2-2 相棒の師匠と
おれは、言葉を失い、呆然と立ち尽くしていた。
「どうかしましたの」
リンネの声で、意識を取り戻す。
認識できる視界が広がっていく
「お身体に優れないところでも……?」
そう、おずおずとした声色で話しかけられると。
また、意識が遠のくような感覚。
ある一転のみを除いて、世界がはるか後方へと過ぎ去っていくような。
――違う。
おれが、そこに行ってしまったのだ。
懐かしいにおいが、鼻をくすぐる。
「なんでもありません。どこか、懐かしい感じがしたもので」
おれは嘘を隠すように、微笑んだ。
この場の雰囲気が、フリュークで最初に来たセント・ヴァイシュの森に似ていた、というのは、あながち嘘ではなかったが。
そんな感じだと伝えると、そうですかと、彼女は優しく微笑んだ。
リンネではない。そちらは、相変わらず、鋭い目つきで、おれの異変を嗅ぎ取っていた。
招かれたドアに入るとき、事情は後で話す、とだけ言って、おれたちは彼女の後ろを歩いた。
シバタと呼ばれた執事と別れてから、雑木林を歩いた。おそらくほとんどまっすぐ歩いていたと思う。
そうして十分くらい経ったとき、急に家が目の前に現れた。
林なので、見通しはそれほど悪くはないのだが、ずっと足元を見ていたわけでもないのに、近づいているはずの家の存在を、知覚できていなかった。だから、ぱっと家が現れたように見えたのだ。
魔術でも施されているのか、とリンネに訊いた。そんなわけない、と笑われてしまった。
「単純に、家だと分かりづらいだけですわ」
そう言われてみれば、失礼な形容だが、いかにも廃屋と言った風貌だった。
壁面に纏わりつく「つた」のような植物、物置らしき小さな小屋は天井が落ちて、扉は倒れて地面との区別が難しくなっている。
だが、人の住む痕跡、水や足跡、ほこりのないきれいな窓などが、風貌のわりに、それが家として認識できる要素を保持していた。
「でも、留守の様ですわね」
「どうしてわかるの?」
前に居るリンネがこちらに振り向く。
「わたくしの話し声を聞きつければ、あの人はすぐにでも飛び出してくるでしょうから」
「それはまた、愛されているんだね」
気味悪いことを言わないでください、と睨まれてしまった。
そんなことをしていると、
「あのー」
「あ、すみません!!」
後ろから声を掛けられてしまった。
どれだけボロであっても、ここは人が住んでいる家の前である。
言ってしまえば、家の前でたむろしているようなものだ。
身を翻して、声の主の方向へ顔を向けた。
「こちらに、何か御用でしょうか」
「あ――」
風が吹く。
木々がざわめく。
目の前が、急激に色を失っていく。
しかし、その人だけは、スポットライトが当てられたみたいに、失わなかった。
青い髪で、耳が長い。
記憶の中の姿とは、少しばかり雰囲気が違っている。
だが、その人であると、分かった。
そこからおれは――。
意識をしっかりと取り戻したとき、玄関を上がり、廊下を歩いていた。家の中は手入れが行き届いており、外見からは想像できないほど、生活感であふれていた。
「ゴミ屋敷のような家が、ここまできれいになるものなのですね」
相変わらず右少し前を行くリンネが、一つ一つを懐かしむように見ている。
床の板張りの染みさえ覚えているようで、事あるごとにおれに目線を配っては、それが何かを説明する。ただ、基本的に、そういうのは、自分ではなく師匠がやらかして残ったものらしい。
そんなことをしゃべっていると、リンネのさらに前を行くその人が、歩く速度を落とし、リンネに並んだ。
「あの人をご存じなのですか?」
「ええ。一時、師事をしておりましたの」
「そうなのですか?」
悩む、というより、記憶を確かめるような間があった。
そして、申し訳なさそうに切り出した。
「失礼ですが、もしや、あなたはリンネさんでしょうか?」
「いかにも、わたくしがリンネですわ」
――死にぞこないの。
そんな言葉が聞こえてくるような、そんな声色だった。
しかし対照的に、その人は目を輝かせて、弾んだ声でリンネの手を取った。
見えていても追いつかないような、凄い速さだった。
「あの方は、いつもあなたの事を話していたんです。ですが、少し前に、魔物に襲われて亡くなったと、嘆かれておりました」
「そのはず、だったのですが」
こちらに四つの目が向く。おれは軽く頭を下げる。
顔を合わせることができない。理由は、なんとなく分かった。
「こちらの方に、救われまして」
「そうなのですね。あ、こちらです」
居間に通される。背の低いテーブルを囲むように、クッションが置かれていた。それだけの、質素でわびしい空間だった。
「わたしはお茶を淹れて参りますので、こちらでお待ちください。家主はもうすぐ戻ると思います」
「感謝いたしますわ」
お辞儀をし、彼女はさらに奥へと消えていった。
