3-1 奇妙な依頼 part1
気が付けば、目が覚めた。
自分の腹の音で起きたようなものだったが、しかし、よく眠れたような爽快感があった。
カーテンのかかっていない窓の外は、まだほんのり暗い。まだ、寝息が聞こえる。時計は暗くてよく見えないが、いつもの起床時間よりやや早い時間を示していた(ように見えた)。
音を立てないようにしながら上着を着て、顔を洗い、施錠を忘れずに、部屋を出る。
ポケットに手を突っ込み、首を引っ込めながら、食堂へ行く。ドアに手を掛けようとしたとき、すでに人の話し声が聞こえていた。ちょっとだけ心配になって、営業時間を確認してから、ドアを引いた。
「いらっしゃー、ああ、おはよう、ダンナ」
机を拭いているテュールが振り返る。今日はバンダナを巻いているようだった。客は一人も居ない。おれはいつもの席に座った。
水の入ったコップが置かれる。すぐにスクランブルエッグと、ベーコンと、パンと、スープのモーニングが運ばれてきた。
「大丈夫ですか?」
いつもリンネが座る、おれの正面に、今回はテュールが座った。なんだか変な感じだ。夜はいつもリンネの隣に座るから、この人の顔を見るためには、目線を斜めにすることが多かった。
「大丈夫、です」敬語だったっけな、と思いつつ、一応丁寧に話すようにした。「おかげ様で、朝から食欲ばっちりです」
「それなら良かったです。あとでお薬、お持ちしますね」
テュールが目の前から立つと、ちょうど他の宿泊客が食堂に入ってきた。足音を聞いていたのだろうか。手慣れた具合で配膳する彼女を見ながら、おれはただただ黙々とモーニングを進めていく。
さらに何人かが入ってきて、最初に入ってきた宿泊客のうちの一人がさっさと済ませ、代金を払って食堂のドアをくぐったとき、リンネが入れ替わりで入ってきた。
すとん、といつもの、おれの真正面に座った。まだ口を付けていない、コップをそっとそっちに押す。
「おはよう」
と言ったが、どうにも反応が鈍い。時間を見ると、起床時間からすれば、降りてくるのが少し遅い、と言った具合だった。おおむね、いつも通りのはずである。
コップの水をちびちびと飲んだ。そして、じっと、おれの顔を見ていた。
テュールがモーニングを持ってくると、ちらりとリンネの顔を覗いて、ぷぷっと笑って帰っていった。
「笑われたよ」
「知ってる」
そのまま、もしゃもしゃとパンを食べ始めた。おれはすでに食べ終わったので、とりあえず彼女の食べるのをぬぼーっと眺めていることにした。
いつもなら、何かしらのリアクションを返してくるはずだが、今日はただただ食べていた。よく見れば、目の下にくまが出来ているようだった。
ものの十分程度で、すっかり食べ終えてしまった。いつもと比べればだいぶ早い。
「部屋におりますので」
とだけ言って、席を立って戻っていった。
その頃に、まるで見計らっていたかのように、テュールが薬と水を持ってきた。それを溶かしているとき、彼女はずっとにやにやしながら、食器を片付けていた。
何かわかるか、と訊くと、
「どうせ、ダンナを心配し過ぎて眠れなかったんですよぅ。んもう、お嬢ったら」
ああ、そうか。
ぎゅーっと、一息にぬるい薬水を飲み干す。
「戻ったら、お礼を言っておかないと」
「二度寝するなら、歯を磨いてからの方がいいって、伝えておいてください」
そう言って、テュールは手に持っていたコップもまとめて、洗い場へ持って行ってしまった。これ以上居ると、迷惑になるだろうと思い、おれも部屋へ戻ることにした。
おれだけが入った箱が、上へと動く。天井を見てみると、木目の仕切りに、おしゃれな模様が走っていた。木の枝を模しているらしいそれは、おそらくアイドゥン神話の「天啓」の部分を、モチーフにしているのだろう。勇者が生まれ、女神からのお告げを聞いた話だ。ここから、勇者は旅を決心することになる。しかし、女神が勇者に対し、具体的にどんな話をしたのかは、実は伝わっていない。
天井は正方形のタイルを木でつないで作られていた。その一枚一枚に、話を模した絵が彫られている。
このエレベータに限った話ではないが、この宿は、どことなく古いにおいがした。この宿は、おれ好みだった。木というのがこんなにも落ち着かせてくれるものだとは知らなかった。
ネロの家から離れて一週間か二週間足らずだが、今でもあの、床の冷たさを思い出す。夏は良い感じに冷たかったが、冬は本当に、肌に張り付くのではと思うくらい冷たかった。地肌で触れてはいけない冷たさだ。
