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戦姫、ブリュンヒルデに捧ぐ  作者: 野之 乃山
四章 プラッツ
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2-1 提出書類

 翌朝、朝食をとったのち、リュウタロウとテュールはフラメ夫人のもとへ、おれとリンネはプラッツ公の書斎にと別れた。彼らは仕事を終えると、そのまま帰るつもりだと言った。そのため、テュールにわずかではあるが、感謝を送った。


「お気をつけて」


 少し前に見たような、真剣な表情で彼女はおれに囁いた。


「わかった」


 その意味が分からないほど、おれも鈍くはない。


 書斎に向かうと、ちょうどプラッツ公がカップをテーブルに置いてくれているところだった。

 入ってすぐ、デスクが目に入り、そして背後の大きな窓が見える。左右は本棚で、それもぎちぎちに本で埋められていた。


 見える限り、すらりと目を通しただけだが、背表紙からして、経営に関するものがだいたいを占めているようだった。

 かけてくれ、とプラッツ公はソファを示した。そこにはすでにリンネが座っていた。


「失礼いたします」


 彼女の隣に座る。横顔がちらりと見えた。珍しく、少しだけ、化粧を濃くしているようだった。口紅の赤いのが、よく映えていた。


 テーブルの上のカップは、おれは黒い液体、リンネは赤い液体が入っていた。カップの下の皿ごと手に取って、においを確かめてみる。おれのはコーヒーだった。


「どうかね? わたしのお気に入りの豆なんだが」


 そう言われたので、熱さに用心しながら口に入れてみる。

 鼻に抜けるような、くどくない香りと、鋭いエッジの効いた苦み。一瞬の剣の閃きのように、情報が口の中で広がって、消えた。


 ぐいぐいと飲めるわけではないが、口当たりは全く重くなかった。


「良い目覚めの一杯です。気づけば、何杯でも飲んでしまいそう」

「そうだろう、そうだろう」


 しわのある顔をくしゃりと丸めるように、プラッツ公は笑った。


「だが、カフェインがかなり多めに含まれているからな、飲みすぎは厳禁だ」


 そう言って、プラッツ公も一口飲み、カップを置いた。


 いつの間にかリンネもカップを手に取り、紅茶を飲んでいた。今日はやけに静かだな、と思った。

 少しのあいだ、緩やかな時間が流れた。


 すると、プラッツ公は身体を捻って、デスクにあった二枚の紙を手に取ってから、話始めた。


「さて、キミたち二人の、モスナ公国への入国の話だが」


 すっと、テーブルの上を滑るように差し出された紙。よく読まなくても、「入国許可」の書類だとわかった。

 思わず手が出そうになったが、目の前の領主の顔を見て、腕は動かなかった。

 紙は、もう一枚あったからだ。


「これがあれば、このプラッツ領での活動は十分にできるだろう。ギルドに渡せば、あとは自動的に処理される」


 リンネが紙を手に取り、内容を確かめてから、三つ折りにして仕舞った。


「心から感謝申し上げます、エブラエさま」

「なに、この程度しかできないことを、こちらから詫びたいくらいだ」


 照れ臭そうに笑うプラッツ公。


 にこやかに応えつつ、リンネは目で訴えた。


――まだほかにも何かあるのでは、と。


 しかし、どういう訳か、プラッツ公は中々、それを見せようとはしない。


 昨夜のキミの言葉には、本当に心が動かされたよ、とか、そういう話が続くだけだった。

 我慢比べのような空気になっていた。それも、プラッツ公が劣勢な様子である。


 しきりに、手に持っているその紙へ目を落とし、そしておれたちへと向ける、というのを繰り返している。

 その間も、プラッツ公は他愛のない会話を続けていたが、みるみるうちに、額に左手を当ててため息を吐いていた。


 おれは驚いて、大丈夫ですか、と声を掛けた。


「すまない、大丈夫だ」

「なにか、お悩み事でも?」


 リンネが訊いた。

 すると、プラッツ公は、またため息を一つ。


「肚をくくった。これを」


 と言って、手に持っていた紙を見せてくれた。

 そこに書かれていたのは――。


