1-3 当主という人(とその夫人)
夜。
屋敷の中にある客間にて、おれたち四人はソファにかしこまって座っていた。
いや、
かしこまっているのは主に男二人で、女二人は、この待遇がさも当然かのごとき振る舞いを披露しており、おれたちはただただ二人の影に、情けなく身を縮めて隠れているだけだった。
朝の、二日酔いで潰れていた人と、それを見てけたけた笑っていた人は何処へやら。
目の前に居るのは、格式高い令嬢と、その従者にしか見えなかった。
しかし、いわば、この形こそが、彼女たちの“元の姿”でもあるのだろう。
そんな二人が華麗にこなしている“堅苦しい形式の挨拶”は、おれたち二人にとっては、ほとんど無縁の世界だから、ある意味、当然と言えば当然だろう。学ばなければならないことが、また増えてしまった。
さて、リュウタロウはもとより、リンネやテュール、そしておれが屋敷に入れたのには、訳がある。と言っても、その訳に関しては、先立って述べていた通りである。
リンネの過去の人脈が通用したのだ。
それも、そのトップたる人物に。
客間の扉が叩かれ、開いた。そこには、
「おおおお、テュールくん!!」
両腕を大きく広げ、大声を出す男性と、
「夜中に大きな声を出さないでください」
その男性の頭を軽くはたく女性が居た。
「お久しぶりでございます、エブラエさま、フラメさま。このようなお見苦しい格好で、申し訳ありません」
「そんなこと、気にしないでください」と、女性。「わたしたちは、あなたたちにまた会えたことが、なによりも嬉しいのですから」
ね、と、女性はリンネとテュールに目配せをする。二人はそろって頭を下げた。
「身に余るお言葉です」
「そして、キミが」
男性はずんずんと客間へ、そしておれへと歩みより、ガシッと、両肩を掴んだ。
おれなんかよりもずっと背格好、体格がいい。しわが刻まれた目じりは、老いを全く感じさせない鋭さを持っている。頭髪には白髪が混じっていても、身長も、肩幅も、何もかもが男らしかった。
「リドに続き、ズーベ・ヘーアをも救った、呼人くんだな」
「あ、えっと、その、はい……と、言いますか……」
あまりの勢いに気圧され、しどろもどろになる。だが、彼には関係なく、掴まれた両肩を前後に振られた。
「ああ、そうか、そうか!! キミがそうなのか!!」
「やめなさい、あなた」
ぺしん、と軽い音が鳴る。
両手で肩を叩かれたあと、彼はおれたちに座るよう促した。
「さて、初めましての人もいるから、自己紹介をさせてもらおう」
じっくり、ここに居る四人の顔を見てから、彼は言った。
「わたしはこのプラッツを治めているプラッツ家が当主、エブラエ・プラッツだ。歳は、いくつだっけな、六十かそこらだ」
「六十ですよ」
「ああ、そうらしい。それで、こちらは」
左腕を広げて女性を示す。
「初めまして。この人の妻をやっております、フラメ・プラッツと申します。以後、よろしくお願いいたしますね」
フラメ夫人は、プラッツ公とは対照的に(プラッツ公が未だ老いを見せなさすぎるだけかもしれないが)、線の細い、年齢相応の落ち着きを持つ女性だった。淑やかな所作とともに、頭を下げられると、つられて、頭を下げてしまう。
四方から視線が突き刺さる前に、おれは口を開く。
「自分の名前は、シシ。その、二か月ほど前まではリドの自警団所属、でした」
プラッツ公から、よろしくな、と握手を交わした。ごつごつで、角ばっているが、何とも言えない温かみを感じた。そのあと、フラメ夫人とも交わしたが、こちらはとにかく安心できた。
「こちらに来て、どれくらいなの?」
「えっと、今朝がた、こちらに……」
「あっはっは!! そう硬くなる必要はないぞ、シシ!!」
手を叩きながら笑われてしまい、顔が一気に赤くなったのを感じた。
「フリュークに来たのは、いつだ?」
「あ、えっと、一年と数か月前、です」
「その前は何処にいたんだ?」
「前のことは、覚えていないんです」
「記憶喪失なのです」リンネが入った。「ヨビビトの方は、その傾向があるらしく、彼もそうなのです」
「あら、そう……ごめんなさいね」
謝られてしまったので、両手をぶんぶん振って否定した。
二年も経っていないのか、と、プラッツ公は言った。
「だのに、リンネくんと肩を並べているのだから、とんでもない才能の持ち主だな」
「いえ、そんなことは」
