4-3 脱出
明かりが再び灯ったとき、おれたちは小部屋のような場所に居た。
「あら」
リンネが気の抜けた声を出す。
職人が製作したような、なんとも座り心地の良い椅子と、テーブル。その上には、透明なビンが置かれ、中に花が入っている。花弁を大きく開いていて、紫色で、かつ、淡く光っているようにも見える。
ポットも置いてある。つぼ型の、膨らんだ下部にそっと手を伸ばしてみた。熱を感じる。お湯か何かが入っているのは間違いない。クッキーがあるから、きっと紅茶かコーヒーなのだろう。ちなみに、おれはクッキーにはコーヒー派だ。
ただ、まあ、この状況でそれを食べるような気は起きない。道端に落ちているアイスクリームの上の部分を、掬って食べるのと大して変わらない、とおれは思った。
誰かが近くにいた。真後ろに振り返ると、そこにあるドアが若干開いていた。暖炉があって、その奥が調理場のようだ。
妙な感じがした。
前に目を戻すと、そこにあるドアも意味ありげに少しだけ空いていた。長方形のマットが床に敷かれている。出入口のようだ。
キッチンに誰が居るのかを確かめてみたかったが、ここが正常な世界である保証はどこにもない。
「出よう」
小さな声で言った。リンネは周囲を見渡していたが、声にはちゃんと反応してくれた。
「ええ」
できる限り音は出さないようにして、おれたちはそこから出た。
*
一歩進んだだけですぐに光が全身を覆った。足元がなくなり、浮遊感に包まれる。あまりの気味の悪さに、咄嗟にリンネの手を掴んだ。
身体が浮いているハズなのに、二歩目があった。そのときには、迷宮の中に居た。
「あ!!」
エルフの女性、ソノアがおれたちを見つけた。
眩しい所から急に暗い所へと出たものだから、目がおかしくなりそうだった。
目をこすりながら、なんとか、目の前の風景を認識する。
ここは、中層から降りてすぐの階段があった、あの焚火台のある拠点だった。
バレスたちの姿は見えない。だが、横たわっている人の姿が見える。人数は先ほどよりも多い。よく見れば、横たわっているのは、道中に出会った彼らの遺体だった。
「大丈夫ですか」
目が慣れてきた。後ろを振り返ると、同じように目に手を当てているリンネと、扉があった。
「大丈夫です。……、彼らは」
「いつの間にか、この台を挟んだ反対側に、おられました」
「そうですか……。この、扉は」
「あなた方が今しがた出てきた扉では?」
状況的にはそうだろう。だが、先ほどまでの記憶とは違って、これは鉄の扉だ。
――先ほど?
心の中で、首を二度傾げた。
先ほどまで何をしていただろうか。どうして、おれたちは目をこすっている?
明るい場所とは、どこのことだろう。
背中に手をやろうとして、片方の手が塞がっていることに気づいた。それはリンネの手と繋がっていた。
どうして、手を繋いでいるのだろう。
おれは手をはなし、バッグに手を当てた。下の方に、ドロップ品らしきふくらみがある。
あの、<水晶の楽園>らしき場所からここに至るまでの記憶がない。いや、ないわけでない。思い出せなくなっている。
どれだけ唸って、記憶の引き出しをがらがらと無造作に開けてみても、お目当てのものが見つからない。数分前のことだろうに。いや、もうどれだけ前のことかもわからない。
もう一度、扉を見てみる。<ナツロスの定>のアジトの扉に似ている。ただ、それほど分厚いものではなさそうだ。ノブをスライドさせることで、鍵が外れるようになっているみたいだ。
ここを開けば、分かるだろうか。
