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戦姫、ブリュンヒルデに捧ぐ  作者: 野之 乃山
一章 リドの村
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5-3 勉強

 家に帰ると、決まって本棚の中の本を物色して、その日の講義の復習に使えそうな参考書を一冊、手に取る。そして、ぺらぺらといくつかページをめくった後、目当ての本かどうかを確かめてから、机に向かって勉強を始める。


 この習慣が癖づくまで、そんなに時間は掛からなかったように思う。ただ、自警団に入ってから、もう一か月以上は経っていた。やる事が増えた今は、時の流れが本当に早く感じるようになった。単に、時間を多くとられるようになっただけかもしれない。結局、感覚が短くなったのには変わらなかったが。


 予習復習に使っているネロの本棚は、初めて見たときはその価値はわからなかったが、いざ開いてみると、訓練所の図書室よりも充実していたと言っても過言ではない。置かれているのは主に魔法、魔術関連の本であり、隅に剣術や体術の本が並べられている。魔法・魔術に関しては、家に帰ってから読む方が圧倒的に充実しているのだ。ネロからの手厚いサポートもあり、魔法方面の会得はかなり順調だった。


 魔法・魔術に関して、ぼくの知り得た、そして書物から得た知識を纏めてみる。


 まず魔法について。これは、後に述べる魔術と魔導の根幹たる概念であり、この世界では物理と並ぶ分野である。フリュークに住み、生きる人々の生活基盤に深く関わり、不可分と言っていい存在だ。そのため、フリュークでは幼いころから魔法の鍛錬は必ず行われており、ほとんど全員が魔法については一つや二つは扱えるようになっている。いわば、基礎である。


 だが、そこから発展することなく、生涯を終えることも珍しくない。日常において、魔法を使うことがそもそも少ない、という面もあるが、主要因は「魔法適性」の有無である。簡単に言えば体質が魔力を受け入れるか否か、というものだ。訓練することによって適性は多少改善されるものの、重要度は高くない。生活に深い関わりがあるのに、使うことが少ない、というのはどういうことか。それは、魔法と魔導の関係による。それは後で纏めるとする。


 この世界では、魔力を「五科(ゴカ)」の属性と「三華(サンカ)」の属性に変えて行使することができる。五科とは、火、水、土、風、雷の五つの属性を指し、三華は時、幻、無の三つの属性を指す。これらは魔法の世界を構築する根底の属性とされ、特に五科は基礎たる魔法の中でも、最も基礎的な属性と位置付けられている。そのため、魔法というものは、その五科のうち、一つの属性を行使することが、その範囲と定められることが多い。もしくは、五科、三華の八種のうち、どれか一つの属性のみを行使する場合にも使われる。


 対して、魔術は、魔法を基礎とするなら、発展と言える。魔導は、応用だ。魔術は、五科や三華の八種の属性を、いくつか組み合わせて行使する範囲を分野とする。簡単な例えで言うならば、水属性と火属性を組み合わせて、お湯を作る。これも、五科の二つを同時に行使しているので、立派な魔術とされる。反対に、水魔法を使って水を容器に入れて、火属性で加熱する。これは魔法になる。この辺りの話を聞くと、ぼくは、ややこしいというか、背中がむず痒い感じがする。


 基本的に、同一属性を掛け合わせることはできない、と言うより、それは、行使時における消費魔力量を、ただ増加させるのと同義である。この場合も、魔法を行使する、と言う。属性の違うものを掛け合わせた場合にのみ、魔術と呼ばれるものになる。掛け合わせる属性によって、向き不向きと言った相性があったり、片方の属性の力を倍増させるようなこともある。


 魔導は、いわば魔法・魔術の「動力化」を目指している。科学技術との融合を目指されている、ちょっと面白そうな分野だった。魔法・魔術を行使することで、例えば、車や列車を動かすことができる。それらの、モータやエンジンなど、動力を動かすための燃料を、電気やガソリンではなく、魔力として考えられている分野だ。ぼくはまだ見たことはないが、西大陸ではアラム王国とその周辺の近代化が進んだ地域では、魔導による列車が走っているそうだ。さらに機械化が進んだ国では、すでに魔導兵器が実用化段階に入っているという。


