1-1 目的地へ
正夢を朧げに
手繰る手つきに
引っかかる蜘蛛
何の声も聞こえない朝方。
暑い日々はどこへやら。しんと冷え鎮まった、まだ明かりもついていない薄暗い町で、唯一動いているのは、一台の動力車だった。
宿の裏から回り、宿の前の通りに停車したそれを、おれたちは突っ立って眺めていた。
青いカラーで、横から見たら「凸」みたいな形をしている。四つのドア。分厚そうなゴムの付いた車輪も四つで、座席はハンドルの付いている席が一つと、その横に一つ。その後ろに、横に長い席が一つ。四人、あるいは後ろに座る人が小さければ五人はいけそうだ。
青いのはペンキか何かを塗っているんだろう。進行方向側のハンドルのある席のドア、つまりは運転席側のドアのとある一か所が、最近になってから新しく塗り替えられているように見えた。
そこから降りてきたのは、この町で世話になった宿の給仕、そしてリンネの知人であるテュールだった。
彼女は朝早いのにも関わらず、いつものように、はつらつとした表情をしていた。
反対に、おれの右隣に居る、その知人であるリンネは、頭がふらふらと動いていた。見れば、うなだれたり、頭を上げたりしている。毛先が黒く染まった金の前髪を透かして見るが、目が開いているのか開いていないのか、それも定かではない。ただ、特徴的な赤い瞳は見えなかった。
それもそのはず。出発前夜だと言うのに、延々と晩酌をしていたのだから。
「ささ、乗ってください。リュウくんは助手席で」
「ほーい」
「ダンナはお嬢を頼みます」
「わかった」
リュックサックを背負った黒髪の少年、リュウタロウが、そそくさと動いた。
後ろ側のドアのノブを引っ張って、今にも倒れそうなリンネをそこに押し込んで、ドアを閉める。まるで脱走癖のあるペットを、ケージに入れたみたいだ。反対側のドアに行って、おれもそのケージの中に身体を仕舞った。
中は外で見たよりも広く、足元は窮屈な感じはしなかった。シートも適度に柔らかく、車内も暖かいので、本格的にリンネは寝てしまった。せっせとシートベルトを着けていると、前から一台の動力車が町の中に入ってきて、そして住宅地へ走っていった。
「じゃ、行ってきます」
「お世話になりました」
「おう、気を付けてな」
「シートベルトをつけてくださいね」
宿の主人への挨拶を済ませると、車はゆっくりと動き始めた。
案外乗り心地は悪くない。街道ではないので、そこまで速度が出せていないのもあるかもしれないが、揺れが少ない。
キダラ車よりも安全に、屋根に乗ることが出来そうだなあ、などと考えてしまった。
すっかり、この世界の考え方にもなじんでしまったようだ。
いや、これはこちらでもおかしな発想だろう。だが、護衛の際は、そうすることもあるかもしれない。
するすると、町から伸びる道を車が走っていく。視界の中の木の密度が高くなってきたから、おそらくもうすぐで街道に接続するころだ。
大きな道に出た。テュールは車の速度を少しだけ落とし、左方向を凝視しながら、道の中に入っていった。ぶぅん、という低音たっぷりに唸って、車はみるみるうちに速くなっていく。キダラの全速よりも速く。
シートに押し付けられるような感覚がおさまったので、少し窓の外を覗いてみた。
動力車の道路は、キダラ車の主要道路よりも外側に作られている。そのため、道端の木々に近いのだが、速度が出ているせいで、太い幹が全て斜めになっているように見える。
結構な速度だから、飛ばしているのかと思いきや、後ろからもっと速い動力車が追い抜いていった。形がより流線形になったタイプで、四人ではなく二人乗りみたいだ。
この分には、二時間ほどで到着するだろう。キダラなら五時間、六時間はかけて走るのだから、かなり速いのは確かだ。
キダラ用の道路は相変わらずの、そこそこの交通量である。貨物を引いたキダラたちが、隊列を成して走っていく。
それに対し、こちらのレーンはガラガラだ。前を見てみると、ずっと置くまで道路が続いているのが見える。
しかしながら、東大陸では動力車はさほど普及していないと思っていたのだが、追い越された車両のカウントがあっているならば、もうすぐ十台になる。