ノブは金属製だが、手が触れるところは樹脂のような別のものでコーティングされている。寒冷地用の、張り付き防止のための工夫のようだ。
くぼみに、手がすっぽりと収まる。わずかに右へずらすと、がちゃり、とあからさまな音が聞こえた。
押してみる。沈み込むだけで開きそうにない。
引いてみた。開いた隙間から、ソノアがその先を恐る恐る覗いている。
「バレス!!」
「その声は、ソノアか?」
一定以上開くと、それ以上動かなくなってしまった。複数の足音が聞こえる。
どたどたと、一団が中に入ってくる。
最後に、バレスが後ろ向きに入ってきた。彼が完全にこの広場に入ってきてから、おれはその扉を全力で押して、施錠した。
その扉は消えることなく、ずっとそこにあった。
ボランは他のメンバによって治療を受けていた。最初は出血していたものの、手早い処置と回復術のお陰で、二、三日もすれば完治すると、本人が言っていた。
「二人とも、無事でなによりだ」
バレスは、大きく腕を広げて言った。おれは手を出して、握手した。
「そちらこそ。あの後は、どうなりましたか?」
「キミたちと分断されてしまった後、一本道に投げ込まれてな。とにかく進むしかなかった。ただ、そんなに時間は掛かっていなかった、なぁ?」
焚火台の近くで作業をしているメンバたちに声を掛ける。
「正直、五分も歩いていないと思う」
と、一人が言った。
たった五分で、あの特異種を打ち倒したとは、到底思えなかった。
おれたちの時間感覚が狂っているような気がした。
バレスは口の周りの毛を撫でながら、おれたちを指差した。
「そっちはどうだった?」
「クライノートの特異種でした」
通常種より何倍も巨躯で、素早い動き。
何よりも、魔法を反射する特性を持っていたこと。
そのことを伝えると、バレスは、パーティの遺体を目だけで見た。そして、俯いてため息を吐いた。
「まるで、おれたちを殺すためだけに生まれてきたような奴だったのか」
すまない、とバレスは言ったが、嘆くようなその呟きに、おれはショックを隠せなかった。
そんなことがあるのだろうか。
――絶対にありえない、とは言い切れない。
過去に、魔物の進化について、考えたことがある。いつだったかは忘れたが、魔物も進化する、という話だ。
そう考えれば、あの特異種は、セオリー通りに動く相手を倒すためだけに、そのような進化を遂げたことになる。
おれたちみたいな、外れ値のような存在には無意味だが、それ以外の大勢には対応できる。
あまりにも無理やりな、究極的に非効率的な進化形態だ。でも、有効ではあるのだ。
迷宮という環境が、後押ししている可能性もある。もともと、この中は一日で自動的に組み替えられる。それに世代交代が伴っていると考えれば、それでも気の遠くなるような話ではあるが、少なくともヒトの進化よりも早いだろう。
それが一気に発現したのが、あの特異種という形を作った。
――迷宮の組み替えに関しては、どうなるのだ。
「それに関しては、もう、見当はついております」
肘を抱えて考えていると、リンネが小さく言った。
何を考えているのか、お見通しのようだ。
「心を読まれた気分だよ」おれは苦笑する。「どんな感じなの?」
「魔物に関しては、あなたの方が詳しいでしょうから。わたくしは外的要因を探るまで」
ただ、と。
リンネの手がおれの腕をつかむ。ぎょっとして、おれは思わず反対側へと後ずさった。
「それが外れることを祈っています」
「どうしてさ」
「シシが、苦しむのを見たくありません」
おれが、苦しむ?