 先ほども述べた通り、魔導の燃料は魔法・魔術、つまりは魔力だ。魔導は少し変わっている。魔導機関と呼ばれるコアに当たる部品を持つ製品の場合、周囲の大気中から魔力を吸い上げ、それを燃料として勝手に行使し消費する。魔導機関がない製品の場合、それは使用者の体内に貯蓄された魔力を吸い取り、行使される。魔力の貯蓄はあるものの、魔法・魔術のセンスが壊滅的な人は、魔導機関のない魔法杖などを使えば、あらかじめ刻まれた魔法・魔術は行使することができる。そのような人は、この世の中には少なくはないと言われているようだ。


 どのようにして、センスのない使用者の魔力を形にするのか。魔術と魔導には、魔法にはなかった「術式」という工程が含まれることがある。発動するタイミング、その発動量と指向性などを式として書き表すことなのだが、魔導においてはプログラムされた式をなぞることになる。魔術においては、ただ単に属性を組み合わせるだけではなく、複雑な属性の混合やそのタイミングを工夫することにより、より強力な、もしくはより便利な事が出来たりするのだ。


 身近にある魔導となれば、このリドの村では、魔力を電気へと変換するコンバータと、生成した電気を送信するトランスミッタ、そしてそれを受信するレシーバが存在する。間に中継器などをかまして、より遠くへと電気を届けられるようにしている。それらの機械は、それぞれの大通りの、ちょうど中間にある。まがまがしい見た目をしているかと思いきや、案外風景に溶け込んでいる。レシーバはただの棒にしか見えないほどで、それらは小型化された機材ばかりであった。


 この点においては、意外と科学的であり、魔力という不思議な力によって支えられている側面もある。そのため、物理法則は、この力の前では、一部、成立しないこともあるという。


 確かに、ぼくはセント・ヴァイシュの森から抜けたとき、空中に浮く遺跡を見た。事故があったとネロが言ったが、間違いなく、あれは魔法・魔術の類によって引き起こされたものであると、今は確信を持って言える。


 高度な術式を用いた魔術を例に挙げると、ターレン分析が浮かぶ。この魔術は使用者のセンスが高く問われる魔術であり、他人の資質を読み取るという、いわゆる禁忌(タブー)に近い魔術でもある。そのため、常に危険と隣り合わせであり、まず、安全に行使するための構築と、その後の分析精度を確保するための構築が必要になる。だからこそ、カーサラさんはターレン分析で生計はおろか、孤児院を経営することもできるほど、収入を得ているのだ。ただ、孤児院への寄付は行われており、そこには、ネロの依頼達成料の何割かも含まれているらしい。


 肩を回して、ペンを置く。古い本の、乾いた紙と、風が吹けば飛んで行ってしまいそうな、掠れたインクの文字のにおいは、ぼくを夢中にしてくれる。文字を食べる虫のことを思い出した。銀色の足がたくさんあるやつ。ぼくもアイツと同類かもしれない。だって、今にも、本の文字を食べてしまいそうだから。それぐらい夢中になっていた。


 休憩するために、コンロに向かって、ポットに水を入れて火にかける。コーヒーと紅茶はいつでも準備されていた。ネロは紅茶派だったので、ぼくもそれにならった。しかし、ネロは紅茶でもコーヒーでも、砂糖を多めに入れたがる。コーヒーは分かるが、紅茶にも居れようとするので、いつも、子どもだね、と言うと、彼女は頬をぷっくり膨らませるのだ。


 ふと思う。ぼくはいま、大人なんだろうか。それとも、まだ子ども? ぼくとネロ、お互い、意地の張り合いだ。カーサラさんは大人だ、ネロは、どうだろう。ぼくよりも落ち着いているし、魔術・武術、全てにおいて明らかにぼくよりも上だ。でも、歳は下なのだ。彼女は、大人だろうか。


