4.確定した未来
「うん、これは成敗で決まりだな!ここまで分かりきった勧善懲悪だと迷いがなくていいね。良心なんて全然痛まないしさ。シン姉は早く医者に診てもらいなよ。馬のように丈夫な体なのは知っているけどさ、安心しちゃだめだよ!まあ、体調が良くなっているからきっと大丈夫だとは思うけど、油断は禁物だからね」
「はい、はい、分かっているわ」
私の話を聞き終えるとジェイは反論は受け付けないとばかりに言い切る。
それはなんだか聞き覚えのある言い方だった。
これって昔、私がよく言っていた台詞よね、たしか……。
身に覚えがあるというか、あの頃は腕白なジェイ相手に口癖のようになっていた気がする。
『ほら、また擦りむいているわ。消毒しなくちゃ』
『こんなの唾つけとけば治るって――』
『もうっ、駄目よ!ジェイ、掠り傷でも化膿したら命を落とすこともあるんだからね。これくらいって油断は禁物なのよ』
昔は二人で何度となくこんな会話を繰り返していた。生活は大変だったけど、なんでもないことで笑えたあの頃が懐かしい。
「返事は一回で十分なんじゃなかったけ…?」
「…そうだったわね」
そして幼い頃『はーい、はい』と返事をしてくるジェイに私が言った言葉を、今度は彼がそっくりそのまま返してくる。ちょっとだけ眉間に皺を寄せて。きっと私の真似をしているのだろう。
ふふ、生意気になっちゃって。
「とりあえずは俺が不貞の証拠を集めてみるからさ、任せてみなよ。シン姉は診察を受けたあと、その薬のことを調べて。バシッと証拠を揃えてあいつをやっつけよう!」
「ジェイを巻き込むつもりはないわ。自分のことは自分で片を付けられるから」
彼は自分の胸を叩いてそう言ってきた。
確かに話の途中でこのままで終わらせるつもりはないと言ったけど、彼に助けを頼んだつまりじゃなかった。
無関係のジェイを巻き込みたくはない。
でもジェイは引き下がらなかった。
『騎士団内のことは俺が探ったほうが早いし、不自然じゃないから』と一歩も譲らない。
そうだ、ジェイは自分が悪い場合を除いて言い出したら引かない子だった。
それにジェイの言う通りであった。
ルイアンは最低な夫だけれども、世間的には良き夫だと思われている。貴族の悪しき文化では男性の浮気は黙認されるからだ。
ただ浮気ではなく本気ならば周囲の目もそれなりに厳しくなる。
だからイメルダとの関係が本気ならばこそ、彼は上手く隠しているはずで、騎士団の関係者のほうが証拠を押さえられる可能性が高い。
――結局は『絶対に危険なことはしない』とジェイが約束をして、私が折れた。
仕方がないわねと言いながらも、一人じゃないというのは心強かった。
「じゃあさ、一週間後に探った結果を報告するから。シン姉は怪しまれずに外出は出来る?」
「ええ、孤児院への訪問を定期的に行っているから大丈夫よ。でも危ないと思ったら無理はしないで。約束は絶対に守ってね、ジェイ」
「はい、はーい」
緊張感の欠片もない返事。
全く、ジェイったら…。
約束は昔から守る子だったから信用している。危険だと判断したら無茶はしないだろう。
でもこれとそれとは別だ。返事の仕方はちゃんとさせないと。
「返事は一回でしょ!」
「はーーーーーい」
確かに一回だけど、……これはない。
ちょっとだけお説教したら『本当にシン姉って変わってないなー。美人なのに口煩いね』て笑っていた。
「…よく言われるわ」
「やっぱりなー、あっはは」
酔った夫から『顔しか取り柄がない、煩い女だっ』と何度となく言われていた。
でもジェイが言うと同じ言葉でも全然違う。悪意がないから、一緒に笑い飛ばせる。
私はジェイと一週間後に会う約束をしてから別れた。
ルイアンの不貞相手は分かっているから、いつかは証拠は押さえられるだろう。
――時間ならあるから、焦らなくていい。
もう薬も飲まなければ、また体調が悪くなることもないだろう。
飲んだふりをして時間を稼げばいい。
彼の有責を証明できれば、離縁しても妹達に影響を及ぼすことはない。
――これで自由になれる。
夫とその愛人に毒を盛られるという悲惨な状況でもそう前向きに考えていた。
私は薬を手に入れてそれが毒だと証明するつもりだった。
そんなに難しいことではないと考えていたけれど、予想に反して薬が手に入らない。
ルイアンが慎重だったのだ。
『貴重なものだから』と二人だけの時に直接渡してくるだけで、余分に渡してはくれない。飲み込んだか確認してくるので、飲んだふりをして後で吐き出すことも出来なかった。
だから『もう元気だから大丈夫よ』と薬を断るしかなかったのだ。
毒だと分かっていて飲むわけにはいかない。
とりあえずジェイとの約束を守るために、もう体調はほとんど良くなっているけれど、診察を受けることを優先した。
薬を持ち出せないとなるとなんの毒か特定するのは困難だろうと思っていたが、――それは杞憂だった。
私の心配をよそに、体を侵している毒の見当をつけるのは簡単だった。
診察してくれた医者がこの症例の知識があったからだ。
「たぶん症状から見て、東国で出回っている薬でしょう。これは少量なら薬として用いられますが、大量に摂取すると緩やかな死を招く毒となります」
「体内に入った毒はどれくらいで抜けますか?」
「……背中に紅斑で出ています。これはもう全身に致死量の毒が回っている証拠です。残念ながら死を避けることは出来ません」
わ、わたし…、死ぬの……。
――信じられなかった。
だって今は咳も出ないし、だるさも消えて以前と同じように過ごせている…。
「確かにいっとき体調を崩しました。でも今はこの通り元気になっています!これって回復したってことですよね?毒に体が打ち勝ったんですよね…?」
きっとこの医者は誤解しているんだ。
そうだ、きっとそう……。
誰だって間違えることはある。
私は医者が申し訳無さそうに『それなら大丈夫ですよ』と診断の過ちを認める言葉を口にするのをただ待った。
「そういう残酷な毒なのです。回復したように思えるんですが、それは一時的なものです。……本当に残念です」
――告げられたのは確定した未来だった。
お読みいただき有り難うございます。