1-3 迷宮
やることは決まった。
クライノートのドロップ品であるジェム、それも、とびっきりの良い物を二つと、代金をバブーシュカへ渡す。
おそらくは、クライノートを何百体も倒して一つ貰えるか否かのものだろう。しかし、まずは始めなければ、何も起きない。
さあ、いざ迷宮へ。
というわけにも行かず。
おれたちは、ちょこんと椅子に座らされ、ギルドの片隅で、迷宮への入場資格について、レクチャを受けていた。
「というわけでして……」
「では、わたくしがCランクになれば、上層の進入許可がいただけますのね?」
「ま、そうですね。簡単に言えば、そうなります」
昨日とは違う登録担当者が、リンネのはきはきとした態度に、なぜか戸惑いつつ応えていた。
昼というには少しばかり早い時間で、それでもギルドはそれなりに混んでいた。ギルドの建物やクエストギルドは、リドの村のものと同じくらいの規模であるが、やはり「迷宮」という特殊なものの存在のため、それ目当てで来る人がいる分、人の数は多い。
「迷宮」は他の町や都市にもあり、各所の迷宮を探検し、そこから、例えば魔物のドロップや、素材などを持ち帰って稼ぐ人たちが存在する。そのような彼らを、ギルドは「迷宮探検者」と呼ぶ。ちなみに、クエストギルドが受けた依頼で稼ぐ人たちを、「依頼請負人」と呼ぶ。
迷宮が存在する場所のギルドには、クエストギルドから分課した「迷宮ギルド」が存在する。迷宮の魔物たちがドロップしたものを、迷宮ギルドが買い取り、素材として市場に流す、というフローのビジネスになっているみたいだ。
さて、ここに来て、おれも初めて知ったことがある。
何度も述べているように、迷宮には魔物が居る。そのため、当然ながら、その立ち入りにはある程度の制限が設けられている。周囲の安全、ラビンズではない民間人の安全のために必要な措置である。
この規則により、迷宮に立ち入り、その中を探検するためには、クエストギルドとは別に、迷宮ギルドに登録する必要があった。しかも、昨晩のギルドの登録のように、「登録したいです」から「はいどうぞ」と言うわけにもいかず、クエストギルドにて、ある程度の依頼達成実績がある者に対して、初めて登録資格が与えられるようになっていた。
むやみやたらに迷宮に突っ込み、帰ることが叶わなくなった人たちがいた、という事だろう。申請許可を、ある程度の腕前がある者に絞るのも、なにも文句はなかった。あるとすれば、カーサラさんやギルド支部長に聞いておかなかったおれが悪いだけだ。
これには、他の支部での活動実績も参照されるため、おれにはリドの村での実績があったので、すぐに上層の許可証が発行された。
しかし、昨晩登録したばかりのリンネには、迷宮ギルドの規則により、許可が降りなかった。
これを知っていれば、リンネをリドの村で登録しておいただろうに、とおれは悔やんだ。
「では、そのランクを上げるためにはどうすればよろしいのです?」
「クエストギルドで依頼を受注し、きっちりこなして下さい。まあ、あなたが腕に自信があるなら、三日くらいでCになるでしょう」
そう言って、迷宮ギルドの登録担当は、クエストギルド窓口へどうぞ、と腕を広げた。
「ごめん、リンネ」クエストギルドの窓口へ行く途中に、おれは謝った。「予備知識が足らなかった」
「謝る必要なんてありませんわ」
リンネはギルド登録すら済ませていなかったので、何もかもが新鮮だと言っていた。今は新しい物事ばかりで、気分が浮かれている、とも。
彼女の足取りは軽く、弾むようだった。これは、今はおれにしかわからない、小さな気づきだった。
クエストギルドは広い。窓口がある広場は、白色を基調として、明かりも白く、そして床が石でできていた。床の素材は値がつかなかった原石からできているらしく、外気温とは隔絶されているのか、石の冷気が靴の下から伝わってくるようだった。
