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戦姫、ブリュンヒルデに捧ぐ  作者: 野之 乃山
二章 自警団
27/80

4-1 はじまり

 時間は正午前。


 昼はラーメンにしようと決めていた。目一杯働いて、汗をシャワーで流したあとだから、なおのこと、身体がラーメンを求めていた。


 滝のような豪雨が続く期間が終わり、ただただ暑い時期になっていく。


 自警団は、その雨の後始末、川の氾濫防止だとか、家屋の修繕だとか。そう言った、いわば内部対応に追われていた。もちろん、ぼくも例外ではなく、そういう対応を行う人員へのサポートにあたっていた。


 ぼくがこの世界で目を覚ましてから、かれこれ一年以上も経っていた。


 自警団員の中には、西大陸への興味を失いつつある者が出始めていた。それは、連日のように取り上げられていたはずの新聞から、討伐隊の記事が消えてしまったことも一因だろう。表向きは、従軍記者の負傷だとされているが、その真偽は最後まで定かではなかった。


 ぼくは日に日に異常を感じていた。また、それには明確な予兆が現れるとは、どうしても思えなかった。だから、そう言った周りの雰囲気に絆されることなく、ずっと鍛錬を積んできた。


 そんなふうに決意を固めつつ、午前の作業を終え、午後に向けての腹ごしらえと、食堂にて、注文の列に並んでいた。


 腹の音を抑えつつ、さてどのスープにしようか、と考えていたとき、事態は急変した。


――現実は想像よりも遥かに非情であった。



                    *


 腕を引かれたまま、廊下を走る。


 行く先は、治療室だ。そこの前には、教官たちが集まっていた。皆一様に、頭を抱えている様子だった。


 彼らをどけて、ぼくらは治療室に入る。


「連れてきました!!」


 アリアは控えめでも圧のある声を出す。ぼくは恐る恐るその敷居を横切った。アルコールのにおいだろうか、何かのにおいがきつく漂っていた。窓口には「受付中止」の看板が置いてあり、奥の様子が見えないようにカーテンで閉じられていた。しかし、人の行き来する足音は聞こえている。


 そこから、椅子が並べられている待合スペースに、まず足が動き、目線があって、そして足は止まった。


 三人がけの長椅子は動かされ、その上には所狭しと医療品が並べられている。それらは、手当てされている人を中心に置かれている。


 手当されているのは、カーサラさんだった。黒いズボンはところどころ雪とその溶けた水で濡れ、白いまだらな模様を作っていた。上半身は裸だが、腹部に包帯が巻かれており、それも若干赤く滲んでいる個所があった。彼はかなり色白だと思っていたが、今は痣などで痛々しく変色しており、元の肌の色を探るのが難しいくらいだった。


 ぼくに気が付いたカーサラさんは、帽子のつばを上げるような仕草をして、何もかぶっていないことに気づいたのか、そのまま前髪をくしゃりとかきあげた。微笑んでいるが、唇の端々から血の痕が見える。


「や、シシくん。一か月かそこらぶりだね」


 声はいつも通りのカーサラさんだった。


「カーサラ、さん。これは、いったい……」


「いやーお恥ずかしい。慣れないことはするもんじゃないね」


「なに言ってるんですか」彼の背中側からネロが姿を見せた。「魔法はあなたの得意分野でしょう」


「攻撃魔法を使ったのはホント、何年ぶりかなって感じ。あ、痛い、やめて、ネロ、そこ、痛い」


 少しだけ空気が和んだが、そうもしていられない。何が起きたのかを知らなければ。

 ぼくは医療品をわきへ退かそうと、ビンに手を伸ばしたが、アリアに止められた。


「話はあとだ。まずはこっちに」


 カーサラさんを見ると、頷きが返ってきた。ネロも同じだった。


 待合スペースから、病室などに繋がる廊下がある。点滴する部屋だとか、一日入院の病室だとかが手前にある。奥に行くほど、その人のけがや病気などが重くなっていくことを意味する。

