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戦姫、ブリュンヒルデに捧ぐ  作者: 野之 乃山
四章 プラッツ
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3-2 最悪の敵

 ゲストハウスからは、庭園に住まう虫たちの泣き声が静かに響き、草花がそよ風に揺れるのが、遠くから聞こえる音楽のようで、コーヒーを飲みながらまったりと本を読んでいたいところだったが、ここにいるのは、依頼のためであるのを、おれは忘れてはならなかった。


 今は、二つの月が重なる寸前。実際に見上げてみると、それぞれの光が交じり合っていて、ほとんど一つにしか見えない。具体的な数字で言えば、二十四時を回ってすぐぐらいだ。日付が変わるまで、あと一時間弱。


 昼間の聞き取り調査から、おそらくまだプラッツ公の屋敷内を徘徊しているであろう特異種もしくは変異種のスライムは、夜中に現れるはずだ。


 だが、対象に遭遇するためには、「()()」を聞かなければならず、またその「()()」が聞こえるのは、誰になるかわからない。少なくとも、この屋敷の敷地内にいる人であれば、聞こえるはずだと、その主、プラッツ公に許可を得て、今晩は屋敷内にあるゲストハウスに滞在することになったのだ。


 遭遇するための物音、そしてそのための人物の選定。


 いったいどういう理屈かつ、どういう意味があるのかは、わからない。


 屋敷内に魔物、それも強力な個体が居るという点から、安全を確保するために討伐する。


 加えて、今後も同じような能力を持った魔物が現れたときに備え、情報を収集する目的も、果たさなければならない。


 単純に魔物を討伐するとは言え、ただ戦う以外にも、やる事はたくさんある。相手が強ければ強いほど、やる事リストは増えていく。

 テラスの床が軋む。よく手入れが行き届いているとはいえ、古い建物である。そのうち、建て替えたいと、プラッツ公は言っていた。

 軋んだ理由は、おれがそこに立ち入ったからだ。


「リンネ」

「あら、どうしましたの」


 青い月の光に照らされる彼女に、影が落ちていた。

 テラスに置いてあるテーブルの周りにある椅子を引いて、そこに座るように促した。

 浜辺に置いてあるような、パラソルが着いたテーブルを二人で囲む。この場には似合わないやつだなぁ、と思っていると、


「以前、わたくしが持ってきたものです」

「うん?」

「このパラソルテーブルですわ」

「パラソルテーブルって言うのか、これ」

「わたくしがここを発った後も、手入れされているようですわね」

「そうなんだ」


 おれは手に持っていた水筒とコップをテーブルに置いた。

 水筒の中には、紅茶が入っている。二つのコップに入れ、一つをリンネの目の前に置いた。


 夜はすでに肌寒く、

 紅茶はもうもうと湯気を昇らせている。

 温度に気を使ったつもりだが、これではすぐに冷めてしまうかもしれない。

 そんなことを考えている間に、リンネはすでに飲み干していた。


「こんなところに居たら、寒いでしょ」

「ええ。もう、夜もすっかり冷えますわね」

「おれもリンネも半そでだ。明日にでも、服を見に行こうよ」

「ええ、そうしましょう」


 紅茶を注いだコップを差し出す。それを受取ろうと、彼女が手を伸ばした。

 だが、コップに触れる寸前、彼女の腕は伸び切らず、肘は折れたまま、ゆっくりと引いていった。


「聞きませんのね」

「何を?」


 そうとぼけてみたものの、彼女には通用しない。

 伸ばしかけた腕の肘をテーブルに置いて、片腕で頬杖をつき、そしてごくわずかに微笑んだ。


 そう、ごくわずか、だ。その表情を構成しているのは、実際は、ほとんど申し訳なさそうな雰囲気だった。


