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戦姫、ブリュンヒルデに捧ぐ  作者: 野之 乃山
一章 リドの村
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2-1 検問所

 その後、走り去っていったキダラが、新しい荷台に人を乗せて戻ってきた。ネロが言うには、その人たちはリドの村の自警団の者だそうで、当然ながら、みなぼくのことを怪しむ目で見ていた。


 ネロもぼくも土や機械油で汚れている。一体何をしていたか、と聞かれても、ぼくは上手く説明できなかった。村の検問を受ける時も、彼女が間に入ってくれたおかげで、とりあえず村の中に入ることができた。しかし、どうにも検問所の雰囲気は悪かった。例えば、ぼくを担当した、獣の耳が生えている、二メートルは優に超えている長身の女性は、明らかに機嫌が悪かった。ちょっとでも手続きが手間取ると舌打ちをするし、ぼくが聞き慣れない言葉を聞き返したりまごついたりすると、あからさまに表情をゆがめた。委縮するぼくの態度も余計に気に食わなかったのだろう。


 ネロにもそれが分かったようで、いつもはあの人はあんな感じではないのですが、というフレーズを彼女の口から何度か聞いた。


 ぼくの入村申請中、少し時間が空いた。ネロも何がしかの報告が必要なようで途中で別れたので、気を利かせてくれた別の自警団が待合室に案内してくれた。待合室と言っても、適当な椅子と何冊かの本が置かれているだけの部屋だった。適当に座り、時計を見る。時間は16時を指していた。


 馴染みのある、白い背景に黒い数字と長針、短針、秒針のシンプルな時計だが、違和感がある。だが、どこが違うのかがわからない。疲れて視界がかすんでいるかもしれない。


「やあ、そんなに怖い目に合ったのかい?」


 目を細めたりこすったりしているところに、声がかけられた。落ち着いた感じの男性の声だったので、検問所の人かと思って立ち上がろうとしたが、肩に手を置かれ、座ってていいよと言われた。


「いえ、なんだがゴミが入ってしまったようで」

「ごまかさなくてもいいよ。ネロには秘密にしておくから」


 というか秘密にしないとうるさいからね、と笑いながら、ぼくの近くの椅子に座ったようだ。彼をみると、つばの広い帽子を目深にかぶっており、長い髪のせいで顔は良く見えない。季節は分からないが、厚手のコートを着ているにもかかわらず、涼しげに胸元から文庫本を取り出す。ちらっと見えた、耳にはリングがいくつか通されていた。また、彼は手袋をしているようだった。


 ぼくの視線に気づいた彼は、左のつばを親指で押し上げる。

 鋭い目線がぶつかる。驚くほど白い頬と、宝石のような緑色の瞳がぼくの顔をじっと見る。彼の瞳の動きは、影になっているはずなのになぜかはっきりと分かった。まるで、瞳が淡く発光しているようだった。


 不思議な感覚に陥っていると、彼はコートの右ポケットからハンカチを取り出し、それをぼくの目の前に差し出す。文庫本を閉じて、開いている手で左頬を指さす。


 まるで意識を彼に乗っ取られたかのように、左手だけが勝手に頬まで動いていくが、直後、ピリッとした痛みで、身体の硬直が解ける。指先を見てみると、乾きかけの血が付いていた。


「す、すみません。血で汚してしまうわけにはいきませんので、お気持ちだけ受け取ります」


 そう言って袖で拭おうとしたが、ぐっと顔が持ち上げられる。手袋でもわかる手の冷たさ、双眸がぼくを射抜く。そっと頬にハンカチがあてられる。痛みを覚悟したが、良い感触が微風のように撫でていっただけだった。


