2-3 謎の予兆
「いやー、聞いたっスよダンナ!! ちぎっては投げ、ちぎっては投げ。それにイザと言う時はお嬢を抱きしめて守るなんて!!」
お盆を胸の前で抱きしめながら、テュールは身体をくねらせて興奮気味に語る。
「さすがっ、お嬢が認めた方!!」
「いや、おれは、そんなことはしてないけど――」
「またまたぁ、ご謙遜をー」
うりうりと横腹に肘うちを喰らう。おれ自身は特に何もしていないので、手のひらを見せて後ずさることしかできなかった。
時間が遅いせいか、宿の食堂には、ほとんど人が居なかった。営業時間の終了間際なので、テュールがこうやっておれたちに絡んでいても、奥の料理長は何も言わなかった。時々皿洗いの水音が聞こえてくるので、そこに居るのは間違いなかったが、相変わらず、人前に姿は見せなかった。
場所は定位置。入口に近い右側の席だ。
昼間のごたごたを処理しているうちに、いつしか日は沈み、へとへとになりながらここに座ったのはつい先ほどであった。
「しっかし、あの連中、やっぱり盗賊と絡んでいたんですねぇ。どおりで」
むむむ、と顎に指をやって難しそうな表情を浮かべる。ジェスチャが派手な人だ、と、いつも思う。しかし、見ていてうざったらしいというわけでもなく、むしろ楽しかった。
「あの事件が起きた少し後にうちにやってきたんですが、まあ口説くわ仕事の邪魔をするわ。あの身なりでイケると思っているんでしょうかね」
「大丈夫だったの?」おれが訊く。「連中、女の人にも容赦がない、って聞いたけど」
ちらりと前に座るリンネを見る。今日は彼女が入口側で、おれが奥に座っていた。その本人は、何のことやら、といったふうに、目を細めて微笑んだ。
彼女は肘を立てて、その手の平に顎を乗せている。空いている左手で、テュールを指差した。
「手を出した?」
「いやあ、さすがにここで殺人事件起こすわけにも行かないですし」
照れるように応えた。おれにはどこに照れる要素があったのかが分からなかった。
「まだやっているの?」
「武術ですか?」
リンネが頷くと、テュールは持っていたお盆を机の上において、その場で軽やかに弾むステップを踏み始めた。両腕をやや持ち上げているが、それに緊張感はない。非常にリラックスした、右肩をやや前に出す構えになった。
一瞬前の彼女の表情から急変して、何かを見据えている。多分あのスキンヘッドの頭があった位置に目線があるのだろう。睨みつけるほど強い目つきというわけでもないのに、視線は研ぎ澄まされている。そのステップの中で、一点は揺るぐことは無かった。
すると、
「ッッふ」
大して張り詰められていない掛け声とともに、ボッッ!! という、素手で繰り出されたはずの拳からは聞こえたとは思えない、空気の圧縮音があった。
拳の速さは、目で追えるようなものではなかった。ぼんやりと眺めていただけのおれには、右腕がブレたかと思えば、何もなかったように構えの位置に戻っていたようにしか見えなかった。
ステップを踏むのをやめると、いつものような彼女に戻っていた。
うへへへ、と小恥ずかしそうに笑って、お盆を持ち上げる。
おれはただただ、とんでもないものを見て、言葉を失う一般観衆になり果てていた。思わず拍手を送りたくなっていた。
実際はそれもできず、小さくすげえと呟くだけだった。
なるほど、これは確かに殺人事件が起きかねない。無防備の状態で今のを喰らえば、脳震盪どころか、頸椎がぽっきりと折れてしまうだろう。非常に幸運であれば気絶、良くて病院送り。首の骨が折れれば、あっさりとヒトは死んでしまう。
――もっとも、彼女が本気を出せば。
拳を当てるだけで、頭部が赤い液体に早変わりしそうだ。
「すごい。どんどん冴えているんじゃない?」
「いやいや、こんなの、まだまだですよぅ」
と、再び照れ始める。
「あの思い出すだけでも寒気がするツラを見なくていいと思うと、お二人には足を向けて眠れませんよ」
「おれは何もしてないよ、ほとんどリンネがやってしまった」
「またまた、またまたぁ」
べすべすと肩を叩かれる。照れが加味されているからか、それともさっきのを見たからか、やや力が強いように感じた。
「まあ、ギルドでの処置は期待できないでしょうね」
そんなやり取りの中、リンネは諦め交じりに冷たく言った。テュールの、肩を叩く手が止まる。
「やはり、内部に?」
空気が一気に重たくなる。それは彼女が神妙な面持ちをするせいだと思った。
おれはテュールに、この前の依頼のことと、その時に捕まえたはずのリーダがそこに居たことを説明した。
