7-1 危機
夢をみたが、内容を思い出せない。夢なんてそんなものだと思うが、どうしても、思い出そうとしてしまう。
だが、見えてくるのは、一面の赤色。原色の赤色ペンキで塗りつぶしたかのような、目に良くない光景だ。それが壁なのか、それともその空間の背景なのか。それもわからない。ただ、赤い色だけが思い出せる。
音はほとんど覚えていない。眼前に迫るような、ただただ赤い空間に、おれは居た。
嫌な映像だった。そんな、漠然としたことしかわからないが、目を覚ましたときの感情としては、最悪だった。
寝汗が凄く、喉がカラカラに乾いていた。隣を起こさないように、静かにベッドから出て、洗面所へ向かい、顔を洗って歯磨きと短い髪を整えた。できればシャワーを浴びたかったが、音で起こしてしまうかもしれなかったので、やめた。
太陽はすでに上り、じりじりと地面を照り付けている。暑い季節ももうすぐ終わるはずなのに、今年はまだまだ暑い日は続きそうだ。
寝間着から着替え、一階に降りる。食堂はまもなく営業するようで、扉は閉められているが、中から食器や調理器具の音が聞こえてくる。
外に出てみると、通りには人の姿が若干あった。道路は、住宅街にある商店へ荷物を運ぶキダラや動力車などが行き交っている。人よりも、車両の交通量が多いみたいだ。
そういう人に向けて、コーヒーや軽食を売る屋台は朝早くからやっている。そこでコーヒーを買って、しばらく何も考えずにぼうっとしていた。
それこそ、自分が頼んだのがアイスコーヒーなのかホットコーヒーなのか、ブラックなのか何かトッピングしてもらったのか、それすらもあやふやだった。ただ、後味と香りの良さは覚えている。苦くなかったので、おそらくミルクか何かを入れてもらったのだろう。
気付けば飲み終えていた。カップを捨てて、朝食を摂ろうと、宿のドアに手を伸ばしたとき、
「!!?」
ゴゴゴゴゴ!!!!!! という轟音が、朝のズーベ・ヘーアを殴りつけた。
同時に、まっすぐ立っていられないほどの地揺れが起きた。
反射的に宿から離れたところでしゃがんだ。上からモノが降ってくることを、思考を巡らせるまでもなく想定した。
揺れそのものは、一秒も続かず、すぐに収まった。宿の中に入ると、ロビーでは花瓶などがいくつか割れて、床に散らばっていた。主人がちりとりと箒を手に、それらを片付けていた。
「無事かね」
「ええ、ちょうど、ドアを開けようとしたところでした」
彼は頷くと、そのまま黙々と掃除を始めた。
すると、食堂の扉が開いて、エプロンを付けていないテュールが、慌てた様子で出てきた。
「ああ、ダンナ!! 今のはなんなんスか⁉」
「わからない。この辺りは地揺れが多いのでしょうか」
「昔は毎週のように揺れていたがな、今は全くだ」
割れた花瓶の欠片を集めながら、主人は言う。
だが、と、彼は顔を上げた。
「これはそういうものじゃない。爆発の衝撃みたいだ」
「たしかに」
割れた花瓶が入ったちりとりを、紙袋の中に突っ込みながら、主人はテュールに向いた。
「うちは避難施設にもなる。テュール、頼んだぞ」
「りょ、了解です」
再び、爆轟音。
窓ガラスがびりびりと、音を立て振動する。
人々の悲鳴が、聞こえ始める。
おれは走り出し、階段を駆け上がった。
階段を上っている途中でも、何回か爆音が響き、そして地揺れも起きた。危うく、足を踏み外してしまうところだったが、なんとか耐えた。
三階に辿り着いたとき、リンネが双剣を腰に提げて部屋の前に居た。その場にしゃがみ、靴ひもを結んでいた。
呼吸を整え切れておらず、声もかけられないおれに、彼女は結び終えてから、顔を上げ、槍を投げ渡した。
「山の方で煙が上がっております。避難誘導を手伝いましょう」