ここに世話になったことは、少ないながらも何度かある。


 だから、アリアに連れられて行く先がどんな場所か、進むにつれて分かった。


 その部屋の前には、武器を持った人たちが立っていた。彼らは自警団でもなければ、どこかの兵隊だとか、そう言ったものではない。彼ら二人はぼくらを見ると、すっと扉の前から身体をどけた。


 ノック。


 わずかに開けられた隙間から、女性の顔が出てくる。彼女もぼくらを見ると、ぼくだけを指さして、顔を引っ込ませた。


 入室しようとしたとき、アリアに腕をつかまれた。何かを言おうとして、結局何も言わずに離された。


 這入る。失礼します、だとか、何かを言うべきか迷ったが、結局何も言えなかった。


 異様なほど、しろい部屋。何もない。穢れなど、一切この場所には存在してはならないと、神がそうあらかじめ定めたかのようだ。この場所で最も不浄な存在は、それは間違いなくぼくだろう。


 先ほどの女性が、ぼくを部屋の中で止めた。カーテンが閉じられている場所がある。その裂け目を右手の甲でちょいと開いて、何かを言った。そこから人が一人、医者が出てきた。


 彼はぼくを一瞥して、そして道を示した。


 女性がそうしたように、カーテンの裂け目に右手をかざして、中を見た。その時は自然と、失礼します、とか、開けるよ、とか、言った気がする。たぶん、開けるよ、って言った。


 白い包帯で造られた、人のカタチ。


 それは右と左に一つずつ、あるべきものが欠けている姿で横たわっている。


 至る所が赤い液体で汚れていた。この部屋の印象とは対照的に、その包帯はしろい所がなかった。


 頭部らしき場所を見る。見たことのある髪色が、これまた包帯の間から飛び出ている。しかし、左目に当たるはずの部分は、ガーゼが付けられているにもかかわらず、やけに平坦だった。


 きれいなまつ毛。呼吸するたびに、わずかに瞼が震える。悪夢を見ているような、そんな様子に見える。


 身体中に管が繋がれている。丸いばんそうこうのようなものからケーブルが繋がっているのが、彼女の生命がまだ尽きていないことを示していた。だが、それは微弱もいい所だ。輸血パックらしきものがいくつか空になっているのが、台車に残っていた。


 すっと、カーテンを捲っていた腕の力が抜ける。これ以上、腕を上げていられなかった。


 振り返って、二人に礼をする。


 顔を下げたまま、静かにドアを開けて、退室した。目の前の壁で、アリアが腕を組んで待っていてくれた。


「行こう」


 顔を上げて、努めて、平静を保って、声を絞り出した。


「……、いいのか?」

「ぼくがここに居ても、やれることはない。ここは、ぼくの戦う場所じゃないから」

「そうか」


 カーサラさんのところに行くまでに、アリアとは会話しなかったが、ぼくの心は本当に平静に落ち着いた。


 彼らの場所についた時には、カーサラさんは白いシャツを着て立っていた。ぼくらはそこに、なるべく静かに駆け寄った。


「もう、大丈夫なんですか」

「こんなのは軽傷さ。さ、場所を移そう」

「会議室は取ってあります。そこに行きましょうか」


 治療室の扉を開けると、教官たちの姿はなかった。代わりに、フェンデルが立っていた。


「教官たちは、すでに会議室に行くと。大丈夫なんですか、カーサラさん」

「ぼくは平気さ」腕を振る。直後に、脇腹を抑えた。


 会議室に行く間、ネロがぼくの手を握ってくれた。それに気づいて隣を見ると、柔らかなほほえみを見せた。いつの間にか温度を失っていたぼくの手に、彼女の体温の暖かさがしみわたった。彼女が失ったように、ぼくも腕を失いかけていたのだ。それに気が付いて、少し強く握り返した。ネロも、少し強く握ってくれた。