「ヒュムネン調査団、ですか」


 おれが心の中で、その表題を読むのとほぼ同時に、リンネが声に出した。

 ヒュムネンとは、モスナ公国の首都の名前である。


 今年の初め、リドの村襲撃事件よりも前に、モスナ公国の首都は、謎の攻撃を受け、被害を被った。


 それ以来、首都は立ち入りを禁じられ、閉鎖状態にあった。


 不思議な話だが、被害を受けたのなら救助部隊なりなんなりを出して、助けるべきだ。しかし、その後、壊滅したらしい中央政府の代わりとして発足した臨時政府、つまり現中央政府は、理由の是非に関わらず、立ち入りを禁止することを決定した。


 そこから、実に約半年以上ものあいだ、公都ヒュムネンは凍結状態にあった。


 何があったのかを探るべく、調査団を結成することになったらしい。


 今さら調査しよう、というのも、不思議な話だ。

 だが、もっと不思議な話がある。


 この話を出すのに、プラッツ公が肚をくくらざるを得なかったことについてだ。


 詳細はまだわかっていないのだが、この話のどこに、彼がそこまで悩む必要があったのか、全く見当もつかないのである。


 しかし、何のことやら、という顔をしているのは、どうやらこの空間ではおれだけのようだ。

 隣の人も、右手の親指の爪を、噛むように口に当てている。眉間に、しわを寄せながら。


「こんなもの、くだらない争いを増やすだけでは?」

「わたしもそう思っている。だが、一部の連中がかなり強く圧しているのだよ」

「一部とは? まあ、おおよそ想像はついておりますが」

「分かるか」

「ええ」


 重たい空気が現れた。

 具体的なことは何一つ分からないが、おおよそ、二人の会話でなんとなく見えてきた。


「この調査団とやらに参加しようとしているところが、仲が悪いとか、そういう感じですか?」

「ああ、分かりやすく言うと、そうだ」


 プラッツ(ここ)と、というわけではないらしい。プラッツ公は念を押す。

 うちは、どことも諍いを持たないように気を付けている、と彼は言った。


「ですが、他はそうはいきません」

「他というと」

「調査団に参加を表明している領主を見るに……。そうですわね、ヴートとガズダーム、それと」


――ポルト。


「この三者は、何百年も昔から、争い合ってきました。時に加勢し、時に裏切り。中央政府がうまれ、領の武力行使を厳しくしてもなお、小競り合いの起きた回数は数えきれないほどですわ」

「血の気の多い人たちなんだね」

「悪いことばかりではないんだがね。襲撃のときは、彼らはおおいに活躍してくれる」


 良い方向に動いた試しなどございますか、とあきれながら、リンネは言う。


 そういう感じなのだろう。


 ということは、公都ヒュムネンが襲撃を受けた際に、おそらくかの国らは兵を使ったはずだ。練度についても、低いわけがないだろう。武力というものは、均衡を取らねばならない。抜きんでる箇所があれば、並び立たねば、その差だけ血が流れる。


 公都内の貴族も「私兵」を用いたと聞く。それなりの数は居たはずである。


 しかし、結果は、公都の封鎖である。


 そうなると、どこがやらかしたのか、どこの兵が弱かったのか、などと、原因究明という名の小競り合いが始まるのだろう。


「おおかた、責任の押し付け合いの延長線上なのでしょう」

「そうかもしれぬ」


 もう一度、プラッツ公はため息を吐いた。


「これを、キミたちへの依頼として頼みたい」


 ああ。

 そういうことか。


 おれとリンネは顔を見合わせた。


 これの発布元は、中央政府である。調査団の選出もおそらくそこが行ったのだろう。

 話を聞く限り、プラッツ公は政府からは一定の信頼を得ている。それもそのはず、ここがそれなりに中立な立場だからだ。


 仲の悪い三者の監視役として選ばれてしまったのだろう。


 しかし、プラッツ公いわく、そう言った事態に対処するような、私兵を持っていない。ギルドはあるが、依頼請負人フトラクらにこのような問題を任せるわけにもいかない。


 少し前までなら、おそらくリンネなど、親衛隊の一部を分けてもらうことを考えていたそうだ。もしかするとプラッツ公自身が出向いていたかもしれないそうだが、情勢を考えれば、それは無謀以外のなんでもない。


