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戦姫、ブリュンヒルデに捧ぐ  作者: 野之 乃山
二章 自警団
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5-2 朝のリド

(――活字のような文字から、「彼」の手書き文字へと変わる。)


               *


 服を着て、扉を開けた。寒い空気が小屋の中に入ってくる。


 小屋はリドの村の西に位置する、アイン通りの終端地点に建っていた。ネロの家と反対側だろう。


 天井を見て思った通り、この小屋は数日前に建てられたばかりだった。焼け落ちた商店の隣にあるせいで、真新しさが変に目立っていた。扉の真ん中に、仮眠小屋、というプレートが埋められていた。


 修復不可能なほどに損壊してしまった家屋は、すでに取り潰され、さっきの小屋のような仮設住宅などに置き換えられているようだ。他にも資材置き場になっていたり、炊き出し場になっているようだ。


 高さがある建物が減ったためか、全体的に見通しと風通しが良くなってしまっていた。


 襲撃からほぼ一週間。リドの村の復興はかなりのスピードで進んでいた。


 ぼくには記憶がないのだが、ぼくと魔物がかなり暴れたらしく、そのうち、学校や孤児院、ギルドなどを半壊させたのはぼくであるらしかった。


「というか、ぼく、一週間ずっと寝ていたんですね」

「ええ。同居人の方と、お仲間さんが、とても心配されておりましたわ」


 それを聞いてしまってから、どうにもそこへ足を運ぶことが憚られるような思いであり、それが足に伝わっていて、歩みが重たかった。そのため、何かを渋る子どものように、リンネさんに手を引っぱられながら歩いていた。


「敬語も、さん付けも必要ありませんわよ」


 振り返って、ぼくの目を見る。


 怪我を負った原因、つまり、フェルクス遺跡での戦闘で、髪を中途半端に切られてしまったらしく、そのままだとバランスが悪いとのことで、今の彼女は、首筋が見えるくらいのショートになっていた。

 以前に出会った、ロングヘアの頃とは雰囲気が一転したように思う。見た目よりも少し幼い感じだ。いや、前までの彼女は、大人びすぎていたのだろう。


 しかし、声などはそのままの彼女だ。リード楽器のように優しく、柔らかな声色は、髪のように傷ついたり、劣化することなくそのままだった。


「でも、あなたも、敬語を使っているじゃありませんか」

「わたくしのこれは、癖ですわ」つん、と唇を尖らせる。「今さらやめろ、と仰られても、ただすことは難しいのです」

「なら、ぼくも、それで良いのでは」


「シシくんの、いえ、シシのそれは、わたくしと距離をおいているだけ。同じではありません」

「それのなにがいけないのです?」

「理由は後ほどわかります。ほら、わたくしの名をお呼びくださいませ」


「リンネさん」

「もう一回」

「リンネ」


 いったい何をさせられているのだろう。ぼくは急激に恥ずかしくなり、挙動不審になった。頬を掻いたり、周囲を見渡した。


 時刻は日の出前だろう。しかし、それでも気温は高くなりつつあった。そのせいか、妙な汗がだくだくと流れてくる。まだ復興作業がまだの時間に起きれたのは幸運だった。日中なら水分分足で倒れていたかもしれない。


 リンネはぼくの言葉を口で弄びながら、顎に右手をやってその肘を左手で抱え、身を細めた。なんという仕草だろう。どう言い表せばわからないが、それはぼくの頬を痛くさせるくらい、顔を赤くさせた。まだ低い、上り始めたばかりの太陽が、雲で彼女の背を隠し見るように、顔を出していた。もう一つの太陽もそのうち顔を出すのだろう。


 比喩ではなく本当に顔から湯気が立ち上りそうであったぼくを見て、リンネはクスクスと満足げに笑った。


「そんなに恥ずかしがることでもないでしょう」

「リンネ、にとってはそうかもしれないけど、ぼくにはそうじゃないんだ」

「変わらず、真面目ですのね」

「え?」ぼくはその言葉を聞き落してしまった。太陽が雲から顔を出してきたので、手をかざして彼女の顔を見た。「何か言った?」


「いえ、なにも」


 そうして、ぼくはまた、リンネにかざした手を引かれながら、中央広場へと向かった。


 アイン通りは通称商店通り。薬屋や雑貨店などが多くあった。あった、というのも、ここはいわばアラム王国側という事で、侵入口に最も近い通りだったために、被害が大きい。そのため、全壊した建物がほとんどで、見る影もない状態だった。


 左手に見える建物は、中央通りの建物であるか、グレイン通りの建物だ。アインから見ればグレイン通りの鍛冶屋は最奥であるので、幸いにも破壊の手が届かず、無事な建物が多いようだった。


 もう少し首をひねって、左斜め後ろにある、少しだけ高くなっている丘のような場所を見る。ラーメンの緑風堂、ならびに、ネロの家があるのはあそこだ。普段なら絶対に見えない場所まで見えることに違和感を覚えるが、どうやらあそこも無事らしい。ネロの家に続く小道にある街灯が見える。あそこには小さな女神像が置いてあるので、破壊対象になりえただろう。


