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戦姫、ブリュンヒルデに捧ぐ  作者: 野之 乃山
三章 ズーベ・ヘーア
50/80

5-3 止められない

 おれとリンネが並んで歩けないほど細く、暗い道を歩いていた。


 階段の壁から漏れていた青い光に手をかざしたあと、その光が急激に強まり、目を瞑ってしまった。


 目を開くと、すぐ後ろは壁になり、二人して壁際に突っ立っていた。


 明かりが、発行している赤い水晶しかなく、振り返れば、リンネの顔がぼうっと宙に浮いているように見える。足元はほとんど見えない。


 そのくせ、地面は水を大量に含んでいて、体重で簡単に滲んでくる。当然、水はけが良いはずもなく、水たまりに幾度も足を突っ込んだ。


 汗なのか、壁に滴る水なのかわからないが、とにかく、足だけでなく、顔も濡れていた。気温がわからない。


 まっすぐ歩くことも難しいほどに狭いせいで、肩を斜めにして進んでいる。壁からも水分が滲み出てくるせいで、時折、液体が頬を掠めて、背筋が震えた。付着したのを手で拭うと、やたら粘着質で、それでいて明かりのせいで赤く見えるから、余計に不気味な気分になった。


 閉所恐怖症でなくてよかった、と思いつつ、とりあえずどんどん進んでいくと、ある所から、少しずつ幅がふくらみ始めた。それでも、二人が横に並んで歩くことはできない。


 やたら乾燥している空気が漂っていた。明かりをつけたかったが、ガスが出ているかもしれないから、ここに踏み入った以上、不用心な真似はできなかった。


 足元が硬い感触になった。時々、硬いものが脛にぶつかったり、踏みつけて、砕く音がする。


 試しに一つ、また足元で何かに当たったので、それを手に取ってみる。手に伝わる感触は、乾いていて、硬い。少しだけ重さを感じる。


「ちょっと」


 リンネの声が下の方から聞こえてきた。彼女はかがんで、地面に落ちている何かを見ているようだった。


「どうしたの」

「それ、骨ですわよ」


 骨。

 納得した。おれは手に持っているそれを、地面にそっと置いた。


 ふと、顔を上げてみた。足元から見ると、立っているときよりも、若干ではあるが遠くまで見えた。


 地面はやはり赤く、それでいて白い物が枯れ枝のように落ちている。

 骨でできた山のようなものもある。


 いや、あれは、人骨だ。


 背中を壁にもたれかかるようにして、足が地面に伸びている。腕は肘のところで途切れているなど、欠落部分もある。が、それが人の骨であることは、それから十分判断できた。


 近づくしかないので近づいてみてみると、奇妙なほどに、その人骨は小さかった。


 魔人ミルヒスト系の中には、背の低い小人族がいる。獣人にも、小人族にあたる種の人々がいる。ただ、ヒト系には居ない。


 それら小人の特徴として、手が大きいことや、首が太い、頭部が大きいなどが挙げられる。骨にもその特徴が反映されていると、医学系の資料で読んだ記憶がある。


 この、人骨は。

 首は太くなく、手も小さい。頭は――、頭蓋骨は、無かった。

 もしも、ヒト、であるのならば、この小ささは――。


「――」


 立ち上がって、先を見る。靄がかかって、また暗さで、ほとんど見えない。


 この先に何があるのだろう。

 ここでいったい何が行われているのだろう。


 歌を歌っているのだろうか。

 そこから少し進むと、行き止まりになった。


 霧が晴れて、そこが四角い形をしている空間になっていることが分かった。比較的光量も多く、ようやくリンネの顔が見られて、かなり安心した。


 狭い幅の道は相変わらずだが、左右の壁は等間隔かつ同間隔でへこんでいる。へこんでいる空間にはポケット状になっていて、地面よりも下に、大量の人骨が埋められていた。それが、左右に三つずつあり、四つ目は三方がへこんでいて、そこが行き止まりだった。


 うずたかく山のごとく積まれた人骨に、血のような液体がその白い表面を伝っていて、噴水のオブジェのように見える。


 行き止まりよりも少し手前に、明かりが差し込んでくるへこみがあった。地面はそこと、行き止まりに続いている。


 行くしかない。後ろを振り返ると、リンネが居る。後ろは靄が濃くて見えないが、どうせ戻ることはできない。


 足元に気を付けながら歩みを進めていくと、そこから歌が聞こえてきた。


 間違いない、あの時と同じだ。

 中低音の、男性の声。

 警戒しつつ半ば祈りながら、そのへこみを覗いた。


 そこは部屋だった。天井は丸く、部屋自体も丸い。

 天井から巨大な赤い水晶が生えていて、それが部屋を明るく照らし、影を色濃く作り出していた。


 中央に向かって、部屋は低くなっている。その中央にあるものは、何とも言い難い形をしているオブジェと、台があった。それとおれたちの間に、人影が三人分あった。おそらく、この声の主が、三人のうち、台やオブジェに一番近い人だろう。