すべてではないが、幾人かの女性スタッフがヒールを鳴らして歩いていた。
大まかな間取りは、やはりリドの村のと変わらない。出入口の手前側に受注口、奥に報告窓口がある。受注口の前や柱には、公な機関から出された、それなりの依頼が貼り出されるボードがある。
それを見て、彼女はいくつか選ぼうとしていたが、肩を叩いて受注条件を見せた。ボードに張り出される依頼はすべてBランク以上が必須である。
面白そうな依頼だったのに、と、一枚の依頼用紙を見せてくる。内容は、未確認の特異種の調査、討伐。Aランク以上必須だが、リンネの実力からすれば美味しい仕事だ。
「おれもこの前Aになったばかりなんだけどね」
「あら、Aなのに上層しか入れませんの?」
「何度か迷宮に入って、全部無事に帰ってきたら、中層進入許可の申請が可能、ってことみたい」
「めんどくさいですわねぇ」
口と眉を曲げて、面倒くさそうに言った。
リンネのランクは現在、Fランク。当然、彼女のように、昨日今日に登録したばかりで、まだ一つも依頼を受注し達成していない、という事を意味する。今から簡単な依頼を二つほど、無事に終わらせられれば、その一つ上のEランクになる。
あの登録担当が言った、三日もあれば、というのは、まあ、常識的な範囲での「実力のある」人なら、そうだろう。なぜCなのかというと、それ以降は登録日数による制限も関わってくるためで、いま、彼女の目指せる上限が実質Cまでだからだ。
ただ、なにせ、目の前のこの女性は、世界でも屈指の剣士という経歴の持ち主だ。世界最強かどうかは分からないが、しかし、その称号に嘘偽りのない腕はある。
ふと、良からぬことを思い浮かんでしまった。
(これ、史上最短でSランク入りとか、あり得そう)
良からぬこと、というのは、悪目立ちしてしまう、という意味である。
そうなってしまうと、今後の行動に影響を及ぼす可能性は、大いに考えられる。ネロでさえ、そうなのだから。
ボードの片隅にある通達を見つけた。今度、上限ランクを新設するらしい。今の上限はSプラス二〇。ネロは確か、襲撃事件の功績から、プラス一〇から十三に昇格したはずだ。あのネロでさえもまだ上限に達していないのだから、新設するのはまだ早いのでは、と思っていた。
「シシ、シシ」
ぼうっと、待合室のソファに座っていたおれの隣に、四枚ほどの紙を手にしたリンネが座った。すでに窓口での受注を済ませたようだった。
「どんなのを受けたの?」
「つまらないものばかり、と言うと、依頼主様に怒られてしまいますわね。簡単なものばかりですわ」
どれどれ、と四枚の紙を見せてもらうと、なるほど確かにつまらないものばかりだ。Fランク用の訓練みたいなものばかりで、あれこれを一体、それこれを一つ、そんな内容だけだった。
すべてを完璧に仕上げ、時間がそこそこ掛かったとしても、おおよそ昼食がやや遅くなるぐらいには終わりそうだった。
「んじゃ、さっそくやりますか」
おれが腰を上げると、そうそう、とリンネが言った。
「シシはわたくしの荷物持ちをお願いいたしますわ」
「はへ?」思わず変な声が出た。
「わたくしが倒したモンスターのドロップ品や、見つけた依頼品などを持つのです」
「まあ、いいけど。魔法使えるし」
「あなたの手を借りるまでもありませんわ」
「そうだろうね。じゃあ、ちょっと大きめの袋を買ってきて。おれは今から自分の武具を、部屋に置いてくる」
「はい、宿前の案内板で待ち合わせいたしましょう」
*
宿屋で軽く昼食を摂っていたとき、リンネはすでにDランクになっていた。
Fランクの受注上限は四つ。Eランクの上限は五つとなっている。上限まで引き受け、そのすべてを完璧にこなし、また上限まで受注する――。そういうのを四回繰り返すまで、二時間もかからなかった。それらマラソンの副産物として、懐と足が若干、温かくなった。