 どうして微笑んだと思ったのか。

 おそらく、月の青い光がそう錯覚させたのだろう。

 持っていたコップを、やや身を乗り出して、彼女の手前に置いた。もちろん、自分のコップを倒してしまわないよう、気を付けながら。


 そして、若干わざとらしく、音を立てて、座った。


「おれが訊きたいのは、そうだなぁ」


 うーん、と、うなったふりをする。


「体調の良し悪し」

「可もなく、不可もなく、です」

「本当に?」

「ええ」

「ほんとうの、本当に?」

「あら、疑われていますわね」


「疑っちゃいない。疑いようもない事実だから」

「?」

「リンネはその目でおれの嘘を見抜ける。それと同じように、おれもリンネの嘘がわかったのさ」

「……」


 く、と。


 頬杖を突いたまま、顎を引いた。珍しく、若干俯いたのだ。


 前髪がはらりと額から浮き、目を覆い隠すような影を作った。


 頭頂部が見える。青い光が、彼女の金絹色シルクゴールドとせめぎ合う黒い色を照らしている。また少し、黒い部分が増えている気がする。

彼女の顔以外をこうやって見る事なんて滅多にないので、なんだか変な気持ちだった。


 まるで、生徒を叱っている教官のような、そんな心持ちになっていた。

 べつに、問い詰めてやりたいわけではないのだ。


 彼女の不調は分かる。それは身体的な話ではない、ということも。

 リンネがこの話をしたがらない、あるいは打ち明けたがらないのも、そういう意味があるのだろう。


 弱みを見せたくない。

 見栄だろう。それが悪いとは言わない。


「少しは、信頼を得られたと思っていたんだけどな」

「していますわよ」

「なら、話してほしい」


 ぬるくなった紅茶を飲み干した。沈殿していた苦い何かが、喉の奥の方で威張っていた。


「何か、嫌な事があったんだよな」

「……」


 わずかな時間、押し黙る。

 言うか、言わないか。

 それを悩んでいるように見えた。

 思慮と逡巡がわずかに流れ、そしてゆっくりと顔を上げた。


「どうして、分かるのです?」

「直接的なのは、昨日の手合わせ」


 あんなに鈍い立ち回りをするリンネを見たのは、初めてだった。

 そんなことを伝えると、弱弱しく微笑んだ。

 だが、それが確信をもたらしたわけではない。もっと前から、シグナルは届いていた。

 それは付き合いが長ければ長いほど、伝わりやすいのかもしれない。


「その、おれが言うのは気持ち悪いかもしれないけれど、女性特有の悩みとかじゃないんだろう?」

「……ええ、それはあり得ませんわね」

「あり得ない?」

()()は、この身体にはありませんから」


 ない、というのは、よく分からなかった。

 だが、身体的な、つまり怪我とかをしているわけではないのだとすると、やはり。


「なにか、悩み事があるんだね」


 なんという、くだらない切り口だろう。

 我ながら呆れてしまうくらい、面白みのない出し方だ。

 もう少し気の利いた言葉が出ないのか、出ないだろうな。

 だが、そんなことを考えているだけで、顔が険しくなってしまいそうになるので、できる限り、頭の中は記憶を辿ることに集中していた。すると、リンネは、小さく頷いた。


()()を、見ましたの」

「悪夢?」


 夢。


「覗き込むのです。暗く、深い、穴の中を。その中に、シシ、あなたが居る」

「おれが」


 居るのか。


「それを見て、怖くなる。無性に、何もかもを捨てて、あなたへ手を伸ばす」


 リンネの手が伸びる。

 コップを受け取ろうとするときよりも、長く。

 もう少しで、おれに届きそうになるくらい。

 膝の上に置いているおれの手も、それに呼応して、動こうとする。


「それから」


 それから、

 どうなる?