そういえば、来月はネロの誕生日だ。少なくとも今日は休まなくてはならないし、せっかくズーベ・ヘーアにいるのだから、見繕っておくのもいいだろう。ここしばらくの間、とんでもないペースで依頼を達成していたため、資金にはなかなか余裕が生まれていた。これはうれしい予想外だった。
どんなものが良いのだろうか。彼女は出会ったときから大人びていた。子供っぽいアクセサリを選ぶと、笑われてしまうだろう。それでも、彼女は大人だろうから、贈り物を粗末に扱うことはないだろう。もしかすると、プレゼントに対して、先輩としてのアドバイスをもらうことになるかもしれないが。
本当のネロの年齢は知らないな、と考えているとき、ふと、リンネとテュールはどちらが年上なのだろう、という疑問が浮かんだ。
テュールはいわば、リンネがアラム王国で親衛隊の隊長をしていたときの、世話人、つまりはメイドをやっていたらしい。それに対し嘘を吐くことはないだろうから、事実なのだろう。そこに、リンネのあの話し方がある。いつもの話し方ではない、砕けた口調だ。
そこから、それほどに仲がいいことが伺える。おれが知る限り、あのゲオルグとレーデンと、十二隊の二人にすら、あの、硬いいつもの話し方であったようだ。それは威厳を保つためでもあったのかもしれないが、本心を打ち明ける場合の口調としては、普通なら、砕けている方ではないかと、おれは思う。
リンネなら、いくら仲が良いからというだけの理由で年上を呼び捨てにしたりはしないだろう。ならば、テュールはおれと同じくらいになるのだろうか。
おれはよく、リンネの言動を幼いと思う事が多い。しかし、二人を並べてみれば、テュールの方が幼く見えるだろう。快活だし、良く喋る。笑顔を振りまき、動きを止めることを知らないのではないかと思うかもしれない。喋り方も、特徴的な訛りがあり、それを直そうとは考えていないだろう。
大人というのは、決まって平坦な話し方を好む。その方が礼儀正しいと思っているのだろうし、そうじゃなかったら、相手との距離を必要以上に詰めたくない、知られたくない、という気持ちから来ているのだろう。だから、他人からすれば、テュールは子どもっぽく映る。
リンネは話し方がその要因の大半を占めているとは思うが、所作の一つ一つがまるで貴族の令嬢のようで、掴みどころがない。どうしてあんな話し方をするのか、理由を直接聞いたことはないが、それは何かをひた隠すように思える。あの薄く敷いた、冷たい氷のような笑みが、その奥に何かがあるんじゃないか、という、裏を感じさせるのだろう。それは狙ってやっているのかどうか、おれは知らない。
しかし、おれは、テュールを幼いとは感じなかった。むしろ、リンネ以上に大人なのではないだろうか、とさえ思うほどだ。
それは、新聞等で読んだり人から聞いたりして構築したリンネ像が、現実からかけ離れすぎていたのか。
あるいは、
ここに来る前のおれが、彼女のことをそう感じていたのか。
あの人は、昔のおれを知っている。ぼく以前の自分を。
前からそれを訊いてみたいと思って、幾度かそのような話を振ったことがある。
結果はいつも同じだ。
「さあね」
どれだけ婉曲した会話でも、どれだけ直截に問い質しても、その三文字で終わる。引っ張り出すことができない。そして、決まって、いつもの笑みを浮かべるのだ。そのあと、おれが何かを付け加えたりすると、やはりクスクス笑う。楽しそうだね、と皮肉みたいなものを混ぜながら言うと、また楽しそうに笑うのだ。
幼いと思うのは、そういうところから来ているのだろう。しかし、それはテュールでさえも知っているかどうか、いや、彼女ほどに深い関係でなければ知らないかもしれない。
ある意味、おれとリンネは、そんな関係である。
箱から足を出して部屋に戻ると、明かりはついていた。ちょっと長い通路の先、おれのベッドの先に、白い足が少しだけはみ出ているのが見えた。
ベッドのところまで行くと、ばさっと布団を捲って顔を見せた。明らかに眠たそうだった。
「歯を磨かないと、虫歯になるよ、って」
「むぅ」
枕に顔をうずめる。おれは洗面台で顔を洗い、歯を磨き始める。
「まさかとは思いますが」遠くの方から聞こえる。「お勤めになるつもりではないでしょうね」