「なァに、謙遜せずとも良い!! すでにそれだけの功績を残しているのだからな!!」
右肩をばんばんと叩かれながら、ひきつった笑いを浮かべるしかなかった。
どうにもやりづらい。相手の立場がかなりの格上であるからだろうか。
エッダ王の時は、こうではなかったはずなのに。
「リンネさん、テュールさん」
フラメ夫人のトーンが急に落ちた。つい、リンネをの方を見てしまうくらいに。
リンネも、なにを言われるのかは、分かっているのだろう。柔らかめな笑みが、その顔から消えていった。
「あなたが生きて帰ってきたこと、そして、またこうやって話ができることを、わたしたちは本当にうれしく思います」
リンネは、胸に右手を当て、しずかに頭を下げた。
フラメ夫人も同様に、右手を胸にあてていた。
「エッダ王、並びに、親衛隊の皆さま、そして、王国民の方々への哀悼を」
「フラメさまの厚き弔悼の意、心から感謝いたします」
「ありがとうございます。きっと、女神のもとで喜んでいる事でしょう」
「王ならば、女神ですらも口説きかねんな」
リンネとプラッツ公は、ふっと笑った。
そして、フラメ夫人は、おれに向き直り、
「リドの村の襲撃においても、多大なる犠牲が払われたとお聞きいたしました。続けては失礼かもしれませんが、謹んで、お悔やみ申し上げます」
その言葉は、おれの心の中にとても深く、深く、突き刺さった。
同じようにおれも胸に手をあてて、ありがとうございます、と返した。
プラッツ公が手を叩く。
「湿っぽい話はなしだ。なにせ、ここには生者しかいないのだからな」
彼は机を軽く小突いた。
「なにやらわたしたちに話があるようだが、それも、後でよかろう。良い肉を用意してあるから、それを食べてからでも遅くはない。そうだろう?」
「ええ、その通りですわ」
リンネは、目を輝かせながら返答した。
*
出されたイバー肉のステーキは、とにかく柔らかかった。
それでいて、口の中に放り込むと、あっという間に消えてしまう。
残るのは、肉の甘い脂と、うま味。
「これを他で食べようとするなら、そうだな……、今回のロスカシュへの依頼を三、四回は受けてもらわねばな」
「たっか」
リュウタロウは目と頬を丸くしながら言った。口元のソースの汚れを、テュールが拭き取った。
食事の時間は、こんなふうな話題が楽しく流れていった。
食堂、というと味気ないと思う。こういう屋敷の食堂は、確かダイニングルームだとか言った気がする。
そこで、長机を囲って、おれたちは食事に舌鼓を打っていた。
上座に、プラッツ公と夫人。おれとリンネは同じ側で、リンネはおれよりも前に、二人に近い方に座っている。おれの対面には、テュールが居て、その隣に、リュウタロウが座っていた。
話題に関しては、特に、リンネの昔話が多かった気がする。
というのも、十数年ほど前に、どうやらこのプラッツにて、リンネは剣を学んでいたそうだ。
その時に使っていたのが、あのゲストハウスだという。
懐かしむのも、舞踏会とやらと、その時の記憶があるからこそ、なのだろう。
ふと、リンネの方を向いてみる。
十数年前と言うと、リンネは一体いくつから剣を握って、振るっていたのだろう。
彼女は、おれとそこまで歳の差はないと思っていた。おそらく、実際もそんなに離れてはいないはずだ。
まさか、一桁の年齢から剣を学んでいたとは。
しかし、それならば、親衛隊に入隊できるほどの実力を持ち、そしてその隊長や、国王から、厚い信頼を得ていたのもうなずける。
ぼうっと、そんなことを考えていると、リンネがにっこりと、こちらに微笑み返した。
夫人は隠すように笑った。
「とんでもない才能を持った、それも女の子が、本当に立派になられました」
フラメ夫人はそう言いながら、リンネとおれを見た。
「そうだ、リンネくん」
「なんでしょう?」
「ついこの間知ったのだがな。キミの師匠は、まだこのプラッツに住んでいるようだ」
師匠。
リンネの、剣の師匠。
おれは、全身の血がわっと沸き立つのを感じた。
興奮だろうか、それとも敬愛から来る期待なのだろうか。どれともつかないような感情が、胸中に静かに火を灯った。
しかし、当の本人は、「あ」とも「え」とも言えない口の形をして、わずかに固まっていた。
「そうなのですか、まだ、この地に居るのですね」
「ああ。それに、本人から聞いた話なのだが」
そこで、プラッツ公は息継ぎをするように、一呼吸ぶん、間を置いた。