すると、また考えるような仕草をする。
「じゃあ、来週あたりには、おうちに帰ってまた悪さをしていそうですね」
「どうせ今晩、深夜あたりに脱獄しているでしょ。プレーティヒ区画の連中がギルドに入っていったのを見たし」
「プレーティヒぃ⁇」
テュールがうげえ、と舌を出す。
プレーティヒ区画とは、レボやマブライなどとは比べ物にならないほどの、高級区画である。この町で最も金を動かす区画であり、同時に最も危険な場所でもある。そこでは、商店を介した貴族の覇権争いなんかが、水面下で日常的に繰り広げられているとかなんとか。ギルドも直接手出しできないような、治外法権の場所なのだ。
私兵を呼び込むのも、大半はそこの商店たちである。呼び込んだくせに、使えないとわかったら、この町に放置するのだから質が悪い。
しかし、そんなことをするような連中が、あの盗賊団に目を掛ける理由が分からなかった。まあ、基本的に、このズーベ・ヘーアの裏の事情に関しては、おれがいくら頭を悩ませたところで分からないことだらけだった。
リンネだけは分かるような口ぶりをしていた。
「なんで、そんな連中があの盗賊団を逃がすんだ?」
「あなたも見たじゃありませんか。あの技術を」
「技術?」
そうだ。迷宮を好きなように動かす技術があった。
ギルドにその件について問い合わせをしたのだが、あり得ない、と一笑とともに捨て置かれた。ただの噂だ、と。
それを目の当たりにしたのは、おれたち二人と、あの三人のグループだけだ。しかも、その三人は直には体験していない。そんなのがある、と認めるには弱すぎるのも事実だ。
しかし、実際問題、あの連中は迷宮の通路を好きなように組み替える技術を持っているのは間違いない。天井のカンテラに干渉していたから、魔力を使っていることはわかる。おそらく術式を用いた魔術の類なのだろうが、その詳細は皆目見当がつかない。
確かに、それを手にすれば、ズーベ・ヘーアの、ゲンマ山脈が生み出す利益をすべて独占することも容易い。ライバルを迷宮の中に閉じ込めてしまうことだってできる。もしも階層というものすらも動かせてしまうのなら、適当に焚きつけて、切り取って下に送ってしまえば良い。下層の魔物は十分な働きをするだろう。
想像してしまったせいで、背筋がぞっとする。
盗賊団に売る恩という商品の金額は、彼らからすれば端数に過ぎないようなものだろうし、ギルドが頑なに認めない、認めたくないような危ない技術を、安価な額で買えるなら、彼らは積極的に出向いてくるだろう。
彼らの技術が人を媒介しないと判明したなら、その直後から、口封じに彼らを皆殺しにすることさえ厭わない。
そこから、その技術の奪い合いが始まるのは、想像に難くなかった。
プレーティヒの人間は、どこかが壊れている。お金を持つと、どれだけ自身をメンテナンスしても、必ずどこかが壊れてしまうのかもしれない。
胸の奥から、やり切れない思いがため息として出てくる。
「迷宮って、なんだか生き物みたいですよねぇ」
お盆を抱えたままそわそわ動いていたテュールは、空言の様につぶやいた。
――生き物。
おれには妙に腑に落ちる例えだった。
「あれ全体が、巨大な魔物なのか」
「そうですそうです」
魔物も日々進化する。あの口の中ほど劇的に変化するわけではないにしろ、ほとんどの魔物は成体になることを目指している。そこには、必ず変化はある。
そういう性質の魔物である、と。そう考えれば、不思議ではない。
人が何百人も入っても平気な身体をしている。体内には魔物が発生する。そして、ほぼ毎日、体内の通路が組み替えられる。
色々考えているうちに、魔物というものは、一体何なんだろう、と言う疑問がふと、湧いてきた。
魔力が凝固してコアを形成し、そこからさらに魔力が結集して本体を作る――。それはおれが見た魔物の発生過程だ。そもそも、魔物とは何か、それに対する疑問を、今まで抱いたことがあっただろうか。
「それよりも、その技術を悪用される方が厄介ですわ」
リンネはテュールに麦酒をもう一ビン頼んだ。今日は軽めにしているそうだが、既に二本のビンが開けられていた。
「まあ、そうだよなあ」
後ろに伸びをする。テュールが入っていく調理場のカウンタの上にある時間をちらりと見ると、そろそろシャワーを浴びたいと思った。
先に部屋に戻っているから、とリンネに言って、追加のビン分のコインを置いて、おれは食堂を後にした。
エレベータに乗り、三階を押す。ビープ音と共に、ひし形の格子がバラバラと音を立てながら閉じる。まるで人力のようにのろのろと箱が持ち上げられ、妙な景色を二度見て、箱は止まる。