 まるで儀式だ。となると、あれらオブジェは、祭壇とその祭具のようなものだろう。


 歌声は続く。歌っている人はゆらゆらと、手を広げて動いているのが見えるが、他の二人は、地面に跪き、動いている様子が見られない。


 歌声の声量が大きくなっていくと、二人の影が動いた。手には火のついた棒、たいまつを持っているようだ。

 台、祭壇と、オブジェを、火が照らす。


「ッッ!!」


 思わず手で口を覆った。

 人の手足、そして、大量の人の首。


 円形状の細い鉄棒に、それらが無造作に突き刺さっている。

 老若男女、ヒトも魔人も獣人も。様々な人の首や手足が、捧げもののように、オブジェになっていた。


 オブジェの前にある、祭壇。


 そこに、小さな人影が見えた。

 オブジェの支柱に括りつけられ、ぐったりとしている。ここからでは、生きているかどうかもわからない。


「これは……」


 見たことがある。この、儀式を。

 だが、いつ?


 記憶よりも、無意識の経験が、警告を放っている。

 この儀式は、止めなければならない、と。


 おれは、槍を握った。

 歌声が、佳境に入る。


「何をしている!!」


 同時に、おれは叫びながら部屋の中に這入った。

 歌が途切れた。

 しかし、動きは少ない。リンネが遅れて並んだ。


「何をしていると訊いている、答えろ!!」


 これは、

――これは、もしかして。


「そうだ。キミの思っている通りだ」


 男は、振り返らず、ゆっくりと腕を下ろしながら言った。

 三人はフードの付いている上着を着ている。

 男以外の二人が、フードを目深にかぶっている。おとこは、頭をそのまま出していた。


 男は、そのまま手を後ろに組んだ。


「キミは、良い」


 そして、振り返った。

 オールバックの髪型。

 痩せた頬、とがった顎に、見下した目。


「あら、お隠れになられたのでは?」


 わざとらしく、リンネは言った。

 誘拐され、行方不明になっているとされている彼は、口の端を上げ、非対称な笑みを浮かべた。


「カザン、町長……」


 その男は、恭しく、頭を下げた。


「ここで、あなたは一体何を……」

「見ての通り、儀式だ」

「人為的χ化とかいうものかしら」

「キミたちがそう呼ぶが、わたしたちからすれば、儀式アセンシオンなのだよ」


 いやー、それにしても、と。

 まるで久しぶりに会う友人に歩み寄るかのように、祭壇の近くから離れた。


「キミたちが、ここに来られるとはね。あの力を、そうだな、シシくんが使えるようになったのだな」

「なに、を……」


「とぼけるフリをしなくても良い。まさか、キミが分かっていないハズがないだろう? 迷宮を組み替える力だよ」


 左目の奥が痛んだ。手汗が滲む。


「そう。キミなら使えると思っていたんだ、シシくん。キミはこちら側に近いのだからね」

「おれは、人間だ。あなたたちとは違う!!」

「歌が」


 おれの叫びをかき消すように、カザンは言った。

 彼は人差し指を一度、おれに向けてから、隣のリンネに向け直した。


「聞こえたかね?」

「仰る意味が分かりかねますわ」屹然と答えた。「ここは舞台ではありませんのよ」


「そのままの意味だ。歌が、聞こえていたか? シシくん、キミは、どうだね」

「おれは、おれは――」


 聞こえていた。どんな人が歌っているのかも、視えていた。


「そうだ。わたしの姿すら、キミは()()()()()()


――共鳴していたのだよ、と、カザンは言った。


「共鳴……?」

「何度か、それらしい予兆はあっただろう? それは、ここで行っていたものの、余波だ。シシくんは、それらを敏感に感じ取っていたんだ」


 カザンは両手を勢いよく広げた。上着が音を立てて広がる。


「素晴らしいよ、羨ましくすらある」


 それに比べて、と、リンネに恨めしそうな顔を向けた。


「わが神聖な祭事の間に、どうしてキミのような者が居るのだね」

「わたくしのかわいい相棒をかどわかす胡乱な者を、看過することが出来ましょうか?」

「シシくんは素質がある。穢さないでいただきたい」


 素質?

 素質とは、なんだ?

