6-3 煩慮の人助け
もはや何かを言うこともなく、リンネは駆けだしていった。
木々のトンネルに入る一寸前に、脚力増加の付与魔法を彼女に与えた。あとコンマ一秒でも遅れたら、木に付与魔法を当てていたかもしれない。
リュウタロウに後から来い、と言って、自分にも付与魔術を掛けて追いかけた。
聞こえてきた叫びは小さく、遠いことが分かった。だが、キダラに乗るよりも、生身で駆けていく方が早い。
魔物に襲われている者の近くには、魔物が集う。悲鳴につられてくるのか、魔物同士のコミュニケーションで集まってくるのか、わらわらと群がってくる。
そこに民間用キダラで突っ込むのは危険だ。訓練されている、いわゆる軍用個体であるなら、魔物を蹴飛ばすことくらいはできるが、民間用では止まってしまうか、攻撃されてけがをしてしまう恐れがある。
なら、武器を持って駆け抜け、道を阻むなら倒せばいい。
リンネはそう判断した。
上ってきた坂を下る。
足跡、剣で切断された枝、モンスタードロップ。
これらが道に残されている。特に足跡なんかは、地面が抉られたような穴が、数メートル間隔でできている。走っているというよりも、もはや跳ねているに近い。
下り坂を終えると、街道と街道の間にある小道に、魔物の集団がいた。テルミドールに、レパニカに、ゴブリンなどなど。しかし、足跡はその先も続いている。こいつらは、新しく出てきた連中だ。
当然、出てきたおれを見て、そいつらは襲い掛かってきた。
宝珠がなくとも、苦戦するような相手ではない。
突進してきたレパニカの角をへし折り、額にあるコアを打ち砕く。
ゴブリンの射撃レーザーを弾きながら詰め寄り、胴体のコアをレーザーよりも素早く撃ち抜く。
テルミドールの巨大な拳を叩き割り、間にある小さな胴体をコアごと切り裂く。
終わったころには、少し頭が冷えていた。
――リュウタロウに、ドロップの回収を頼めばよかったかな。
などと、軽いことを考える前に、もう一度走った。
南の都プロムダンスとの境目、ちょうどおれたちがいた高地の背後に停留所がある。キダラの足を冷やすなどをする場所だ。
その近くで、また魔物の集団を見つけた。手前には三人、そしてその奥に、リンネの姿があった。彼女の背後に、客車があった。あれはそれなりに普及している、人員輸送用貨車だ。
リンネの反応を見て、魔物たちがこちらに振り返った。
「ッッ!!?」
魔物は、ヒト型だった。
破けた服を着て、ヒトとしての形を保ったまま、明らかに異様な姿になっていた。
彼らは、ヒト型魔物の中でも最上位の種。
エルダ、と呼ばれる、χ化したヒトの果てである。
姿はほとんど生前と変わらない。知っている顔なら、誰かも分かる。
ただし、充血して膨らんだ眼球、生きているとは到底思えない色の肌。変わり果てた知人の姿を見て、正気で居られる者は、少ない。
――<ナツロスの定>の、団員か。
見たことのある顔が、そこにはあった。記憶が正しければ、ギルド内で絡んできたスキンヘッドの取り巻き、その人たちであった。
一人が、弩を構える。それと同時に防護壁を展開した。
空気が焦げる音とともに、真っ白な稲妻が防護壁を蛇のように沿って消えた。
防護壁が消えた瞬間、一人が奇妙な動きで剣を振ってきた。弾くことができず、受け止める。
「くぅ⁉」
とんでもない力がぶつかり、まるで溶接のように火花が飛ぶ。
真正面から動力車を受け止めたような衝撃。だが、リンネより軽い。
金属の擦れる嫌な響きが一瞬にして高まる。剣を持った一人が弾き飛ばされ、大きく体勢を崩す。
反動を回転、遠心力へ変換し、横なぎ一閃。
穂先が彼の胸元をえぐっていく。肋骨から、脊髄を、砕いていく。手に伝わる感触が、やけに生々しい。
ふと、目線が合う。
変色し、もはやはち切れんばかりに膨張したその目と、溶け落ち、ただれた深緑の頬肉の中から生えている、欠けた歯。
――笑っていた。
胸元からちぎれた彼は地面に落ちる前に霧散した。
おれは、震えていた。
感情の落ち着きを許さず、再び矢が放たれる。防護壁の端が不十分だったために、耳先を稲妻が掠めた。
もう一人はリンネの方に行っていた。彼女は囲まれていた。
「くそ!!」
槍を突き出す。弦を狙うが、うまく弾かれてしまう。
弩の先端には刃物がついてある。だが、そんなものは、一回で叩き落せるはずだ。
急に、攻撃が思ったように通らなくなった。
彼らはもう魔物なのだ。戻ってくることはできない。
それを理解している、はずなのに。
わかっているつもりなのに、どうしても、力が入りきらない。
一人は倒せたではないか。どうして、他の人たちも倒せない?
