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戦姫、ブリュンヒルデに捧ぐ  作者: 野之 乃山
四章 プラッツ
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3-3 報告

「なるほど、そうか……」

「大変、申し訳ございませんでした」

「謝ることはありません。お二人がお怪我することなく戻られたことを、今は喜びましょう」

「フラメの言う通りだ。自分を責めるな、シシくん」

「ありがとう、ございます」


 目の前に座るプラッツ公はかすかに笑ったが、すぐさま咳払いするかのように拳を口にあてて誤魔化した。彼の楽観的な部分が現れるのを、抑え込んだのだと、おれは分かった。


 シバタとウェクアの助けによって、おれたち二人はなんとかスライムから逃げ出せた。シバタによると、おれたちがその場から消えた途端、ヒトの姿をしたスライムは忽然と闇の中に消えていったそうだ。


 そして、彼らも言っていた。


――あれは、ゲオルグとレーデンだ、と。


「死者の姿を真似る、か」


 プラッツ公はおれの思考を読んだかのようなタイミングで、そう独り言ちた。


「それも、よりにもよって、あの二人とはな」

「ええ。これは明らかに、死者への冒涜です」


 フラメ夫人は静かに言う。が、しかし怒りを隠しきれないのが、その口調からにじみ始めて、伝播し、書斎の中の空気を震わせた。


――ゲオルグと、レーデン。


 金髪で快活な雰囲気をしていたのが、ゲオルグ。


 青髪でいつも人を小ばかにしたような目をしていたのが、レーデン。


 リンネがおれに語ってくれた、ほぼ唯一と言っていいほどの彼らの情報だ。

 そのため、彼ら二人について、ほとんどなにも知らない。アラム国王親衛隊時代のリンネの、直属の部下であった、ということだけだ。


 ロクに会話をしたこともない。一時期、リンネたちの動向を追うために、新聞を読んでいたのだが、そのときに、「第十二隊のリンネ隊長とその部下二名」のような形で載っているだけだった。