 前を向くと、いつの間にか手が離れ、すでにリンネとの距離が開いてしまっていた。少しだけ早歩きをして、追いつく。


 右手には、道路を挟んで、木々がある。倒されたり、折られているものがある。少し目を凝らすと、その奥に行ったところにある、グラウンドが見えた。あれは自警団の訓練用としても使っていた。たしか、最初の適性検査か何かをしたのも、あそこだった。


 一年以上、この世界で、自警団として活動していたことを、今さら自覚する。気が付いたころには、もうそんなに時間が経っていたのだ。セント・ヴァイシュの森で、ふらふらとネロの笛の音に誘われて歩いたのが、つい昨日のように思い出せるのに。いろいろな事がありすぎた。


 そう、いろいろな事があった。


 なにも知らないまま、自分が誰かも分かっていないまま、一年以上、ぼくはまだ生きている。


 少なくとも、魔法とか、剣とかがこんなに身近になかったはずの世界から、名前以外の記憶を失って、生きている。意外としぶといものだな、と自嘲する。


 ふと、右前を歩く、リンネの顔を窺った。

 この人は、どうなのだろう。


 自分が、誰なのかを知っているのだろうか。ぼくのことも、彼女自身のことも。


 この世界で()ったとき、今度こそ、とか、なんとか言っていたような記憶がある。だが、なぜか鮮明には思い出せなかった。


 時間が経ったからだろうか。いや、それどころじゃなかった所為だろう。ぼくの記憶のことを考える暇はなかった。


 ならば、必要なかった、と考えられる。

 割り切れる。

 捨てられる。


 この世界での生き方を知っているのは、今のぼくだ。現に、千人ちかくの人が亡くなったこの襲撃を、その場に居ながらも生き延びたのだ。一応の解決へと導いたのもぼくだ。


 ならば、


 今、ここで汗をかいて、呼吸をして。

 歩いているぼくこそが、ぼくだ、と。

 ぼくだった「ぼく」、悪いな。これからは、ぼくがこの身体を動かすことになった。


「どうかしましたか?」


 リンネがぼくの顔を見ていた。ずっと、彼女の顔を見ていたせいだろう。


「いや、なにも」


「ああ、そうです、先ほどの話の続きなのですが」

「なに?」二人は立ち止まる。「まだなにかあるのかい?」


「『ぼく』、と言うの、今後から禁止でお願いしますわね」


「……なぜ?」


 不思議な感情。

 この人の、ファンクラブとが公認で存在すると聞いてから、どこかしらが人と変わっているのではと思ったことがある。もしかすると、それは、思っている以上にヘンテコなのかもしれない。


 ぼくの眉毛を動かす筋肉がめちゃくちゃ柔らかければ、今のぼくの表情は、両眉が小刻みに上下しているだろう。右が上、左が下から始まっている。


「そうですわね……、まあ、安直に、『おれ』などで」

「候補じゃなくて、理由を聞いてるんだけど」

「わたくしの経験から導いた精神論ですわ」


「聞いてもよく分からなかった」

「シシには、それが足りないのです」


「さらによく分からなくなったよ。いったい何が言いたいの?」

「あなたは大人しすぎる。わたくしの要望を聞こうとしている。その姿勢が、あなたのボトルネックなのです」


「ちょっとだけ理解できた。だけど、それをいま言う必要があったかな」


 思わず語勢が強くなる。やり場のある、方向を定めるべき苛立ちを抑え込む。


 ここでそれを言うという事の意味を、リンネが理解していないとは思えない。そして、その上で、ぼくの性格を要因として関連付けた。しかも、その理由も、ふざけている。ぼくの弱さが、言葉に現れているだって?


 リンネはまたくすくすと笑う。それによって、苛立ちが困惑と疑問に変換された。なんなんだ、この人は。


「やっぱり、優しい」ふぅ、と息を吐く。「ごめんなさい、シシと話せるのが楽しくて、うれしくて、仕方ないのです。どうです? もう一度」


 ふわっと、両手をぼくに向けて広げる。


「勘弁して。思い出すだけで、顔から火が出そうなのに」

「中々、可愛らしかったですわよ」

「いいよ、そんなの」


 ぼくは顔をそらした。視界の端でリンネがくるりと回り、再び歩き始める。

 朝だから、小声になるのは仕方がない。


「おれも、嬉しかった」


 ぴたり、と。

 リンネの足が止まる。


「リンネと、また話せて」


 首を縮こませ、襟に、顔を隠そうとした。もちろん、隠すための長さも面積も足りていないから、全く無意味である。

 ズボンのポケットに手を突っ込んだ。気を抜くと、胸の前で情けなく弄んでしまいそうだったからだ。


「はい、また、会えましたわ」


 ポケットに突っ込んでいた手が引っ張り出され、リンネの手で包み込まれる。ちょっとだけ冷たかったが、しかし同時に暖かさも感じた。


 無意識に、執着していたのかもしれない。記憶を失くしただのなんだの言いながらも、律儀に新聞を切り抜いていたりしたのが、そのいい例じゃないか。心からほっとしているのも、その証拠だ。


 今、こうやって話せているのは、奇跡なのだ。お互い、普通なら死んでいたはず。

 それなのに、現実は、こうしてなぜか生き残っている。


 分からないものだ。分からないことだらけだ。


 ああ、そうだ。

 すまないな、「ぼく」。おまえには分からないことばかりなんだ。

 「おれ」になったけど、まあ、悪い気はしない。

 どうせ、特に変わらないだろうから。

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