 勉強を積み重ねていけばいくほど、カーサラさんと、ネロの、その規格外と言えるセンスが浮き彫りになっていく。ずずん、と、大きな塔の上に二人が居て、ぼくは無知と言う崖の上に立っていたから、その高さは分からなかったけれど、いざ同じ土台から始めてみたら、どうだ、もはや追いつけるかどうかさえ怪しいほどの差を、間近で見ることになってしまった。


 アリアもかなり高いところにいる。あの二人が並外れて凄すぎるだけで、基準が麻痺しているから、そうとは気付きにくい。手を伸ばしたって、一向に届きやしない。それも、塔なのに、みんな入口を作りたがらない。上るところがないから、一緒にそこに居るためには、ぼくもそこまで塔を築かなければならない。何年かかるだろう、と、考えれば考えるほど、馬鹿らしくなってきた。


 しかし、少なくとも、幸い、ぼくには魔術のセンスは備わっていた。数週間、みっちりと座学と実習を受けた結果、人、今では魔法方面においてはトップ百人の中には入ってきた。魔法の担当教官は、ぼくのことをネロ以上の逸材になるとも言ってくれたが、それはあまりにも買いかぶりすぎだと思う。


 だが、強くなったという実感はある。誰もが一度はそこで挫折を経験すると言われている、遠隔行使という、手に触れていない離れた魔力を操作して、そこで魔術を発現させる技がある。不思議な事に、ぼくはそれを一発で成功させ、その後も難なく繰り返しやって見せた。まだ操れる魔力量は多くないが、火の魔法を使って、小さな爆発は起こせた。


 手から発現する魔法は大方操れるようになってきたし、魔術も特に暴発させることなく行使することができる。やろうと思えば、ポットの中の水を一気にお湯にさせることもできるし、火にかけたまま過冷却することもできる。爆発の可能性があるからやらないが、それぐらいのことはできるようになってきた。できないことができるようになってくるのが、勉強している中で、一番楽しい時間だと思う。


 槍術の方は、魔術より遅れをとっているが、近々、有名な講師を招いて、レクチャしてもらえることになった。アラム王国伝統の槍術らしく、それにも胸が躍る気持ちだ。


 あと、二か月かすれば、合宿が始まる。山籠もりならぬ、森籠りだ。セント・ヴァイシュの森に、訓練生が一か月ほど、自給自足のサバイバル生活をおくる。セント・ヴァイシュの森は、深くいけばいくほど危険な魔物が現れる。彼らは特殊な性質で、絶対に森の中から、一定のところまでは出てこようとはしない。一説によれば、彼らは、森の奥深くの遺跡に関係しているそうだが、事実は不明だ。何にせよ、それまでには自衛程度には槍を使いこなして見せなければならない。


 剣術三倍段と言う言葉の通り、槍を相手取るには、剣はその三倍の習熟度を求められる。ぼくは、フェンデル相手に叩きのめされた。単純に考えれば、フェンデルはぼくより三倍強いことになる。


 あの戦いで、決定的な欠点が見出された。ぼくは明らかに、対人戦ができない。魔物を相手にするときは、この一か月程度でこなせるようになってきたが、人を相手取るとなると、途端に弱腰になる。


 逆に不思議なくらいだった。他の訓練生も、フェンデルも、すぐに対人戦に適応しているのだ。なんのためらいもなく、仲間に武器を向けたり、攻撃したりすることができる。人を傷つけることに、抵抗はないのだろうか。


 しかし、それには理由があった。

 この世界では、治安維持が完璧な場所はないという事だ。


 カップに入っている粉末の紅茶に、少し冷ましたお湯を注ぐ。カップを傾けて唇で温度を確かめ、そのまま一口飲む。じんわりと深みのある甘さが広がる。ネロ特製のブレンドだ。疲れたときはこれを飲むと生き返りますよ、と、教えてくれた。


 具体的な産地名は忘れたが、この茶葉はアラム王国領地産である。王国領、というと、このリドの村も一応はアラム王国領だ。それらは王国が全てを管理する、という事ではなく、それら領地を結ぶ道の安全を、王国とその村や町などで保っているという意味だ。なぜ領地と表記するのかは疑問だが、これらの「道」はこの世界では失ってはならない繋がりを示している。


