4-1 コーヒーとスープと
三日ほど情報収集を行った。
どんなものを集めたかと言うと、スライムの擬態行動についてだ。
スライムの形状変化については、通常種も行う、ごく一般的な生態だ。それは、スライムという種の弱さからくる防衛本能である。
だが、通常種の行う擬態は、身体を構成する物質を薄く引き伸ばし、透過率を上げて、地面や木の皮などの色に紛れ込む、というものだ。
あのような、見た目の質量を大幅に超えるような、ヒトを真似るような擬態は行わない。正確には、行えない。見たものを真似られるような、高い知能を有していないからである。
だが、あの二体は違った。
見た目の質量以上の変化はおそらく大気中の魔力を取り込みながら行う事で、随時自分の身体を作り上げていたのだろう。実質、魔力を可視化したようなものであるあのゲル状の物質で構成されているからこそ、できるような芸当だ。おれが魔力で造った腕を一本追加するより、何万倍も容易い。
ならば、それができると分かる程度に知能が高いことの裏付けとなる。言語を介する素振りも見せたから、大きく進化した個体であるのはもはや疑いようがない。
そしてなにより。
模倣する対象の選定について。
ギルドの調査記録を漁ってみたところ、生物への擬態を行う個体が過去に存在していたのがわかった。スライムとしては遥かに長い生を歩めるほどに強くなれた、いわば歴戦の個体が、そのような新たな能力の獲得にまで到達していたのだと、詳しく綴られていた。
そんなボス個体ですら、目の前にあるものを真似るに過ぎなかった。その擬態のクオリティについては、一見ではわかりづらいと評されていたほどに高かったようだが、擬態できたのは、目の前を通り過ぎたハプトや小型の幼体レパニカ、そしてテルミドールと言った、いずれも同じ魔物だけであった。
しかし、あの二体は、違う。
どの目撃証言も、目の前にあるものを模していたわけではない。
窓際の鳥、門前の人、湿った毛布など。発見された場所から考えれば、何も不自然は無いところに紛れていた。記録の個体よりも、はるかに優秀な擬態を行っているのだ。ほんのり光っている以外は、完璧な擬態と言っても良い。
だから、そのことについて、おれは目撃者情報を集めていた。
人物の選定、そして模倣の対象。これら二点に絞って、再び聞き取りをしていた。
結論から言うと、前者に関してはランダムである、という結果となった。後述するが、模倣の対象から逆算するような推測では、選定基準を明らかにすることはできなかった。
では、その模倣の対象については、ハッキリしたのかと言うと。
ハッキリしてしまった。
してしまった、なんて、まるで望んでいなかったかのようだが、実際のところ、これが判明したときは、勉強の問題を解くような、そんな良い気分はしなかった。悪い予感が当たってしまったときと似ていた。
なぜなら、あの二体が模倣しているのは、見た者の心の中にある「傷」であるからだった。
「傷」とはなにか。言い換えれば「しこり」とも言える、心の中に存在する、わだかまりだ。ふいに思い出して、ひどく後悔して落ち込んだり、重たいため息を思わずついてしまうような、できれば忘れていたい、そんな記憶のことだ。
あの二体はそれを「読み取り」、その姿を模倣して現れる。
飼っていた鳥を親に殺された。
喧嘩したまま死別してしまった兄。
幼さからくる無邪気な暴力の記憶。
そして、自らを守るために犠牲となった部下たち。
本人が忘れていても、奴らはそれを真似て、わざわざおびき寄せて、その姿を見せていた。
しかし、リンネ以外の目撃者は、それに対して反応を見せなかった。おれの聞き取り調査によって、ようやくその記憶を思いだしたという人や、ケジメがついていた人などなど。そう言った要因があって、幽霊騒ぎ以外の被害が出なかったのだろう。
「記憶を読み取り、それを模倣していた」という事実に関しては、リンネを含めた全件の目撃情報の内容とも矛盾しない。今回の追加の聞き取り調査の目的は、これが「確定」か「傾向」かをハッキリさせたかった。
悪い予感があっても、ハッキリしなければ心残りだが、こうやって明らかになった今、さらに胸をざわつかせる結果となっている。真実とは、いつもこんなふうなのだろうか。
おそらくだが、やつらにとっての本命は、リンネだったのだと推測される。それ以外の人たちへ姿を見せたのは、予行演習のようなものだった。模倣が出来ているかどうかを確認するための。
幽霊騒ぎという別の方向ではあったが、結果は出ていた。少なくとも、「ソレ」と認識されるくらいには、精度もあった。