姿が見えなくなって、テーブルの前に座っても、おれの中のざわつきは、しばらく消えなかった。黒いテーブルの光沢の中に居るおれの表情は、なんとも間抜けな雰囲気だった。
左肩をつつかれる。左手をみて、それをリンネの手に合わせた。彼女とのテレパシーは、どこかしら接触していなければ、繋がらないのだ。
『で、彼女は何者ですの?』
『直球だね』
『そんな顔をされていたら、うざったいんですもの』
直球だなあ、と繰り返すような感想を持ったあと、おれはなぜか覚悟を決めるような、決心をするような、助走をつけるような、ため息をついた。
『彼女は、おれの親友の恋人だ』
リンネがこちらに向いた。が、すぐに前に向き直った。
左手が握られる。いくら接触しなければならないからと言っても、そんなに強く握る必要はない。痛いくらいの力である。
『本当ですの?』
『見間違いじゃなかったら』
『それは……、あの、彼の?』
『そう、フェンデルの』
フェンデルの、恋人である。
名を、クランと言ったはずだ。
透明感のある青い髪のエルフであり、おれよりも身長が高く、少し先が長い耳がチャームポイント。
そういう惚気話を、何度も何度も、聞かされていた。
しかし、実際に彼女を見たのは、一度か二度だ。最後に見たのは、あのχ化事件のあと、二人を実家に送ったときだろう。
テュールが言っていたことを思い出した。それはリンネも同じだったようだ。
――自分ともう一人、アラム王国から逃げ延びることができた。
それが、彼女なのか。
『生き残ってしまったのね』
喜ぶべきだ。だが、どうしても素直に喜べない。
もう一つ、テュールは言っていた。
その人は、記憶を失っていると。
おそらくは精神的なショックによるものだと思われるが、幸か不幸か、それでよかったのかもしれない。
だが。
運命とは、残酷なことを好むものだ。
手を離す。
「大丈夫ですの?」
「ああ。いや、あいつなら、喜んでいると思うよ」
「そうではなくて――」
「あれ⁉」
急に背後から大きな声が聞こえてきたので、思わず飛び上がってしまった。
見てみると、釣竿を持った(おれたちよりかは幾分か年上の)青年が、庭へと通じる窓からこちらに身を乗り出していた。
赤い髪のヒト、男性である。細身で、顔の左側に傷跡、刀痕が目のすぐ下から鼻の付け根へ走っていた。
その人は、おれを一瞬だけ見たが、前を向いたままのリンネの背中にすぐ視線を戻した。
だが、なぜかリンネはそれに取り合おうとしない。
「なあ、なあってば!!」
埒が明かないと思ったのか、その人は靴を履き捨てて、どたどたと四つん這いになりながらリンネの顔を見た。
「やっぱり、そうじゃないか!!」
「相変わらず騒々しい方ですわ」
爛々と目を輝かせている彼とは対照的に、リンネは研がれたばかりのナイフのような、温度を奪うほどの冷たい目線を向けた。
「なに、うるさいのは慣れているだろう? いやいや、そうじゃない、生きていたんだな!!」
「ええ。死にぞこないました」
「馬鹿言っちゃいけない。ああ、また会えてうれしいよ、リンネ!!」
「わたくしは、あまり会いたくはありませんでしたが。変わらず元気そうで何よりですわ、カラジナルさま」
いやだなー、と、彼は顔の前で手を振った。身振りの大きい人だ、と思った。
「さま付けはやめてくれと、何度も言っているだろう」
「それは出来かねますわ。それよりも、彼女は?」
リンネが、誰もいない居間への入口に目線をやった。
「ああ」
何を言っているのかを理解した彼は、頭を掻いて、窓を閉めた。
「偶然、救えた人だ。王国のすぐそばで倒れていた」
「そうですの」
「キミの方こそ、彼は?」
「わたくしの、恩人ですわ」
そうか、と言って、彼は半端に腰を浮かせ膝立ちしているおれに近寄り、手を差し出した。
「おれはカラジナル。たぶん聞いていると思うが、リンネに剣を教えていたこともある。よろしく」
「ど、どうも、シシと言います」
握手をすると、彼の手の感触はうすく、冷たかった。
「ジーナさん!!」
入口に、トレーを持ったクランが立っていた。
「靴を脱ぎ捨てない、ちゃんと玄関から入る。何度言ったらわかるんですか!!」
「ご、ごめんごめん」
と言って、彼は慌ただしく入ってきた窓から出ていってしまった。
クランから茶を受け取る。淹れたてで、一口含むだけで、火傷しそうだった。
カラジナルが戻ってきたところで、クランはトレーを持って立ち上がった。すると、リンネも立ち上がった。
「お手伝いいたしますわ」
「え、でも」
と、困惑するクランの背中を押しながら、台所へ消えて行ってしまった。
後に残された男二人は、その後ろ姿が見えなくなったところで、定位置に座った。
何かを話そうと思った。
だが、喋ることが、思いつかなかった。
思考停止してしまい、湯呑から、ほかほかと上がる湯気をただただ眺めていると、
「彼女のこと、何か知っているのかい?」
「え」
「リンネじゃなく、彼女のことだ」
そうか、そのことを話せ、という意味か。