思っていた以上に、こちらでも動力車は使われているようだ。
「どうっスか、ダンナ」
顔を前に向けると、テュールが、運転席の上にある鏡から、こちらを見ていた。
「今なら窓を開けても大丈夫っスよ。もうすぐトンネルですけど」
「トンネル?」
「アラム王国へ行く道路と、モスナに行く道路が交差するんだよ」助手席にいるリュウタロウが振り返る。「モスナ側が下に行って、上をアラム王国へが通っているんだ」
「なるほど」
たしか、ズーベ・ヘーアへ向かうときにも通った道路のはずなのだが、それを見た記憶がない。
あのときとは、また状況が色々変わったように思える。
窓枠に置いていた自分の左腕を眺めた。
空は赤くなっている。朝焼けだ。
これからだんだんと太陽は昇っていく。それに伴って、気温も高くなっていくだろう。
変わっていないのは、おれだけだ。
何もかもが変わっていく。
変わらなければ、と思っても、そこを取り替えてしまえば、残るのは、おれじゃなくなっている気がしてならない。
だから、なにもしないのか。
だけど、そんなことはできない。
「気持ち悪くなったりしてないっスか?」
急に押し黙ってしまったせいで、余計な迷惑を掛けてしまったようだ。
おれは笑って返した。
「大丈夫。むしろ、今はいい気分だよ」
「そうっスか?」
「乗り物酔いには強い方だから」
急に下り坂になる。すると、車が、地面の中に潜り始めた。風景が変わっていく。妙な景色だ。
トンネルの中は、緩いカーブになっていた。黄色いライトが一定間隔で暗い車内を横切っていく。
右に身体が引っ張られる。左へカーブしているのだろう。
「お嬢は、寝てるっスか?」
右を見てみる。
二本の剣の鞘を抱きしめて、頭を向こう側へ向けていた。暗くてよく見えないが、時々あたる黄色い光線で、一瞬だけ彼女の頬が照らされていた。
「寝てる、と思う」
「昨夜、酒を勧めすぎてしまったっスね」
テュールは左手で頭を掻いた。
そんなことはないと、おれは言った。
飲みすぎたのは本人のせいなのだから、と。
「おれも、止めたんだけどね」
「いやあ、ウチが、もう少し強めに止めておくべきでした」
たはは~、と笑った。
「珍しいよね」
「なにがっスか?」
「いや、リンネが、翌日まで潰れるくらい飲むなんて、ってさ」
「そんなでもないっスよ」
「そうなの?」
カーブが終わる。
トンネルはまだ終わらない。
「イヤなことがあった日は、結構飲むっス」
「ヤケ酒ってやつ?」リュウタロウが言った。「身体に悪いよ」
「ヤケって言うんスかね、分からないけど」
「飲みたい気分だったのよ」
走行音が車内に響く中だから、声を張っていたテュールが、そこで口を閉じた。
つぶやくような声量であっても、それは確かに聞こえたのだ。
「え?」
右を見ると、彼女の瞼は開かれていて、瞳がおれをじっと見つめていた。
おれとの目線がぶつかると、彼女は再び瞼を閉じ、小さくよいしょと言って、頭を起こした。
なんと声を掛けるべきか、少し迷った。こういう時は、挨拶が定石だろうか。
「おはよう。水、要る?」
「おはようございます、頂きます」
おれは水筒をバッグから取り出して、リンネに手渡した。
彼女が飲み終えるまで、車内に変な空気が漂っていた。トンネルの中が、湿っているせいだろう。
「テュール、変な事を言わないで頂戴」
「えへへ、すみません」
また後ろ頭を掻いていた。今度は照れ臭そうだった。
「大丈夫ですか?」
「なにが?」
「二日酔いですよ。だからいままで潰れていたんじゃ」
「違うわ、ただの寝不足よ」
「さいですか」
「ちょっと眠れなかっただけよ」
その割には、部屋に戻ってから即座にベッドに横たわっていびきをかいていたような、記憶が、あったり、なかったり。
そんなことを言うと、怒られるかもしれなかったので、黙っていた。
車体が斜めになった。後方に身体が寄せられる。
トンネルが終わって、周囲が明るくなる。
「長いトンネルだった」
「あそこは複雑に交差しているから、仕方ないよ」