 誰も、なにもしゃべらないまま、会議室に着き、各々が着席した。教卓についたカーサラさんは、ぼくらと教官陣を交互に見比べた。


「何から話します?」

「今日の事でいい。手短に報告を」また誰かが言った。アルフレッド教官は腕を組んだまま何もしゃべらなかった。「どうぞ」


「分かりました」


 黒板をチョークで叩く音が響く。こんなに人が居るのに、その音は何かに吸収されることなく、本当によく響いた。


 カーサラさんがリンネさんを見つけたのは、セント・ヴァイシュの森に近いリジャン川の岸だったそうだ。ボルツ聖道と森をつなぐ橋の、村側の橋の下に彼女は居たという。居た、というより、倒れていた。川の水がやけに赤くなっているのを見つけ、すぐに行動したのが幸いだったと言った。


 その時の彼女の状態も、ぼかしつつ報告した。左目、右腕は肩から、左足はひざから下がすでになかったそうだ。残っている部分も斬られた傷が酷く、川に浸かっていた部位は凍傷も見られた。


 彼は西大陸の概略地図を描き、リンネさんたち討伐隊の動きを書いた。おおよそ、新聞に載っていた通りだと、ぼくは作っていた新聞の切り抜きメモを、他の人に回して見せた。細かい所がいくつかあったが、ある時から、新聞には何も載らなくなった。


「従軍記者の負傷、だとか」

「記者に何かがあったのは事実。それは今は置いておきます。いま、重要なのは、討伐隊の最終確認地点です」


 あるところにポイントを書いた。会議室にはフリュークの世界地図があったので、それを黒板のものと比較した。西大陸の最西端にある、フェルクス遺跡、と呼ばれる場所だった。エッダ王のもとに届いた、最終報告書には、「急いでそこに向かう」という文があったそうだ。


 その報告書の日付は、数日前。ハプトによって運ばれてきたため、それらのタイムラグを考慮しても、四、五日前になる。

 それだとおかしい、とカーサラさんは付け足した。


「セント・ヴァイシュの森とは、いわば正反対に位置するここから、彼女はここまで来た」


 ぐいーんと、チョークの線が伸び、大陸をほぼ端から端までぶった切っていく。そして、リドの村周辺の概略地図を描き、橋と森をつなぐ根元に辿り着いた。


「明らかに異常です。確かに海は繋がっちゃいますが、ここまで来るのに何か月、いや、何年かかるか分かったもんじゃありませんし、途中で彼女はバラバラになっているでしょう」


 一息ついて、彼は付け足す。


「彼女を助けたとき、森からハーピィが現れました」


 室内が大きくざわめく。

 ハーピィとは、魔物であり、過去数十年、東大陸では確認されていなかった種だ。群棲する特性があり、一匹見たら百匹は覚悟しろ、と言われるくらいに、大きな集団で動く。身体を自在に動かせる羽根を持ったヒトらしき胴体に、鋭い爪を持った足と、風魔法を扱える程度に知能がある。


 いくらモンスターには物理的距離が意味を成さないとはいえ、凝固する種は場所によってある程度傾向と言うものがある。傾向の移り変わりなんてものもあるから、ハーピィが珍しいかと訊かれれば、まあ珍しいと言えるだろう。


 ただ、今回は別だ。


 モスナ公国の件について、それはハーピィの襲撃から始まったことが、つい昨日判明したのだ。


 リドの村が狙われている、と。誰かがつぶやく。


「わたしも、久々ながらまあなんとかハーピィと戦いながら彼女を守ることはできました。しかし、ボルツ聖道を進むと、なんとまあ、モンスターたちのオンパレードでしたよ」


「偵察部隊からの報告では」バダラグ教官が手を挙げて発言する。「戦闘の痕跡は認められるが、ハーピィの他、今まで見なかったような種の魔物は確認できていないとのことです」