「これの糸は特別製でね」瞳が見えなくなる。笑ったようだ。「汚れを弾くんだ。水で流してやればすぐにきれいになる」


 ただし、と付け加える。


「後でちゃんと消毒してもらいなさい。傷口からばい菌が入ったら大変だからね」


 ぼくは首を縦に振る。すると、彼はハンカチをポケットにしまい、手前にある一冊の本を手に取って、ぺらぺらとページをめくった。

「最近、リドの村、この周辺に現れるモンスターの気性が荒っぽくなっていてね。ネロが手間取っているのもそのせいだろう」


 あるところでめくる手を止め、それをぼくに渡した。


 見開きにあるのは、先ほど戦ってなんとか倒せた大きな腕と不釣り合いに小さい胴体の、<モンスター>。表紙を確認してみると、タイトルは「魔物図鑑」とあった。


「モンスター……」

「初めて見たかい? この世界じゃありふれた存在なのだが」

「記憶がないんです。ネロに拾ってもらう前までの」

「それは失礼」

「いえ、謝らないでください。おかしいふうに見られるのも、不思議ではありませんから」


 図鑑に目を落とすと、この腕が特徴的なモンスターの名前は、「テルミドール」という名前だそうだ。巨大な腕から放たれる一撃は、木々の幹を粉砕することもあり、うかつに刺激するのは命の危険がある、という記述がある。しかし、その文面のすぐ上に、飼育難易度なる指標もあったりするし、知能についてもかなり事細かに書かれている。さらには特記事項として「言語を介した意思疎通も可能」が付されていた。ぺらぺらと他のモンスターも見てみると、いくつかの種族においては、経済に介入することも可能、ということも書かれてあった。


 記憶がないぼくがイメージする、ということもなんとも矛盾する行為だが、ともかく無意識に浮かび上がった「モンスター」というものとは、やや違っている。これは、これらは、図鑑として纏めること自体が適切だろうか、むしろぼくや隣の団員の人と同じように、人種ではないがそれに近い生命体という認識なのではないだろうか。


 しかし、戦ったこのテルミドールという種類は、言語を理解しているわけではなさそうだった。理性なんてものも感じられなかった、あれは、本能のままに動く獣そのものだった。


「ネロはああ見えても結構強い。この村イチの実力者と言っても過言じゃない」

「わかります。こう、爆発する魔法? を連発していましたし、ぼくよりも小さい身体で大きな剣を自在に振っていたのを見ました」


 そうだろう、と、彼は人差し指を口にやり、隠すようにくすくすと笑った。


「あの子が先に飛び出していったときにやっつけたのは、ホブゴブリンだそうだ。それにも載っているだろう」


 言われるがままにページをめくる。ホブゴブリン、放棄された機械やその部品に魂が宿ることで発生するため、個体によって姿が変わるモンスターであるゴブリン種の上級種であるらしい。ゴブリンは自身の身体を構成する部品の一部をぶつけることでしか攻撃できないが、ホブゴブリンはそれより高い知性と魔力を持つため、剣を使うことも魔法を使うこともできる、とされている。


 外見の例がいくつかスケッチとして載っているが、機械部品が種別用途の区別なく集まり、中心にコア部品が必ず存在するようだ。機械ならなんでも取り込むようで、加工用のレーザ機器を取り込み、強力な破壊光線を放つ個体も存在したという。


 個体によって危険度が左右されるためか、大まかな評価しかなかったが、少なくとも、「見かけたら、音を立てず、その場から立ち去る事を推奨」と赤文字で書かれているくらいには危ない相手なのだろう。


「彼女は駆除報告に、ホブゴブリンを五体駆除、と書いたそうだ」


 ネロがそれら五体を倒すのに、おそらくそう長くは掛かっていない。キダラが走った分、そこから距離もある。そもそも、ゴブリンたちを探す時間もあったはずで。

 

 罠だった、と、駆け付けてくれた彼女はそう言っていた。人の声を録音して、偽装したことが分かっていたという事は、声の主を探したはずだ。


 ぼくとアイツがやりあっていた時間は、正味、五分もないだろう。キダラが走った時間も合わせれば、七分くらいか。その間に、ネロはこれらのことを済ませていた。


 考えれば考えるほど、彼女の強さがぼやけていく。今のぼくには、彼女の強さを測り、理解に落とし込むための定規がない。この図鑑の記述だけでは到底足りない。


 そんな彼女が苦戦した、あのテルミドール。その戦果はぼくの手柄となったそうだが、とどめを刺したのはネロであるし、ぼくはその手助けができたかどうかも怪しい。自分の身を守るので精一杯だったはずだ。ほとんど無我夢中で動いていたのだ。


 妙な汗が滲んできた。

 そんなぼくを横目に、彼は文庫本を胸ポケットに直し、立ち上がる。


「では、少年。また」


 その声ではっと我に返って立ち上がり、待合室の出入り口を見ると、そこにはくたくたになったネロが居た。


「すみません、お待たせしました……」ふらふらとぼくのほうに寄ってくる。


「お、お疲れ。ねぇ、さっき、そこに黒いコートを着た人が」


 ぼくがそういうと、ネロは一瞬の間のあと、すごくにがそうな顔をした。


「幽霊でも見たんじゃないですか? さ、早く出ましょう」


 手を引かれながら待合室を出た。気が付けば窓の外は真っ暗になってしまっている。

 左頬を撫でてみると、痛みはなかった。しかし、左の手の指には薄く血が付いていた。


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