんなことを思ったその瞬間。


 おれは、雷に打たれたかのような衝撃を受けた。


 時間が制止する感覚。

 せき止められていた何かが取り除かれ、全てが上手くいく。

 身体中に血液が巡っていくのがわかる。頭に上って降りてこれなくなっていた分が、手足に戻っていくようだ。


「シシくん?」


 おれの異変に気付いたカラジナルが、首を傾げながらこちらを見てきた。

 そうか、彼がいるか。

 今、この世界にいる人で、彼女に最も近かった時期があるのは、この人だけかもしれない。

 プラッツ公や夫人でもわからない側面を、知る必要がある。

 彼女を元に戻すためにも。

 おれはカラジナルに向き直る。


「リンネの回復方法が分かりました」


      *


 リンネがああなってしまったのには、彼女自身に要因がある、というのはあながち間違いではない。


 フラメ夫人も言っていたように、ゲオルグとレーデンの死を、自分の責任だと思い込んでいるからだ。

 だが、それだけでは、今の彼女ほど不安定な状態にはならないだろう。それならば、あのとき、リドの村で起きたときにこうなっているはずだ。


 じゃあ、なにが彼女を蝕むか。


 それは、希望だ。


 どんな。


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 それは、おそらく無意識のうちに生じ、そして肥大化していった、彼女の願望である。

 いつの間にか精神面から、身体面への影響を及ぼすほどに強くなってしまっていたのだろう。それが表出したのが、あのスライム二体が見せた擬態である。


 いや、もしくは、あのスライムが擬態してしまったのかもしれない。あの二体にそんなつもりがなかった、ということも考えられる。


 しかし今は、卵が先か鳥が先か、という話はズレているので、置いておくとする。

 では、二人が生きているかもしれないという希望とは、どういう意味なのか。


「お二人は、リンネさんを逃がすために、犠牲になられたのでは」


 クランが手をおずおずとあげて言う。おれはそれに頷いた。


「おれもそう思っていますし、嘘ではないのでしょう」

「リンネ自身、二人を殺したんだと、そういう意識があるんだろう?」

「そうなのでしょう。しかし、それが歪んでしまった」

「歪んだ?」


「二人の死がある現実から逃れるために、希望の道を勝手に作り出してしまったんです」

「どういうことですか?」


 クランの祈りが、ヒントになったのだと言った。

 彼女は、おれの言う意味を計りかねているように、もう一度、祈るときにする仕草をした。

 それをおれと同じように見たカラジナルが、胡坐に膝をつきながら、


「現実が定かじゃないのか、あの子の中では」

「そうなんじゃないかと」

「現実……」

「クランさん」


 床を滑るように進み、そしてクランの目の前で両ひざをついて、彼女の両手を優しく包み込む。


「あなたは、顔を思い出せない人の死に、祈っていた。リンネには、それができないのです」

「フェンデルさん、のことですね」名前をなぞるように、頭ごと視線が俯いた。


「そうです。では、クランさん、どうして、彼は死んだとわかったのですか?」


「それは、シシさんが教えてくださったからです。それ以外の方法では、おそらく知ることはできなかったでしょう」


 そこまで言ってから、クランも、はっと、おれの目を見た。


「誰も、知らない?」

「そう。リンネの部下二人、『ゲオルグとレーデンは、死んでいないかもしれない』のですよ」


 これが嘘だと証明することは、おそらく現状では不可能だ。

 だからこそ現実逃避の種として、密やかにリンネの中で膨れ上がっていったのだろう。

 誰も否定できない、否定してくれない。

 もう二人はいないと諦められないし、しかし死人に縋ることもできない。


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 何の証拠もない、幻の希望が、今の彼女を苛んでいるのである。

