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戦姫、ブリュンヒルデに捧ぐ  作者: 野之 乃山
三章 ズーベ・ヘーア
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7-2 異変の迷宮

 時折轟く炸裂音と冷たい風を背中に感じつつ、おれたちは迷宮入り口前に立った。


「シシ、リンネ」


 そこで、バレスら三人と合流し、現在の状況を聞いた。


 ギルドは制限区画、とりわけ、プレーティヒからマブライ区画に進入した魔物の掃討に大部分の人員を割かれ、制限区画外やレボともう一つの区画には有志が担当している状態だ。何の因果か、強力な個体はプレーティヒに集結したがるらしく、Sランク級が何組か居るものの、苦戦を強いられているらしい。


 だが、全ての防衛を諦めることはできないギルドは、バレスらをここ、迷宮前に配置した。だから、彼らはここに居るのだ。


 ソノアが言うには、迷宮の異変に関しては、現状は魔物の再度の侵入の兆候はなく、安定しているそうだが、迷宮に立ち入ることが出来なくなっているようだ。


「して、キミたちはどうしてここに?」

「巨人の後を追って。おそらく、迷宮内に隠れたのではないかと」

「あの巨人が、迷宮に? どうやって」


 ボランが頭頂部を掻きながら言う。

「でも、確かにわたしも見たわ」

「見たって?」

「こーんな巨人が、山に呑み込まれていったのよ」


 両手を広げて、ソノアがその大きさを表す。


「だけどよ、そんなデカいのが迷宮の中に入れるもんかね」

「迷宮ならあり得るだろう」バレスが言う。「だが、どちらにせよ、我々にはお手上げなのだ」


 頭を抱えたり、ため息を吐いたりしている。


「巨人の方は、おれたちが何とかします。お三方には、引き続き入口警備をお願いします」

「それもどうかと思うけど、そうじゃないの」

「では、なにかあるのでしょうか?」

「それは、見てもらえばわかるだろう。ボラン、ソノア、頼んだ」


 ボランが手招きをする。


 悪趣味な鉄のゲートは、溶けた飴細工のように捻じ曲げられ、悪趣味な彫刻は、跡形もなく吹き飛んでいた。そして、守衛室らしき残骸と、数人の血の痕が点々と残されていた。


 入口近くの下り坂には、何か重たいものを引きずった痕跡があった。幅は広めで、ヒト三人分ほどのものだ。本当にヒトが引きずられて出来た痕ではなさそうだ。


 プレーティヒに集まったと言われている強力な個体の中に、おそらくオーガ種あたりが混ざっているのだろう。あいつらは太い棍棒を、凝固した瞬間から持っている。迷宮から生じたとなると、今からそこに向かうのだから、それなりに覚悟しなければならない。


 おれたちは入口間近に立った。相変わらず、真っ暗なカーテンが閉じられているように、数センチ先も見通せない真っ暗闇な空間がある。


 ボランが少し下がって、石をそこに投げ入れた瞬間、石は空中で静止し、すこしして地面に垂直に落下した。

 その石を、おれは拾った。ただの石だ、不可視の障壁にぶつかったことで、性質が変化することは無かった。


「こんな感じだ。なんか、壁に掛けられている布団にぶつかったみたいだな」

「どう?」ソノアはおれに訊いた。「見た限り、防護壁バリアっぽいんだけど」

「ええ、言う通り、防護壁ですね」


――まるで、魔物だ。


 おれは心の中でつぶやいた。


 薄い防護壁が、入口どころか、迷宮全てを覆っている。今までそのことを気にしていなかったのは、それをこの場所には展開していなかったからか。“入口”がここ以外にないのも、それ以外の場所には防護壁があったのが理由なのだろう。


 ならば、ここに防護壁を張るというと言うのは……。

 おれはリンネに向かって言った。


能力付与魔術エルヒューレンを掛けるから、それでこれを一刀両断できる?」

「承りましたわ」


 と言って、おれに宝珠のない剣を渡した。


 おれは、右手に力を込めた。すると、手のひらに淡い光が漂い始める。


 光は薄い靄のようなものになり、風に流されて、リンネの持つ剣に纏わりつく。刀身全てを包むと、剣がそれを吸い込み、そしてまた、淡く光った。


 水滴を振り払うように横に振ってから、彼女は右手で持つそれを、両手で保持し、高く掲げた。邪魔になる、というよりも、巻き添えを食うかもしれないので、おれたち三人はじりじりと後ずさった。