「アラム王国襲撃の、生き残りの者を保護しているというのだ」
「生き残り」
テュールが反応した。プラッツ公は思慮深く、頷いた。
「近くに居た者を保護したというらしい。キミたちなら、誰かわかるやもしれぬ」
「というと」訊いてみた。「その方も、記憶喪失ということでしょうか」
「いや、そこまでは聞き及んでいない。だが、できれば力になってやってほしい」
「顔を見せてあげると良いでしょう。きっと、喜びます」
「それならば、良いのですが」
リンネは、自信なさげに微笑む。いったいどうしたというのだ、らしくもない。
だが、これは良い流れだ、と思った。
おれは彼女のことをいったん保留にし、プラッツ公、と呼び止めた。
「なんだね?」
「その、顔見せなどの件にも関係するのですが」
おれはなぜか対面にいるテュールの顔を見た。援護を頼みたかったのかもしれない。
「われわれは今、制限入国許可を得て、ここにおります。当てずっぽうではありますが、おそらくは、ロスカシュへのご依頼も、ほとんど完了したご様子。ならば、われわれには、リンネの師匠に会うことはできないのです」
プラッツ公は、おれの言葉を聞いてくれている。ナイフとフォークを置いて。フラメ夫人も同様、おれの顔を見ながら、口元をぬぐっていた。
申し訳ない、という気持ちが、言葉を、口を逸らせそうになるが、ぐっとこらえる。
しっかりと伝えなければ、理解は得られないのだから。
「また、自分とリンネは、訳あって西大陸へと渡らねばならないのです。しかし、そのためにはポルトへ入らなければ、どうすることもできません。また、その、非常に不快な話ではあるのですが……」
「構わぬ」プラッツ公は、椅子の背もたれに深くもたれて、腕を組んだ。「聞かせてくれ」
「ありがとうございます」
<レッド・ホロウ>。
それは、大陸各地で<アセンシオン>と呼ばれる、人を人為的に魔物に堕とす儀式を行う集団。
もとはアラムの王族政権に反旗を掲げ、そして敗れた者たちの、残党が徒党を成したものと言われていた。
いつしか、その集団は、西大陸にある、おれたちの「果たすべき使命」、つまり、「魔神」と結託し、理由はいまだ不明だが、そのアセンシオンを、東大陸の各地で行うようになった、非常に危険な集団なのである。
その集団について、すくなくとも、モスナ公国のいくつかの領が支援を行っていたことが、以前のズーベ・ヘーア騒動で浮かび上がっていた。
「そのことについては、わがプラッツも把握している」
「ですが、安心してください。わたしたちは、かような危険な団体とは、全く関わりはございません」
「ありがとうございます。これで今夜は安心して眠ることができるでしょう」
おれは立ち上がって、二人に頭を下げた。
「それで、奴らと、キミたちとは、何の関係があるのかね?」
「端的に言えば、奴らを止めるために、自分とリンネは情報を集めながら、旅をしています。西大陸の隅に居座る、魔神を倒すために」
「ほう」
「ですが、先ほども申し上げました通り、ポルトへと行かねばならないのですが、われわれはそもそも、モスナ公国への入国許可は、制限付きであります。つまり、許可されていないのと同義です」
――そこで。
その次の言葉が、出るかどうかは、もはや運任せに近かった。
しかし、
「プラッツ公、フラメ夫人。あなたがたのご協力を頂けないでしょうか」
再び、頭を下げた。前に居る、リンネも立ち上がったのが分かった。
「なにとぞ、お二人のお力添えをお願いしたくございます」
「ふぅむ」
「その、わたしには何もできないのだけれど」
頭を上げてちょうだい、とフラメ夫人。おれたちは彼女を見た。
「どうして、あなたたちが、そんな危ないことをしなければならないのですか。一度ならず二度までも。リンネさん、あなたに関しては数えきれないほど、命の危機に晒されたはずです。どうして、まだ戦おうとするのですか」
他の誰かに任せればよいではないですか、という夫人の言葉に、リンネは強く首を横に振った。
「わたくしは、平和を得るべく、剣を持ち、剣を学びました」
おれの言葉なんかよりも、ずっと、ずっと芯のある声だった。それが何よりも頼もしく感じられた。
彼女は、おれを見て、そして夫人を見た。
「戦う理由は、それだけです」
――それこそが、わたくしの戦う理由なのです。
「そんな……」
