11.過ぎてゆくそれぞれの時間②〜シンシア視点〜
あの街を離れてから半年が経った。
幸いなことに体調に変化はなく、いたって元気に毎日過ごしている。
やはり丈夫な体だから毒の影響が出るのが遅いのかもしれない。
それは嬉しいことだけれども、いつ死を迎えてもおかしくない状況で新たな人間関係を作るのが怖い。
もし私に親しい友人が出来たら、その人は私が死んだ時に少なからず悲しんでくれるだろう。それにもし私が毒の影響で動けなくなり寝込んでしまったら、手助けをしてくれるかもしれない。
…そんなふうに迷惑を掛けたくはない。
だから大切な人達に何も告げずにここにいるのだ。
あの最低なルイアンから、贅沢をしなければ暮らせるだけのお金は毟り取ってきた。だから働かずとも一人で静かに暮らせていけるし、誰にも迷惑をかけずに死を迎えることも出来る。
だからそれを実践している。
町外れに小さな家を借り、人付き合いは必要最低限に押さえて、一人で生活をしている。
貴族として生きてきたけど、その人生の大半は貧乏だったので自分で何でもできるから使用人も必要がない。
一応はまだ伯爵夫人だけれども、この町の人達は誰もその事実を知らない。訳ありの女性が一人寂しく暮らしていると思ってくれているのは都合が良かった。
正直に言えば寂しくて仕方がなかった。
でも数ヶ月前から子犬が我が家に住み着いたので、その寂しさはだいぶましになっている。
「ジェイ、ごはんよ。虫を追いかけるのはやめて戻ってきなさい」
「ワン、ワンワン!」
こっちを見て元気よく返事?をするけれど、戻っては来ない。蝶を追いかけるのに夢中なのだろう。
ふふ、こういうところがジェイにそっくりなのよね。
ジェイとはこの子犬につけた名前だ。自由奔放で可愛くて手が掛かるところがあの幼馴染みにそっくりだったから、その名を拝借した。
きっとジェイが知ったら『シン姉、俺の名前を犬につけるなよー!』とむくれそうだ。でもその後に一番犬を可愛がるのだろう。『お前、俺に似て見所があるぞっ!』て頭を撫でて甘やかす姿が想像できる。
ジェイは動物にも好かれていたものね…。
大切な人達を思い出さない日はない。
――彼も私にとって大切な人の一人。
偶然の再会によって、私の中の彼は少年の頃の彼ではなく、もう立派な青年になっている。
最後に目に焼き付けた眩しい笑顔は、私の心を温かくする宝物だ。
「ワン、ワン!」
犬のジェイは泥水のなかを転げ回って泥だらけになっている。あの姿で家に入られては、家の中が悲惨なことになるのは目に見えている。
なんとしてもそれは阻止したい。
「ジェイ、ごはんの前に川でその泥を落としましょうね」
「……」
私の言葉を理解したのか、それとも雰囲気で察したのか、返事をせずに一目散に逃げていく。
大抵の犬と同じように、ジェイも体を洗われるのが嫌いだ。
私とジェイの鬼ごっこが始まった。
犬と人間では、もちろん犬のほうが断然有利だ。まだ子犬なのに、全然追いつけない。
はぁ、はぁ…。なんでこんなに逃げ足が速いのよ…。
こんなところまで元祖に似なくともいいのに。
「こらっ、待ちなさーい!ジェーイ!」
「お前もジェイって言うのか。うん?あれが付いてないな…」
逃げるジェイを捕まえたのは本物のジェイだった。
抱き上げた子犬に男の子の印が付いていないのを確認すると眉をしかめて、私を見る。
「シンシア、雌に俺の名前なんてつけるなよー」
「ごめんね、勝手につけて」
目の前でそう言いながら、ジェイは笑っている。
ここにいるはずはないない人。
もう二度と会うはずはない人…。
それなのに、私は彼につられて普通に言葉を返していた。