「そのせいで、詰まるとすぐに混むんスよね」
すぐに細やかな分岐に繋がっていく。
外側に通っていたはずの、動力車用道路は、いつの間にか内側になっていた。キダラ車が、外を走っている。
昔、自警団の頃に、叩き込まれた東大陸の地図を、ぼんやりと思い出す。
この辺りは、リドの村と同じく、アラム王国と連携した村々が点在しているはずだ。そこに繋がっているのだろう。
「動力車が増えたら、ここのあたりもきっちり整備されないと困るね」
「そうっスねぇ」
「動力車用の道は、上に作ってしまえばよいのです」
リンネは天井を、人差し指で示す。
「それなら、キダラ車への影響を考えなくても済みます」
「できるの?」
「今、それをできているのは、ケレンズルぐらいだと思うよ」
リュウタロウが言った。
ケレンズルとは、アラム王国があった大陸を東とし、ガリウス帝国がある、おれたちが向かう先の大陸を西とする、その中間にある国の名前だ。
国、というより、どこにも属さない都市、ということになっている。永遠に中立な場所。だから、自由都市というのが、頭についている。
ポルトから船で行くにしても、一度そこを経由することになる。
そのため、観光ギルドのパンフレットで軽く調べてみたことがあるのだが。
キャッチ・コピーは、「夢が全て叶う都市」。
思わず口に出して読んでしまって、はっと口を押さえたものだ。
目玉として載せられているのが、おれがまだ入ることができない施設ばかりだった。
賭場や、女性がキワドい恰好をしているような写真がずらり。どのページを捲ってもそんな風だった。
まあ、つまり、そういう場所である。
そんなことを思い出しているだけで、頬が赤くなってきてしまう。ごまかすために、窓の外に顔を向けた。
「ケレンズル。懐かしいっスねぇ」
「ええ、本当に」
「行ったこと、あるの?」
思わず訊いてしまった。すこし食い気味であったからか、リンネは口をほころばせていた。
「お忍びっス。悪い人を懲らしめに、身分を偽装して」
「テュール、機密作戦なんだから喋らない」
「あ、すみません」
「なんか、親衛隊って、潔白の人らってイメージだったんだけど。今のでだいぶ怪しくなった」
「というか、それ、親衛隊としての任務を大きく外れてない?」
リュウタロウが座席から身を乗り出すように、こちらに寄ってきた。
「ええ、親衛隊というのは名ばかりの、王直属の特殊部隊でしたから」
「じゃあ、やっぱり……」
「それ以上はいけないっスよ、リュウくん。消されるっス」
「こら、テュール」
「うひー」
気の抜けた声を出しながら、リュウタロウは頭を引っ込めた。
「プラッツには行ったこと……、あるんだっけ」
「ええ、八年ほど前に」後ろ髪をなびかせた。「良い場所ですわよ。空気も、水も、食べ物も美味しい。良い人が多いところです」
「有名なイバー肉があるんスよ。食べてみると良いっス」
どちらかと言えば、ロスカシュの店主であり、リュウタロウの保護者たるバブーシュカとの会話の中に出てきた、舞踏会事件とやらの詳細を聞いてみたかった。
今は、リンネはそんな気分ではない様子だから、訊くのはやめた。
「円形の、町」
「丸い町だよ」
前の席から、リュウタロウが、目だけをこちらに見せていた。
「まだちょっと早いかもだけど、一応。にいちゃんとねえちゃんは、おれたち二人の護衛ってことで、話を通しておいて」
「わかった」
「テュール姉は、見たまんま、運転手で」
「了解っス」
この会話のあと、しばらくは沈黙が続いた。
その中で、再び寝息が聞こえてきた。
見れば、また、リンネが瞼を閉じていた。
そこから視線を戻すとき、後方確認用の鏡で、テュールと目があった。彼女も、リンネを見ていたようだ。
おれと目があって、少しだけ微笑んだようだった。だが、先ほどの彼女の表情は、すこしだけ心配の色を帯びているように見えた。
同じ懸念を、彼女も抱いているのだろう。近しいものにしかわからない、機微。
何が原因かは、おれには分からない。リュウタロウの言っていたヤケ酒が、一番近いのかもしれない。