「今日は依頼はやらないよ。ちゃんと休むつもり。キミもずっと頑張っていたし、丁度いいね」
「なら、ギルド証はそこの机に置いていってくださいまし」
「わかったよ」
口をゆすぎつつ、顔を洗い、洗面台を出る。
おれは上着に入っていたカードホルダから、一枚のカードを取り出して、机に置いた。
明かりを消すと、ばさりと、布団が動く。
上着に袖を通す前に、おれは枕元で膝を曲げ、顔を近づけた。
「なんですの」
目を開けずに彼女は言う。眉間にしわが寄っていた。
「ありがとう、リンネ」
ずもも、と布団の中に顔が埋まっていった。返事は無かった。
もしかしたら返事をしたかもしれないが、おれはそれを聞く前に、上着を羽織り、部屋を出た。
鍵をするのを、忘れずに。
*
それが来たのは、おれが外から部屋に戻り、コーヒーでも一服しようと、部屋にある簡易コンロに火を入れようとしたときだった。
部屋に備え付けられている電話が鳴った。考えれば当たり前なのだが、こちらから掛けようとしなくても繋がるんだ、と、謎に驚いた。呼び出しベルが二回程度鳴ったところで、おれは受話器を手にした。
相手は、この宿の受付の彼だった。おれたちに客人が来ている、待合スペースで待っている、という内容だった。
おれは適当に返事をしながら、ベッドの上で胡坐をかいて本を読んでいるリンネを振り返って見た。彼女もこちらを見たので、おれは人差し指で床を指しながら、口パクで「し、た」と言った。すごく面倒くさそうに、表情が険しくなった。電話口の口ぶりからのおれの反応で、ろくでもない相手が来たのだろうと察したのだろう。
五分程度待ってくれ、と言って、電話を切った。
「はぁ。わたくしたちに何の用ですの」
電話が終わった途端、リンネは後ろ首を撫でながら、やや大きめの声で言った。
「用なら結構あるんじゃない? ほら、昨日の連中とか」
「精一杯見張っていたのですが、脱獄されちゃいました~、と」
「一応、報告しないとって感じじゃないかな」
「紙でよこせって、ことづけておいていただけます?」
「キミなら直接言えるでしょ」
「なんですの、わたくしが厚顔無恥な女だと、そうおっしゃりたいのですか?」
「肝が据わりすぎている人だとは思っているよ。ほら、待たせちゃさらにめんどくさいことになるかもよ」
渋るリンネの肩を押し、おれたちは部屋を出た。
エレベータで一階に降りると、右手にある食堂の扉の方から、テュールが顔を覗かせていた。今の時間帯では客もおらず、暇だったのだろう。
「何をしているの」
リンネが話しかけると、テュールは、扉から出している首を回してこちらに向いた。
「ああ、お嬢、ダンナ」
そう言って、再び通路の先を見る。すると、話し声が聞こえたのか、窓口の方から、店主が顔を出し、手の指四本で下から空気を払うようなジェスチャをした。それを見て、テュールは首を引っ込め、ドアを閉めた。
彼は待合スペースの様子を窺いつつ、こちらにやや早足気味で近づいてきた。たばこのにおいはしなかった。
「お客様がお待ちだ」
「どうも」
それだけ言って、リンネはすたすたと歩いていった。おれと彼はその後ろを着いていった。
右手にある待合スペースのソファの前に、黒い服を着た、大柄な男が立っていた。視線を見せないためか、サングラスを掛けている。だが、その黒いガラスの奥の目が動き、こちらを見たのはハッキリと感じられた。この人は、ボディーガードだろう。
その男は、何も言わずに顔をソファの方へ向けた。おれたちもそこに目を向ける。
そこには青いスーツの男が、片手にマグカップを、もう片方に書類を持ち、足を組んで座っていた。しかし、このボディーガードと比べて、何とも貧弱そうな印象であった。
病的に、線が細い、と言っても過言ではない。頬はこけているし、目に覇気がない。ただ、肌の色はまだ赤みがあった。この人は死体ではないな、と思った。
その人はマグカップから急いで口を離し、おれたちに対面のソファを示した。
「やあ、どうぞ、掛けてくれ」
「失礼します」
対面のソファの窓側におれが座り、通路側にリンネが座った。
スーツの男は足組みをやめ、胸元から二枚の小さなカードを取り出した。
「わたしの名前はカザン。このズーベ・ヘーアの町長をやっている者だ」
それに反応したのは、リンネだった。
「あら、わたくしの記憶だと、町長はチェルスキンさまであったような」