堕ちた人間を、救うためには、そうするしかないのに。
心が大きく、乱されている。
それが、穂先のブレに現れていた。呼吸も上がっている。
「ウガアアアアア!!!」
大きな叫びとともに、彼が襲い掛かってくる。
勢いをそぐために槍を振る。
近寄らせないために、肩、腕、腹を不規則に狙う。
だが、それでも、彼は止まらない。
「ウウ!!」
小さな刃先のために、全身で弩を大きく振り回す。
「ウウア!!」
「ッッ!!」
刃先が槍を持つ右手の指を掠める。血が滲んでくる。
受け止めて防ぐのは危ない。もはや人の力の範囲を越えつつある。χ化が大きく進行してしまっているからだ。
がむしゃらに弩を振っていたかと思えば、冷静にすっと距離を取って、弩を構えた。すぐさま稲妻が飛んでくる。
右手で防護壁を出す。
「ぐ……ッ」
ぶつかった衝撃が傷口へ伝わる。小さな切り傷とは思えないほどに、痛む。
風で飛んできた自分の血が、頬にあたった。
槍を右手に持ち替え、水属性と無属性の魔法を放つ。
銃弾のような速さで飛翔した氷が、相手の弩にあたった瞬間、弦が切れた。
続けて、水を相手の足元に呼び寄せ、そこから温度を奪う。
「グアアアア!!」
「なっ!!」
ミチミチミチ!! と、筋肉の繊維が嫌な音をたてて千切れていく。
くるぶしまで凍った足を、彼は無理やり引きちぎった。
出血がなく、ぼろぼろになった繊維が恨めしそうに繋がっていて、それを鬱陶しそうに足を振り回して千切った。
立つことが出来なくなった彼は、這いずりながら弦の切れた弩を手に取った。
うなりながら、弩をこちらに向けたとき、
リンネの右の剣が彼の首を斬り飛ばし、左の剣でその頭部すら二つに割った。
霧散するとき、緑色の液体が周囲に飛び散った。思わず手で顔を隠した、その手を、リンネは掴んできた。
「何をしておりますの」
掴んだ手が震えているのを、彼女は見ていた。
赤い目が、なにが真実かを見抜こうとしている。
「客車の中の安全確認を。注意を怠らないように」
手が離されると、彼女を避けるように、足が自動的に動いた。
奥では、客車らしきものが横転していた。キダラも横たわっていたが、ブルブルとピンクの鼻を鳴らしていた。おれを見るなり、ふんふんを息を荒くしていたから、元気そうではある。
荷台との連結を解いてやると、自力で立ち上がり、身体を震わせて砂を落としていた。
木造の客車の扉を叩く。できる限り人が来たと伝えるような、そんな感じで。
鍵が開いて、小さく開いた。白い口ひげのある老人だった。
「あ、あんたは……」
「大丈夫です、助けに来ました。お怪我などはありませんか?」
「ああ、無事だ」
「客車を起こしたいのですが、お手伝いをお願いしてもよろしいでしょうか」
「構わん、頼んだ」
老人は、客車の奥に「お嬢、出ましょう」と言った。そういう呼び方をするというのは、彼らはおそらく貴族商店の関係者だろう。
奥から出てきたのは、いたって普通の女性だった。おおよそイメージされる貴族という印象からは離れた、庶民の娘、と言った風である。
そう言った格好をするのには、何か理由があるのだろうが、そんなことをいちいち聞いている時間は無い。
「ああ、あなたが」
お嬢、と呼ばれた女性が、おれの手を握ろうとしたが、その手は魔物の血で汚れていたため、失礼、とだけ言って引っ込めた。
「ご無事で何よりです」
「ええ、お陰様で」
「さあ、早く車を起こすぞ」
老人はロープを取り出し、客車につなげ、それを木の幹に通した。一本を手渡され、息を合わせてそれを引っ張ると、案外軽く、客車は起き上がった。
軽量だが堅実な造りで、横転していた割に、損傷個所は見当たらなかった。車輪も車軸も無事で、キダラを繋げるだけだった。
老人はキダラの様子を確認するらしく、お嬢様の傍に居ろと言われた。おれはリンネを呼び、老人の護衛を頼んだ。
客車の扉を閉めようとしたところ、お嬢様が傍に寄ってきて、扉を少しだけ開けるよう頼まれた。
「お手が汚れていますが、大丈夫ですか?」
と言われて、ハンカチを差し出された。
「ええ、大丈夫です、ありがとうございます」
