3-3 報告
「なるほど、そうか……」
「大変、申し訳ございませんでした」
「謝ることはありません。お二人がお怪我することなく戻られたことを、今は喜びましょう」
「フラメの言う通りだ。自分を責めるな、シシくん」
「ありがとう、ございます」
目の前に座るプラッツ公はかすかに笑ったが、すぐさま咳払いするかのように拳を口にあてて誤魔化した。彼の楽観的な部分が現れるのを、抑え込んだのだと、おれは分かった。
シバタとウェクアの助けによって、おれたち二人はなんとかスライムから逃げ出せた。シバタによると、おれたちがその場から消えた途端、ヒトの姿をしたスライムは忽然と闇の中に消えていったそうだ。
そして、彼らも言っていた。
――あれは、ゲオルグとレーデンだ、と。
「死者の姿を真似る、か」
プラッツ公はおれの思考を読んだかのようなタイミングで、そう独り言ちた。
「それも、よりにもよって、あの二人とはな」
「ええ。これは明らかに、死者への冒涜です」
フラメ夫人は静かに言う。が、しかし怒りを隠しきれないのが、その口調からにじみ始めて、伝播し、書斎の中の空気を震わせた。
――ゲオルグと、レーデン。
金髪で快活な雰囲気をしていたのが、ゲオルグ。
青髪でいつも人を小ばかにしたような目をしていたのが、レーデン。
リンネがおれに語ってくれた、ほぼ唯一と言っていいほどの彼らの情報だ。
そのため、彼ら二人について、ほとんどなにも知らない。アラム国王親衛隊時代のリンネの、直属の部下であった、ということだけだ。
ロクに会話をしたこともない。一時期、リンネたちの動向を追うために、新聞を読んでいたのだが、そのときに、「第十二隊のリンネ隊長とその部下二名」のような形で載っているだけだった。
その姿をこの目で見たのは、二年弱ほど前になるのだろうか。リンネと、この世界で最初にあった、あの夜。
おれと彼女との関係をはかりかねているような、二人の雰囲気。
「それで、リンネくんの様子はどうだ?」
プラッツ公が後ろに目をやると、フラメ夫人の横に控えていたウェクアが少しだけ前に出た。
「お身体には、外傷はほとんど見られません。魔法による攻撃を受けた痕跡もございませんでした」
「外傷は、だな」
「はい」
見えない傷が、あるということ。
身体的の反対、心の傷だから、心的外傷というべきか。
それによって、リンネは、ゲストハウスの二階の部屋に閉じこもってしまった。
「無理もありません」
伏し目がちに夫人は言う。
「あの子を逃がすために犠牲になった二人の形を、稚拙にも模した魔物が、心をえぐったのです」
「わたしたちは彼らを知っている。彼らは、自らリンネくんを逃がしたのだから、彼女を責めるようなことはしない。あれは、まったくのニセモノだ」
「わたしたちは、です」
夫人は、どこかを見るように顔を上げた。
「あの子は、そうは思っていないのでしょう」
「そうなのだろうなぁ」
額に手をやりながら、プラッツ公はため息を吐いた。
「心の傷の薬はなかなか手に入らない。回復を待つしかないだろう」
「シシくん」
「はい」
「あの子は、今はあそこで休ませてあげたいのだけれど、いいかしら」
「ありがとうございます。こちらからも、お願い申し上げたかったところです」
「シシ様も、お口の傷を手当てせねばなりますまい」
今度はシバタが口を挟んだ。
そういえばすっかり忘れてしまっていた。
途端に、鈍く、熱い痛みを覚え始める。
シバタに言われて、二人がおれの顔を覗き込んでくる。夫人が本当だわ、と自身の左側の唇の端に人差し指を当てた。
「ここの辺り、切れてしまっているわ」
「腫れているな。どうかしたのか?」
「ああ、いえ、これは……」
「なんだね、言ってみなさい」
「いえ、その……」
ちらりと、二人の後ろに控えているシバタとウェクアを見る。
シバタは黄色い目で、じっと。
ウェクアは鋭い目で、すっと。
――あきらめろ。
自分の手で、自分の頬を撫でてみる。
熱い。鈍痛が激痛に変わる。
歯を食いしばる。耐え難いほどではないが、心地よい物ではない。
重たい一撃、ではなかった。
芯なんてあるはずもなく、体勢を維持することもできない今の彼女の全力が、これだった。
彼女の本当の力なら、顎が外れていてもおかしくはなかったはずだ。
だけど。
あるのは、この熱いものだけ。
痛い。
けど、それ以上に。
悲しくなった。
いや、おれが悪くないとは思わない。
何が悪かったのかは、分からなかった。
しかし、急に彼女は目の色を変えて、おれの胸倉を掴んで引き寄せた。
その素早さは、見事だった。
今思えば、そこで力尽きていたのだろう。
引き寄せながら、拳を振り上げて。
避けようと思えば、避けられたかもしれない。
胸元にある手を、握ってやれば、離せたかもしれない。
だけど、避けなかった。
ゴッ、と。
とにかく鈍い、布切れ一枚でも消音されそうな、そんな低い音が、静かで、人の話し声のうるさい部屋で鳴った。
おれを殴ったリンネは、直後に呼吸を荒くし、そのままずるずるとおれにしがみつくように倒れてしまった。
控えていたらしいメイドの人たちがその部屋に飛び込んできて、そしておれは部屋から追い出され、今に至るわけである。
そんなことを二人に話した。
「それは……」
「なにか、言ったのかしら?」
言葉を濁したプラッツ公とは対照的に、夫人はにこやかに訊いてきた。
リンネを怒らせるような言葉は、何も言っていないはずである。