どういう意味だ、と訊く前に、バレスらがおれたちを呼んだ。そのまま腕を引っ張られてしまい、その話は流れてしまった。
焚火台の近くで、円形状に立って、会議が行われる。議題は、脱出方法だ。
ボランの傷が、予測不能な悪化を見せる可能性もある。できるだけ早く、この場所から出るべきであった。それについては、誰しもが頷いた。
だが、変わらず、拠点に来た時に降りてきた階段は、壁に埋まったまま無くなっていた。
組み替え技術を持たない魔物が倒されたことによって、迷宮が正常状態になったと考えられるが、<ナツロスの定>以上に無秩序に使用された可能性が高い。少なくとも、今日一日は、迷宮はぐちゃぐちゃになったままだと考えてもよいだろう。
結局、どれだけ頭を悩ましていても、あの扉の先に行くしかないのだ。
「その場合、彼らはどうなる?」
バレスが、左に立っているソノアに向けて言った。
「官給タグがあるから、運が良ければ、明日も残っていると思う」
「ただし、この場所は暖かいので、涼しい場所に移す必要があります」
「できれば、連れて帰ってあげたいな」右前に立っている男が言う。
「それは否定しないが、彼らを背負って動くのは難しいぞ」
バレスが答えた。二、三人がうなる。
すると、リンネが小さく手を挙げて、はっきりと言い放った。
「ご心配なく、わたくしたち二人が道を開きます」
「それはありがたいが、しかし、キミたちの方は、体力は大丈夫なのかね」
「特異種と戦ったんだろう? 無理は禁物だぞ」
「ご心配なく。結局はいつものようにしたまでですので」
「バレスさんの方こそ、おそらく殿をお任せすることになると思いますが」
「言われているわよ」
「うーん、そろそろ歳だしなぁ」
下手に頭を捻るだけ捻って、時間を無駄に費やすわけにも行かない。
少しの間、休息を取ったあと、あの扉の先へと進むことになった。
水を貰い、二人で分けながら、座った。
脱力しきったヒトの身体は、滅茶苦茶重たい。そんな話を聞いたことがある。
どう運ぶのかは分からないが、紐を取り出しているようだった。
メンバたちが手慣れた様子で作業をしているのを、ぼうっと眺めていると、広間の奥の壁に、光るものを見た。
なんだろう、と思い、しばらく見つめていると、非常にわずかながら、少しずつ、強くなっていく。
青い光。そこから見えてくるのは、
――手?
「う……ッ?!」
「むぅ……ッ?!」
視界が揺れ動く。
地揺れか、と思ったが違う。これは、おれの体内から起きているものだ。
平衡感覚が失われていく。耳鳴りが酷い。
思考がまとまらない。まるで、痛くない鈍器で頭をフルスイングされたように、頭の位置すら定まらない。
あとから聞いたが、バレスも同じタイミングで頭を抱えて蹲ったらしい。
おれは、隣に居るリンネからの呼びかけも全く聞こえていなかった。
身体がどれだけ揺さぶられても、目が合わず、ずっとおかしな方向を見ていたようだ。
そのおかしな方向、というのは、おそらくは、あの光が出てきていた壁の一点なのだろう。
ただ、錯乱する意識の中で、耳鳴りのせいで周囲の音が全く聞こえなくなってしまった聴覚が、なにかを聞き取っていた。
それは、音程がある。
それは、言葉がある。
それは、意味がある。
歌、だった。
伴奏は無い。
優雅な、予感を見せる前奏がフェードアウトし、スポットライトを一身に浴びて、歌う人。
心情を吐き出す。周りの人が武器を携えて、今にも降りかからんとするその暴力の前に、時が止まり、彼は嘆いている。
彼?
そう、歌っているのは、男性だ。
ステージの上で、観客に対しておおらかに歌い上げる。
見たことのある顔が見える。
痩せた頬。
嫌味な目つき。
くまがあって、
口元は常にゆるんだ微笑みを見せている、
狂人だ。
万雷の拍手が起こる。
囃し立てるような、口笛を吹いている者も居た。
おれはそれを、ステージの脇から見ていた。
役者たちが揃って挨拶する。
その中で、
その狂人だけが、おれを見て笑った。
その顔は――。
イメージが遠のく。
後方から前方に向かって、背景が溶けるように流れていく。
滲む。
一点に収束した情景が、おれの吸った音で広がった。
身体が熱い。
汗をだらだらと流している。
両手で耳を強く抑えつけていたせいか、側頭部がじんじんと痛む。