昨日中の、リンネの、空振り感と表すべきか。
心ここにあらず、上の空。
それでいて、昨夜の飲み方である。
景気づけだと言っていた。
そんなことをするような人だっただろうか。
ちょっとした違和感が、今のアイコンタクトで、ほとんど確信に変わっていた。
しかし、やはり、理由は分からない。
おれよりも付き合いの長いテュールも、苦い笑みを浮かべていた。
――イヤなことが、あったのだろう。
でも、その日は、おれとリンネは、宿からほとんど出なかった。日用品の買い足しくらいしかしていなかった。
何かあるとすれば、悪夢を見たとか。
そういえば、おれも夢を見た気がする。
どんな夢だったかは、覚えていない。
夢なんてそんなものだ。覚えている方が珍しい。
忘れるほど、印象に残っていないのだから。
だが、そのことを思い出した、今この時から、
胸の中に、吐き出せない毛玉のようなものがつっかえるような違和感を覚えた。
気づけば、おれも少しだけ、眠ってしまっていたようで、ふっと意識が戻ってくる感覚があった。
頭を上げる。
「おはようございます」
「もう着いたの?」
「もうすぐ検問所だよ」
車は速度を落としていた。
前を見てみると、国旗が掲げられているポールが目に入った。そこから下へ視線をずらすと、入国検問所があった。数少ない東大陸の動力車が、そこに数台、列を形成していた。
と言っても、入国と出国で一車線ずつなので、そんなに大きくはない。こぢんまりとしている。
前の車が進んでいく。すると、おれたちの車の前に、人が立った。間を置かず、大きな棒が、前の男性の背後に降りてくる。あれはシャッターだ。
ドアがノックされた。窓を下げる。
「入国許可証などはお持ちですか」
男性の声がした。
「許可証は、これですか?」
リュウタロウが封筒から紙を取り出し、それを窓の外の人に手渡した。
席に影が落ちる。見ると、ドアを隔てた先に、鎧を着て銃を手にしている人が立っていた。
鎧、と言っても、甲冑とか、そういう古臭いものではなかった。あくまで、胴体や、手足の要所要所を防護するためのもののようだ。
動くたびに重たそうな音が聞こえてきたから、鎧のように見えたのだろう。色味も、暗い緑に近い。
胴体を見ると、その防護プレートに、黄色い文様があった。モスナ公国のものではないようだ。
シンボルは、花のような形をしている。そこにたすきでも掛けるように、左上から、斜めにラインが走っている。
再びドアがノックされた。おれは目線を外した。
「失礼ですが、ロスカシュの方はどなたでしょうか」
「ぼくです」とリュウタロウが手を挙げる。「リュウタロウです」
「あ、はあ」
男性は面食らったようで、歯切れが悪い返事をした。
「では、同乗者の方は?」
「護衛の人です」
「そうですか……」
と言って、声の主は、車の前面を通って行って、右側にある、検問所の建物の中へと入っていった。
妙な空気が流れている。なんだか落ち着かない。
隣を見てみると、澄ました顔で、姿勢よく座っていた。まるで、精神統一をしているかのような、佇まいだった。
どこを見ていればいいのかわからない。すぐ近くに、銃を見せている人たちがいる。何かをじっと見つめていても、やたらときょろきょろとしていても、どう振舞っても挙動不審になってしまう。
そんな時間が、実時間で二分もなかった。体感時間は十分に近かった。
ドアが開かれ、紙を持った男性が現れた。リュウタロウが渡したものと、別の物を何枚か持っていた。
「制限入国許可証です。観光などはできませんので、ご注意を。用件が済み次第、速やかに出国してください。期限は二日です。延長する場合は申し出をお願いします。詳しいことをは、そこの紙をお読みください」
車の前に立っていた人を退かせると、腕を広げた。
静かに、車は走り出した。
思わず、おれはため息を吐いた。隣がくすくすと笑ったのが聞こえた。
検問所から、少し走ると、またトンネルになっていた。山を貫いているようだ。これが町を守る壁のような役割をしているのだろう。
おれたちを乗せた動力車は、暗い筒の中を走っていく。




