5-3 止められない
おれとリンネが並んで歩けないほど細く、暗い道を歩いていた。
階段の壁から漏れていた青い光に手をかざしたあと、その光が急激に強まり、目を瞑ってしまった。
目を開くと、すぐ後ろは壁になり、二人して壁際に突っ立っていた。
明かりが、発行している赤い水晶しかなく、振り返れば、リンネの顔がぼうっと宙に浮いているように見える。足元はほとんど見えない。
そのくせ、地面は水を大量に含んでいて、体重で簡単に滲んでくる。当然、水はけが良いはずもなく、水たまりに幾度も足を突っ込んだ。
汗なのか、壁に滴る水なのかわからないが、とにかく、足だけでなく、顔も濡れていた。気温がわからない。
まっすぐ歩くことも難しいほどに狭いせいで、肩を斜めにして進んでいる。壁からも水分が滲み出てくるせいで、時折、液体が頬を掠めて、背筋が震えた。付着したのを手で拭うと、やたら粘着質で、それでいて明かりのせいで赤く見えるから、余計に不気味な気分になった。
閉所恐怖症でなくてよかった、と思いつつ、とりあえずどんどん進んでいくと、ある所から、少しずつ幅がふくらみ始めた。それでも、二人が横に並んで歩くことはできない。
やたら乾燥している空気が漂っていた。明かりをつけたかったが、ガスが出ているかもしれないから、ここに踏み入った以上、不用心な真似はできなかった。
足元が硬い感触になった。時々、硬いものが脛にぶつかったり、踏みつけて、砕く音がする。
試しに一つ、また足元で何かに当たったので、それを手に取ってみる。手に伝わる感触は、乾いていて、硬い。少しだけ重さを感じる。
「ちょっと」
リンネの声が下の方から聞こえてきた。彼女はかがんで、地面に落ちている何かを見ているようだった。
「どうしたの」
「それ、骨ですわよ」
骨。
納得した。おれは手に持っているそれを、地面にそっと置いた。
ふと、顔を上げてみた。足元から見ると、立っているときよりも、若干ではあるが遠くまで見えた。
地面はやはり赤く、それでいて白い物が枯れ枝のように落ちている。
骨でできた山のようなものもある。
いや、あれは、人骨だ。
背中を壁にもたれかかるようにして、足が地面に伸びている。腕は肘のところで途切れているなど、欠落部分もある。が、それが人の骨であることは、それから十分判断できた。
近づくしかないので近づいてみてみると、奇妙なほどに、その人骨は小さかった。
魔人系の中には、背の低い小人族がいる。獣人にも、小人族にあたる種の人々がいる。ただ、ヒト系には居ない。
それら小人の特徴として、手が大きいことや、首が太い、頭部が大きいなどが挙げられる。骨にもその特徴が反映されていると、医学系の資料で読んだ記憶がある。
この、人骨は。
首は太くなく、手も小さい。頭は――、頭蓋骨は、無かった。
もしも、ヒト、であるのならば、この小ささは――。
「――」
立ち上がって、先を見る。靄がかかって、また暗さで、ほとんど見えない。
この先に何があるのだろう。
ここでいったい何が行われているのだろう。
歌を歌っているのだろうか。
そこから少し進むと、行き止まりになった。
霧が晴れて、そこが四角い形をしている空間になっていることが分かった。比較的光量も多く、ようやくリンネの顔が見られて、かなり安心した。
狭い幅の道は相変わらずだが、左右の壁は等間隔かつ同間隔でへこんでいる。へこんでいる空間にはポケット状になっていて、地面よりも下に、大量の人骨が埋められていた。それが、左右に三つずつあり、四つ目は三方がへこんでいて、そこが行き止まりだった。
うずたかく山のごとく積まれた人骨に、血のような液体がその白い表面を伝っていて、噴水のオブジェのように見える。
行き止まりよりも少し手前に、明かりが差し込んでくるへこみがあった。地面はそこと、行き止まりに続いている。
行くしかない。後ろを振り返ると、リンネが居る。後ろは靄が濃くて見えないが、どうせ戻ることはできない。
足元に気を付けながら歩みを進めていくと、そこから歌が聞こえてきた。
間違いない、あの時と同じだ。
中低音の、男性の声。
警戒しつつ半ば祈りながら、そのへこみを覗いた。
そこは部屋だった。天井は丸く、部屋自体も丸い。
天井から巨大な赤い水晶が生えていて、それが部屋を明るく照らし、影を色濃く作り出していた。
中央に向かって、部屋は低くなっている。その中央にあるものは、何とも言い難い形をしているオブジェと、台があった。それとおれたちの間に、人影が三人分あった。おそらく、この声の主が、三人のうち、台やオブジェに一番近い人だろう。
まるで儀式だ。となると、あれらオブジェは、祭壇とその祭具のようなものだろう。
歌声は続く。歌っている人はゆらゆらと、手を広げて動いているのが見えるが、他の二人は、地面に跪き、動いている様子が見られない。
歌声の声量が大きくなっていくと、二人の影が動いた。手には火のついた棒、たいまつを持っているようだ。
台、祭壇と、オブジェを、火が照らす。
「ッッ!!」
思わず手で口を覆った。
人の手足、そして、大量の人の首。
円形状の細い鉄棒に、それらが無造作に突き刺さっている。
老若男女、ヒトも魔人も獣人も。様々な人の首や手足が、捧げもののように、オブジェになっていた。
オブジェの前にある、祭壇。
そこに、小さな人影が見えた。
オブジェの支柱に括りつけられ、ぐったりとしている。ここからでは、生きているかどうかもわからない。
「これは……」
見たことがある。この、儀式を。
だが、いつ?