それ以上に、おれたちは走り回った。正直、移動時間と受付までの時間を足し合わせた時間と、依頼をこなしていた行動時間を比較すると、前者の方が長くなりそうだった。
また、幸運なハプニングもあった。変異種と偶然ばったり出遭ってしまったのである。レパニカという、角が刃物のように鋭利である四足歩行の種がいるのだが、その角が刃物ではなく鈍器のように鈍く、重たく変異した個体であった。
その大きな角を支えるために、足や首は異常発達し、通常種の体高は、角を合わせて一メートルもあれば大きいとされるところを、体高二メートル、角を含めれば三メートル強ほどであった。
また、このレパニカ変異種は、まだ誰にも発見されていなかった。つまり、このまま見過ごすと、おもわぬ人的被害を生じさせる可能性が高い、危険な魔物だった。その上、未報告未発見の変異種なので、発見しただけで討伐せずともそれなりの報酬がもらえる。幸運とはそういう意味だ。
Fランクの依頼請負人に対して、ギルドは、通常種のテルミドールやゴブリン、ゲル状魔物のスライムとの戦闘のみを許可し、それ以外の種との交戦を禁止している。この上記の許可された種ですらも、非戦闘員にとっては十分に命の危険になりうるから、それに毛が生えた程度のFランクの依頼請負人は基本、魔物に対しては逃げが推奨される。
もしも万が一、変異種とか、それこそおれが最初に戦ったあのテルミドールみたいな奴なんかと鉢合わせてしまったときは、すぐさまその場を離れろと、厳しく教えられる。
変異種、特異種との戦闘が許可されるのはAランクのパーティからのみ。Aランク一人ではまだ許可されていない。それぐらい、危険な存在なのだ。
とまあ、これはあくまで一般的な話だ。
おれの相棒が一般的ではないのは、もううんざりするほど聞いただろう。
そいつは他の依頼の帰り道に、そこらへんの木々の合間から、にょっきりと姿を現した。
まず、レパニカ変異種が首を大きく振った。鍛えている成人男性の大腿ほどの太さを誇る、大きな角が地面に叩きつけられる。それだけでも地面が揺れたし、大きな音が出た。土ぼこりが宙に上る。
それはリンネを狙った一撃だった。しかし、地面を叩いている時点で、リンネの姿はすでにそこにはなかった。
土ぼこりで視界が悪く、レパニカは獲物を見失っていた。その隙に、彼女は一対の剣のうち、一つを鞘から抜いて、身体を軽くそらせ、反動をつけた。
刀身が空を斬ったときのあのぶうんという音すらも出さず、立派な大角を、プリンのごとく、上から下へと根元から斬り落としてしまった。
返す刀で、レパニカの大木のような首を、下から上への剣筋で刎ねてしまった。
変異種の再生能力を大きく超えた、致命的なダメージにより、コアは損壊。
ボフン、という間抜けな音とともに、巨躯の魔物は消滅した。ドロップとして、その立派な角を遺していった。
騒ぎを聞きつけた他のパーティたちが、なんだなんだと駆け寄ってきた。しかし、よいしょよいしょとその大角を運ぶおれたちの姿に、言葉を失い立ち尽くしていた彼らを思い出すと、食事中なのに笑ってしまいそうだった。
報告は手短に終わらせた。最初は信じてもらえなかったが、まあ、信じてもらえずとも、持ち帰った大角が討伐の何よりの証であることは、誰の目にも疑いようがない。あの大角の、素材としての価値は分からないが、少なくとも観賞用としての価値は、かなりのものになるだろう。
当然、怒られた。というより、彼らがおれたちに対して、何をどう叱るのか、そのことについて困惑していた、それをぶつけてきただけだった。登録して一日目の、有名人によく似た名前の変なFランクが、未発見の変異種を実質一太刀で屠った。前代未聞だろう。