「つまりは、彼女を追ってきた可能性があるのです」


 カーサラさんは続けて言った。

 それでも状況は変わらない。リドの村にリンネさんがいるとわかっているのなら、必ずやってくるだろう。


 教官たちは、みな一様に考え込んでしまった。重たい沈黙が、会議室の天井から降りてくる。


「それでも、やることは変わりません」


 ぼくは言った。


「動くなら、早い方がいいでしょう。相手はこちらの戦力を知っている」


 特に、とは言わなかったが、ぼくはネロを見た。


「オプ・スナの件か」アルフレッド教官が繋げた。「記憶の、継承」

「他の種にも適用されるかは分かりませんが、そう考えてもよろしいのではないかと」

「明るいうちに動こう」


 それに皆が頷き、避難経路や手順などをまとめた本を取りに戻ろうと席を立つと、外が騒がしいのが分かった。


 会議室前を、人々が走っている。

 誰かがノックもせずに入ってきた。

 彼は息も整えず、そのまま続けた。


「西、王国上空に異変発生!!」


                    *


 腕を引かれたまま、廊下を走る。


 行く先は、治療室だ。そこの前には、教官たちが集まっていた。皆一様に、頭を抱えている様子だった。


 彼らをどけて、ぼくらは治療室に入る。


「連れてきました!!」


 アリアは控えめでも圧のある声を出す。ぼくは恐る恐るその敷居を横切った。アルコールのにおいだろうか、何かのにおいがきつく漂っていた。窓口には「受付中止」の看板が置いてあり、奥の様子が見えないようにカーテンで閉じられていた。しかし、人の行き来する足音は聞こえている。


 そこから、椅子が並べられている待合スペースに、まず足が動き、目線があって、そして足は止まった。


 三人がけの長椅子は動かされ、その上には所狭しと医療品が並べられている。それらは、手当てされている人を中心に置かれている。


 手当されているのは、カーサラさんだった。黒いズボンはところどころ雪とその溶けた水で濡れ、白いまだらな模様を作っていた。上半身は裸だが、腹部に包帯が巻かれており、それも若干赤く滲んでいる個所があった。彼はかなり色白だと思っていたが、今は痣などで痛々しく変色しており、そこから元の肌の色を探るのが難しいくらいだった。


 ぼくに気が付いたカーサラさんは、帽子のつばを上げるような仕草をして、何もかぶっていないことに気づいたのか、そのまま前髪をくしゃりとかきあげた。微笑んでいるが、唇の端々から血の痕が見える。


「や、シシくん。一か月かそこらぶりだね」


 声はいつも通りのカーサラさんだった。


「カーサラ、さん。これは、いったい……」


「いやーお恥ずかしい。慣れないことはするもんじゃないね」


「なに言ってるんですか」彼の背中側からネロが姿を見せた。「魔法はあなたの得意分野でしょう」


「攻撃魔法を使ったのはホント、何年ぶりかなって感じ。あ、痛い、やめて、ネロ、そこ、痛い」


 少しだけ空気が和んだが、そうもしていられない。何が起きたのかを知らなければ。

 ぼくは医療品をわきへ退かそうと、ビンに手を伸ばしたが、アリアに止められた。


「話はあとだ。まずはこっちに」


 カーサラさんを見ると、頷きが返ってきた。ネロも同じだった。


 待合スペースから、病室などに繋がる廊下がある。点滴する部屋だとか、一日入院の病室だとかが手前にある。奥に行くほど、その人のけがや病気などが重くなっていくことを意味する。

ここに世話になったことは、少ないながらも何度かある。


 だから、アリアに連れられて行く先がどんな場所か、進むにつれて分かった。


 その部屋の前には、武器を持った人たちが立っていた。彼らは自警団でもなければ、どこかの兵隊だとか、そう言ったものではない。彼ら二人はぼくらを見ると、すっと扉の前から身体をどけた。


 ノック。


 わずかに開けられた隙間から、女性の顔が出てくる。彼女もぼくらを見ると、ぼくだけを指さして、顔を引っ込ませた。


 入室しようとしたとき、アリアに腕をつかまれた。何かを言おうとして、結局何も言わずに離された。


 這入る。失礼します、だとか、何かを言うべきか迷ったが、結局何も言えなかった。


 異様なほど、しろい部屋。何もない。穢れなど、一切この場所には存在してはならないと、神がそうあらかじめ定めたかのようだ。この場所で最も不浄な存在は、それは間違いなくぼくだろう。


