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戦姫、ブリュンヒルデに捧ぐ  作者: 野之 乃山
二章 自警団
30/80

4-3 「わたし」

――血とアルコールのにおいが漂う。


――文字が組み替えられていく。



                     *



 わたしは覚醒した。


 通常、ヒトが意識の覚醒を自覚するのには、ある程度のタイムラグがある。コンピュータの起動のように、早い者は早いなど、細かな差はある。だが、わたしのそれは、過程プロセスをまったく無視したものだった。瞼を開いたまま、寝ていたような感覚だった。


 身体を引き起こすと、胸元から音がして、左手に落ちた。丸い吸盤のようなものから、ケーブルが伸びている。それを目線で辿る。ベッドサイドモニタが見えた。見事な直線フラットラインが映されている。心拍、あるいは血管の異常を知らせる警告ウィンドウが出ていた。


 モニタにあるウィンドウを右手で消し、右胸にもあるパッドを剥がす。左肩に痛みを感じた。輸血針が動いてしまったのだろう、それも引き抜く。頭はすっかり覚醒しているくせに、視界が変だ、と思って左目を触る。ガーゼが当てられていた。それも剥がす。いつもの通りだ。


 ふと思い出して、右腕を撫でる。左腕は包帯が関節のあたりだけという、中途半端に巻かれている状態だった。それもその筈、本来は無かったところなのだから。この左目も。涙腺から熱い液体が込み上げてくるが、瞼を閉じて落ち着かせる。泣いている暇はない。


 バタン、と扉が乱暴に開けられ、何人かがこの部屋になだれ込んでくる。そして、わたしのベッドを囲うカーテンが開け放たれると、皆、目を丸くした。叫び声をあげた者もいた。格好からして、医師と看護師らだろう。


 わたしは腕を伸ばして、言う。


「服と、剣を」


 要求したものはすぐに来た。黒いコートを着た銀髪の者が、その要求を予見していたかのように、医師らの後ろに立っていたのだ。わたしは、彼に腹を立てた。久々にいら立ちを覚えたが、やはりそんな暇もなく、持ってこられた服に腕を通した。


 巻かれていた包帯はすべて外してもらい、腰のベルトに剣を通す。


「セント・ヴァイシュの森で、間違いありませんわね」わたしはコートの者に聞く。「あれから、何日?」


「おおよそ五日」

「わたくしを拾ったのは?」

「今朝だよ」


 記憶はフェルクス遺跡で途絶えている。そこからセント・ヴァイシュの森へ着くは、現状の手段では、最短でも一週間程度かかる。


 契約は履行された。それにも腹が立つ。悔しい。結局は、どう足掻いても、駒そのものでしか無かったのだ。


 廊下を歩く、避難してきた人々の目線が、わたしに向けられているのが分かる。名前を呼ぶ者もいれば、幽霊でも見ているのか、と目を疑う者もいた。


 いくつかの角を曲がって、エレベータを使って上昇する。01というプリントが、濁った水色とラインの入った壁面にあった。その数字の下に、少女が立っていた。彼女も、わたしに奇妙な表情を向けた。