なので、おれが能力付与魔法で咄嗟に強化した、という事にした。そしたら、おれは厳重注意という処分を受けた。ちょっと軽率だったな、と反省した。Aランクとしての監督責任、というやつだ。
だが、不思議な事に、注意を受けたのみだった。注意処分においては、必ず「依頼受注禁止期間」が設けられるはずなのだが、何事もなかったかのようにおれたちは解放された。変異種の討伐実績との相殺、などとは、考えづらかった。
おれは首を傾げていたが、リンネはギルドの依頼請負人審査官に対し、含みを持った物言いをしていた。
まあ、そんなこんなで、リンネは無事、Dランクプラスという、Cランクの一歩手前程度になっていた。そして、Aランクのおれの同行を条件に、迷宮の上層進入許可が下りた。
「さっすが、お嬢ですね」
テュールは追加のサンドイッチを持って来たついでに、そういった。
「しかし、どうして、得物を変えたんです?」
「スタイルを変えただけ。頼りになる相棒も居ることだし」
そう言って、立てかけている鞘に収まった、二つの剣を見やった。
もともと、あの時、月夜の訓練場の時のように、リンネは剣一本の、いわばスタンダードな戦闘スタイルだった。王宮剣術やミヤモト流だとか、そういったいくつかの流派を混ぜて作られた独自の形をもって、彼女は世界最強になっていた。
あの時は、身長ほどの大きな太刀を使っていた記憶がある。どちらにせよ、今の彼女の「双剣」術とは違うものだ。
より攻撃的に、より野性的に、より高速に。
一つ一つの剣撃がとんでもなく重たいくせに、双剣らしい手早さと手数の多さで、受ける側としてはたまったものではない。経験者として、そう言える。
そして、ある意味で、これも偽装と、決別、なのだろう。彼女の今と、過去を分かつのは、この一対なのだ。
対して、おれは変わらず槍だ。せっかく作ってもらったあの槍は、襲撃の時に粉微塵になってしまい、新たに作り直す必要があった。そこで、カーサラさんが、彼の知り合いの鍛冶屋に頼み、おれとリンネの武具を作ってもらったのだ。
宝珠を嵌めこむことで、こいつらは別の一面を見せてくれるという。武具に一面も何もないとは思っているが、手数が増えるならそれに越したことはない。
「それで、これから迷宮に入るんですか?」
「ええ」リンネは頷く。「慣れておきたいし」
「ならお気をつけて」
「どうして?」
テュールは身をかがめ、リンネに耳打ちするような体勢になった。トレーを使って、二人だけに聞こえるようにした。おれは少しだけ身を乗り出した。
「どうにも、一部のラビンズと盗賊団が迷宮で悪さをしているみたいなんです。ここでも、そういう話が何回か聞こえてきたので」
リンネは笑顔のままだが、そのトーンがやや低くなった。
盗賊団。ズーベ・ヘーアの名産である宝石が第一に挙げられるとすれば、第二の名産品として揶揄される。
迷宮に立ち入る者は、今日の事からも分かる通り、ある程度、魔物に対して立ち回ることができると客観的に認められている、それなりに戦える者たちだ。
非戦闘員を狙うのならまだしも、そういった反撃をする可能性がある者までターゲットにしているのは、彼らが腕に自信があるのか、なにか仕組みがあるのだろうか。
ただ、そのどちらであろうと、油断せず相手にすれば、少なくともリンネが手間取るほどの連中ではないと言える。
「覚えておく。サンドイッチありがとう、美味しかったわ」
彼女はおれに目配せをして、席を立った。
*
宿屋の前の通りを、ギルドの反対方向へそのまま進むと、人の流れが出来ていた。
案内板を見るに、それは迷宮に入る人たちの列だった。
「これじゃまるで、人気料理店とか、サーカス団を見に行くのと、あまり変わらないな」
百人では済まないくらいの人が、ぞろぞろと歩いている。こんなに人が居るなら、魔物よりもラビンズの方が多そうだ。