熱帯夜に寝苦しくて、つい目が覚めてしまったような、そんな不快感だけが残っていた。
「シシ? シシ!!」
「りん、ね……?」
顔を上げると、ソノアとリンネがこちらを覗き込んでいた。
ぐしぐしとタオルを顔に押し付けられる。少しだけ涼しくなった。
「なにが……」
「それはこちらのセリフですわよ、一体何がありましたの?」
「歌が、聞こえてきたんだ」
「歌?」
「ステージが、見えた」
隣から声が聞こえてきた。同じように、壁にもたれながら、息も絶え絶えになっているバレスが居た。
周りを見ると、他にも一人、全力疾走後のように肩で息をしている人が居た。
「光が、とか、歌が、とか。何かの精神攻撃でしょうか」
光。
青い光。
おれはそれがあった場所を、まだ覚えていた。
「あ、ちょっと、急に立ち上がったら」
リンネの肩を貸してもらいながら、そこへ歩く。
目に焼き付いて離れない。強い光を見たせいかもしれない。
そこに手を当てる。わずかに暖かい。
ガコン、と。スイッチが入って、何かが動き出す。
「おい、見ろ!!」
誰かがそう叫ぶ。
気が付けば、扉のあった壁は、一面、シャッターになっていた。
駆動するモータ音が、場違いに迷宮に低く響く。
全員が言葉を失う。警戒して剣を抜く者も居た。
しかし、見えてきたのは薄暗い、飽き飽きした迷宮の空間などではなく、
巻き上げられていくシャッターの向こう側は、見通せない光であふれていた。
*
おれたちが町に戻ったとき、他の班の内、半数程度がすでにギルドに帰還していた。簡単に報告をしたところ、迷宮の異変の主は、やはりあのクライノートの特異種で間違いないようだ。
帰還している他の班の情報によれば、迷宮の組み替えに遭った班と、やたら負傷者に出会う班など、それぞれ別の出来事が同じ迷宮で数多く起きていたらしい。
残った班も、それほど遅くならずに帰還した。残りの二班は、とにかく荒ぶる魔物たちに遭遇したようだ。
死傷者の数は思ったよりも多く、二桁に上らなかったことのみが幸いだと、誰かが言った。
おれは特異種の情報を隠さず公開した。一通り話すと、迷宮内に特異・変異の類が出現する事態は、全く考えられないことだと、ギルド支部長が言った。
「他の迷宮にも当たってみたが、前例は一度のみ。それも、大昔だ」
「その時、なにか、外界で異変が起きていたとかは」
他の班のリーダが訊いたが、支部長は首を振った。
「突如として出現したそうだ。まさに、今回のようにな」
「それにしても、魔法を反射する魔物か……。厄介だ」
さらなる情報交換が行われようとしていたが、おれはリンネに連れ出された。興味深い話が聴けるかもしれない、と言ったのだが、彼女は聴く耳を持っていなかった。
ドロップ品である原石を彼女に渡すと、何度も何度も、宿に帰って身体を休めろと、釘を刺されてしまった。
たしか、昼前に迷宮に入ったはずだ。今はすっかり太陽が傾いてしまっている。もう少しで暮れるだろう。
時間の感覚がどことなく、変だ。
いや、変なのは時間のみではない。
「おかえり」
宿のドアを開くと、受付の主人が居た。どうもです、と言ってから、電話を借りたいと言った。彼はたばこをくわえながら、顎で示した。
電話が置かれている台に、同じように分厚いメモ帳が傍にあった。<ロスカシュ>の番号をそれから引いて、コインを入れて番号を押した。
呼び出し音が一度鳴ったところで、リュウタロウが出た。
「おお、にいちゃん。元気か?」
「元気、そっとはどう?」
「あんまり」
「と、言うと」
「うとうとしていたんだけど、急に気持ち悪くなっちゃって」
「大丈夫?」
「今は全然、何ともない。なんか大変だったらしいね」
「でも、お陰で良い物が手に入った。リンネがそっち向かっているから、バブーシュカさんによろしく伝えておいて」
「お、マジ? わかった、また連絡する。気を付けろよー」
受話器を置いたとき、同時に腹の音がした。ただ、今から食事、というのも、晩が入らなくなりそうだし、リンネに怒られるかもしれない、と思った。
だが、意識してしまったので、とにかく何かを腹に入れておきたかった。
頼めばポテトフライを作ってくれるだろうか、などとのんきなことを考えつつ、おれは食堂のドアを開いた。




