2-2 夜のリド
検問所を出てから、再びキダラに乗り、ゆっくりと道を進んでいく。
この村には電気が通っている。村の検問所を抜けた後、真っ先に目にする噴水広場は綺麗にライトアップされているし、住居らしき建物は中に明かりが見える。
「電気が通っているんだね」
思わずそうつぶやく。
「魔力変換で電力を作っているんです。これはそのまま光らせてるんです」
ネロが、荷台の天井に着いているランプを指さして言う。ガラスの球体の中には光を発する何かが入っているが、それはろうそくやフィラメントではない。もやもやした何かが一定量の光を放ち続けている。少なくとも、この荷台を照らすには十分な光量だ。ガラスの球体の近くに手をやっても、熱を感じなかった。
「魔力って、どういうものなの?」
日記を綴るネロに問う、すると、日記をしまい、こっちに微笑んだ。
「まあ、詳しい話はおいおい。今日は頭も身体も休めましょう」
村の道路は小石等々が除かれた、キダラが走りやすいような整備がされている。また荷台の車輪にはゴムに似た物が付いているため、揺れは非常に少なかった。魔法がある世界は、科学の分野には疎いものである、そういう偏見がどこかにあったのか、どちらも高度に発達しているらしい雰囲気だけでも、驚かされてばかりだった。
手綱を握るネロの近くに座る。暗闇を走っているため、彼女は目線だけをこちらに向け、すぐに運転に戻った。
リドの村は、街道から北に向かって扇状に広がっている。大通りは三本あり、そのすべてが入り口前広場を始点としている。東西の外大通り二つ、中央大通り一つと言った具合で、それぞれの通りには売店や工場などがあるらしい。始点となる中央には大広場があり、村の機関部を担っている。つまり、役所や政の類の施設はそこに集約されている。
今、走っているのは東側のグレイン通りで、ここは言うならば職人通り、工場などが集まっている道で、ネロの家はその終端にある。この通りの終端は扇形の弧に当たる部分で、三つの通りが合流し、またそれぞれに分岐する。グレイン側には出口専用の、西のアイン通り側には入口専用の門がある。それぞれ街道に接続する道に出るらしい。その他にも、緊急避難用の出口がいくつか点在しているそうだ。
工場が集まる通りだからなのか、武具を持った人たちをよく見かけた。背丈ほどの大きな剣を背負った人や、軒先で盾を見繕っている人、またはそういった人たちが次々に吸い込まれていく宿屋などを通り過ぎていく。
しばらくして、キダラの走行速度が落ちる。並木のある坂道を抜け、整備されている道がカーブしていくところをそのまま直進すると、少しだけ土地が盛り上がっているところに、丸い家があった。
「到着です。キダラを小屋に置いてくるので、家の前で待っていてください」
押されるように荷台から降ろされる。
ふわりと心地の良い夜風が頬を撫でる。ここからはリドの村がどんな風に発展しているのか、よくわかる。ここは村から少しだけはずれていて、外に通じる門に近いところだ。外れている、とはいえここに一戸ぽつんとあるわけではない。お隣さんもある。両隣と表現していいのかわからないが、その二つは明かりがついていた。
村の明かりの上に、夜空を照らす月が浮かんでいる。温度を感じさせない青い月。その周囲には、うっすらとリングのようなものが見える。
「お待たせいたしました、どうぞ中へお入りください」小走りで戻ってきたネロがドアを開ける。その後ろ姿に、ぼくは罪悪感を覚える。
「…、やっぱり、ぼくは宿を取った方が」
「まだ言いますか」むぅ、と頬が膨らむ。「事情をお聞きになったはずでしょう?」
「なら、自警団員の人と一緒に寝泊まりすればいいと思うんだよ。何も君の家じゃなくても…」
「自警団はシシさんを信用していません。あなたの身体を解剖したり、良からぬことを企んでいるかもしれませんし」
「そんなことないって…」
「良いんです。ほら、さっさと上がってください」
腰を押されて入った玄関は、すぐ目の前は白い壁で、左巻きの緩い階段がある。壁、とは言ったが、ギリギリぼくの目の高さで平らに、つまり床になっている。1.5階と言うのだろうか。ネロが靴を脱ぎ、とたたと軽い足取りで階段を上っていく。
「早く上がってくださいな。あ、カギ、閉めてもらっていいですか」
すでに頭上に居る。手すりから身を乗り出して、それからガチャガチャと何かをし始める。ぼくはため息を吐いて、玄関の戸締りをした。靴を脱ぎ、靴底の土を落としてから、階段に踏み出した。
中は生活感のある内装だった。しかし、年頃の女の子がたった一人で過ごすには、いささか広すぎるだろう。外観は地面から半円が見えているようなものだったが、間取りは丸くても案外普通だった。ちょっとした階段を上ると、すぐにキッチンと居間があった。家具は必要最低限揃っているように見えるが、本棚が多い。ぎっしりと本が詰まったのがいくつもあって、タイトルをざっと眺めただけでも、剣術指南書や魔術指南書の他、必読論文集など、どれもむつかしいタイトルをしている。
居間には小さめの丸テーブルが絨毯の上に置かれていた。座布団のようなのが二つあり、テーブルの上には、ペンと紙が置いてあるほうの座布団の周囲には、本が乱雑に積まれていた。勉強をしていたようだ。しおりが挟まれている本を手に取る。タイトルは、「五科と三華」。何のことだかさっぱりわからない。
表紙のタイトルを指でなぞる。全く知らないはずなのに、既視感はある文字が、読めて当たり前であるという感覚で読める。だが、文字を一つ一つ形を確かめると、次の点の場所や綺麗な書き方がわからない。それでも、いつも読み書きしているかのように、読めてしまうことに違和感がない。ぼくは小さく頭を振った。考えるだけ無駄なのだろう、と。
テーブルから玄関を左として、右を見ると、明かりがついていないので暗いが、またも階段があった。少しだけ上ってみると、二階は寝室になっているようで、勝手に立ち入るのはまずいと思ったので、上るのはやめた。
キッチンとネロの後姿を通りすぎた先には、脱衣室と手洗い場、そして浴室があった。
「すみません、シシさん」浴室のドアに手を伸ばしたぼくの後ろから、声がかかる。「今から作るのも遅くなりそうなので、もしお身体の調子がよろしければ、食べに行きませんか?」
「家主に従うよ」
「ありがとうございます。すぐ近くに美味しい店がありますので」
ネロが何かを指さして頷く。見れば、装飾が施された時計が、等間隔で動いていた。時針は、分針と秒針とは別に分けられ、長針にだけ、十二をあらわす文字のさらに上に、十三の文字があった。