「……どういうことですか」

「話はあとだ、ネロ」


 コートの者が少女を連れて、00のプリントがある角まで行く。

 モータ音とともに、シャッタが上っていく。


 やけに赤い、夕暮れのような曇り空が現れる。

 泥濘よりも、粘着質な空気。風と呼ぶにはあまりにも悍ましいものが、肌を撫でる。


「キダラを出そう」コートの男は言う。「村までは、走るには遠い」

「お気遣いなく」


 わたしは、血を吸って饐えた地面に足を踏み出す。

 一歩、二歩、三歩と歩く。

 歩くたびに、身体が軽くなっていく。


 粘着質で纏わりつく空気が気にならなくなった。

 気が付けば、わたしの背には、光り輝く翼があった。

 その羽根が、空気を切り裂いて、心地良いものにしてくれていた。

 浄化する翼。殻のようにわたしを守り、わたしを鳥のように動かす。

 そして振り返る。彼らの顔は、ちょうど影になってて良く見えなかったが、気にしなかった。


「それでは」


 一度大きく羽ばたいて、重心を背中側に持っていく。

 倒れはしない。


 飛ぶ。


 一瞬にして地表が遠ざかり、彼らの姿が見えなくなる。シェルタの位置も分からなくなりそうだった。


 ロールして、もう一度羽ばたくと、一気に景色が後方へ流れていく。


 こんなにも清々しい気持ちは、初めてだ。

 産まれ変わったかのような、自分を縛り付けるものが何もない感覚。


 森が途切れた。川にかかる橋の上に寄せる。

 わたしが倒れていたのは、村側の橋の下。上からは見えない。


 あっという間に川を渡り、再び木々が下に来る。道がカーブしたりしながら、同じ方向へ向かっているのを眺めた。


 そこで、風を切る流れと、真逆に流れる魔力の渦を見た。


 どす黒い、悪い魔力だ。


 その流れを認識してから、同じく黒い渦があらゆるところで見えた。上からも下からも、右からも左からも。斜め前からも、真後ろからも。


 行き着く先は、わたしと同じ。


 リドの村の外周部にまで辿り着いたとき、既に事は終わっていた。


 大量の人の死体、いや、人の欠片が散らかされていた。地面にはべったりと、血で描かれたアートの成り損ないのような光景があった。民家らしき住宅に、腕だけが詰め込まれていたり、噴水には、生首が敷き詰められていた。


 それを行っていたのは、オークら人型種の魔物と、それに従うハーピィたちだ。彼らは宙を漂うわたしに気づいた途端、叫び声をあげた。まずはハーピィが近寄ってきた。


 剣を鞘から抜くと、威勢よく飛び立ったハーピィたちは粉になって消えた。剣先をすっ、と、地面にいるオークたちへ指し示すと、彼らは消滅した。


 すると、彼らが霧散したために生じた空虚魔力は、渦に巻き込まれて一体化した。彼らすら吸収するものとは。


 答えは、頭が無意識にあらかじめ用意していたものと合致した。


「彼」だ。


 ぐっと。


 視線が勝手に動く。頭も動いた。わたしの意思とは無関係に。

 黒い渦の終着点。フイルム写真の黒点の様に見えるそれに、わたしは胎盤に繋がれた胎児を想起した。


 生まれるのではないか。そう思った。

 そんな状態の彼の頭上で、オークが斧を振り翳していた。

 だから、そこに行って、オークを消した。

 行こうと思えば、やろうと思えば、なんでも出来た。


 今、消えたオークの名前は、カルクス。忠実なるしもべ、カルクス。


 魔物に名付ける行為は、基本的には、愛玩目的での主従を決定づけること、それを意味する。ヒトが赤子に名付けるのとは、また少し違ったものだ。


 今のカルクスというオークは、魔物に名付けられた。

 振り返って彼を見た。


 彼は、膝をついてうなだれていた。左腕あたりに渦が塊を生み出してはいるが、かろうじて呼吸は続けている。だが、服装はボロボロで、右手に残っている木の欠片は、武器だったものだろう。少し前のわたしと同じだった。