一応は、彼女との一線は理解しているつもりだ。
つまり、彼らに関して、軽々しく、そして揶揄するような言葉は吐いていない。これだけは誓ってもいい。
「そうね、あなたにとっては、特になにも仰っていないのでしょう」
しかし、と。
毅然とした表情で、続ける。
「今のあの子は、あなたからしても不安定。思いもよらないようなところで、あの子の琴線に触れたかもしれない。それを忘れないで」
思いもよらぬ、彼女の琴線。
触れてはならない、脆い素材でできた細い線。
それがおそらく、彼女を治癒する薬となるのだ。
補修ではない。
新たに作り直せばいい。
しかし、そのためには端を知らなければならない。長い長い紐だし、それをひた隠す彼女のことだから、簡単には分からないだろう。
だが、その紐は宙ぶらりんではない。必ず始点と終点があるのだ。
なぜなら、その細い足場の上に彼女を作っているのだから。
始点は、彼らだ。しかし、その行き着く先を、誰も知らない。
それを知る必要がある。つながった先のことではない、なにが終点になっているかを、だ。
夫人の目を見て頷く。
「さて、シシくん」
プラッツ公は姿勢を正して、おれを呼んだ。
「キミは、どうするんだい?」
背筋を伸ばして答える。
「やることは、変えるつもりはないです」
「と、言うと?」
「あのスライムを討伐するという目標は変更なし、ということです。依頼は完了しておりませんゆえ」
「そうか」
単純に、依頼を貰ったのだから、最後まで完遂したい。思い上がりかもしれないが、プロとして、そういう思いはある。
だが、これは邪な考えかもしれないが、リンネの過去を知れるチャンスでもある。
ここには、彼女の過去が詰まっている。それも、ほとんどそのままの姿で。
多少なりとも劣化は見られるが、古文書を読もうとしているわけではない。リンネは少し年上だし、難しい人だが、読めない言葉で書いているとは思えない。字も綺麗だ。
語弊があってはいけないので、なぜ彼女の過去をおれが知る必要があるのか、それを説明すると。
一番の目的は、彼女の過去に繋がる、「おれ」を知るためだ。
ぶら下がっているはずの、おれの過去。
どうして、彼女に繋がっているのか、どうして、未だに切り捨てられていないのか。
拾い上げるようなリンネの動きについて、おれは知らなければならない。
それが分かるかもしれない、そう思っている。
「イマバラ」。
おれしか知らない、彼女のこの名前。
目を凝らさないと見えないような紐を、手繰る機会が巡ってきた。
辛い思いをしている彼女には申し訳なさを感じるが、唯一のチャンスかもしれない。もとに戻るために必要な事だから、きっと許してくれるだろう。
おれは決心した。
「しばらくは情報収集に徹します。一応、晩はゲストハウスに居ますので、何か御用があれば、そちらで」
「わかった。気をつけてくれたまえ」
「くれぐれも、怪我だけはしないようにね」
気を付けます、とだけ言って立ち上がると、いつの間にか、シバタがドアを開けて待っていた。
そのまま医務室へ通され、アルコールの消毒液のにおいがする部屋に座った。
「ここは使用人のための医務室ですので」
「福利厚生が手厚いですね」
「お優しい方々ですから」
小さな白いもじゃもじゃした塊をピンセットで取り、それを消毒液に浸したのを、おれの唇の端にあてた。
熱さがさらに増す。思わず顔をしかめる。
「数々の死線をくぐり抜け、大けがをされた方でも、消毒は苦手でございますかな」
「むしろ、得意な方がいますかね」
ふふふ、とシバタは微笑む。
切り傷用の薬を塗って、口の中も一応診てもらって異常がないか確かめた。
この年齢になって磨き残しを指摘されるのが、こんなにも恥ずかしいものだとは、思わなかった。
多少の談笑を挟んだのち、彼の表情に影が落ちたのが分かった。
「何時でも気高くあられたリンネ様が、ああも取り乱されてしまうとは」
「少しずつ、予兆らしきものはありました。それを見逃した、相棒たる自分の責任です」
「誰の責任でもないでしょう。しかし、予兆ですか」
「なにか、思い当たるのですか?」
「いえ。ここで修行をなされていたころは、誰にも弱みを見せなかったお人ですから。少しばかりお仕えさせていただきましたが、どうやら、すでにシシ様には心を開かれているようですな」
「そんな……。彼女は自分のことをあまり話してくれません。信用されているかも怪しいですし、それに殴られたのだって――」
そこまで言うと、シバタは手のひらで遮った。
「信頼しているからこそ、かもしれませぬぞ」
「どういうことですか?」
「誰しも、秘密を持っております。苦いもの、恥ずかしいもの、隠し玉のようなもの……。それを、二度と会わぬ他人ならともかく、今後も共に生きる人に見られるのは、やはり良い心地ではありますまい」
「配慮の足らない奴なだけですよ、おれは」
「ときに、優しさによって苦しめられる場合がある、それだけです」
そうか、あの場にはシバタも居たような気がする。
会話を聞いていたのだろう。
――いや。
おれが、その秘密だとでも言いたいのだろうか。
あのリンネの怒りは、その秘密が迫ってきたことへの拒絶反応だと、そういうことなのだろうか。
「真相は、ご本人にしかわからない」
終点には、おれが居るかもしれない。
「どうか、リンネ様を、よろしくお願いいたします」
頭を下げたシバタに、おれは決意を含んだ返事で答えた。