 槍を持つ手が震える。


「ああ、そうだよ、シシ君」


 心の中が探られる。

 隅々まで、手探りでかき乱される。


「きっと、キミなら、あの人も気に入ってくれる。まったく、羨ましいよ」


 あの人?

 あの人とは、誰だ。

 彼は、なにを言っている。


「分からないだろう、今は、まだ」


 彼の手が、眼前に差し迫る。

 握手を求めている手だ。

 おれは、その手に――。


「さあ、こちらへ」


 おれは、その手を――。


「しつこいですわね!!」


 一対の異なる剣撃が飛ぶ。

 目の前の手が消える。生臭いにおいが部屋の中を満たした。


 顔に生暖かい液体がかかり、そこで、自我を取り戻した。


 見ると、リンネがカザンへと斬りかかっていた。


 メの字型に彼の身体が裂かれ、足元はすでに血だまりになっている。

 おれの場所からカザンのところまで、三メートルはある。

 たった一回の踏み込みで、あそこまで飛んだ、ということか。


 しかし、カザンは口から血を吐き出しながら、不敵な笑みを絶やさない。


 黒い液体が、どろどろと、土の階段を伝って、流れてくる。


「彼は、渡しません」

「ああ、醜い」


 横に控えていた二人が、リンネに向けて一斉に剣を突き出した。だが、それが届くよりも先に、そこから彼女は飛んで、宙で一回転しながら、おれの隣に戻ってきた。


 全身に返り血を浴びてもなお、彼女はまっすぐ相手を睨みつけている。


 相手の血をその身に浴びれば浴びるほど、眼光は鋭く相手を穿ちぬくのだ。


 おもいっきり膝を叩いて、震えを抑える。

 穂先で、相手を捉える。


「ああ、毒されてしまっている。だが、まだ、余地はあるのだな」

「おれは、あんたたちの仲間になんてならない」

「ならない、か。シシくん、やはりそれは勘違いなのだよ」


――すでにキミは、われわれ側なのだ。


「違う!!」

「否定したければすればいい」


 リンネに斬られた痕をそのままに、彼は続ける。


 傷からの出血はすでにない。体内に残っている血液はすべて、地面に流れ出てしまったようだ。


 だが、カザンは倒れない。

 もはや彼に、血液は必要ないのだろう。


 カザンは後ろに下がり、代わりに二人が前に出てくる。


「いつか分かる。キミは、あの人のもとに行くのだ」


 元町長の影が大きくブレる。目を凝らして見ようとする間に、そこからいなくなっていた。


 あとに残ったのは、二人と二人と、祭壇の子ども。

 右の人が大きく剣を振ったのを合図に、飛び掛かってきた。


 槍で勢いをずらす。

 壁際に追い込み、距離を保ちながら、武器を持つ手を狙っていく。

 数回の打ち合いのあと、案外あっさりと武器は落とせた。


(武器を持って戦うことに慣れていない……?)


 相手が手をおれに突き出す。それは握手ではない、魔法を放つ前の動作だ。

 展開した防護壁に、白い閃光が突き刺さる。空気が焦げて、特有のにおいを発する。


 今度は地面を這うような、蛇のような動きをした稲妻が来る。


 槍を反対にもち、石突を地面にぶつける。

 地面がうなり、白い蛇は宙に打ち上げられて霧散する。


 鞭のごとく床がしなり、はじけた勢いを相手にぶつけた。

 相手も防護壁を出し、それを防ぐ。

 深くかぶり、顔を見せなかったフードがめくれ上がる。


(やはり、そうか……!!)


