1-4 結果
「当たれェェェェェ!!」
目の前で爆発が起きる。
奴の拳が頭上を空振りし、そして通り越してぶっ飛んでいく。
何度も地面を跳ねたのにも関わらず、アイツはすぐさま姿勢を立て直して立ち上がるが、完璧に決まった不意打ちを喰らって、状況を飲み込めないでいた。
何が起きたかわからないのは、アイツだけではない。ぼくもそうだ。だが、漂ってきた黒煙を突き破って出てきた手を、ぼくはしっかりと握り返した。グッと身体が起き上がる。
黒煙は晴れる様子はない。手を引かれるまま走ると、白い服にどす黒い染みを広げたネロがそこにいた。剣にも同じような色の液体が滴っている。それらのせいで先ほどまでの雰囲気は全く感じられなかった。
「ごめんなさい、やはり一人にすべきではありませんでした!!」
走りながらネロは謝る。
「ぼくは大丈夫、それよりあの声の人は⁉」
「デコイでした、偽物です。忌々しいホブゴブリンどもめ、どこかで録音した悲鳴を使っていました」
「録音⁉ そんなことができるの?」
「奴らはある意味機械ですから」何事もないかのように言う。「色々尋ねられたいこともあるでしょうが、今は堪えてください」
ネロがぼくの手を離すやいなや、振り返りざまに切り上げを放つ。軽い乾燥した音ともに、割れた木の棒が落ちる。折った枝を槍代わりに投げてきたのだ。それも黒煙越しに。
ネロが舌打ちする。見ればその顔にも黒い液体をぬぐった痕がある。この黒い液体、においからして油、つまり機械油だろう。
彼女が右の人差し指を渦巻く黒煙に向けると、そこから何の脈絡もなく、唐突に炎の玉が放たれた。
一つではなく、数十個単位で生み出され飛翔していくそれは、黒煙を巻き込んで一点に吸い込まれるように、あまりにも正確に、アイツが居る場所に着弾した。こんなにたくさん木のある場所で炎を飛ばすのは、森林火災が怖いな、なんていつもののろまな考えはさすがに浮かばなかった。
煙はさらに膨張し、爆風がようやく遅れてぼくたちにあたった。
「やった……ッ⁉」
「いいえ、まだです」
興奮気味のぼくとは裏腹に、ネロは冷静に、前を見据えていた。
ぶわっ、と、黒煙が後方へと勢いよく流れていく。
そこには、何一つ欠けていない影があった。まとわりつくカーテンを振り払うように、アイツは片腕を振り上げ、威嚇するように地面を叩きつけた。
アイツは、あれだけの炎の玉を喰らっても、平気な顔をしてこっちを見ていた。目玉も口もないのに、にやりと笑ったのがわかる。
「なんてこと、まるで効いてない…!?」
ネロの嘆きとともに、アイツが跳ねる。
踏みつぶし、いや、違う。
空中を蹴った。空気を蹴って初速をつけた。
落ちてくる、というより、降ってくるに近い。
ネロは剣を振って、なにかを飛ばす。
当たった。
だが、勢いが衰えることはない。
このままだとマズい。
ぼくは思考を途中で打ち切り、ネロの腹部を腕でひっかけ、後ろに投げる。
身を翻す。
落ちてきたアイツの本体に槍を沿わせ、
地面に叩きつける。
衝撃でまたもやぶっ飛ばされる。が、不思議と、勝手に体が受け身を取った。ゴロゴロと転がりつつも、勢いのまま難なく立ち上がる。
ネロも上手く立ち上がれたようだ。
自分の攻撃が仇となったはずのアイツは、ひょうひょうと立ち上がってくるあたり、やはりダメージは軽そうだ。
しかし、本体のケミカル色が土気色のようになっているのは見える。もはや一色と言ってもいい。
(もしかして、ぼくの攻撃が効いているのか…?)
槍を持つ手に力が入る。
ぼくが駆けだすのと同時に、アイツは再びネロに飛び掛かった。アイツのほうが断然早い。とっつかまれた衝撃を、ネロは上手く逃し、その小柄な身体には似合わない鋭い斬撃で、両腕の攻撃を捌きながら本体に剣を喰らわせている。
しかし、アイツは次第に余裕を見せ始める。
効いていない。
剣は当たっている。
弾かれているのか。
アイツの姿勢を崩したと判断したネロが、剣を大きく振るう。
だが、それは片腕で受け止められる。それどころか、鍔迫り合いのような状態に迫られる。
力は圧倒的にアイツのほうが強いだろう。このままではネロがまずい。
ぼくは身体を捻る。一直線に貫くのだ。
投擲槍のような姿勢をイメージ。左手で狙いを定めろ、ネロに当ててしまわないように。
そう、アイツはネロに釘付けだ。ネロの技量とぼくの技量とを推し測り、ネロから始末することに決めたのだ。
だが、それはぼくに対して油断することに他ならない。
距離が近づく。アイツがぼくに気づき、片腕を突き出す。受け止めるつもりだ。
「なら、受け止めてみせろォォォォォォォ!!」
一心に、直線で。突き出す。
ぼくの一撃があいつの掌に防がれる。
だがそれで終わりではない。
もっと、もっと、もっと。
全身の力を槍先に集中しろ。アイツの腕を引き裂いてやるのだ。
歯を食いしばる。火花が散るが、目をそらすな。一直線に突き出せ。
貫くのだ。その防御を。
穿つのだ。その余裕を。
土気色の壁に、先端が当たる。
ヒビが入る。
ぼくの槍に、
アイツの腕に。
火花が散る。
槍が壊れ、
感触が無くなる。
驚いたのか、それともまずいと思ったのか、
アイツの姿勢が大きく崩れた。
そこを逃さない。
ネロは大きく身体を翻らせて、捻じらせて
斜めに斬り上げた。
一閃。
「――――!!」
金切り声を挙げ、瞬く間に輪郭を失い、アイツは影となって消えていった。
壊れた槍の先端部分が地面に落ちるよりも、それは早かった。
前のめりになっていた体勢のまま、地面に突っ伏した。肺の中の空気が、のどを焦がすように熱い。心臓はとんでもない速さで動いていた。耳の奥がじんじんするし、音が聞こえづらい。
息苦しいので、仰向けになる。
空にはすでに星が見え始めていた。久しぶりの星空だ、最後に見たのは何時だっただろうか。もう何年も見ていなかった気がする。
空が、暗くなっていく。
顔に影が落ちる。機械油と汗がにじんだネロの顔が、日の出のように現れた。
目線を交わしたのち、二人して、力なく笑った。