記憶よりも、無意識の経験が、警告を放っている。
この儀式は、止めなければならない、と。
おれは、槍を握った。
歌声が、佳境に入る。
「何をしている!!」
同時に、おれは叫びながら部屋の中に這入った。
歌が途切れた。
しかし、動きは少ない。リンネが遅れて並んだ。
「何をしていると訊いている、答えろ!!」
これは、
――これは、もしかして。
「そうだ。キミの思っている通りだ」
男は、振り返らず、ゆっくりと腕を下ろしながら言った。
三人はフードの付いている上着を着ている。
男以外の二人が、フードを目深にかぶっている。おとこは、頭をそのまま出していた。
男は、そのまま手を後ろに組んだ。
「キミは、良い」
そして、振り返った。
オールバックの髪型。
痩せた頬、とがった顎に、見下した目。
「あら、お隠れになられたのでは?」
わざとらしく、リンネは言った。
誘拐され、行方不明になっているとされている彼は、口の端を上げ、非対称な笑みを浮かべた。
「カザン、町長……」
その男は、恭しく、頭を下げた。
「ここで、あなたは一体何を……」
「見ての通り、儀式だ」
「人為的χ化とかいうものかしら」
「キミたちがそう呼ぶが、わたしたちからすれば、儀式なのだよ」
いやー、それにしても、と。
まるで久しぶりに会う友人に歩み寄るかのように、祭壇の近くから離れた。
「キミたちが、ここに来られるとはね。あの力を、そうだな、シシくんが使えるようになったのだな」
「なに、を……」
「とぼけるフリをしなくても良い。まさか、キミが分かっていないハズがないだろう? 迷宮を組み替える力だよ」
左目の奥が痛んだ。手汗が滲む。
「そう。キミなら使えると思っていたんだ、シシくん。キミはこちら側に近いのだからね」
「おれは、人間だ。あなたたちとは違う!!」
「歌が」
おれの叫びをかき消すように、カザンは言った。
彼は人差し指を一度、おれに向けてから、隣のリンネに向け直した。
「聞こえたかね?」
「仰る意味が分かりかねますわ」屹然と答えた。「ここは舞台ではありませんのよ」
「そのままの意味だ。歌が、聞こえていたか? シシくん、キミは、どうだね」
「おれは、おれは――」
聞こえていた。どんな人が歌っているのかも、視えていた。
「そうだ。わたしの姿すら、キミは聴こえていた」
――共鳴していたのだよ、と、カザンは言った。
「共鳴……?」
「何度か、それらしい予兆はあっただろう? それは、ここで行っていたものの、余波だ。シシくんは、それらを敏感に感じ取っていたんだ」
カザンは両手を勢いよく広げた。上着が音を立てて広がる。
「素晴らしいよ、羨ましくすらある」
それに比べて、と、リンネに恨めしそうな顔を向けた。
「わが神聖な祭事の間に、どうしてキミのような者が居るのだね」
「わたくしのかわいい相棒をかどわかす胡乱な者を、看過することが出来ましょうか?」
「シシくんは素質がある。穢さないでいただきたい」
素質?
素質とは、なんだ?
槍を持つ手が震える。
「ああ、そうだよ、シシ君」
心の中が探られる。
隅々まで、手探りでかき乱される。
「きっと、キミなら、あの人も気に入ってくれる。まったく、羨ましいよ」
あの人?