 それは、落雷のような、振り下ろしの一太刀だった。

 ガラスが割れるのに似た音がして、透明な膜が崩れていった。


「構えるほど、分厚いものではありませんでしたわね」


 軽い感じにそう言った。


「なあ、ソノア、シシ。おれァ魔法には詳しくないからアレなんだが、防護壁って斬れるものなのか?」


 なぜかボランは囁くように言う。それにつられて、おれとソノアも小さい声で言った。


「斬れないことはないけど……」

「そもそも、こんな大規模なものは、おれは見たことがない」

「あなただって、やろうと思えばできますのよ」


 持たされた剣を渡す。

 おれは足元の石を手に取り、入口に投げてみた。今度は何も起こらず、石は闇の中に消えていった。


「じゃあ、行ってきます」


 ボランとソノアは頷く。


「頑張って」

「ちゃんと、帰って来いよ」


 拳と拳を当てて、おれたちは暗闇の世界に足を踏み入れた。

 相変わらず、迷宮に入った瞬間は、すぐ目の前にいるリンネの背中すら見えづらい。左右の幅も、天井も、無限大に広がっているように感じる。


 実際、そうかもしれない。巨人が飲み込まれたのだから。

 そのせいか、内部に着くまでの時間も、やたら長く感じられる。

 光が、先に見え始める。

 そよ風が、頬を撫でて――。


「!! 気を付けて!!」


 気が付けば、崖際に立っていた。首元を引かれたのと、思わず腰が引けてしりもちをつく。


 入口から辿り着いたのは、吹き抜けの空間だった。四つん這いになって、おそるおそる底を覗いてみたが、明かりとしてのろうそくとカンテラが、ぽつぽつと光っているだけで、底らしいものは全く見えなかった。


 天井はすぐ近くにあり、右手から、壁に沿って、らせん状に階段がある。もちろん、手すりなんて何もない。壁からせり出している階段っぽい、薄い板状の段差がある、と言ったようなものだ。