 先ほどの女性が、ぼくを部屋の中で止めた。カーテンが閉じられている場所がある。その裂け目を右手の甲でちょいと開いて、何かを言った。そこから人が一人、医者が出てきた。


 彼はぼくを一瞥して、そして道を示した。


 女性がそうしたように、カーテンの裂け目に右手をかざして、中を見た。その時は自然と、失礼します、とか、開けるよ、とか、言った気がする。たぶん、開けるよ、って言った。


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 それは右と左に一つずつ、あるべきものが欠けている姿で横たわっている。


 至る所が赤い液体で汚れていた。この部屋の印象とは対照的に、その包帯はしろい所がなかった。


 頭部らしき場所を見る。見たことのある髪色が、これまた包帯の間から飛び出ている。しかし、左目に当たるはずの部分は、ガーゼが付けられているにもかかわらず、やけに()()だった。


 きれいなまつ毛。呼吸するたびに、わずかに瞼が震える。悪夢を見ているような、そんな様子に見える。


 身体中に管が繋がれている。丸いばんそうこうのようなものからケーブルが繋がっているのが、彼女の生命がまだ尽きていないことを示していた。だが、それは微弱もいい所だ。輸血パックらしきものがいくつか空になっているのが、台車に残っていた。


 すっと、カーテンを捲っていた腕の力が抜ける。これ以上、腕を上げていられなかった。


 振り返って、二人に礼をする。


 顔を下げたまま、静かにドアを開けて、退室した。目の前の壁で、アリアが腕を組んで待っていてくれた。


「行こう」


 顔を上げて、努めて、平静を保って、声を絞り出した。


「……、いいのか?」

「ぼくがここに居ても、やれることはない。ここは、ぼくの戦う場所じゃないから」

「そうか」


 カーサラさんのところに行くまでに、アリアとは会話しなかったが、ぼくの心は本当に平静に落ち着いた。


 彼らの場所についた時には、カーサラさんは白いシャツを着て立っていた。ぼくらはそこに、なるべく静かに駆け寄った。


「もう、大丈夫なんですか」

「こんなのは軽傷さ。さ、場所を移そう」

「会議室は取ってあります。そこに行きましょうか」


 治療室の扉を開けると、教官たちの姿はなかった。代わりに、フェンデルが立っていた。


「教官たちは、すでに会議室に行くと。大丈夫なんですか、カーサラさん」

「ぼくは平気さ」腕を振る。直後に、脇腹を抑えた。


 会議室に行く間、ネロがぼくの手を握ってくれた。それに気づいて隣を見ると、柔らかなほほえみを見せた。いつの間にか温度を失っていたぼくの手に、彼女の体温の暖かさがしみわたった。彼女が失ったように、ぼくも腕を失いかけていたのだ。それに気が付いて、少し強く握り返した。ネロも、少し強く握ってくれた。


 誰も、なにもしゃべらないまま、会議室に着き、各々が着席した。教卓についたカーサラさんは、ぼくらと教官陣を交互に見比べた。


「何から話します?」

「今日の事でいい。手短に報告を」また誰かが言った。アルフレッド教官は腕を組んだまま何もしゃべらなかった。「どうぞ」


「分かりました」


 黒板をチョークで叩く音が響く。こんなに人が居るのに、その音は何かに吸収されることなく、本当によく響いた。


 カーサラさんがリンネさんを見つけたのは、セント・ヴァイシュの森に近いリジャン川の岸だったそうだ。ボルツ聖道と森をつなぐ橋の、村側の橋の下に彼女は居たという。居た、というより、倒れていた。川の水がやけに赤くなっているのを見つけ、すぐに行動したのが幸いだったと言った。


 その時の彼女の状態も、ぼかしつつ報告した。左目、右腕は肩から、左足はひざから下がすでになかったそうだ。残っている部分も斬られた傷が酷く、川に浸かっていた部位は凍傷も見られた。魔法によるものだとみられるが、この暑さの中でもなかなか溶けなかったとなると、それは相当に強い魔力によるものなのだと考えられた。