あの人とは、誰だ。
彼は、なにを言っている。
「分からないだろう、今は、まだ」
彼の手が、眼前に差し迫る。
握手を求めている手だ。
おれは、その手に――。
「さあ、こちらへ」
おれは、その手を――。
「しつこいですわね!!」
一対の異なる剣撃が飛ぶ。
目の前の手が消える。生臭いにおいが部屋の中を満たした。
顔に生暖かい液体がかかり、そこで、自我を取り戻した。
見ると、リンネがカザンへと斬りかかっていた。
メの字型に彼の身体が裂かれ、足元はすでに血だまりになっている。
おれの場所からカザンのところまで、三メートルはある。
たった一回の踏み込みで、あそこまで飛んだ、ということか。
しかし、カザンは口から血を吐き出しながら、不敵な笑みを絶やさない。
黒い液体が、どろどろと、土の階段を伝って、流れてくる。
「彼は、渡しません」
「ああ、醜い」
横に控えていた二人が、リンネに向けて一斉に剣を突き出した。だが、それが届くよりも先に、そこから彼女は飛んで、宙で一回転しながら、おれの隣に戻ってきた。
全身に返り血を浴びてもなお、彼女はまっすぐ相手を睨みつけている。
相手の血をその身に浴びれば浴びるほど、眼光は鋭く相手を穿ちぬくのだ。
おもいっきり膝を叩いて、震えを抑える。
穂先で、相手を捉える。
「ああ、毒されてしまっている。だが、まだ、余地はあるのだな」
「おれは、あんたたちの仲間になんてならない」
「ならない、か。シシくん、やはりそれは勘違いなのだよ」
――すでにキミは、われわれ側なのだ。
「違う!!」
「否定したければすればいい」
リンネに斬られた痕をそのままに、彼は続ける。
傷からの出血はすでにない。体内に残っている血液はすべて、地面に流れ出てしまったようだ。
だが、カザンは倒れない。
もはや彼に、血液は必要ないのだろう。
カザンは後ろに下がり、代わりに二人が前に出てくる。
「いつか分かる。キミは、あの人のもとに行くのだ」
元町長の影が大きくブレる。目を凝らして見ようとする間に、そこからいなくなっていた。
あとに残ったのは、二人と二人と、祭壇の子ども。
右の人が大きく剣を振ったのを合図に、飛び掛かってきた。
槍で勢いをずらす。
壁際に追い込み、距離を保ちながら、武器を持つ手を狙っていく。
数回の打ち合いのあと、案外あっさりと武器は落とせた。
(武器を持って戦うことに慣れていない……?)
相手が手をおれに突き出す。それは握手ではない、魔法を放つ前の動作だ。
展開した防護壁に、白い閃光が突き刺さる。空気が焦げて、特有のにおいを発する。
今度は地面を這うような、蛇のような動きをした稲妻が来る。
槍を反対にもち、石突を地面にぶつける。
地面がうなり、白い蛇は宙に打ち上げられて霧散する。
鞭のごとく床がしなり、はじけた勢いを相手にぶつけた。
相手も防護壁を出し、それを防ぐ。
深くかぶり、顔を見せなかったフードがめくれ上がる。
(やはり、そうか……!!)