 その姿をこの目で見たのは、二年弱ほど前になるのだろうか。リンネと、この世界で最初にあった、あの夜。

 おれと彼女との関係をはかりかねているような、二人の雰囲気。


「それで、リンネくんの様子はどうだ?」


 プラッツ公が後ろに目をやると、フラメ夫人の横に控えていたウェクアが少しだけ前に出た。


「お身体には、外傷はほとんど見られません。魔法による攻撃を受けた痕跡もございませんでした」

「外傷は、だな」

「はい」


 見えない傷が、あるということ。

 身体的の反対、心の傷だから、心的外傷というべきか。

 それによって、リンネは、ゲストハウスの二階の部屋に閉じこもってしまった。


「無理もありません」


 伏し目がちに夫人は言う。


「あの子を逃がすために犠牲になった二人の形を、稚拙にも模した魔物が、心をえぐったのです」

「わたしたちは彼らを知っている。彼らは、自らリンネくんを逃がしたのだから、彼女を責めるようなことはしない。あれは、まったくのニセモノだ」

「わたしたちは、です」


 夫人は、どこかを見るように顔を上げた。


「あの子は、そうは思っていないのでしょう」

「そうなのだろうなぁ」


 額に手をやりながら、プラッツ公はため息を吐いた。


「心の傷の薬はなかなか手に入らない。回復を待つしかないだろう」

「シシくん」

「はい」

「あの子は、今はあそこで休ませてあげたいのだけれど、いいかしら」

「ありがとうございます。こちらからも、お願い申し上げたかったところです」

「シシ様も、お口の傷を手当てせねばなりますまい」


 今度はシバタが口を挟んだ。

 そういえばすっかり忘れてしまっていた。


 途端に、鈍く、熱い痛みを覚え始める。


 シバタに言われて、二人がおれの顔を覗き込んでくる。夫人が本当だわ、と自身の左側の唇の端に人差し指を当てた。


「ここの辺り、切れてしまっているわ」

「腫れているな。どうかしたのか?」

「ああ、いえ、これは……」

「なんだね、言ってみなさい」

「いえ、その……」


 ちらりと、二人の後ろに控えているシバタとウェクアを見る。

 シバタは黄色い目で、じっと。

 ウェクアは鋭い目で、すっと。


――あきらめろ。


 自分の手で、自分の頬を撫でてみる。

 熱い。鈍痛が激痛に変わる。


 歯を食いしばる。耐え難いほどではないが、心地よい物ではない。


 重たい一撃、ではなかった。

 芯なんてあるはずもなく、体勢を維持することもできない今の彼女の全力が、これだった。

 彼女の本当の力なら、顎が外れていてもおかしくはなかったはずだ。


 だけど。

 あるのは、この熱いものだけ。


 痛い。


 けど、それ以上に。

 悲しくなった。


 いや、おれが悪くないとは思わない。

 何が悪かったのかは、分からなかった。


 しかし、急に彼女は目の色を変えて、おれの胸倉を掴んで引き寄せた。

 その素早さは、見事だった。

 今思えば、そこで力尽きていたのだろう。

 引き寄せながら、拳を振り上げて。

 避けようと思えば、避けられたかもしれない。

 胸元にある手を、握ってやれば、離せたかもしれない。

 だけど、避けなかった。


 ゴッ、と。


 とにかく鈍い、布切れ一枚でも消音されそうな、そんな低い音が、静かで、人の話し声のうるさい部屋で鳴った。


 おれを殴ったリンネは、直後に呼吸を荒くし、そのままずるずるとおれにしがみつくように倒れてしまった。


 控えていたらしいメイドの人たちがその部屋に飛び込んできて、そしておれは部屋から追い出され、今に至るわけである。

 そんなことを二人に話した。


「それは……」

「なにか、言ったのかしら?」


 言葉を濁したプラッツ公とは対照的に、夫人はにこやかに訊いてきた。

 リンネを怒らせるような言葉は、何も言っていないはずである。


 一応は、彼女との一線は理解しているつもりだ。

 つまり、彼らに関して、軽々しく、そして揶揄するような言葉は吐いていない。これだけは誓ってもいい。


「そうね、あなたにとっては、特になにも仰っていないのでしょう」


 しかし、と。

 毅然とした表情で、続ける。


「今のあの子は、あなたからしても不安定。思いもよらないようなところで、あの子の琴線に触れたかもしれない。それを忘れないで」


 思いもよらぬ、彼女の琴線。

 触れてはならない、脆い素材でできた細い線。

 それがおそらく、彼女を治癒する薬となるのだ。


 補修ではない。


 新たに作り直せばいい。


 しかし、そのためには端を知らなければならない。長い長い紐だし、それをひた隠す彼女のことだから、簡単には分からないだろう。


 だが、その紐は宙ぶらりんではない。必ず始点と終点があるのだ。

 なぜなら、その細い足場の上に彼女を作っているのだから。


 始点は、彼らだ。しかし、その行き着く先を、誰も知らない。

 それを知る必要がある。つながった先のことではない、なにが終点になっているかを、だ。

 夫人の目を見て頷く。


「さて、シシくん」


 プラッツ公は姿勢を正して、おれを呼んだ。


「キミは、どうするんだい?」


 背筋を伸ばして答える。


「やることは、変えるつもりはないです」

「と、言うと?」

「あのスライムを討伐するという目標は変更なし、ということです。依頼は完了しておりませんゆえ」

「そうか」


 単純に、依頼を貰ったのだから、最後まで完遂したい。思い上がりかもしれないが、プロとして、そういう思いはある。


 だが、これは邪な考えかもしれないが、リンネの過去を知れるチャンスでもある。


 ここには、彼女の過去が詰まっている。それも、ほとんどそのままの姿で。


 多少なりとも劣化は見られるが、古文書を読もうとしているわけではない。リンネは少し年上だし、難しい人だが、読めない言葉で書いているとは思えない。字も綺麗だ。


 語弊があってはいけないので、なぜ彼女の過去をおれが知る必要があるのか、それを説明すると。


 一番の目的は、彼女の過去に繋がる、「おれ」を知るためだ。

 ぶら下がっているはずの、おれの過去。


 どうして、彼女に繋がっているのか、どうして、未だに切り捨てられていないのか。

 拾い上げるようなリンネの動きについて、おれは知らなければならない。

 それが分かるかもしれない、そう思っている。


 「イマバラ」。


 おれしか知らない、彼女のこの名前。

 目を凝らさないと見えないような紐を、手繰る機会が巡ってきた。

 辛い思いをしている彼女には申し訳なさを感じるが、唯一のチャンスかもしれない。もとに戻るために必要な事だから、きっと許してくれるだろう。

 おれは決心した。


「しばらくは情報収集に徹します。一応、晩はゲストハウスに居ますので、何か御用があれば、そちらで」

「わかった。気をつけてくれたまえ」

「くれぐれも、怪我だけはしないようにね」


 気を付けます、とだけ言って立ち上がると、いつの間にか、シバタがドアを開けて待っていた。

 そのまま医務室へ通され、アルコールの消毒液のにおいがする部屋に座った。


「ここは使用人のための医務室ですので」

「福利厚生が手厚いですね」

「お優しい方々ですから」


 小さな白いもじゃもじゃした塊をピンセットで取り、それを消毒液に浸したのを、おれの唇の端にあてた。

 熱さがさらに増す。思わず顔をしかめる。


「数々の死線をくぐり抜け、大けがをされた方でも、消毒は苦手でございますかな」

「むしろ、得意な方がいますかね」


 ふふふ、とシバタは微笑む。

 切り傷用の薬を塗って、口の中も一応診てもらって異常がないか確かめた。

 この年齢になって磨き残しを指摘されるのが、こんなにも恥ずかしいものだとは、思わなかった。


 多少の談笑を挟んだのち、彼の表情に影が落ちたのが分かった。


何時なんどきでも気高くあられたリンネ様が、ああも取り乱されてしまうとは」

「少しずつ、予兆らしきものはありました。それを見逃した、相棒たる自分の責任です」

「誰の責任でもないでしょう。しかし、予兆ですか」

「なにか、思い当たるのですか?」

「いえ。ここで修行をなされていたころは、誰にも弱みを見せなかったお人ですから。少しばかりお仕えさせていただきましたが、どうやら、すでにシシ様には心を開かれているようですな」

「そんな……。彼女は自分のことをあまり話してくれません。信用されているかも怪しいですし、それに殴られたのだって――」


 そこまで言うと、シバタは手のひらで遮った。


「信頼しているからこそ、かもしれませぬぞ」

「どういうことですか?」

「誰しも、秘密を持っております。苦いもの、恥ずかしいもの、隠し玉のようなもの……。それを、二度と会わぬ他人ならともかく、今後も共に生きる人に見られるのは、やはり良い心地ではありますまい」

「配慮の足らない奴なだけですよ、おれは」

「ときに、優しさによって苦しめられる場合がある、それだけです」


 そうか、あの場にはシバタも居たような気がする。

 会話を聞いていたのだろう。


――いや。


 おれが、その秘密だとでも言いたいのだろうか。

 あのリンネの怒りは、その秘密が迫ってきたことへの拒絶反応だと、そういうことなのだろうか。


「真相は、ご本人にしかわからない」


 終点には、おれが居るかもしれない。


「どうか、リンネ様を、よろしくお願いいたします」


 頭を下げたシバタに、おれは決意を含んだ返事で答えた。

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