その流れはなかなか進みが早く、制限区画の塀まで着くと、大きな門が見えてきた。
アラム王城の城門ほどの大きさではないが、けばけばしい装飾がやかましい。鋭い爪を見せびらかす鳥や、勇ましい角を振るうレパニカ、そして筋骨隆々なむさくるしい男。
趣味が悪い、という言葉を吐き出すかどうかを悩んだが、結論を出す前に、警備員に許可証を見せることになった。おれが先に見せる。
意外にもリンネは怪しまれることなく、すんなり通っていた。小走り気味に、隣に立った。
「あれなら、シシの許可証を偽造しても同じですわ」
「なに怖いこと言っているの」
「午前中の奔走が無駄になった、そう思ったのです」
「少なくとも、数週間分の生活費にはなったよ」
「あぁ、そうですわね、そういう事にしましょう」
そういえば、あの宿の料金を詳しく見ていなかった気がする。帰ってきたらちゃんと確認しておこう。
門をくぐるとすぐに、ゆるめの下り坂になっている。
岩肌が見えている。地下への入口、ではなく、ゲンマ山脈が、本来ならここから始まっているということなのだろう。その始点に、穴を掘っている。
まるで、怪物の口だ。この坂はその舌で、エサはおれたちだ。そう考えると、途端に寒気がする。
太陽はやや傾いて、おれたちの後ろから照らしている。
だが、その怪物の口の奥が、どうやっても見通せない。黒いベールが掛かっているかのように、入り口から数センチのところの地面までしか見えていない。
人が入っていくところが見える。地面がわずかに見えているところまでは、姿が確認できるのに、奥に一歩踏み入れた途端、消えた。
とうとうおれたちの番だ。
鼓動が大きく跳ねる。幽霊屋敷に来たみたいだ。
「覚悟はよろしいですか?」
リンネが言う。
「だから怖いことは言わないでって」
「べつに、驚かそうとは思っていませんわ。ああ、でも、初めてなのでしたら、すこしだけ、不気味に感じるかもしれませんわね」
そう言って、いつもの様におれの手を握り、漆黒のベールの中に引きずり込んだ。
何も無いはずなのに、ぶつかる、と思って、目を瞑った。
が、何も起きなかった。
「ふふ、もう開けてよろしいですわよ」
右手からリンネの手が離れる。言われた通り目を開ける。
一言で表すなら、洞窟だった。
いかにも、童話の中に出てくるような、不気味な洞窟。
人工的に作られたような、四角い広間におれたちは居る。その先へと進むための道がいくつかあり、それらは細く曲がりくねっているようだった。
どうやって取り付けているのか、なぜ燃え尽きないのか、そもそも誰が取り付けたのか、という無粋な指摘をしたくなる、この洞窟の照明であるろうそくが、土壁につけられている。
妙に湿気ているし、そして暖かい。だが、風がないわけではない。奥からそよそよと来ているのを感じる。
後ろを振り返ると、今度は真っ白な壁が見える。だが、入るときと同じく、見えるはずの坂も、悪趣味な門も、なにも見えない。
「なんだ、ここ……」
「これが迷宮。詳しい原理はまだ解明されておりませんが、どうにも、この入口を境に、空間がズレているようなのです」
「ズレているって、これ、元の町に戻れるの?」
「戻れなければ、ズーベ・ヘーアが栄えることは無かったでしょう」
もっともだ。おれはうむぅ、と言ううなり声を出す。
「さらに、迷宮の特徴として、『日ごとに形状が変化する』ことが挙げられます」
「道が変わるってこと?」
「ええ。今は入ってすぐに広間のようですが、明日はどうなっているかは、この迷宮の気分次第、というわけですわ」
なんとも不気味な場所だ、とおれは呟いた。
そして、あることに気づいて、周りを見渡した。
今、ここには二人だけ、おれとリンネしかいない。しかも、まだその場からほとんど動いていない。