唖然とするフラメ夫人が、助けを求めるように、プラッツ公へと顔を向けた。まるで出来の悪い子どもの、家出をしたいというわがままを、どうにか止めてくれと、そんなふうな光景だった。
だが、プラッツ公は、腕を組みながら、おれに言った。
「では、シシくん。キミの戦う理由は、なんだね?」
「自分の、戦う理由は」
それは、
おれが、ここに立っているからだ。
「呼人として、フリュークに立った。そして、自警団に所属し、死に物狂いで鍛え、そして、彼らと別れ、リンネと出会った。自分という存在が来たからこそ、今でもリドの村や、ズーベ・ヘーアは存続できていると考えられます。ならば、呼人としてやるべきことは、自然と、リンネと、ほとんど同じになります」
平和を取り戻すために、戦う。
それが、おれがこのフリュークに来た、理由。
「魔神」を倒す。
それが、おれがこのフリュークで果たす、使命。
だからこそ、強大な力を得られた。
これが、女神によってもたらされたかどうかは、定かではない。
そんなことは、どうだっていい。
女神がくれたか、それとも悪魔がくれたか。
どちらでもよい。
これは、おれの力なのだから。
使うのは、おれなのだから。
重要なのは、なにに使うか、だ。
そして、
使うべき相手は、分かっているのだ。
「では、具体的に、わたしたちに何を求める? 英雄よ」
プラッツ公は、不敵に笑った。ひげの合間から、白い歯がちらりと見えた。
「あなた……」
「わたしも剣を握ったことはある。だが、今ではキミたちの足元にも及ばぬだろう。そんなわたしに、なにをしてもらいたい?」
おれは頷いた。
「モスナ公国への入国、および、貴領プラッツでの滞在を、お許し願いたく存じます」
頭を下げる。
断られたのなら、潔く、別の手段を考えよう。
そう考えていると、
「あっはっはっはっはっは!!」
プラッツ公の高笑いが、ダイニングホールによく反響した。
おれたち二人は顔を見合わせ、フラメ夫人はその声量に肩を跳ねさせた。
「ちょ、ちょっと」
「いや、すまぬ。二人の決意を馬鹿にするつもりではない。あまりにもキミたちが真剣な顔をするから、すわ、まだ剣を持てるか、などと考えてしまった自分が、あまりにも愚かだと気づかされてな!!」
「は、はぁ」
彼は目元を手元にあるナプキンで拭うと、呼吸を整えるために水を一口。
そして、執事を呼びつけて耳を傾けさせ、何かを伝えた。
「ただちに」
「書斎の机の二番目だ、頼んだぞ」
執事はおれたちの横を、いそいそと通り過ぎていった。出来事の展開について、所在なさげにするおれたちに、プラッツ公はまあ座りたまえ、と言った。
「その程度のことなら、いくらでも協力しよう。一度ならぬ二度までも、キミたちは尋常ではない危機を乗り越えてきたのだ。若者の冒険を、老人が邪魔するわけにはいかぬ」
「では」
「ああ、許可しよう。キミたちの入国を」
「ありがとうござい゛ッッッッ!!?」
がつんと。
礼を言って、大きく頭を振りかぶるように下げたら、リンネの座っていた椅子の背もたれに、思いっきり額をぶつけた。
視界がくらくらする。
そしてまた、プラッツ公の高笑いが、室内によく響いていた。
この後は、何事もなかったかのように、食後のデザートに移った。キダラの乳を使ったスイーツは、「上品な甘さ」という言葉の意味を、おれに教えてくれた。
その感想を伝えているとき、執事はいつの間にか、プラッツ公の傍に戻っていた。
テュールとリュウタロウはどうするのか、と訊かれていたが、彼女たちは、ズーベ・ヘーアでの仕事があるため、依頼が終わり次第、町に戻ると言った。
「バブーシュカさんの、二人目のお弟子さんでしたか。その若さにして、あの技量、将来がとても楽しみです」
リュウタロウは照れたように頭を掻いた。
その後、プラッツ公のさらなる厚意によって、おれたち四人は屋敷に泊めてもらうことになった。
最初はそれぞれ部屋を当てられそうになったが、当然ながら部屋そのものも、平均的な宿とは比べ物にならないほど広く、一人の空間が開きすぎていた。
端的に言えば、寂しかった。ので、二人と二人、男女に分かれることにした。
とはいえ、リュウタロウは朝早くから動き、そして依頼もこなしたことで、疲労も相当に溜まっていたのだろう、すぐに寝付いてしまった。
おれは、未だにあの興奮がくすぶっているのか、なかなか寝ようとしなかった。