そして、おれたちをおびきだし、まんまと成功した。
いまやリンネは自責の思考で自らを攻撃し、全く身動きが取れない状態となっている。
聞けば、この三日間、ろくに食事どころか水も口にしていないそうだ。部屋から出られず、ときおりすすり泣いているらしい。
らしい、というのも、おれはそこに近づけなくなっていた。今でも、わずかに感覚を共有しているせいで、おれがゲストハウスに入ろうとすると、布団の中で丸まり、ますます閉じこもってしまうそうだ。
ウェクアが付きっきりで面倒を見てくれているが、そろそろ行動しなければならない。
どれだけリンネがしぶといとはいえ、本格的に衰弱してしまう前に、回復してもらわなければならない。
だが、その方法が分からない。心を修復させる方法が。
プラッツ公も言っていた。
――心の傷の薬はなかなか手に入らない、と。
物理的に、薬というものを使ってもおそらく多少は回復するだろう。身体が健康になり、病からくる倦怠感を取り除ければ、マイナス思考をある程度は落ち着かせられるかもしれない。
だけど、それでは根本的な治療にはならない。再発する可能性を取り除かなければ、もしそうなったら、揺れ戻しでさらに悪化する危険すらある。
また、下手に立ち入ることもできない。
ただ、何も手立てがないわけではない。
あの二体のスライム。
あれが唯一の鍵であることは間違いないだろう。
だが、ただ倒すだけでは意味はない。
そもそも、おれ一人で倒せるか、という話もある。
ゼルテを発動させれば可能かもしれない。
しかし、その場合には、おれが元に戻れなくなるだろう。リンネの力でおれの中の力を抑え込む必要がある。そのために二人で行動しているのだから。
最悪の場合、リンネの師匠であったカラジナルに助けを求めてもいいかもしれない。
直接の依頼に他人を巻き込むほど恥ずかしいことはないが、あまりにも事態が重くなり始めている。
焦りが生まれ始めているのを、自覚していた。
(しかし、フラメ夫人は一体……)
今しがた、三日間の聞き取り調査の結果を、フラメ夫人へと報告し終えたところであった。
門を通り抜け、真上あたりにいる太陽の温度が、風の冷たさに負け始めているなあと思いながら、とぼとぼと歩き始める。
結論が出たからと言って、すぐに行動できるわけでもなかった。
フラメ夫人は注意深く、おれの調査結果を聞いて、そしてこう言った。
――これは、あなたにしか解決できない問題になったわね。
つい、自分だけですか、という言葉が口から飛び出てしまった。それに対し、夫人はゆっくりと頷き返した。
――そう。あなただけが、この事態を打開できる。最善の解決策を考え、そして行動できるのは、シシさん、あなただけなのよ。
ただ、相棒としての責任を言っているわけではないのだろう、それは理解できた。
だとすれば、おそらく、夫人は解決策の方向性をすでに見いだせているのだろう。おれが真に理解を得なければ、この状況を、リンネの苦しみを終わらせられないということを踏まえ、このおれが何をすべきなのかを。
真の理解は言葉のみでは難しい。うわべだけの言動を真似ても、そこに心が伴わなければ、中心に確たる一本の芯がないからどうしてもブレてしまう。
だから、考えなければならない。だから、こうやって歩いている。
「あ、シシさん、こんにちは」
聞いた声に呼ばれて、ふと視線を上げると、いつの間にか商店通りにまで足を運んでいたたようだ。気づけば、真上に居たはずの太陽は傾き始めている。屋敷からここまで、徒歩なら二時間弱と言ったところだ。
目の前に居たのは、金髪の女性。長めの耳に、アイツが贈ったイヤリングをしていた。
「クランさん、こんにちは」彼女の手元を見ると、いくつかの膨らんだ袋から野菜の頭が覗いていた。「お買い物の帰りですか? いくつか持ちますよ、手伝います」
「いえ、そんな、悪いですよ」
「いいんですよ。ほら」
と、重たそうに膨らんだ袋をいくつか受ける。ずっしりとした重みが、腕にちょうど良い負荷をかけてきた。
「カラジナルさんは?」
「お仕事、らしいです。詳しくはあまり知りません」
「そうですか。いつもこんなに大荷物なんですか?」
「いえ。最近ちょっと、サボっていたものですから、気づけば何もなくて。どうにも、身体が言うことを聞かないものですから」
ご存じの通り、と彼女は小さく付け足した。その言葉に、喉が閉まる錯覚を覚えた。
「……おれが、そのことを知っている、と?」
「ええ」
どうして、とは、聞きたくても聞けなかった。
となると、遠慮することは無かった。