 前を見る。

 わたしがその場に来たのと、カルクスが消し飛んだのは、ほぼ同時に見えたのだろう。


 目の前に堂々と座っている、燦燦たる暴虐者、ギガンテスは、一つしかない、しかし醜悪そのものの目を大きく見開いて、濁った瞳にわたしの姿を認めた。


「久しぶりね」


 カルクスは、こいつに名付けられた。

 わたしの言葉をようやく認識したのか、ギガンテスは玉座の肘置きをバンバン叩いて喜んだ。


「来たか、来たか!! やはりわしの見込んだ通りだ!! 何が皆殺しだメロディめ、おまえの予言はいい加減ではないか!!」


 メロディ、というのは、人魚のような形をした魔物だ。セイレーンという種の特異種であり、わたしと戦って、敗れた。


 そして、目の前に居る、王冠を被ったギガンテスは、オーガと呼ばれる人型種の変異種である。何が変異しているかと言われれば、よく喋るあの口だ。


「五日ほどか。よもや、そこまでになっておるとはのォ」恍惚の表情を浮かべる。「美味いものは寝かせておけ、という、ヒトの知恵は、まさにその通りであるな」

「あなたに味覚がありましたの。どうせ、食い散らかすしか能がないくせに」

「熟成され、完成された料理を浅ましく平らげる、骨の髄までしゃぶりつくす。ヒトも、そうであろ?」


 そう言って、ギガンテスは、口の端から白いものを見せた。ピンク色の物体が薄くこびりついているのを見るに、あれは誰かの骨だろう。


 ギガンテスの言を信じるのであれば、あれは、教官だったものか。この村で、ここに残った者で、最も強かったヒト。ひげの強面の彼か。


 それを見たのか、感じ取ったのか。後ろで彼が立ち上がる。引きずるような音が接近して、どん、と、わたしの肩にぶつかって、止まった。


「そやつもいい具合になってきたではないか」


 零れんばかりの笑みを、ギガンテスは必死に手で抑えながら言う。新しいおもちゃをプレゼントされた、子どものようだ。無節操で、楽しむことしか考えていない。


 控えていた忠臣たちが現れ、みな剣を抜いた。エルダというヒト型の魔物だ。それぞれに名前がある。


 器用な者、シビク。ずさんな頭、モロク。よこしまな心、チジク。

 第三隊、突撃隊のモバナは彼らに引き裂かれた。

 腕、足、内臓、抜き取れるものはすべて抜かれ、弄ばれた。


 彼らは無造作に斬りかかる。


 モロクから。次はチジク。最後にシビクが来た。


 剣を交えることはなく、彼らは霧散した。


 ギガンテスは大層喜んだ。喜ぶたびにバンバンと叩く所為で、悪趣味な玉座の左の肘置きが折れた。


 パチンと指を鳴らそうとする前に、わたしは地面を蹴った。


 しかし、前回と同様に、見えない空間に阻まれ、剣が火花を散らした。押し込むほどに腕に来る振動が強まる。


 ヤツは人差し指を振って、舌をちっちと鳴らした。


「そう急くな。甘美なデザートは、食後に舐めるから美味いのだ」

「わたくし、リンゴなら食中でも頂きますのよ」

「それはいかんのだよ」


 肘置きが壊れた左の腕で空中をつかむ動作をすると、ブン、と鈍い空気の音。

 火花が一層強くなって、遂には押し返されてしまう。

 風がおこる。砂利がそこら中で高い音を出して跳ねている。


 顔を上げて見ると、ギガンテスの左手には、巨大な剣が握られていた。

 エテル・クラシコンと呼ばれる、災厄の業物。

 第六隊のグレナは、あれで魂を斬られて死んだ。


 一振り。


 見えない剣戟が、再び風を起こし、わたしは耐え切れず後ずさる。


 一回、二回、三回。振るわれるたび、周囲の魔力が不活性化する。ギガンテスの連れていた他の忠臣たちは、それに耐えきれずに霧散していた。


 ずん、と、その切っ先を地面に埋め込む。クールタイムが必要なのだろうか。

 好機を逃すつもりはない。未だ纏わりつく風を切り裂き、再び斬りかかる。


 しかし、またも透明の壁に阻まれる。防護壁バリアだ。

 どんなに凄腕の魔術師が、どんなに凄い魔法をそこに打ち込んでも、それはびくともしない。


(何が……。こいつは、何が違うの……⁉)


 ふっと、急激に周囲が暗くなる。見上げると、黒い物体が有象無象、浮遊していた。目を凝らすと、ハーピィに吊られた、ホブゴブリンたちだとわかる。彼らが持っている小口径のレーザー砲が、一つの球体を生み出した。



 直後に、太陽が地に落ちた。



 音もなく、それは地表に居るわたしたちを焼き尽くさんとする、灼熱地獄が出現する。


 球体が近づく。焼け焦げるにおい。地面に染みついた血や肉片が焦げていく。地面がドロドロになっていく。


 ギガンテスは、召喚術を最も得意とする。ゴブリンであろうと、自らと同じオーガ種であろうと、一体でも、一千万体でも、瞬時に召喚する術を持っている。どこでも、どこからでも、どんな数でも、奴は自在に魔物を扱う。


 わたしたち討伐隊は、そんなギガンテスの前に敗れた。

 わたしの相棒たちは、わたしの目の前で、そんな奴に食われた。

 記憶とともに、血が沸き立つ。

 もっと、もっと。

 力が欲しい。

 腕を伸ばす。

 


 小さな太陽が、わたしたちに接触する前に、黒い影が、それを横から掠め取った。

 彼の左手に伸びたそれが、ハーピィとホブゴブリンごと、喰らい尽くしてしまったのだ。


 そして、奇妙に蠢き、収束した。

 左腕の形を模したそれは、いつの間にか光の槍を携えていた。


 

「なんと!!」


 ギガンテスはエテル・クラシコンをそのまま振り下ろした。

 雲が裂かれ、空気も裂かれ。

 火花を散らしながら彼の頭上へと落ちていく。

 


 しかし、それは彼の左肩のモノによって防がれた。



 まるで映像を一時停止させたかのように、ギガンテスのエテル・クラシコンは止められていた。衝撃もなく、最初からその体勢で止まっていたかのように。


 彼の時が再生されると、ギガンテスは球粒の汗をかいて、はじけ飛ぶように後方に下がった。同種のオーガと比べても、自堕落を体現したような体型のシルエットからは、想像もできないような素早い動きだった。