 と、言葉が発せられる寸前。


 りーん……、と。


 可愛らしい鈴の音が、はるか遠くから聞こえてきた。

 それは、どうやらおれだけではないようで。

 音が聞こえたと同時に、二人の視線は現実に戻ってきた。


 はっとして、椅子を倒すくらいに勢いよく立ち上がってしまった。

 大きな音を立てても、鈴の音は、微かに聞こえてくる。

 連絡は、内線を使う手はずだった。


「リンネ?」


 屋敷内で鈴を使うルールがあったか、という意味で、彼女を見た。


「少なくとも、わたくしが居た頃は、そんな規則はございませんでした。それに、こんな夜更けに鈴の音が聞こえるなど」


 どう考えたっておかしい。

 風が出ている。

 虫が鳴いている。

 そんな、数々の騒音の中、か細い鈴の音は、まだはっきりと聞こえていた。

 二人して、テラスの手すりから飛び降りた。


      *


 それはすぐに見つかった。

 ゲストハウスへ通じる道を走り、母屋へとつながるあの大きな道に出た。


 さまざまな草木が月明りに弱弱しく照らされて、ともすれば真っ黒に蠢く闇に見えるような、そんな暗闇のなかで。


 きれいに手入れされた石畳の上に、そいつはいた。


 いや、そいつら、だ。


 A屋敷とB屋敷に居たらしい二体が、そこにいる。


 緑色に、うすぼんやりと光りながら。

 まだ、スライムの形をしたままである。


 サイズはそれほど大きくはない。むしろ、通常種よりもわずかに小さく見える。

 ぼんやりと光っているせいか、コアが影になっていて、形がよくわかった。星形と言うべきか、棘のようなものが数本ある。通常、スライムのコアはかなり丸いものだ。


 こちらに気づいているかどうかはわからない。動くことはない。

 枯れて地面に落ちた葉が、かさかさと音を立てて宙を舞った。


 そして再び、りーん、と。


 鈴の音が鳴る。


 こいつらの中から、聞こえてくる。

 すると、スライムはその身体を震わせ始めた。

 もこもこもこ、と音を立てて、その小さな体の内側から泡立ちはじめ、あっという間に姿を変えていく。


 二体との距離はそれなりに開いていた。自爆攻撃を恐れていたからだ。

 この距離では槍では届かない。

 槍に風を纏わせ、突を繰り出す。

 

 ガギィィン!! と。


 それはそれらの見た目とは正反対な音ともに弾かれ、空中へと飛んで行った。

 硬いもの同士が衝突し生じた火花が、暗闇の中で泳いで消えた。


「なんだ……?」


 それの形は、大きく変わっていた。

 ほのかに光ることは変わらない。

 

 だが、明らかに元の姿の質量を大きく超えた姿になっているのだ。

 