 それが、おそらく底まで続いているんだろう。途中から見えなくなっているから、どれだけ底が深いのかすらも分からない。


「階段、長そうだね」

「ご丁寧に下るおつもりで?」

「え」


 そう言って、リンネは何食わぬ顔でそのまま、

 一歩を踏み出して、落ちていった。

 おれは驚く間もなく、慌てて後を追った。

 世界がどんどん加速していく。

 風を切る音が耳元で響く。


「せめて息は合わせようよ!!」


 なんとか、先に落ちていくリンネの傍に寄り、大声で叫んだ。彼女は楽しそうに笑っていた。

 それだけのことをする余裕があるほど、この縦穴は下へと続いている。

 もう数十秒ほど落ちている気さえする。


「どうやって着地する気なの⁉」

「シシ、頼みましたわよ!!」


 彼女はそういうと、おれを抱き寄せた。


――ノープランかよ⁉


 という突っ込みをすることもできない。

 目の前に底らしき、淡く光る文様が浮かんでいる場所が見えてきた。


 おれは、とにかく全力で、地面に向けて風魔法を放った。


 即座に、下方向へ、つまり落ちていく方向へ、暴風が吹き荒れる。


 なにかの儀式の痕跡のような、小物が、すべて壁に叩きつけられる。燭台や金物は、倒れたり割れたりした音が聞こえてきた。


 体勢を整える。頭を上にして、地面に足を付けた。


 ズン、とした衝撃が腹に来る。


 高所から着地したときは、前転して衝撃を受けながせ、とかなんとかを、教官に言われた気がする。その理由が分かった。たたまれた膝頭が、胸を打つからだ。


 リンネを下ろしてから、少し息をついてから、立ち上がる。


 天井を仰ぐ。すぐ下まで降りてきていた。首を回して後ろを見てみると、そこはただの壁だった。


 階段は、時間稼ぎに過ぎなかったわけだ。

 リンネは背伸びして、アトラクションを終えた子どものような表情をしていた。


「前に、ヒトを浮かせるのは厳しいと仰っていましたが、案外どうにかなるものなのですね」

「宝珠のお陰だよ、たぶん」


 背筋を伸ばして、槍を構えた。宝珠が、どこからかの光を反射して煌めく。


 とんでもない量の魔力を消費したような気持ちだが、実際はまだまだ、九割以上の余裕がある。


 本当に宝珠のお陰なのかは不明だが、つくづく、万能なアイテムだと思った。


 さて、と。目の間にある、暗い通路を見る。

 騒ぎを聞きつけた魔物たちが、群れを成し、こちらに押し寄せてきているのが見えた。


「さあ、駆け抜けますわよ」

「任せた」


      *


 通路はずっと、一本道だった。


 途中で曲がったり下ったりしたものの、分かれ道などはなく、ひしめく魔物たちを吹っ飛ばしながら進んでいった。


 通路の様子は、まるで照明の落ちたラボのようだった。用途の分からない機械が取り付けられた壁や、硬い金属の床。言うなれば、施設全体が魔物に侵され、しばらく経っている、そんな感じだ。

おそらく、上層から下層まで、あの時に一気に落ちたということだろう。


 ただ、魔物の雰囲気が少し異様であった。迷宮が異常なのだから、そこから生じる魔物ならさもありなんと言うわけだが、そうではない。


 魔物に感情があると仮定するならば、おれたちが遭遇してきた彼らは、何かに怯えていた。


 自らを捕食せんとする、別種から脅かされてきたかのように。

 単純に考えれば、巨人に怯えて逃げてきた、となる。

 だが、本当にそれだけだろうか。

 おれの疑問には、リンネは口を出さなかった。


「わたくしは、モンスターの生態に関しては素人も良いところですので」

「でも、怯えているのは、分かったよね」

「そうですわね。あれほど、()()()()()()()()()()()()は初めて見ました」


 魔物というのは、おなじ種であれば集団を形成して動く。複数の異なる種が集団を成す場合、その集団にはほぼ必ず、それらを取りまとめるリーダ格が居る。たいていの場合、リーダ格に収まるのは、知能を有する上位種だ。