「ああ。彼はつい先日、逝去された。リドの村への慰問からの帰りに、盗賊団に襲われ、斬られてしまって……」
痛ましいことだと町長は呟いた。リンネはわざとらしく言葉を詰まらせながら謝った。それに、目の前の男も反応したが、はたして見抜いているのかどうか。
カザン町長と名乗ったこの者は、微妙な空気を、咳払いとともに流した。
「さて、本題の為に、あなた方に確認しておきたいことがある」
「なんでしょうか」
「まずキミは」と言って、一枚の紙を、テーブルの上で押しだして、おれの手元に持ってきた。「一年ほど前、リドの村に来たヨビビトの方、であっているね?」
紙を手に取る。そこには、おおよそ一年半前に、ギルドに登録した情報が載っていた。つまり、これはギルドに登録してある、おれの情報だった。
こういう登録情報を引き出せるのは、たしか、役職クラスでなければできなかったはずだ。という事は、少なくとも、この目の前の男は、そう言った立場にあるのは確からしかった。
おれが紙をテーブルに置いた事で、カザン町長は頷いた。
「続いて、あなただが」
そこで言葉が変に伸びた。紙をリンネに渡す。
当然、リンネの経歴は怪しさ満点である。なにしろ、登録から一週間程度でBクラス入りしているのだし、何よりもまず、あのリンネと同性同名である。
これで疑うな、というほうが無理な話だ。おれもそう思った。
リンネは紙を置いた。
「ええ。ここに記載されてある通りですわ」
「ええっと、つまり」
「わたくしは、親衛隊のお方と同姓同名ではありますが、別人なのです」
「そうか。その、キミは?」
どういう問いかけなのかが分からなかった。だから、リンネの話をフォローすることにした。
「自分は、その親衛隊の方の、死体を見ています」
「ああ、それは」カザン町長はうなだれ、親指と人差し指の間に、額を挟んだ。「なんということだ。いや、失礼」
カザン町長は天井を一瞬仰ぎ見て、そして座り直した。
「ここにあることは、真実なんだね?」
「ええ。そう申しましたが」
「わかった。なら、信じよう」
なにを、と言いたかったが、堪えた。
テュールが静々と、三人分の茶を持ってきた。そのまま何も言わずに、空になったマグカップを持って、静かに帰っていった。
カザン町長は茶を一口飲んだ。
「じゃあ、本題に入ろう。お二人に、仕事を頼みたい」
そう言うと、彼の後ろから、もう一人のボディーガード、いや、秘書が姿を現した。その人はカバンを持っていた。
その中から、一枚の書類が取り出され、机にそっと置いた。机の上には日光が当たっており、やたらと眩しかった。ボディーガードがそれを察して、窓のブラインドを閉じた。
「昨晩、お二人が捕縛してくれた盗賊団員が、ギルドの地下牢から逃走したことがわかった」
まあ、と、ワザとらしい声が隣から聞こえた。
「幸いと言っていいのか、けが人はいなかった。交代の隙を突いたんだな。だが、彼らは罪を犯しているのには変わりない。そこで、お二人に、彼らのアジトへ行ってもらいたい」
「アジト?」
「ああ。迷宮の中層に、彼らのアジトらしき空間を発見したという報告が、今朝、上がっていた。どうやって迷宮をアジトにできるのかは分からないが、今朝見つかったなら、少なくとも、今日一日はそこへ入ることができるだろう。そこに行って、逃げた者たちの再捕縛を頼みたい」
もしも、と、カザン町長は付け加える。
「彼らに害意がまだあり、そのために捕縛が困難な場合、その時の判断は、お二人に任せる」
「つまり、殺してもよい、と?」
聞こえたリンネの声は、やけに冷たく、氷塊のように重たく感じられた。おれは茶を一口飲んだ。冷たく、苦い味だった。
カザン町長は小さく首を振るような動きをした。声には出したくない、といったふうだった。
「彼らにはすでに懸賞金がかかっている。前町長の襲撃の容疑がかかっていたのだが、チェルスキンさんが亡くなられてから、それが確定した」
前町長殺害の実行犯として、彼らは何としてでも監視下、もしくは今後悪事を働けないようになってもらわなければならない、という事なのだろうか。
「その」
おれが口を挟むことが、なぜか躊躇われていた。それを崩して、言葉を出した。
「町長さまが、依頼として出せば、まあ、報酬金次第にはなりますが、多くの依頼請負人の方が協力してくれるとは思うのですが、どうして、その、自分たち二人に、このお話を?」