 魔法陣が彼の周囲に展開され、テルミドールが攻撃の寸前の体勢で現れる。

 それらを、彼は呑み込んだ。


 指が鳴る。

 棍棒を振り翳したオーガと、オークが現れる。

 それすらも、彼は噛み砕いた。


 背後に、陽炎のようにエルダが発生する。

 わたしが、それを蹴散らした。

 背中から、彼の右肩を叩いた。反応はない。



 しかし、彼の肩に触れた左手から、意思が伝わってくる。

 彼らしい意識は、今は見えない。



――敵を倒して、みんなを守る。



 それだけが、歩みを止めない理由だった。

 ともに並び、歩調を合わせて進んだ。

 


 何度も何度も、妨害があった。


 

 何十体めかの特異種を蹴散らしたとき。ギガンテスの防護壁にわたしと彼はぶつかった。


 見えないガラス壁に衝突するように、鈍い音が響く。


 奴が笑う。しかし、その表情に余裕がなくなっているのが窺えた。


 指が鳴る。防護壁の内側にホブゴブリンたちが現れる。呼吸と充填の間を置かず、胴体に取り付けられた砲から、エネルギー弾が放たれる。

しかし、それではもはや彼を止めることはできなかった。


 彼の、槍を持っていない方の手のひらが伸びた。エネルギー弾を一身に浴びている筈なのに、怯みもせず、静かにその手が透明な壁に当たると、



 空間に、稲妻が走り、そして奇妙に波打った。

 その現象は、防護壁が、吸収されたことを示していた。



 エネルギー弾を放っていたホブゴブリンたちが、魔力の急激な変化によって霧散する。そして、彼らを構成していた魔力ごと、吸収される。


 恐怖に駆られたギガンテスは、エテル・クラシコンを振り下ろす。


 直後、光の槍が黒く染まって、消える。


 ギガンテスのシルエットがブレた。音が置き去りになっている。


 次の瞬間、宙に浮いたエテル・クラシコンが砕け散り、奴の身体が吹っ飛ばされた。


 品物が並んだままの露店市場の屋台を派手に破壊しながら、巨体は転がり続ける。

 中央大通り。その中間地点にある、アイドゥン像と時計台にぶつかったことで、ようやく止まった。


 彼は跳躍し、動かなくなった巨体に近づき、手をかざした。薄い、魔力の膜が蠢いているのが見える。二重の防護壁を持っていたらしい。


 しかし、それももはや意味を成さないだろう。

 わたしも、その上から手を当てた。


 彼の意識と同期する。魔力の流れを感じる。

 あおぐろいものと、あかるいものが、混ざり合い、一つになる。



 ゴバッッ!! という音とともに、ギガンテスの上半身が吹き飛んだ。

 


 地面は捲りあがり、通りの石畳がバラバラに吹き飛ぶ。焼け残っているギルドの赤レンガの壁に、ギガンテスの骨が音を立ててぶつかっていた。振動によって室内の照明器具が落下し、ガラスの破片が飛散した。


 下半身だけのギガンテスは、それでも巨体であり、広場の噴水の彫像を折ってもなお、転がっていった。噴水は大破し、だらだらと赤い水を垂れ流している。そこにも首が敷き詰められていたようで、地面を転がっていた。


 その中の一つに、見覚えがあった。

 金髪の、青年。


 グレナを想起する。


 彼女には、()が居たはずだ。士官学校で優秀な成績だったとか、なんとか。おしゃべりな彼女の声を再生していると、彼はよたよたとその首に近づき、拾い上げると、胸の中に抱きしめ、静かに蹲った。


 学校らしき建物に突っ込んだギガンテスの下半身は、痙攣しているように見えるが、あれでもまだ動けるだろう。再生能力が失われていなければ、数分で元通りの身体になる。


 だが、たったあの一撃で、モンスターの心臓ともいえるコアが、露出していた。


 剣を握りしめ、その残骸に近づくと、水音を含んだぐじゅぐじゅという身の毛がよだつような音が聞こえた。


 背骨に残った肉片が蠢いている音だった。微振動を繰り返していると、肉片の表面に、無数の小さな口が現れる。


 多数の倍音が重なっている、悍ましい声が聞こえた。


彼奴(きゃつは、すでに『こちら側』に堕ちた……。もはや止められんぞ……」


 コアに切っ先を引っ掛け、引きずり出し、宙に投げ、一閃。

 途端、その巨体は黒い煙となって破裂した。

 

 剣を空に示した。光が剣を伝って先端へと昇る。

 一際明るく輝いたとき、赤い雲はゆっくりと流れて消え、青い空が戻った。


 鞘に戻すことなく、その場に突き立てた。


 そして、走った。

 彼を「わたし」のもとに連れ戻すために。

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