近くの喫茶店で一休みするついでに、車を呼ぶことにした。
おれがどれだけクランの荷物を肩代わりしたところで、彼女の身体の負担を減らすことしかできない。
適度な運動が必要とは言われるが、体調を崩すほどは逆効果でしかないので、いいと言う彼女を押し切って、喫茶店に押し込んだ。
適当な四人掛けの席に座り、荷物を空席に置く。ウェイトレスが注文を取りに来たので、アイスコーヒーを頼んだ。クランは暖かいスープを、と言った。バイトらしく、無愛想な声で注文を厨房に投げかけながら、ウェイトレスは引っ込んでいった。
「すみません、気を遣わせてしまって……」
「いえいえ、お気になさらないでください。むしろ、気づかいの足らない人間なので、何かあれば、遠慮なく仰ってくださいね」
「そんな、その、シシさんも大変だとお聞きしましたので」
「ああ」
ご存じでしたか、と、なるべく明るい声で答えた。
「その、ジーナさんから聞きしました。リンネさん、早くよくなられると良いんですが」
「知っての通りしぶといんで大丈夫ですよ、と言いたいところなんですがね」
笑いながら言ったが、クランは笑っていなかった。
少しの間があった。彼女の後ろは人通りがあるが、この席はやや高い場所にあるので、人の頭だけが行き交うのが見える。
おれの後ろからは、食器で何かをしている音がしていた。
「リンネさんは、たくさんの人を救ってきたんですね」
唐突にそんなことを言った。
「どういう意味です?」
「ここに住んでいると分かります。みんな、口裏を合わせたように、リンネさんの存在が根底にあるんですよ。どうしてか直接は口に出しません。貴族国としてのメンツがあるのか、その政治的なところは分かりませんが」
舞踏会事件が代表例でしょう、と。
コーヒーとスープが運ばれてきた。
湯気が立ち上る黒い液体を恐る恐るすすりながら、クランの言いたいことを考える。
おれはその舞踏会事件とやらの概要すらも、未だに知らない。
なんとなく、おおよそその事件がどのようなものだったかは、周囲が持っている情報の靄をかき集めて見ているが、それはおれの予測に過ぎない。
「築き上げてきたリンネさんの過去が、この町の基礎として存在している。ここに住まうものとして、それを感じない日はありません」
「そんな、大層なものなのでしょうか」
自分で言っておきながらも、おれも、おそらくリンネが居なければ、この町は全く変わっていたかもしれないと思っている。
この町が“プラッツ”という名前で栄えていられるのも、彼女が攻撃を防いだからなのだろう。
剣の才能を、カラジナルのもとで磨き上げていくその最中。世の中に自分を知らしめたのが、その事件なのだろう。
この店も、もしかすると、その影響を受けているかもしれない。
頭上を見てみると、天井近く、横に走る柱のところに、剣が飾られていた。それとあわせるように、甲冑を着た女性騎士のエンブレムもある。
女神の童話の中にもいる。貴族の令嬢が身を庶民に落とし、自らの国を守るために立ち上がったという、そんなキャラクタが。
しかし、リンネの話をしているとはいえ、どうしてそのようなことをクランが話しているのかが、おれにはまだわかっていなかった。
あとから思い返せば、それ自体がヒントであったのだが。
「対して」つぶやくような言葉から始まる。「わたしは、知らないんです」
「自分が、どんな者だったのか。どんな生を歩んできて、なにがあったのか。そして」
目線がゆっくりと下へ向く。おそらくは腹部を撫でたのだろう。
「この子の父親が、どんな人だったのか」
「それは……」
カップを持つ手が、震える。
その中身はもうない。
言える言葉が見つからないので、わざとらしく仰いで、置いた。
案の定、クランはおれの目を見ていた。
「ごめんなさい」
クランは目を瞑り、胸元に手のひらを当てた。
「聞くつもりはなかったんです」
「……。いえ、あそこで話していたおれが不用心だっただけです」
そうだろうか。
わざと、そうしたのではないか。
そんな心の声が聞こえてきそうだった。
クランはエルフだ。
エルフは種族の特性として、魔法に秀でる。
また、森の中で暮らしていた名残として、耳が長い。
木々のざわめきと、危険を聞き分けるために。
「こんな、大変な時にお願いするようなものではないことは、百も承知です。軽蔑して頂いて構いません。ですが、知りたいのです」
頬を赤くしながら、クランは力強く言った。
「わたしが、何者であったのかを」
クランが言い終えた、ちょうどその時。
呼んでいた車が、喫茶店の前に停まった。