 手詰まりというわけだ。


 ただ、それらの事情を考慮してもしなくとも、断る理由は無かった。


「入国を許可して頂いたことへの、お礼にもならないかもしれませんが、お引き受けいたしましょう」


 おれの言葉に、ふと、プラッツ公は顔を上げた。

 その表情は、喜びなどというより、困惑に満ちていた。


「良いのかね。頼んだわたしが言えたものではないが、これはキミたちには関係のない話だぞ」


 彼が悩むのは、その点だった。


 いわば政治闘争の場に、おれたちを巻き込むことを、彼はよく思わなかったのだろう。プラッツ公は噂にたがわぬ人格者である。領主としては、人が良すぎて、少し心配になるくらいだ。


 ならば、なぜ、それをおれたちに依頼したか、とリンネは問うた。

 おれは答えを予想しながら、プラッツ公を見た。


 それは、建前と言われた。


 リンネと目線が合った。答え合わせの結果を伝えた。


 おれたちの入国を後から許可するには、当然、それなりの理由が必要だった。


 ましてや、情勢を鑑みれば、事後承認などはかなり厳しいはずだ。中央政府に対し不信感を抱いている領主が居ないわけがない。たとえ、どれだけ善政を敷いてきたとしても、そこは取り除くことは不可能だ。


 では、疑心暗鬼になりつつあるであろう中央政府を、どうやって納得させるか。


――ズーベ・ヘーア騒動で活躍した者と、繋がりが出来たから、調査団に参加してもらうための招集につき。


 おれが考えられるなかでは、政府の口出しできる余地が少ない、良策だと思った。

 むしろ、そうした、利用できる環境を用意してくれたプラッツ公には、感謝してもしきれない。


 おれはそのように言うと、彼は困惑した表情を見せた。

 それに、と付け足す。


「全く関係がないわけではないと、自分は思います」


 もしも。

 以前のアラム王国での、人為的χカイカ騒動のように。

 公都ヒュムネンにおいて、似たような儀式が行われていたとするならば、調査団が壊滅する可能性がある。


 いや、それは建前だ。


「連中が絡んでいるとなると、自分たち以上に適任は居ないでしょう。それに、もしそうなら、情報を得るチャンスですから」


「人為的χ化、<アセンシオン>か」

「はい。もしかすると、連中の目的を知れるかもしれません」

「そうか」


 彼は少し考え、そしてソファを立ち、おれたちに頭を下げた。


「すまないが、よろしく頼む」

「頭を上げてくださいませ」


 リンネが言った。


「わたくしたちの無理を通して頂いたんですもの。これくらい、何ともありませんわ」


 彼女の言葉に、プラッツ公は再び笑みをこぼした。

 その様子を、おれは少し離れて眺めていた。


     *


 プラッツ公から頂いた書類を、ギルドへと届け出る必要があった。


 できれば今後もここで泊まって欲しいと彼は言ってくれたが、流石にそれは丁重に断った。そこまでいくと甘えすぎだったからだ。観光客用の宿を取るので、どこかを伝えることにした。


 屋敷からギルド方面へは、対角線上にあった。歩いていくとなると、ギルドへ到着するのは昼過ぎで、そこから宿を取るとなると、部屋に入った瞬間、もう動きたくなくなるだろう。


 ただ、今日は別の場所にも行く予定になっていた。

 リンネの師匠へ、会ってみたかった。

 彼女は気恥ずかしそうにしていたが、会うこと自体は拒まなかった。


「変な人ですので、お気を付けを」


 なんてことを言われてしまったのだから、どんな人なのか、気になって仕方がなくなってしまった。


 だからと言って歩くわけにはいかないので、とりあえず車でも呼ぶか、とリンネと話していると、執事がどこからともなく現れ、車を出そうかと言ってくれたので、それに甘えることにした。