「わかった」
階段を下ると、他の宿泊客たちが部屋から出て、一階に集まっていた。主人は、一番安全なのは食堂だから、とりあえず食堂に居てほしい、と、集まっている宿泊客たちに言っていた。
何人かはフトラク、もしくはラビンズだったので、自分で身の安全を守れる人には、手伝ってもらうことにした。
押し込むように宿泊客を中へ入れていくとき、主人はおれたちに言った。
「お二人さん、怪我はしないようにな」
二人して頷き、彼を通り過ぎて、ロビーに行った。
外は騒然としており、どこかで爆発音が鳴っているのが聞こえてきていた。扉を開けて広場に出ると、キダラ車が車線を無視して、一目散にズーベ・ヘーアの町から逃げていた。
人の流れやキダラを避けながら、なんとかギルド方面へ迎える通りに入ると、
「シシ、リンネ!!」
と呼び止められた。バレスたち三人が、目の前からやってきた。
「バレスさん!!」
「無事みたいだな」
バレスの後ろからボランが現れ、さらにその後ろからソノアが現れた。彼らはすでに武装していた。
おれたりよりも早く動いているみたいだったので、話を聞いた。
「おれたちにも分からん」バレスが頭を掻いた。「だが――」
再び爆発音。五人は首を竦め、一様に山がある方向を見た。
「お、おい、あれ!!」
ボランが空中を指差す。かなり高度のある場所を、ネズミ色の煙を漂わせながら、何かが飛んでいる。
それはすでに最高点に達したあとで、紡錘型のシルエットがまっすぐこちら側に落下し始めているのがわかった。
認識から行動に、ひどく遅延が生じた。急いでその場から離れようとしたとき、それがすぐ目の前に落着した。
アスファルトだけでなく、歩道のタイルすら、煙とともに捲りあがる。視界が一回転して、嫌な浮遊感を感じた。
幸運にも着地は両足で出来た。
振り返ると、土煙が立ち上り、巻きあがったアスファルトやタイルの欠片が降り注いでいた。奇跡的に、落着地点付近には、おれたち五人以外にその場には居なかったようだが、あたりは戦々恐々とした悲鳴が上がっていた。
「リンネ、大丈夫⁉」
「無事です」
――バレスたちは。
嫌な予感がしたが、すぐに外れてくれた。向こうで手を振る三人の姿があった。
後ろから、剣を携えたリンネが現れた。あの一瞬であそこまで行けたのか、と思っていると、彼女は顎で、煙を示しながら言った。
「あれは、ただの岩ではありませんわよ」
「……まさか」
おれも槍を構える。
煙の中に、動く人影が見える。だが、見えているそれは、とてつもなく細い。
――まるで、クライノートのような。
わずかに漏れ出そうになった声とともに、固唾を飲み込んだその直後、土塊の腕が、煙を吹き飛ばしながら、おれたちに向かってきた。
リンネがおれの前に立ち、右手の剣でその腕をはたき落した。続く左の剣で、その腕の接続を断った。
その迎撃に反応し終える前に、おれは前に出た。その勢いを活かして、槍をコアに突き出す。
パキン、と軽い音がしてから、わずかに遅れて霧散した。
再び槍を構え直す。
まだ、終わっていない。
眼前に生じたクレータのふちに立つ。未だもうもうと昇る煙の発生源である、一メートルはあるであろう、黒い岩が、その穴の中心にあった。
黒い岩肌は焦げているのか、それともそういう質かもしれない。ただ、いまはそれは重要ではない。
煙を裂いて注ぐ太陽光を反射し、きらきらと光るものが、岩肌に散りばめられているのが分かった。よく見れば、それは、青い水晶の欠片だった。
煌めいているのは、欠片があるせいではない。
岩だと思っていたものの表面は、波打っていて、中にあるその水晶が表出したり被膜されたりしているから、きらきらと光っているのだと分かった。