 そう、リドの村を襲った、ギガンテスのように。そこから、彼らの中にも、カリスマ性と言う概念を重視する考えはあるらしいことが伺える。

 上位種が存在すれば、基本的には、彼らはそれに従う。まれに反逆や逃亡を図る個体も居るが、確率では万が一にも満たない。魔物と言うのは、存外社会性のある生物だ。


 だから、魔物がなにか怯えて逃げてくる、と言うのは、異常な現象なのだ。


 知能を持つのであれば、逃げる選択肢がある。持たない種の場合、相手がどんなものであろうと、攻撃するか、従うか、そのどちらかだ。逃げるという選択肢はない。


「つまり、この先に居るのは、魔物ではない可能性がある、と?」

「あり得る」彼女の言葉に頷く。「だけど、もしそうなら、この先に居るのは一体何なのか、全く予測できない」


「それでも、わたくしたちのやる事は、変わりません。騒ぎを起こしている者が居るのなら、それを倒すまで」


 おれは進む足を止めた。


「倒すって、どんな奴が居るのかわからないのに?」

「どんな相手であろうと、わたくしたちは打ち克たなければならないのですよ」

「それは分かっている。だけど、何か作戦でもあるの?」

「ええ、策はあります」


――まさか。


 おれは眉をひそめた。


「まさかとは思うけど」

「シシ」


 リンネは少し前で止まり、そして振り返った。


 おれは、彼女が言わんとすることを察して、顔を反らした。リンネは、おれの所まで戻ってきて、そして、おれの右胸に人差し指を当てた。


「わたくしは、切り札を使わずに死ぬつもりはありません」

「その切り札が、キミを蝕むかもしれないのに?」


 ぐっと、右胸に刺さる指の力が強くなる。


「死ぬより、マシでしょう?」


 氷よりも冷たい彼女の言葉がおれの耳を突き刺したとき、ちかちかと明滅していたカンテラが、その明かりを消した。


 続いてろうそくが、どこからか吹いた風で掻き消されてしまった。


 通路に放置されている、ラボの機械がわずかに放つ光だけが、真っ暗闇の中でぼんやり浮いている。


 そんな暗闇が数秒だけ続き、すぐに明かりは点灯した。あまりにも眩しくて、目を手で覆った。


 急激な明暗転を繰り返したので、目が慣れるのにわずかに時間がかかった。


 そのとき、おれたちはすでに、ラボのような通路には居なかった。


 代わりに、目の前に人影があった。


 忘れることはないだろう。

 やせこけた頬、後ろに倒された髪、そして目の下にあるくま。


 細い線の身体は、しばらくぶりに見たことで余計に細く見え、さらに、肌の血色の悪さが目立っていた。


 元ズーベ・ヘーア町長、カザンという男が、血が溢れ出ている右腕を抑えながら、おれたちの目の前に立っていた。


 だが、彼はすでにボロボロで、地面に落ちた枯れ木の枝のような状態だった。


「あらあら」


 リンネはおれから離れ、バシャバシャと水音を立てながら彼に近づいた。


 はっと我に返り、周囲を見た。


 広い場所だ。球状のドームのような天井で、頂点から凄まじく巨大な水晶がぶら下がっている。


 足元には、どこから湧いてきているのかわからない水が、足首より少し下まで満たしている。


 カザンはおれたちの姿を認識していなかった。そして、おれたちがここに来ることも予想外だったようで、顔を上げて、おれたちの顔を見てから、歯を食いしばり、睨みつけてきた。


「きさ……、まら……!!」


 彼は顔を赤らめて、何かを叫ぼうとしたが、ごほごほとせき込んだ。赤い液体が足元にこぼれ、薄まりながら広がっていった。

 リンネはそんな様子のカザンを愉快そうに見つめる。


「どうしたのでしょう、あなたは、儀式アセンシオンを完成させ、仲間入りを果たしたのではなかったのですか?」

「ああ、そうだ。わたしは、完璧だった。もうすぐ、終わるのだ」


 吹き出すように笑う。膝下はおぼつかなく、まっすぐ歩くことはおろか、背筋を伸ばして立つこともできないのに、彼はずっと笑っている。先ほどまでの、鬼気迫る表情とは打って変わって、何かを打開する策を見いだせたかのようだ。


 ゾンビのように、不規則に歩く彼は、すっと、腕を持ち上げる。ひどく欠損した手には、人差し指しか残っていなかった。それを、おれに向けた。


「おまえを食えば……、わたしは完成する――!!」


 リンネの双剣が、カザンが何かを言い終える前に、彼の身体を斬った。

 左肩から右腰に掛けて切断され、一瞬、当惑の表情を見せたが、しかし、すぐに、彼は笑みを取り戻した。


 「中身」が零れ落ち、水を汚す。

 それでも、彼は、止まらない。


 バシャッッ!! と、彼の身体がはじけ飛ぶ。残っていたわずかな血が、おれの頬に飛んできた。リンネもおれも、何もしていない。これは、彼がやったことだ。


 見ると、彼のいた空間に、コアが浮かんでいた。赤黒い、見るだけでも邪悪な力が込められていると分かるような、威圧感を放っていた。


 それが、水面に落ちると、即座に水が泡立ち、そして女神像が地面から生えてきた。


――いや、違う。


 女性の像ではあるが、これは、女神アイドゥンを象ったものではない。

 おれがはっと、そのことに気づいた瞬間、地揺れが起きた。水面が波打ち、何かが近づいてくる気配がした。


――おまえを、喰らえば。


 頭の中に、声が響いた。


――『祝福』が、『理論』が。


 地揺れが酷くなる。立っていることすらできなくなり、膝をついた。


――『循環理論わたし』が、完成するのだ!!


 そして、と。頭の中の声は続ける。


――あの人の、祝福をォォォ。


 目の前の女神像が、粉々に砕け散った。

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