 地下の駐車場に案内された。薄暗くて、ほんのり湿っている感じだった。


 車は他にも数台停められていたが、テュールの車はすでになかった。聞けば、少し前に出たという。おれたちがプラッツ公と話しているときに出たのだろう。


 どうぞ、と執事が明けてくれたので、そのドアの奥へと、身をくぐりこませた。清掃が行き届いているな、と思うような匂いが鼻をくすぐった。洗剤か何かの薬品の匂いだろうか。


 シートベルトを確認して前を向くと、車はずるずるという音を立てながら、ゆっくりと発進した。


「先にギルドでしょうか、それともお宿の方でしょうか」


 後ろを見るミラーに目をやると、彼と目が合った。黄色だった。


「ギルドでお願いします。さすがに宿までは、ずうずうしいと言いますか」

「何をおっしゃいますやら。主人のお客様に便宜を図ることも、われわれの職務でございますゆえ、どうかご遠慮なさらずにお申し付けください」


 はぁ、と気の抜けた返事しかできなかった。横からくすりと笑われたのが分かった。


 丘を下り、円周の流れに合流する。気のせいかもしれないが、昨日よりも、交通量が増えているように見える。中心部に近づく道路があるからかもしれない。

 その道路へ、車が入っていく。途端に速度が落ちる。制限速度が低く設定してあるのだろう。車だけではなく、キダラ車や人の数も、今まで見たことがないくらいに多い。


 車窓からちらりと見ただけだが、おそらくはほとんどが観光客だろう。


 紙袋を大量に持ち、店からスタッフに頭を下げられているのを背に、ほくほく顔で歩いていく人たちを、たくさん見た。

 子どもに訳の分からない土産をねだられて、それをどうにかしてあやしている親も見た。


 なんだか、平和な風景だった。


 まるで、世界を揺るがす大事件なんて無かったかのような。


 そんな考えが頭をよぎったとき、底知れない空しさを、胸の奥に感じた。


 自分たちの足場となる出来事が、存在しないとしたら。

 いったいどうして、おれたちはここに居るのだろう。


 なぜ、おれはこの世界に居るのだろう。

 いったい、どうすればいいのだろう。


 紐でつるされて、空中に置き去りにされてしまったような。

 そんな不安定な気持ちが、とかく頭の中でふくらんでいく。


 気づけば、隣の横顔を見つめていた。

 実時間では短かったかもしれない。しかし、長い時間見つめていたような気もする。


 本当のことは分からない。

 ただ、それに気づいたリンネは、おれが見る理由を、察したかのように、肩をすくめて、おどけた。


 たったそれだけで、おれの身体の呪縛は解けた。


「到着いたしました。出口付近でお待ちしております」


 見ると、赤レンガの建物がすぐそこにあった。


 礼を言って車から足早に下り、その建物の中に入った。

 空いていた窓口に入り、カードを提示して登録を申請すると、窓口の人が「少しお待ちください」と言って、奥に行ってしまった。


「どうしたのでしょう」

「ランクの更新だと思う。ついにリンネに抜かれたかもね」

「あなたも同時に昇格でしょう。そうでなければ、更新は拒否しますわ」


 どうして、と問う前に、窓口スタッフが戻ってきた。窓口の受け皿に、カードと二人分の昇格申請書が添えられて、返却された。


「お二方とも、Sランクへの昇格審査条件をパスされたそうなので、申請できますが、いかがいたしますか?」

「Sランクになることで、何か特典がございますか?」


 えっ、と、窓口スタッフは言葉に詰まった。そんな質問をされるとは思っていなかったからだ。


 Sランクに昇格するというのは、依頼をこなして生計を立てていく依頼請負人フトラクとして、最上に近い名誉である。


 難しい依頼を数多くこなし、しかもその質が安定しているというお墨付きが与えられたようなもので、また、自らの力がどれほどかを示しているともいえる。


 リンネには、その価値観がない。

 力の誇示に関しても、同様だ。


 そんな考えのフトラクは、かなり珍しい。