おれはそれを丁寧に断った。振り返って客車の中を見てみると、彼女以外、何もない。通常、備え付けてある飲み物だとか、防寒着だとか、そういうモノすらない。何かを輸送している、というふうではない。
重りをできる限り排除しているように見える。ということは、この人たちは――。
「すみません、助けていただいたのに、お礼もできないかもしれません」
「そんなこと、お構いなく」
深読みするべきではない、そう思って、周囲の警戒を強めた。
彼女が話しかけてきているのは、心細いからだ。それにつられてはいけない。だが、ショックを紛らわせるためにも、無反応はだめだ。
「あの、襲ってきた方々は、一体何者なのでしょうか」
「それは……」
おれは言葉に詰まった。
「この町では、盗賊団を雇い、他店の方々を襲わせている店もあるとか」
「詳しい、ですね」
思わず振り返った。彼女の表情は、影になってよく見えなかったが、声はとてもか細かった。
彼女の口ぶりからして、おそらく、彼女はそちら側の人なのだろう。
おれは目線を反らした。
「ですが、あの方々は、生者なのでしょうか。意思を、感じられなかった……」
――なかなか鋭い人だ。
どういう理由で今、ここに居るのか。もしかすると、危険を感じ取り、町から避難させられた、もしくは一人で抜け出してきたのかもしれない。
「今、町では何が起きているのでしょうか」
おれは顔を向けずに言った。
「あそこを離れる判断は賢明かと」
「やはり、そうなのですね」
ため息が頭上で聞こえた。
老人が車体を回って、こちらに来た。点検が終わったから、すぐに出発するとのことだった。
彼女は小さく礼を言ってから、半ば押し込まれるように奥に座った。老人は客車の鍵を閉め、再びキダラ車を走らせた。
後ほど調べたが、この道をまっすぐ行けば、プロムダンスの北門に繋がるらしい。おれの予想は大方、当たっていた、ということも、後になって分かった。
しかし、それよりも、この時は。
リンネの顔を見ることができなかった。理由は分かっている。
「どういうつもりですの」
冷たい声がして、はっと振り返ると、リンネが腕を組んで立っていた。
「なぜ、魔物を倒すことを躊躇ったのです?」
「……」
おれは答えることができず、俯いた。
「わたくしが、あなたに口調の矯正を強いたその意味。まさかお分かりになられていないことはないでしょう?」
「わかっている……」
「ならば、なぜ?」
リンネはおれの顎を持ち上げた。身長がほとんど変わらないのに、目の前に立っている彼女が、とんでもなく大きく見える。
「あれらはもはや魔物でしょう。魔物相手ならば、あなたは殺せる。事実、一人は倒せたではありませんか。どうして、もう一人にあれほどまで手こずったのですか?」
「おれが、弱いから」
「ええ、あなたの考えが、弱いのです」
顎にある彼女の手をどける。
ずっと、ずっと前からあるおれの弱さ。
まだ、取れない、魚の骨のようなものは、おれだけでなく、誰かを傷つけてしまう可能性もある。
そのために強くなろうとした。魔法も勉強したし、槍術にも身を入れてきた。
だが、自覚すると、途端にもろく崩れてしまう。
彼らの目は、ヒトではなかったか。
違う。もはや、彼らは後戻りできないまでにχ化が進行してしまっていた。ならば、魔物と変わらない。
だけど。
そう、この考えだ。
優しいわけではない。弱いのだ。
だが、この一線を踏み越えることができない。
踏み越えてしまうと、
おれもそちら側に飲まれてしまうかもしれない。
そんな、漠然とした不安が、おれの背中のすぐそばに居るのを感じる。
その場に、気まずい空気が流れていたところ、リュウタロウが遅れてやってきた。
「どうも、こいつが走りたがらなくて。――なんかあったの?」
他人から見て、何かがあったと思われるほどに、おれたちの空気は重かったらしい。
しかし、彼女は、何食わぬ顔で荷台に乗った。おれもそのあとに続いた。
会話はない。ただ、ごとごととキダラ車が揺れるだけである。
驚くことに、この後、就寝時まで、一切の会話がなかった。
その間、おれはずっと自問していた。
だけど、ついぞ、答えが出ることもなく、その日は終わりを迎えた。
おれは、弱いままだ。




