14.ともに歩む未来はきっと…
すると今度はジェイが間髪を入れずに言葉を発してくる。
「嫌だ、離縁はしない」
「でもこんなの間違っているわ。ジェイは私に同情しているだけよ。ほら、あなたはいつも捨て犬を拾って来ていたでしょうか?きっとそれと同じだわ」
彼は捨て犬や怪我をした野生動物とか拾ってきて面倒を見ていた。
たぶん感覚としてはそれと同じなんだと思う。
「捨て犬を拾っていたのは本当だけど、それはシンシアだっておなじだよね。この犬だって拾ったのは俺じゃなくてシンシアだろ?」
「ワン、ワン!」
そうだとばかりに子犬ジェイが元気に返事をしてくる。
確かに私も犬を拾っていた、ジェイと二人で…。
『また拾ってきたの?お姉様がついていながらどうしてジェイザを止めないの?』
『だって連れてこなかったら死んでしまうかもしれないし…』
上の妹が呆れながら捨て犬を抱いたジェイと私を見てそう言う。
『シン姉は悪くないからなっ!俺を止められる奴なんていないから』
『そんなこと分かっているわよ。それに私のお姉様なんだから、ジェイザはちょっと離れなさいね。いつもお姉様にくっつきすぎよ!』
『いいだろ、みんなのシン姉だから、俺のシン姉でもあるんだっ!』
『違うわ、私のお姉様よ』
『落ち着いてふたりとも…』
『『シン姉(お姉様)は黙っていて!!』』
普段はなにかと衝突することが多いけれど、こんな時だけ息が合っている。
『…はい』
いつも二人一緒に妹に叱られて、なぜか最後にはジェイと妹が揉めて終わっていた。
それについては反論の余地はないけれど、だからといって離縁は別だ。
「同情じゃない。きっとシンシアに再会しなければ、初恋のまま終わっていたんだと思う。けど七年ぶりに会えて自分の中ある初恋がただの初恋じゃなくなった。俺はシンシアを、シン姉とはもう見れない。それは特別な思いがあるからだ。同情なんかじゃない、あんなことがなくとも同じだった。でもシンシアが幸せだったら俺は引き下がっていたよ、…きっと」
そう、ジェイの言う通り、私は幸せではなかった。
でも、だからといって、その不幸を彼の優しさで埋めようとは思わない。
それに私は自分の気持ちが分からない。
大人になったジェイは眩しくて、幼い頃の彼へ抱いていた思いと違う感情が芽生えている気もする。だけどそれを確かめる時間は私にはない。
きっと私に未来があったならば、彼の思いに真剣に向き合おうとしたかもしれない。
でも今の私にはそんな資格はない。
不幸になる未来が確定していると分かっているのに、彼の隣にいたくない。
こんなふうに思うのはなぜ…。
たぶん、私は七歳も年下のジェイザ・ミンに惹かれ始めている。
――でもこの気持ちは伝えない。
それがあなたのためだから……。
この年になって初めて異性を愛する気持ちを知れた。これはある意味幸せなことだろう。
ジェイ、あなたに会えてよかったわ…、ありがとう。
「ジェイ、私は死ぬの。誰も悲しませたくないから一人で逝きたい。その覚悟はできているわ。それにね、ジェイには誰よりも幸せでいて欲しいの。私のことを思ってくれているのなら、この願いを叶えてね」
優しい言葉で別れを告げる。
綺麗なままの私を覚えていて欲しいと思うのは我儘ではないはず。
ねえ、ジェイ。
これくらい、許してね。
あなたの記憶に残りたい私の我儘を受け入れてくれたら嬉しいな…。
泣き顔は不細工だから、泣かない。
せっかく美人だと言ってくれているのだから、そのままでいたい。
これは最初で最後の我儘。
ジェイならきっと笑って聞いてくれるはずだわ…。
自分で言うのもなんだが、今まで生きてきて最高の笑顔を浮かべていると思う。
「シンシア、その嘘くさい顔やめて。そんな顔は似合わないからね。俺はシンシアを愛している。そしてシンシアは俺のことを嫌っていない。たぶん、だけど…自惚れかも知れないけど、俺のことを男としての意識してくれているよね?だからそんな顔してるんだよね?俺のことを考えて自分の気持ちに気づかないふりをしている」