 彼は西大陸の概略地図を描き、リンネさんたち討伐隊の動きを書いた。おおよそ、新聞に載っていた通りだと、ぼくは作っていた新聞の切り抜きメモを、他の人に回して見せた。細かい所がいくつかあったが、ある時から、新聞には何も載らなくなった。


「従軍記者の負傷、だとか」

「記者に何かがあったのは事実。それはまた後で話します。いま、重要なのは、討伐隊の最終確認地点です」


 あるところにポイントを書いた。会議室にはフリュークの世界地図があったので、それを黒板のものと比較した。西大陸の最西端にある、フェルクス遺跡、と呼ばれる場所だった。エッダ王のもとに届いた、最終報告書には、「急いでそこに向かう」という文があったそうだ。


 その報告書の日付は、吹雪が収まり始めた数日前。ハプトによって運ばれてきたため、それらのタイムラグを考慮しても、四、五日前になる。

 それだとおかしい、とカーサラさんは付け足した。


「セント・ヴァイシュの森とは、いわば正反対に位置するここから、彼女はここまで来た」


 ぐいーんと、チョークの線が伸び、大陸をほぼ端から端までぶった切っていく。そして、リドの村周辺の概略地図を描き、橋と森をつなぐ根元に辿り着いた。


「明らかに異常です。確かに海は繋がっちゃいますが、ここまで来るのに何か月、いや、何年かかるか分かったもんじゃありませんし、途中で彼女はバラバラになっているでしょう」


 一息ついて、彼は付け足す。


「彼女を助けたとき、森からハーピィが現れました」


 室内が大きくざわめく。

 ハーピィとは、魔物であり、過去数十年、東大陸では確認されていなかった種だ。群棲する特性があり、一匹見たら百匹は覚悟しろ、と言われるくらいに、大きな集団で動く。身体を自在に動かせる羽根を持ったヒトらしき胴体に、鋭い爪を持った足と、風魔法を扱える程度に知能がある。


 いくらモンスターには物理的距離が意味を成さないとはいえ、凝固する種は場所によってある程度傾向と言うものがある。傾向の移り変わりなんてものもあるから、ハーピィが珍しいかと訊かれれば、まあ珍しいと言えるだろう。


 ただ、今回は別だ。


 モスナ公国の件について、それはハーピィの襲撃から始まったことが、つい昨日判明したのだ。


 リドの村が狙われている、と。誰かがつぶやく。


「わたしも、久々ながらまあなんとかハーピィと戦いながら彼女を守ることはできました。しかし、ボルツ聖道を進むと、なんとまあ、モンスターたちのオンパレードでしたよ」


「偵察部隊からの報告では」バダラグ教官が手を挙げて発言する。「戦闘の痕跡は認められるが、ハーピィの他、今まで見なかったような種の魔物は確認できていないとのことです」


「つまりは、彼女を追ってきた可能性があるのです」


 カーサラさんは続けて言った。

 それでも状況は変わらない。リドの村にリンネさんがいるとわかっているのなら、必ずやってくるだろう。


 教官たちは、みな一様に考え込んでしまった。重たい沈黙が、会議室の天井から降りてくる。


「それでも、やることは変わりません」


 ぼくは言った。


「動くなら、早い方がいいでしょう。相手はこちらの戦力を知っている」


 特に、とは言わなかったが、ぼくはネロを見た。


「オプ・スナの件か」アルフレッド教官が繋げた。「記憶の、継承」

「他の種にも適用されるかは分かりませんが、そう考えてもよろしいのではないかと」

「明るいうちに動こう」


 それに皆が頷き、避難経路や手順などをまとめた本を取りに戻ろうと席を立つと、外が騒がしいのが分かった。


 会議室前を、人々が走っている。

 誰かがノックもせずに入ってきた。

 彼は息も整えず、そのまま続けた。


西()()()()()()()()()()()!()!()

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