部屋に入って明かりをつける。宿泊初日の部屋の雰囲気はどこへやら、今ではそこかしこに物が散らばっている。衝立なんかは、リンネの服や下着が無造作に引っ掛けられている。しわになるからやめた方がいいと何度か言ったのだが、やはり気づけばああなってしまっている。そのくせ、それを使ったかどうかすら忘れてしまう。こう言ってはなんだが、彼女はやはり恐ろしい人だった。
靴を脱いで、靴下を洗濯籠に突っ込んだ。今日もよく歩き回った、と呟きながら。
着替えを携え、洗面室に入る。そこで服を脱ぎ、浴室へ入る。
浴室は木質で、滑ることもなく、棘が刺さることもなく、個人的にはかなり好みの内装だった。
給湯ボタンを押す。駆動音が聞こえる。少し待ってからカランで温度を確かめる。
椅子を引き出して、そこに座ってシャワーを浴び――
*
――ていたはずなのだが、気が付いたときには、なぜか、おれは横になっていた。身体に被さっているものの感触からして、宿のベッドだろうか。
瞼を開ける。おれたちの部屋だ。目だけを動かして、壁にかかっている時計で時間を確かめてみると、食堂で時計を見た時間から三十分程度が経過しているようだった。
シャワーを浴びた心地よさから、ベッドに入るまでの間の記憶がすっぽり抜け落ちてしまうほど、疲労が溜まっていたのか。そう思った。しかし、どうにも、少々様子がおかしいと感じた。
頭を動かそうとしたその直後、
「いッッ……⁉」
痛い、という言葉すら出てこないほどの頭痛が、脳内を揺らした。あまりにも強烈な痛みに、視界にあるすべての色が、なにもかも白黒になった。
だが、それは余韻すらも残さず、まるで幻覚だと言わんばかりに、きれいさっぱり消え去ってしまった。後に残ったのは、二度目に備えた筋肉の緊張のみ。
「起きましたの⁉」
手がおれの頬を包むが、その勢いのあまり、おれの顔がぎゅっと寄せられてしまった。
「にゃ、にゃにがあったの……」
喋りづらい。
「あ、ああ。ごめんなさい、取り乱しました……」
顔にかかっていた圧力がしゅんと沈んでいく。恐る恐る首を回してみると、ベッドの傍に傍に椅子を置いてそこにリンネが座っていた。しきりに身体を揺らして落ち着かない様子で、首筋や額に汗が伝っているのが一目でわかった。
デジャヴを感じつつ、身体を起こそうとして、違和感に気づく。
掛け布団を少しだけ上げて見てみると、ほぼ全裸で横たわっているようだった。
未だに動揺が抑えられていないリンネにとりあえず下着を取って、と頼む。すると、ぽん、と投げ渡された。ひらひらがわずかにあって、やたら手触りが良い。こんなものあったかな、とよく見てみれば、それはリンネのものだった。
おれは耳まで熱くなりながら、努めて冷静に言う。
「これキミのだよ」
「ああ、まあ、同じようなものですわよ」
「違うから、今以上に変態になっちゃうよ」
上半身を起こして、周囲を見渡すと、近くに自分の物が落ちていたので、それを拾った。
すると、部屋のドアがノックされる。リンネが出ようとするので、ズボンとシャツを急いで着た。
「ああ、ダンナ!! 目を覚ましたっスか!!」
入ってきたのはテュールだった。いつものようにお盆を手にしているが、そこに載っているのは小皿と、水の入ったコップだった。
「ダメっスよほら。具合が悪い人は寝るべし寝るべし」
「どこも悪くなんかないよ、ほら」
と言うが、どこを指し示せば自分が正常であるかを表せるか分からなかったので、両腕を広げるだけになった。それでも、テュールにぐいぐいと押され、再びベッドに収まることになった。
小皿には少量の粉が乗っていた。彼女はそれをコップの水に流し込み、混ぜ棒でかき混ぜると、おれに手渡した。リンネが遅れて部屋の方に来る。やはりどうにも落ち着かないようだ。しきりにうろちょろしている。
「お嬢、座っていてください。ささ、ダンナ、これをぐぃーっと」
「あ、ありがとう、ございます」
コップの水は常温だった。言われた通りに一息に飲み干す。何かの味がするわけでもなく、また溶け残ってじゃりじゃりすることもなかった。あの量でちょうど良かった。
もう一度礼を言うと、今度は手のひらが額に当てられた。
「冷たいかもですけど、ご容赦を」
とテュールは言ったが、そんなことはない。むしろ心地よい暖かさが、その手から身体中に行き渡るような錯覚さえ感じた。