「……微笑んでいるわ」
私は微笑んでいるのに、なぜかジェイは変なことを言ってくる。
「うん、凄く綺麗だよ。でもそれは作り物で本物じゃない、社交界用だ。俺は頼りないかも知れないし、俺のことをこの先本気で愛せないかも知れない。だったら、その時に離縁すればいい。俺はゴネたりはしない、約束する」
「それは私に都合は良すぎるわ…」
縛り付けたうえに、私が別れたくなったら別れるなんて、ジェイにとって良いことはない。
「うん、それだと不公平だよね。だから離縁した後は、俺はまた勝手に求婚する。流石に文書偽造はしないと思うけど、耐えられなくなったらまたするかもしれない。だからシンシアが気に病む要素はない。というか、きっと俺のほうが断然有利な気がするな、はっはは。重すぎる愛ってどんな感じなんだろうねっ!」
凄いことをなんでもないことのように、笑いながら言葉にするジェイ。
そこには計算も同情もなく、ただ自分の今の気持ちに真っ直ぐに向き合っているだけ。
自分には真似が出来ない。
その眩しさは彼だけのもの。
羨ましくて、……そしてこの気持ちはきっと愛しいという感情だろう。私は自分で思っている以上に、彼に惹かれている。
「我慢しなくていいから。もう俺はシンシアを見上げていた頃の俺とは違う。こんなふうに抱きしめることも出来るし、こうして涙を拭うことも出来る」
彼は私をそっと抱きしめ、頬にそっと手を当てる。
微笑んでいたはずなのに、私は泣いていた。
いつからだろうか。
きっと最初からかもしれない。
「順番がちょっとだけ違ってごめん。
俺はあなたを生涯愛すると誓います。だからシンシア、俺のそばにいてくれませんか?」
さらりと謝ってから、改まった口調でそう告げてくるジェイ。
「…それで本当にジェイは笑っていられる?」
幸せにしたい、彼の笑顔を見ていたい。
この気持ちに嘘はない。
こんな私があなたも手を取っても許されますか…。
「シンシアの隣じゃなきゃ、俺は笑えないね。だからここに来たんだ。シンシア・ミン、夫である俺の手を取ってくれませんか?」
ジェイは真剣な眼差しでそう言った後、泣いてぐしゃぐしゃの私を見ながら『泣いていても可愛いね』と告げてくる。
彼の腕から離れるべきなのに、もう離れられそうにない。
「いつでも別れてあげる。だからジェイがその気になるまで…結婚は継、続…す、……わ」
最後はちゃんと言葉にならなかった。でもジェイには十分伝わったようだ。だって私は彼の腕の中で泣きじゃくっている。もちろんこれは悲しいからではない、嬉し涙だ。
そんな私の耳元でジェイは囁く。
「俺は離してあげないからね。覚悟して、シンシア」
返事は出来なかった。
だって涙は止まらないから。
◇ ◇ ◇
こうして私とジェイは夫婦として互いの手を取った。
この地を離れ、二人でジェイの左遷先へと新居を移し新しい生活を始めた。
そこはまさに田舎と呼ぶに相応しい土地で、私達にとって静かに暮らせる素晴らしい場所だった。
穏やかな毎日を過ごしていく。
やはり私の体が馬並みに丈夫だったからなのか、それともこの田舎の空気が体に良い影響を及ぼしたのか分からないが、数年間は一度も寝込むこともなく、幸せな日々を過ごすことが出来た。
お互いに別れを切り出すことも一度もなかった。それは我慢していたのではなく、互いに手を離したくなかったからだ。
私は剣ダコのあるジェイの硬い大きな手に包まれるのことに幸せを感じ、彼は私の手を包み込み『離さないからなっ』と囁く。
――これ以上の幸せを私は知らない。
毒に侵されていることなんて忘れかけていたのに、ある日突然に別れの日はやってくる。
幸せの頂点からいきなり突き落とすなんて、神様はなんて残酷なんだろう…。