おれはとにかく手短に、要点と思われる箇所だけを話した。クランのことも、リンネのことも。
「そうか、クランくんは、君の親友の伴侶だったのか」
「名をご存じなのですね」
「ああ。彼女を見つけたとき、名札らしきものが、近くに落ちていたんだ」
クランくんは強運の持ち主だよ、とカラジナルは言った。
「キミが、ヨビビトだったのか」
「はい、まあ、残念ながら」
「いやいやいや、すでにリド、ズーベ・ヘーアの襲撃と異変を解決しているじゃないか。誇るべきだよ」
「それは、リンネが居てくれたおかげでしかないです」
「そのリンネは、キミに全幅の信頼を置いているようだが。彼女が、他人に身体を触らせているところなど、おれは見たことがない」
「あれは」
説明しようとすると、テレパシーだろ? と言われた。
「リンネの魔法への適性の低さはおれも知っている。だから仕方がない、とはならないだろう。彼女への配慮もあるだろうが、だがやはり、一番は、キミへの信頼だ」
そうして、カラジナルはこちらに向き直り、そして両手を前につけ、頭を下げた。
「弟子の命を救ってくれたこと、心から感謝する」
「そんな……。そちらこそ、親友の大切な人を助けてくださいました。心からお礼申し上げます」
いやしかし、と。
カラジナルは、また頭を掻いた。後ろ髪が長いのが気になるのか、癖のようだった。
「これで合点がいった。まだ、外見上ではわからないんだが」
「はぁ」
ちょいちょい、と。右手の人差し指で呼ばれた。そこに近づき、耳をそばだてると、
「彼女、クランくんだが、どうやら、妊娠しているようだ」
*
「そう、なのですね」
彼女、クランのそのことを、戻ってきたリンネに話したところ、わずかに笑ったようだ。そして、一度、台所にいるらしい彼女の方を見てから、こちらに目線を戻した。
「どれくらい前からか、わかりますか?」
「この前、医者に見せた。おおよそ、六か月だそうだ」
五か月。
即座に記憶の海へと飛び込み、五か月前を探す。そして、それらしいものを手繰り寄せた。
「フェンデルは五か月前、休みを取っています」
「ならば、確定だろう」
膝に置いた手に、目線が落ちる。
懐かしい記憶が蘇ってくる。
付随する記憶たち。
帰ってきたアイツに、おれともう一人、アリアという魔人とともに、茶化したことを。
もしかすると、フェンデルは報告を聞くために、そして正式に結ばれるために、王国へと向かったのかもしれない。
そういえば、こんなことも言っていた気がする。
――クランも二人と会いたがっていたし、今度、三人で遊びに来いよ。
多分、そういうことなんだろうな、と思う。
場を設けて、おれたちに向けて言うつもりだったんだろう。
ため息が出てしまう。
「それで、どうするおつもりですの?」
声を掛けられたので、目線を上げた。
奥から戻ってきたリンネが廊下から、小さな声で言った。
「なにが?」
「クランさんの、過去について、ご本人に伝えるのかどうか、それを訊いているのです」
そう言われて、おれは、口を閉ざした。
話すべきだろうか。
クランの過去について。
いや、話すべきなのだろう。
父親のことを知るという意味でも、話さなければならない。そう思う。
だが、今の彼女は、おれの知る、フェンデルの恋人であったクランではない。
記憶を失った彼女に対して、第三者の記憶からもたらされる過去が、一体何の意味を持つのか、おれにはわからなくなってしまった。
「わからない……」
「わからないって――」
「待て、リンネ」
情けないことを言ったおれに対し苛立ったリンネを、カラジナルが抑えた。
「この件に関しては、おれとキミは部外者だ。急かせることはできない」
シシはきちんと考えている、と言った。
「おれがクランに対し、過去を知る心持ちを聞いておく。シシは、過去を知ることで最も悲しむのは、クラン本人だとわかっている。万が一記憶が取り戻された場合、その絶望は計り知れないだろう。衝動的な後追いをするかもしれない」
「わかりました」
リンネはすっと顎を引いた。こちらを見たかもしれないが、何も言わなかった。
廊下の方から、足音が聞こえてきた。
「お二人、お昼はどうしますか、って……。どういう状況ですか、これは」
また何か変な事を言ったんですか、ジーナさん、と、クランはカラジナルを睨みつけた。
「なんだい、またとはなんだ、またとは」
「いつも変な事を仰っておられるではありませんか」
「やはり、そうですよね!! この間なんかは――」
「やめてくれやめてくれ、本人が目の前に居るのに悪口で盛り上がるのは」
二人の間にある見えない結束の紐を散らすように、カラジナルは手を振り回した。
じゃあ憂さ晴らしということで、とカラジナルは庭に目をやった。
リンネはため息をつき、クランは腕を胸の前で組んだ。
二人の反応で、なにを言われるのか、なんとなく予想がついた。
「ちょっと運動しないか?」