 見えた顔は、町長の秘書、その人だった。

 だが、すでに表情は失われている。


 彼女の顔に刻まれた文様が、ゆっくりと明滅している。それは複雑な魔法陣だが、特徴的な形状に見覚えがある。


 あれは、<レッド・ホロウ>の描いた、使役の魔法陣だ。


 本来ならば、魔物に対して使われるものであり、対人用途で描くことは、禁忌である。その人の意思を上書きしてしまうからだ。


 ならば、彼女は操られているのだろう。無属性の魔法によって、その束縛を打消すことはできるはずだ。


 しかし、それは上書きへの上書きになる。つまり、記憶を消去することになる。

 その覚悟は、あるか。

 いや、やるしかない。おれの覚悟は、不要だ。


「ッッ!!」


 風魔法で暴風を起こす。


 防護壁を使ったって無駄だ。それごと吹き飛ばすことができるくらい、強い風を起こした。


 壁が背中にぶつかったのと同時に、おれは彼女の首に手を掛ける。


 このまま、打消を行えば――。


――情けない。


 どこからか、声がした。カザンの声だ、まだ見ていたのか。


 すると、突然、目の前の彼女が苦しみの声を上げ始めた。


 顔がいびつに膨れ上がり、体色が変化していく。ぼこぼこと、皮膚の表面が泡立ち、眼球が飛び出さんばかりに、目が限界まで見開かれていく。


「シシ!!」リンネが後ろで叫んだ。「このままだと、彼らは堕ちてしまう!!」

「やめろ!! カザン!!」


――もう遅い。


 皮膚が弾け、眼球がおれの頬に当たって――。


 首を掴んでいるおれの手を、骨が見える手でつかみ返してきた。

 何もなくなった眼孔から、赤い光が漏れていた。


 コアだ。直感でそう思った。


 人が魔物に堕ちる、χ化。


 アノインが誕生したあの時とは、比べ物にならないほど、効率化されているのが分かった。


――アセンシオン。これが、われわれを救う唯一の手段なのだ。


 カザンの笑い声を断ち切るように、骨の手が目の前でスッパリと斬られた。剣撃が飛んできたのだ。


 即座に距離を取って、コアに向けて槍で狙う。

 コアの場所は、おそらく、心臓の場所だ。


 ガシャガシャと、骨が蠢き、互いにぶつかる音がする。

 剣を持とうと、地面に落ちているそれに手を伸ばそうとしている。


 液状化し、骨にこびりついていた肉が、音を立てて地面に零れる。

 槍を持って低く構え、左手を沿え、それで狙いをつける。


 一突き。


 肋骨の間をすり抜け、どこともぶつからないまま、コアを貫き、壁に穂先が着いた。


 眼窩から一際光を放ち、カタカタと痙攣したあと、崩れた。あっけなく、積もった骨の山になってしまった。


 後ろでも同様に、骨の山から剣を抜きだしているリンネが居た。

 おれは顔だけ、彼女に向けた。


「帰ろう」おれは声を掛ける。「ここに居たくない」

「いえ、まだ、やるべきことがありますわ」

「やること?」


 それ以上何も言わず、彼女は祭壇に近づいた。


 目をやると、オブジェに括りつけられた子どもが、苦しげに肩で息をしていた。


 そうか、その子を解放しなくては、と思い、おれもそこに近寄ろうとした。


 すると、ゆっくりと、リンネの切っ先が、おれの鼻先にまで持ち上げられた。


「な、なにをしているの。ちょっと、待って」

「この子は、もう助けられません」


 そう言って、おれに向けた剣を、足元に居る子どもに向けた。


「もはや、こうするしかないのです」

「わからない、まだ助けられるかもしれないじゃないか!!」

「あなたも分かっているでしょう」


 極めて冷静に、彼女は言った。


――分かっているはずだ。


 おれは彼女の足元で俯いている子どもを見る。


 その子どもは、傷一つつけられていない。


 しかし、その頭上には、切り取られ、飾り付けられた、その子の親とその仲間たちの首が、手足がある。


 その血を、ずっと浴び続けていた。


 これは、アセンシオンではなく、<レッド・ホロウ>がやっていた、原始的な人為的χ化の儀式の手順の一つである。


「わたくし、実は、<レッド・ホロウ>に関しては、あなたほど詳しくないのです。反王族主義や、χ化については聞き及んでおりましたが、人為的にχ化を起こすことを目的とした集団であったことを、最近まで、恥ずかしながら存じておりませんでした。なので、彼らの儀式などの知識に関しては、シシの方が上だと思います」


 ならば、と。


――わかるでしょう。


「この子は、もう助からないのでしょう?」


 カザンが歌っていた理由は分からない。それが、アセンシオンと、原始的なχ化儀式の差異なのかもしれない。


 だが、それを気にする、どうにか出来るかもしれない時機タイミングは、すでに逸していた。


 おそらく、人為的χ化儀式における、最終手順を終えているだろう。

 つまり、リンネは、正しい。


 このまま、この子を地上へ連れて帰れば、保護した先で魔物化する可能性がある。


 人為的χ化が成功した例は、あの時の一例のみ。


 あの、子どもだけだ。


 だから、カザンも子どもを……。

 槍を持つ腕を、片方の手で握った。

 リンネの顔を直視できない。


「……。二度」


 二度、殺さなければならない。

 χ化達成条件を、一度クリアしなければならない。

 少なくとも、おれはそう結論付けた。


「どうやって?」

「どうやってでも。キミに、任せるよ、リンネ」

「ええ。帰り道の確保、頼みましたわ、シシ」


 その日のうちに交わした彼女との会話は、これが最後だった。

 この後、どうやって迷宮を出たのか、実は記憶がない。気づけば、部屋のベッドに寝転んでいた。


 夜が明ければ、また、いつものような一日が始まることを祈って。

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