岩肌が、蠢いている。
それを認識したとき、その表面から、黒く細い手が伸びてきた。
一本だけではない、ましてや二本だけでもない。
三本から九本、九本から、たくさん。そこから先は数える前に、手を動かした。
縁からジャンプし、勢いよく「卵」を叩き切る。
案外、穂先の通りは滑らかだった。何か硬いものが当たることもなく、空気を斬るようにして、岩は真っ二つになった。
すると、中途半端に凝固したクライノートたちは、岩とともに、一斉に霧散した。
あとに残ったのは、黒ずんだ水たまりだけ。
「大丈夫ですか」
リンネが縁からこちらを覗く。同じようにバレスも反対側から覗いていた。
「おい、また来たぞ!!」
ボランが手を伸ばしてくれたのを頼りにしていたとき、誰かが叫んだ。首を回して空を見ると、似たようなねずみ色の軌跡が、数十、こちらに向かっているのが見えた。
町中にそれらが吸い込まれていく。それとともに爆発音が至る所から響き渡る。茶色い煙と黒煙が続々と昇っていく。
再び地揺れ。
「な、なんだあれは!!?」
アスファルトの補修に来ていたギルドスタッフが、何かを指差しながら叫んだ。
ギルド前の角に人が集まっていく。
「きょ、巨人だ!!」
地面が、揺れる。
「ゲンマ山脈に、巨人がいるぞ!!」
揺れは規則正しく生じる。
爆発音と人々の悲鳴が、耳の奥で反響している。
*
推定三十メートルの全長を持つ巨人は、その体表からクライノートの卵を射出し、それをズーベ・ヘーア中に、雨のように降らせていた。
黒い岩のような卵からは、クライノートが数十体ほど生まれるが、生まれたばかりの個体はさほど強くはなく、主に着弾による周辺被害が主となっていた。
その卵の生みの親、つまるところ巨人は、ゲンマ山脈の峰を、町から遠ざかるように数十分ほど歩き、そして消えた。目撃情報によれば、山がまるで底なし沼になったかのように、そこに沈んでいったと言う。
また、それと同時に、迷宮の異変が報告されていた。
迷宮入り口から、魔物が町へと「侵入」してきたのだ。
運よく、その場に居合わせたラビンズらに簡単に討伐されるくらいの、低級個体たちが出てきたようだが、今後、もっと強力な魔物が侵入してきても、おかしくない。
しかし、こういった事態に対応するべきギルドは、ほぼ混乱状態に陥っていた。内部でなにがあったのかは分からないが、彼らは、避難誘導をするどころか、制限区画の門を閉じてしまった。つまり、貴族商店の人々は避難することができず、そしておれたちの制限区画外が助けることが出来なくなってしまった。
門なら開ければ良いだけだが、緊急対策のシャッターであるがゆえに、堅牢な設計であり、また、それらを制御する回路が焼き切れてしまったため、修繕するまで開けることが出来なくなってしまったのだ。
事態が落ち着いてから、それは元町長の妨害工作であったことは自明だと分かったが、その時は混乱から混乱へと連鎖する、良い促進剤になっていた。
運よく、危険を察知して逃れられた人もいた。
<ロスカシュ>の二人も、その中にいた。
キダラ車に乗った彼らから、宝珠を受け取った。
「まだ、微調整が済んでいないから、ちゃんと返してくれよ~」
と、滝のような避難の流れに飲まれていった。
クライノートは制限区画内にあふれかえり、被害が今もなお生じていることは、想像に難くなかった。
それどころか、私兵が一部の塀を崩壊させて逃げ出したため、魔物たちが住宅地に進入してきていることを、リュウタロウから聞いた。
住宅地があるこちら側には、ビータゼンなど、比較的丈夫な宿泊施設には、避難ができないけが人などの収容に使われている。
なので、とにかく、こちら側に出ようとする魔物を食い止める必要があった。