 しかし、それがスライムの特異種だかに暴き立てられてしまったのだ。

 無意識に意識し始めていた現実逃避を、最悪の形で。

 スライムの擬態に際し発されたあの言葉も、リンネの中のそれを読み取ったのだろう。自らを責める意識を。


 二人の恰好がやや古かったのも、リンネの現実逃避を表していると考えれば、違和感はない。

 楽しかったときまで、戻っていたのだ。


「魔物が、心を読んだということになるのか」カラジナルは顎を掻いている。「他の目撃者の人の心も、なのだろう?」


「リンネ以前は、ただ記憶を読み取っているだけのようでした。擬態の慣らしのようなものだったのでしょう」

「狙い撃ちするかのような、そんな偶然の出来事のようにしか思えません」


 おれは頷く。

 だが、魔物というのは、出てきてほしくないときに顔を見せ、出てきてほしいときには全く現れない、そんな存在だ。


 知能が低いとされているレパニカやスライムなどは、個人的ではあるが、その傾向が顕著であると思っている。

 どういう理屈かはまったく不明だが、魔物は本能的に心を読むことができると、おれは本気でそう考え始めていた。

 リンネが参ってしまった流れは分かった、とカラジナルはひざを叩いた。


「それで、彼女を取り巻く棘の正体が分かったなら、キミはどうするんだい、シシくん?」

「やることは、変わりません」

「と、言うと?」

「スライムを討伐します。リンネが急激に奴らを成長させてしまった可能性もありますから」

「それはいい。おれが訊きたいのは、キミが何をしようとしているか、だ」

「ですから、変わらないのです。リンネが元に戻るために、奴らを討伐する。ただし」


――ゲオルグとレーデンを模倣した状態で。


 彼は、ため息を鼻から漏らしながら背筋を伸ばした。

 おれは彼が次に発する言葉を予測する。


「リスクは承知です」

「……そうか」


 もしも、おれたちがここでこうやって話している間に、スライムがあのゲストハウスに侵入し、リンネの前で再びあの二人の形を真似て言葉を発してしまったならば、今度こそ、リンネの精神は破壊されてしまう。


 自殺衝動に駆られ、なんとかそれを抑えたとしても、旅の続行は断念せざるを得ないだろう。

 だが、それほどの強い衝撃を与えなければ、彼女は立ち直ることができない。ショック治療とでも言うべきか。


 朽ちてしまったジャンプ台のようなものだ。弾みをつけて飛ばなければならないが、力加減を少しでも間違えると、板が割れて使えなくなってしまう。また、二度目のチャンスもない。足が離れた瞬間、それは崩れてしまうからだ。


 だから、


 彼女の目の前で、あの二人に擬態したスライムを討伐する。

 それも、おれの力だけで。

 誰の手も借りてはならない。 


 それでは、リンネが立ち直るほどのショックを与えることができないかもしれない。


 植えつけなければならないのだ。


 自分の隣に立っている者の強さを。

 そして改めて認識させてやらなければならないのだ。

 彼らは死んだのだと。

 彼らの死を悼むのだと。

 現実はここにあるのだと。


「お手伝いさせてください」


 クランが唐突に、机から身を乗り出しながら言った。

 間が空く。時計の音が居間に響いていた。

 あまりにも突然すぎて、男二人が目を丸くした。

 ようやくおれが声を発したときに、ちょうど時計が16時を回った。


「クランさん、なにを」

「たしかに、その方法であれば、リンネさんは元に戻るかもしれません。ですが、ショックを与え続けるだけではダメです。シシさんがしてくれたように、話をする人が必要だと思います」

「話をする人、ですか」

「要は受け止める役だ」


 カラジナルは立ち上がる。


「シシくんは見える敵と戦いながら、見えない敵とも立ち回らなければならない。それじゃあ大変だからね」


 クランも立ち上がった。

 座ったままのおれを見下ろす彼女の目は、煌々と輝いているように見えた。


「わたしは剣を持って戦えません。しかし、失ったものを取り戻すのは、わたしにもできます」


 シシさんの手によって、できたのですよ、と笑った。

 二人の手が伸びてくる。

 その手のひらを、握った。

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