 それは、おおよそ見当はついているとは思うが、モンスターが存在するからだ。


 一週間のうち、新聞の見出しにおいて、「盗賊」だとか、「傭兵崩れ」だとか、はたまた「モンスターレイド」(いわゆる襲撃)だとか、そういう物騒な文字を見る日は、この世界では少なくない。今は、情勢的に不安定だからという事もあり、それらは増加傾向にあると言ってもいい。リドの村の隣町の鉱山町のズーベ・ヘーアの、わずかな道のりの途中でさえ、襲撃事件が発生することもある。


 自警団としての任務は、単に魔物から、自分たちの身を守ると言うだけではない。「われわれ」と同じ出で立ちであっても、「相手」と同じようになって、「われわれ」を攻撃する者もいる。それらから、村や人々を守らなければならない。


 ぼく以外の訓練生の大半は、そういった理由から自警団に志願していた。村や町を守るヒトが居なければ、容易く滅んでしまうくらい、身近に敵が潜んでいる。クエストギルドで依頼を受けても変わらないかもしれないが、生まれ育った場所を守りたいという思いも必然。なかには、別の国から新たな経験を積むために来る人もいる。そういった人たちは例外だ。


 みんな、思いを持って訓練に励んでいる。ぼくだって、強くなりたい、そう願うばかりだ。だが、その強さとはなにか。敵を打ち破る力のことなのか、あるいは魔法でみんなを助ける力なのか、知略で完璧な作戦を立案する力なのか。目標と言ってもいい、それが、今のぼくには欠けている。


 グラーファ隊長は、あの時、ぼくに強くなれと言った。それにはどういう意図があったのかは、今になっては確かめようがない。


 彼女は、リンネさんは、ぼくに強くなってほしいとは願わなかった。自分の為に生きろと。


 隊長の言うように自警団に入ったのは、彼女の願いを突き通せない自分の弱さがあったのだろうか。そうだとするのなら、誰かの願いを叶えるためにも、強くなくてはならない。


 強い自分とは、どんな自分だろうか。ぼくは、どうなれば強くなったと言えるだろう。どんなモンスターにも負けない自分になれば、強くなったと言ってもいいのだろうか。ものすごい爆発を起こす火の魔法が使えるようになれば、強いのだろうか。ぼくには、どれもしっくりこない。


 ネロは強い。彼女はハッキリしている。どこに行ったって、彼女の強さは保証される。剣も、魔法も。どこをとっても彼女には強さが詰まっている。メンタルの面でもそうだろう、こうやって一人暮らしをして、日々危険なことをこなして、誰かのために働いている。その誰か、は特に重要ではないが、孤児院の子どもたちと考えると、もはや立派な大人だ。


 その強さは、どこから来ているかと言えば、ネロはそうしなければ生きていけないからだ。つまり、生きるために強いのだ。

 フェンデルも、アリアも。彼らも強いと言える。そう、ぼくを言わしめる何かがある。目標を明らかにしているからだろう。


 ぼくが強くなるためにやるべきこと。それは、強くなったぼくは何ができるかを考えること。がむしゃらにネロやフェンデルと打ち合っても、アリアと魔法を使って研究しても、モンスターを倒しても、どうしたいかがなければ、意味をなさない。


 本来ならば、ここで使命を果たすため、と言えればかっこいいのだが、と、苦笑。口に出して言うか悩んだが、ぼくの“ガラ”ではない。格好つけが似合わないのは分かっている。


 使命。おそらくは、このフリュークに平穏をもたらすこと。立て続けに起こった、それらをにおわせる一連の出来事。本来ならば、ぼくとリンネさんは一緒にそれをこなす手筈だが、彼女はそうさせなかった。ぼくと彼女の間になにがあるのかはわからないが、あれは、なにかを仕組んだヤツらに対する反抗心だったのだろう。


 一緒に行けたら、何も考えずただ強くなればよかったのだろうか。

 カップを流しに置いて、洗剤を付けたスポンジで洗う。考えても無駄な事と一緒に、水で流した。

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