なのに、誰も居ない。後ろからも誰も来ないし、帰ってくるラビンズらしき影もない。
ただ、奥で何かが動いている気配だけがあった。
「誰も居ない……」
「ここには、ですけれど。少し奥でどなたかが動いているの、おわかりでしょう」
リンネは腰に提げている鞘から、一対の剣を抜きだした。
背負っている柄に手を伸ばし、構える。それに反応して、穂が「発現」する。構えなければ、刃が出現しないセイフティがあるのだ。
「さあ、存分に狩りつくしますわよ」
えらく上機嫌なリンネが、目の前の通路へと駆けだす。おれはその後ろに着いていった。
*
クライノートという魔物は、コアの頭と土塊の身体で構成されていた。個体によってその体長が変わり、平均しておおよそ一八〇センチ程度で、実際に動いているのを見ると、少し不気味だと感じた。
ただ、土塊でできているせいか、動きは鈍重そのものであり、敵としてはあまりにも倒し甲斐のない相手だった。時折、そのコアから光線を放つこともあり、油断はできないのだが、おそらく今回の探検で遭遇した百体近くの個体のうち、一体もそのような行動をせずに倒されていた。単に、倒すのが早すぎただけだろう。
いくつかの個体がドロップ品を落としてくれたおかげで、頭部にあるコアが、いわゆる宝珠の素材になる、「原石」であることがわかった。しかし、ドロップしたのはどれも小汚くくすんでいたり、歪みがあったり、欠けている。これはドロップしたときからこの状態だった。
おれは、原石の質は、おそらくクライノートに対して変化をもたらすのでは、と予想した。ありきたりな考えだが、宝珠の性質を考えれば、最も可能性の高い仮説だろう。
よって、おれたちが作る宝珠に必要な「原石」を持つクライノートは、少なくとも、上層には居ないことがわかった。
では、次は中層以降に降りるべきである。
だが、先述の通り、中層以降への進入条件には、「迷宮へ潜り、無事に帰ってきた回数」という制限が付く。また、回数稼ぎのために、一日に何度も出たり入ったりすることは、迷宮ギルドの規約に反する。
以上より、進入許可の回数条件を満たすのは、最短で四日後。どれだけ頑張っても、そんなに頑張らなくても、結果は変化しない。
予想はしていた。とびっきりの良い物が、上層で手に入るわけがない。あわよくば、特異種とか何だとかが偶然上層に出てきたらいいなぁ、とか思ったりもするのだが、その可能性に賭けるよりも、着実に評価点を稼ぐ(ついでに宿代も確保する)方が、無駄にはなりにくいだろう。
当然、リンネは不服そうな顔をしていた。今夜は酒を飲んでやると息巻いていた。
ちなみに、あのビータゼンと言う宿の料金は、安くもなく、高くもなかった。ただ、設備とサービスを考慮すれば、価格としてはいい宿ではある。
同じ日のその晩、ロスカシュの彼、リュウタロウから電話があった。一階の受付カウンタの左、待合スペースの一角に、いくつか電話が置いてあった。店主から受話器を受け取ると、リュウタロウの声がした。
「どーだった?」軽いノイズがあるが、聞き取れないレベルではない。「いいヤツ、出た?」
「全然。ボウズと変わらないよ」
「だろーね。根気強く頑張れって、シュカ婆が言ってた。おれも応援してるよ」
「ありがとう、早めに見つけるよ。ところで、どうしておれたちの泊まっている宿が分かったの?」
「どうしてって、ギルドに問い合わせしただけだけど」
「ああ、そっか。そういえばそんなのも書かされたっけな」
「んじゃ、明日以降もあきらめずに頑張れよー」
「ありがとう、おやすみ」
ぷつり、という音がして、受話器からはノイズだけが聞こえてきた。
カウンタの奥にいる店主は本を読んでいるようだったので、声を掛けるとともに、何枚かのコインを置いた。そして、すでにちょっと出来上がり始めているリンネのところに、急ぎ気味に戻った。