宝珠を嵌めると、槍はたちまち光の粒子になって消えた。
以前の物よりも、魔力の流れの中にあった違和感が、より低減されている。二日も経っていないのに、これだけ磨き上げられていることに、感心していると、手袋をはめたテュールが横に立った。
「槍はどうしたんスか?」
「持っているよ、ほら」
手を前に出すと、粒子が一瞬にして槍を形成した。
「おお、すごいっスね」
「遊びに行くのではありませんのよ」
と、リンネがさらに横に立った。髪ゴムをテュールに手渡す。双剣の鞘を待合スペースにあるソファに投げ、軽く首を回す。
「じゃあ、最初はウチから」
と、テュールが手首を回しながら、宿のドアを開ける。
それと同時に、リンネの一撃が、通りにたむろしていた魔物を吹き飛ばした。
続いて、右手を下から突き上げるような、テュールの徒手撃が炸裂する。
ボズッッッッ!! というくぐもった衝撃音が、通りの対岸の木々を揺らした。
魔物は一瞬、大きく膨張したのちに、破裂するように霧散した。後に残ったのは、ドロップ品だけだった。
空気の圧をも動かすような一撃は、ともすれば前へ引き込まれそうになる。リンネが服の裾を掴んでくれなければ、どうなっていただろうか。
「テュール、周りの被害も考慮して」
「りょーかい」
と言いながら、今度は丁字路の方向へ回し蹴り。
鞭が空気を叩くものと似た音がしたあと、よたよたとこちらに近寄っていたクライノートたちが、コアだけが砕かれ、消滅した。
だが、一瞬の間を置いて、魔物たちは復活する。道路から湧いてくるように、木々の間から覗くように、窓から顔を出すように。
至る所から魔物が出現する。数はたくさん。街道から町各所へと至るための主要道路なので、それなりに広いのにもかかわらず、すでに魔物が所せましとひしめき合っていた。
これは、いくら低級個体だからと言っても、数で押されると苦労しそうだと、槍を強く握りながら思った。
すると、リンネがまた裾を掴んで、後ろに引っ張った。
「テュール」と、まるで昔の、隊長をやっていた時のような威厳のある声で言った。「よろしく」
「わかりました。お任せを」
呼びかけられたテュールも、いつもの雰囲気はどこへやら。不敵な笑みを浮かべる武術の達人は、迫りくる魔物の大群に対して、ゆったりとした構えを披露する。
腕を大きく回し、左の足をやや前に、右の足を軸に。
ヒュッ、と、一息。
「武人靠!!」
音は、あっただろうか。ただ、空気の揺らぎが見えたのは確かだ。彼女を中心に、透明な輪が広がったのが、印象的だった。そのあと、少しだけ気温が下がったようにも感じた。
突きとか蹴りとか、そういうものを想像していた。だが、実際は肩を前に出す、タックルのようなものだった。
重たい物体を、肩で押すような、見る環境が違えば滑稽にすら思えるそのポーズから繰り出されたその一撃は、前方の魔物を一体残らず殲滅した。
彼女の前方、道路すべてを埋め尽くさんばかりに並んでいた魔物たちは、成すすべもなく消滅し、黒い霧となった。代わりに、大量のドロップが地面に転がっている。
遅れて、後方から風が舞い込んできて、黒い霧を蹴散らした。
ほこりを払うと、こちらを振り向いた。リンネはとても明るい笑顔を浮かべて迎えた。
「流石、衰えてはいないようね」
「光栄でございます、お嬢様」
さて、とテュールは腰に手をやって言う。
「ウチはここを死守しますンで。お嬢やダンナは、気兼ねなく、暴れてきてくださいな」
おれたち二人は同時に頷き、そして走り出す。「武神」を挟んで、通り過ぎた。
その後、制限区画で聞こえていた、時々、遠くから雷鳴のように轟いていたのは、テュールの拳だったのだろう。