彼らがおれたちのいう事を聞かなかった場合の対処法まで示すほどならば、最初から捕縛目的での依頼を発注すれば、ほぼ確実に、数の力によって目的は達成されるのでは、と。おれはそう思って言った。
だが、言い終えたところで、それは何かがおかしい、とも思った。それはすぐに、右の方から確定された。彼女はおれを補足するように、そしてカザン町長を刺すように言った。
「この人は恐れているのですわ。存在するかどうかも分からない、彼らの背後に」
すると、カザン町長はワックスで固めた髪を痒そうに掻きながら、苦笑した。
「無用な争いは避けたいのだよ」
「ええ。重々、承知しております」
リンネは手に持っていた書類を机に置いた。そして、おれを見た。赤い瞳が、おれの目の中を探るかのように、じっとして動かない。彼女の瞳の中にいるおれは、間抜けな表情をしているように見えた。
おれは腕組をして考えるふりをした。そして苦し紛れに口を開いた。
「そのことに関しては分かりました。ですが、まだ、理由としては十分ではないように思えます。なぜ、自分たち二人なのでしょう?」
「それは、簡単だよ。彼らがお二人にやられたからだ。彼らの傾向を見る限り、ほぼ確実に、お二人への復讐を果たしたがるだろう」
突然、隣が噴き出した。口元を手で覆い、肩を揺らしている。
右ひじでつついてから、おれは続けた。
「この依頼の期限をお聞きしても?」
「できれば今日中に頼みたい。他のラビンズの方に被害が出るかもしれない。それは避けたい」
「わたくしたちには、それを相手取れと仰るのに?」
笑みを多く含んだ口で、リンネは言った。カザン町長は、いやはや、か、いやいや、と言って、申し訳なさそうにして、身体を小さくした。
それを打ち消すことはできないだろうが、かぶせるように、おれはまだ口を開く。
「やり残しで二次被害が出たとなると、夢見が悪くなるかもしれない」
秘書の方をみると、その人は依頼書が入っていたカバンではなく、内ポケットからペンを取り出し、それを机の上に置いた。
おれはそれを手に取り、キャップを外す。書類のサイン欄におれの登録番号を書く。
「ちょっと」
最後の「0」を書く前に、リンネに右手を止められた。
「約束を反故にする気ですの?」
「今日中にこれが終われば、明日からちゃんと休むよ」
はあ、という呆れたため息を吐きながら、背もたれに勢いよく身体を預けた。
おれは「0」を書き入れ、ペンのキャップを付け、その書類とともに目の前の男の手前に押し込んだ。
それを手に取り、内容を確認するまでもないだろうに、じっくり読むような素振りを見せ、そして秘書に渡した。ペンとともにカバンの中にそれらは入れられた。
カザン町長はその場で頭を下げた。
おれはあることを思いついた。彼の頭が上がるまで待ち、それを口にした。
「一つだけ、達成報酬に関して付け加えても?」
「ああ、聞こう。常識的な範囲で頼むよ」
「おれたち二人分の、下層進入許可をいただきたい。つい昨日、中層許可が降りたばかりで、次の審査が、二週間後だと言われてしまい……」
「なんだ、そんなことか」
カザン町長は、おい、と秘書の人に言った。秘書の人は上着のポケットの中から、メモ帳か何かのぺら紙を一枚持ち出し、町長へ手渡した。
そこへ先ほどとは違い、自らの胸ポケットに収まっていたペンを取り出して、何かを書き始める。
「達成の確認が取れ次第、ギルド支部長に掛け合ってみる。おそらくは快諾してくれるだろうから、まあ、一週間以内に許可が降りるはずだ」
そう言って、最後に赤ペンでサインをしたものを折り、おれに手渡した。
「誓約書だ。できなかった場合は、申し訳ないが、代替をこちらで用意させてもらうよ」
「よろしくお願いします」
あっさりとおれの要望が通ってしまった。これは断られるかと思っていた。
では、と言って、町長は軽い会釈をしたあと、受付の彼に何かを渡して、この宿から去っていった。近くに停めていた動力車へ乗り込み、ギルド方面へと走っていった。
レジスタがちーん、と間抜けな音を出した。どうやら、ちょっとした袖の下を貰ったようだ。
「あーあ」
「まったくもう」
「ごめんよ。約束通り、明日はきっちり休むからさ」
「すでに約束を破っておられるのですから、信用しておりませんわ」
そう言って、彼女は立ち上がる。
「さ、早くしないと、日が暮れてしまいますわ」
膝を叩いて、おれも立ち上がった。