 ヒト型。


 二体はそれぞれ、ヒトになっていた。

 全長は、いや、身長は、二体とも、おれよりも高い。

 体格からして、おそらくヒトの男性に見える。


 「彼ら」は、剣を携えていた。飲み込んだものを手に取っているのか、それとも、それも彼らの一部なのか。

 顔は良く見えない。光っているせいだ。内側から光る人形をイメージすると分かりやすいだろうか、とにかく不気味だった。


「あ」


 突如として、リンネが、声を漏らした。


「どうした」


 顔を向けず、目だけをそちらに動かす。

 見たことがない表情をしていた。

 驚きと、困惑と。


「あ、ああ――」


 言葉が出ていない。

 喉からは、掠れた音だけが漏れている。すでに声を発することもできなくなっていた。


「あ、おい、リンネ!!」


 ふらふらと。

 ゆっくりと歩みを進めて、彼女はおれの横を通り過ぎていく。

 その背中を、首元を掴んで引っ張り戻そうとするが、なぜか左手は空を切ってつかめない。

 仕方なく肩を掴んで歩みを止めさせる。


「あ――」

「いったいどうしたんだよ」

「――」

「リンネ!!」


 口をぱくぱくとさせて、何かを言おうとしている。

 彼女の目は、こちらを見ていない。

 ずっと、あそこの二体に向けられている。


 何かがおかしくなった。


 おれも彼らを見る。


 まだ、固体になり切れていないのか、縁が歪んでいるのが分かる。


 目を凝らす。


 顔がある。のっぺりとしてはいるが。


 しかし、それでリンネがこんな状態になるとは思えない。幽霊を怖がるような人ではないはずだ。


 しかし、これは。

 そう、まるで。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「――ッッ!!?」


 背筋に、氷水をぶちまけられるような、錯覚を感じた。

 胸の奥が締め付けられるような感情とともに、その摩擦熱のような怒りを覚えた。


 どうして。

 どうして、こんなひどいことをするのか。

 いったい、何のために。


「ッッ、リンネ、いったん退くぞ!!」


 緩まりかけた腕の力を戻す。だが、彼女は、力なくその場にへたり込んでしまった。


「ッく、体幹強いな……」


 槍を仕舞い、両脇から魚を抱えるように持ち上げる。

 後ろでおれが何かをしようとも、彼女の目線は、ずっとあの二人に向けられていた。

 何かを求めるように、口を動かしながら。


 だが、彼らは未だに微動だにしない。

 今は大きなチャンスだ。これほどまでに不安定になってしまうと、もはや剣を握ることもできないだろう。


 しかし、彼らはその場から一歩も動かず、立っているのがやっとであるかのように、もぞもぞと蠢いているだけだった。


 ただの当てずっぽうだが、今の彼らには、何かが足りていない。だから、動くことができないのだ。

 そこから少しでも動けば、ぐずぐずに崩れ落ちてしまう。そんなふうだった。

 これはチャンスだ。

 とにかく、一度、リンネをどうにかしなければ。


「なん、で――」


 ようやく自立してくれたリンネの口から、言葉が生み出され始めた。

 見れば、これ以上となく大きく見開かれた目から、涙がこぼれ始めている。

 彼らの姿を見逃すまいと、瞬きをしていないからだろう、そうに違いない。


(まずい)


 直感的に理解した。

 彼らに足りていないものとは、なにか。


()()()()()()


 どういう理屈かは分からないが、それらが擬態したものの姿で動くためには、存在が確定していなければならない。

 そのために、名前が必要なのだろう。


 使用人の方々は、そんな話をしていただろうか。


 いや、おそらくしていない。ならなぜ。

 とにかく、目の前にいるのは、本当の彼らではない。

 彼らは死んでいるのだ。

 リンネを、助けるために。

 冒涜させてはならない。


 しかし、

 それは、

 今まさに、リンネの口から発せられようとしている、彼らの名前によって、行われようとしていた。


()()()()()()()()()()()


 無理やりにでも、ハンカチか何かを、口の中に突っ込んでやればよかったかもしれない。

 後になってからそう思った。

 だが、その時のおれにはそんなことは思い浮かばなかった。


『そうだ』

 

 返答。

 ずりずりとリンネを石畳の上で引きずっていると、まさかの、返答があった。

 

『お嬢』


 しかし、これはおれの記憶の二人の声とは、全く似ても似つかないものだった。

 単に、声をちゃんと覚えていないだけなのかもしれない。

 声帯の擬態まではできないのかもしれない。

 だけど。

 だけど。

 そんなことをしなくても。


「あ、ああああ」


()()()()()()()()


「あああああああああああああああああああああああああ!!!」


 慟哭。

 もがき、苦しむ。

 手を伸ばせども、

 彼らには届かない。

 なぜなら、彼らはすでに死んでいるからだ。

 それを、今この場で分かっているのは、おれだけだった。


 二人のあるハズもない姿を追い求めるために、リンネはおれの制止すらも突き破らんばかりの力でもって、手を伸ばす。

 暴れるなんてものじゃない。

 これは、縋っているのだ。

 後ろに見える、幻想に。


(とんでもない力だ、このままでは――!!)


 ゼルテ発動もやむなし、と。

 舌を噛むような覚悟で食いしばろうとしたとき、


「大丈夫ですか!!」

「助太刀しますぞ!!」


 不意に影が二つ増えたかと思いきや、ゆらめく幻想に向かって鋭い一撃が放たれた。


 まばゆい火花が夜の空気に散る。


「さあ、こちらへ!!」


 さらに目の前にもう一つ人影が増えた。

 昼間に目撃情報を話してくれた、メイドの一人だった。


 ぐったりした相棒を担ぎ直して、それらを背に這いつくばるように逃げた。

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