見えた顔は、町長の秘書、その人だった。
だが、すでに表情は失われている。
彼女の顔に刻まれた文様が、ゆっくりと明滅している。それは複雑な魔法陣だが、特徴的な形状に見覚えがある。
あれは、<レッド・ホロウ>の描いた、使役の魔法陣だ。
本来ならば、魔物に対して使われるものであり、対人用途で描くことは、禁忌である。その人の意思を上書きしてしまうからだ。
ならば、彼女は操られているのだろう。無属性の魔法によって、その束縛を打消すことはできるはずだ。
しかし、それは上書きへの上書きになる。つまり、記憶を消去することになる。
その覚悟は、あるか。
いや、やるしかない。おれの覚悟は、不要だ。
「ッッ!!」
風魔法で暴風を起こす。
防護壁を使ったって無駄だ。それごと吹き飛ばすことができるくらい、強い風を起こした。
壁が背中にぶつかったのと同時に、おれは彼女の首に手を掛ける。
このまま、打消を行えば――。
――情けない。
どこからか、声がした。カザンの声だ、まだ見ていたのか。
すると、突然、目の前の彼女が苦しみの声を上げ始めた。
顔がいびつに膨れ上がり、体色が変化していく。ぼこぼこと、皮膚の表面が泡立ち、眼球が飛び出さんばかりに、目が限界まで見開かれていく。
「シシ!!」リンネが後ろで叫んだ。「このままだと、彼らは堕ちてしまう!!」
「やめろ!! カザン!!」
――もう遅い。
皮膚が弾け、眼球がおれの頬に当たって――。
首を掴んでいるおれの手を、骨が見える手でつかみ返してきた。
何もなくなった眼孔から、赤い光が漏れていた。
コアだ。直感でそう思った。
人が魔物に堕ちる、χ化。
アノインが誕生したあの時とは、比べ物にならないほど、効率化されているのが分かった。
――アセンシオン。これが、われわれを救う唯一の手段なのだ。
カザンの笑い声を断ち切るように、骨の手が目の前でスッパリと斬られた。剣撃が飛んできたのだ。
即座に距離を取って、コアに向けて槍で狙う。
コアの場所は、おそらく、心臓の場所だ。
ガシャガシャと、骨が蠢き、互いにぶつかる音がする。
剣を持とうと、地面に落ちているそれに手を伸ばそうとしている。
液状化し、骨にこびりついていた肉が、音を立てて地面に零れる。
槍を持って低く構え、左手を沿え、それで狙いをつける。
一突き。
肋骨の間をすり抜け、どこともぶつからないまま、コアを貫き、壁に穂先が着いた。
眼窩から一際光を放ち、カタカタと痙攣したあと、崩れた。あっけなく、積もった骨の山になってしまった。
後ろでも同様に、骨の山から剣を抜きだしているリンネが居た。
おれは顔だけ、彼女に向けた。
「帰ろう」おれは声を掛ける。「ここに居たくない」
「いえ、まだ、やるべきことがありますわ」
「やること?」
それ以上何も言わず、彼女は祭壇に近づいた。
目をやると、オブジェに括りつけられた子どもが、苦しげに肩で息をしていた。
そうか、その子を解放しなくては、と思い、おれもそこに近寄ろうとした。
すると、ゆっくりと、リンネの切っ先が、おれの鼻先にまで持ち上げられた。
「な、なにをしているの。ちょっと、待って」
「この子は、もう助けられません」
そう言って、おれに向けた剣を、足元に居る子どもに向けた。
「もはや、こうするしかないのです」
「わからない、まだ助けられるかもしれないじゃないか!!」
「あなたも分かっているでしょう」
極めて冷静に、彼女は言った。
――分かっているはずだ。
おれは彼女の足元で俯いている子どもを見る。
その子どもは、傷一つつけられていない。
しかし、その頭上には、切り取られ、飾り付けられた、その子の親とその仲間たちの首が、手足がある。
その血を、ずっと浴び続けていた。
これは、アセンシオンではなく、<レッド・ホロウ>がやっていた、原始的な人為的χ化の儀式の手順の一つである。
「わたくし、実は、<レッド・ホロウ>に関しては、あなたほど詳しくないのです。反王族主義や、χ化については聞き及んでおりましたが、人為的にχ化を起こすことを目的とした集団であったことを、最近まで、恥ずかしながら存じておりませんでした。なので、彼らの儀式などの知識に関しては、シシの方が上だと思います」
ならば、と。
――わかるでしょう。
「この子は、もう助からないのでしょう?」
カザンが歌っていた理由は分からない。それが、アセンシオンと、原始的なχ化儀式の差異なのかもしれない。
だが、それを気にする、どうにか出来るかもしれない時機は、すでに逸していた。
おそらく、人為的χ化儀式における、最終手順を終えているだろう。
つまり、リンネは、正しい。
このまま、この子を地上へ連れて帰れば、保護した先で魔物化する可能性がある。
人為的χ化が成功した例は、あの時の一例のみ。
あの、子どもだけだ。
だから、カザンも子どもを……。
槍を持つ腕を、片方の手で握った。
リンネの顔を直視できない。
「……。二度」
二度、殺さなければならない。
χ化達成条件を、一度クリアしなければならない。
少なくとも、おれはそう結論付けた。
「どうやって?」
「どうやってでも。キミに、任せるよ、リンネ」
「ええ。帰り道の確保、頼みましたわ、シシ」
その日のうちに交わした彼女との会話は、これが最後だった。
この後、どうやって迷宮を出たのか、実は記憶がない。気づけば、部屋のベッドに寝転んでいた。
夜が明ければ、また、いつものような一日が始まることを祈って。