ただ、腕で出来たトンネルの先に、リンネが足を組んで座り、その足に頬杖をついてこちらを見ていた。あれは睨んでいるに等しい。どれだけ凄い付与魔術がおれに掛けられたとしても、あの一睨みですべて吹っ飛んでしまうだろう。
射竦められて固まっていると、トンネルの上からテュールの顔が出てきた。
「ダンナ、ちゃんと呼吸をしてください。……、お嬢、睨まないでください」
テュールが言うと、彼女ははっと目を見開く。わたわたと手を振り回す。無意識だったらしい。分かりやすく、これ以上ないほどに動揺している
「え、ああ、ごめんなさい。ええと、どうしようかしら、そう、なにか、手伝えるかしら?」
「とりあえずその怖い目をやめてくださいよ。別に、ダンナを取って食っちまおうとか考えているわけじゃあありませんから」
椅子から立ち上がって、その椅子を軸にしてぐるぐると回る。そのままどこを見ていいかわからない、というふうな面持ちで、結局は彼女のベッドに座った。
ふっと、手のひらが離れる。そのままメモ帳に何かを書き込むと、ベッドのそばに置かれていた椅子に座った。
凄かったですよ~、という言葉から、状況説明が始まった。
どうやら、おれは浴室で倒れていたらしい。おれが浴室に入ってからすぐにリンネは帰ってきていたらしい(麦酒のビンが机に置いてあった)。
明らかに長すぎるシャワーの音を不審に思い、呼びかけてみたものの、返答がない。決断までは早いのは流石と言うべきだろう。見てみれば、床にだらしなく伸びているおれがいたという。
何が凄かったか、というと、そこからのリンネの慌てっぷりだそうだ。
「シャワーを止めることも忘れ、半身ずぶ濡れになりながら、階段を駆け下り、締め作業をしていたウチのところまで来たんですよぅ。なにを言っているのか分からなかったので、とりあえずついてきたら、なんとダンナが全裸で床に倒れているじゃあないですか。どうやら浴室から途中まで引きずったようです、擦り傷とかはなさそうですが」
「あはは、お恥ずかしい……」
「いやいや、歴戦の猛者の身体つきって感じで。あ、まあ、それはともかく。そのままだとお風邪を召してしまいますし、お嬢は過呼吸で倒れそうになるしで。なので、ウチがぺぺぺっと、お身体を拭いて、ベッドに放り込みました。それで、一応薬を飲ませておこうと、下に取りに行っていたんです」
「ご迷惑をおかけしました……」
「いえいえとんでもない、しかし、大丈夫なんですか?」
「大丈夫、本当に。今は何とも」
「まだ、どこか痛むとかは?」
「全く、大きなけがをしているとかもない。いつも通り普通に健康体であった、とは思うけど……」
「やっぱり、今日の奴らに何かされたのよ、きっとそう、そうに違いないわ」
「落ち着いてください、お嬢。ダンナは、どこまで覚えています?」
「えっと、シャワーを出して、椅子を出して、座ろうとしたところまで」
「その時に、何か違和感とかは? 吐き気とか、頭が痛くなったとか」
「いいえ、全く」
「そのあとは?」
「そのあと……、あ、目を覚ました直後に、とんでもない頭痛が」
「やっぱり!!」
「うるさいですお嬢。どんな頭痛です?」
「ほんの一瞬、瞬きするよりも、ずっとずっと短いくらいで、痛むと言うか、衝撃が凄かった。ただ、余韻もないし、二回目は今のところないね」
「うーん……。単に疲れていた、ってわけでもなさそうですし、しかしそう言った類の物でもなさそう……」
沈黙がようやく訪れる。
「とりあえず、明日は安静っスね」
「え」思わず口から出てしまった。
「え、じゃないっスよ。ぶっ倒れたんスから、少なくとも一日くらいは休んでください」
お盆を手にして、テュールは立ち上がった。おれも立ち上がろうとすると、ぐっと頭を抑えつけられてしまった。たった一本の細腕の抑えつけで、おれは全くそこから動けなくなり、それどころか、押し込むように掛け布団の中に戻されていく。
「お嬢も、明日はダンナの看病をお願いしますよ」
「わかったわ」
幾分か冷静さを取り戻したリンネは、ため息を吐いた。
テュールが部屋を出ていくと、彼女はおれの傍で膝をついた。
「心配しましたのよ」
「ごめん。でも、大丈夫だから、ほら」
ほら、と。また両腕を広げるが、やはりそれによって何が大丈夫かを示すわけでもなかった。
ふっと、鼻で笑われてしまったが、ようやくいつもの微笑みが戻ってきた。そのまま着替えを始めたので、ベッド側の照明を落とし、おれは見ないように布団をかぶった。
おれも安心したのか、今度は普通の眠気が降ってきたので、深くかぶった。
明日またお礼を言っておこうと考えていたら、すぐに眠りに落ちた。