 おれもそうなのかと問われれば、どうだろうか。少なくとも、前までは、そう言った昇格を目指していた側であった気がする。


 かつての同居人や、相棒たちがそうであったから、かもしれない。


 ただ、そんな無欲なリンネでも、一つだけ、そして最大のメリットがある。


「Sランクになれば、高額依頼を受けられるようになるよ」



 高額依頼とは、依頼受注において、Sランク以上という制限が設けられている特殊な内容の依頼のことである。


 通常、依頼は個人、もしくは企業などが出すものが大半である。その内容は、魔物退治や荷物の護衛や採取やお守りや、種別にすればおそらく千種類くらいはあるのではないかと思うほど、多岐にわたる。


 だが、個人が依頼する内容は、悪い言い方かもしれないが、難度は低い。最低ランクのFランクからでも受注できるようなものもあり、制限が掛けられるような依頼は、依頼者本人の負担額もそれに応じて重くなるため、滅多にない。


 ギルドが出す依頼は、上から下まで幅広く揃っている。採取、ただのパトロールから、特異種、変異種である魔物の発見・調査などの危険な依頼まで。高額依頼というのは、たいてい、後者の特異種、変異種関連を扱った依頼を示す。


 通常種とは異なった特徴を持つ特異種、変異種は、中堅程度のフトラクには、静かに、できるだけ早く、遠く、逃げることを強く推奨されるような、本当に危険な存在だ。そんなのを相手に調査や捜索をするのだから、その対価も相応に貰えるのだ。


 それが受けられると聞くと、彼女はそういえば、と頷いた。


「そうでしたわね。それならば、更新いたしますわ」

「は、はぁ」


 不思議そうな表情をしながら、スタッフは作業を進めていった。

 そして、


「おめでとうございます。お二人とも、無事にSランク昇格です」


 と言って、Sランク仕様のカードを渡してくれた。


「派手ですわね」


 派手だった。

 金色を基調としており、登録情報の文字列の後ろには、ギルドの文様が、光を反射してうっすらと浮かび上がるような特殊加工がなされていた。


 見せびらかすように作られているのか、と思うくらいに、派手な装飾ばかりだった。


 手元にあるのが恥ずかしくなってきたので、窓口から離れた場所で、カードをしまう。今度は入国管理所へと足を運んだ。


 そこはギルドよりももっと空いていて、おれたちがそこへ入っていく前までは、皆がだらけていた。それくらい、ここに用事がある人など、現れないということだろう。


 やる気のないスタッフに事情を説明し、書類を渡すと、即座に正式な入国許可証を貰う事が出来た。


 二人分の入国許可証が入った封筒を持って、建物から出ると、執事が礼をして待っていた。


「お宿の方、ご案内させていただきます」

「え、えっと?」

「感謝いたしますわ、シバタ」


 さあ、と、半ば押し込まれるように車の中に入る。


「その、ありがとうございます」


 動き出した車内で、おれは頭を下げた。


「礼など。先にお荷物を置かれますか?」

「いいえ」


 リンネは首を横に振った。


「そのまま第二号線に入り、ロルタバに向かうあたりで止めてくださいまし。そこからは、歩いて行きますわ」

「かしこまりました」


 ロルタバというのは、このプラッツの北に位置する領内の二つ目の町である。市内の観光産業に従事する人々が住まう、ベッドタウンというやつである。と言っても、主要な施設は一通り揃えられているようで、このプラッツを発展させている労働者を労わずして眠れようか、というプラッツ公の考えから、かなり整備されているという。


 その向かうあたり、というのは、雑木林があるところである。


 つまり、リンネの師匠がそこにいる、という意味だろう。


 その後の車内には、会話はなく、静かだった。


 しかし、おれの顔は、緊張の二文字を明らかに表していた。

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