大事な大事な頼み事
高天の宮を出た天空雨の丞は、パンプキンバーに向かった。押戸から中に入ると、無数の村民が南瓜汁の入ったカップやグラスを片手に、奥の講座を取り囲んでいた。南極亭常夏の調子のよい声に笑い声が沸き上がる。その声に合わせて天井から吊るされた橙色の電球が揺れる。雨の丞は隣の初老の村民に訊ねた。
「今夜の演目は何だ?」
初老の村民はほうれい線を絶やさず、目は講座に向けたまま「かぼちゃ屋だ」と言って、はっはと笑った。
講座が終わると、南極亭常夏は舞台を下り、そのままバーを去るべく風呂敷を抱えながら腰を屈めて歩いて来た。疑念を抱いた雨の丞にはその姿が、まるで疚しいことから逃げるような恰好に見えた。
「落語家さんよ」
雨の丞が立ち去ろうとする常夏を呼ぶと、彼は足を止め、何か訝し気な顔で、丸眼鏡を向けて振り向いた。この男が南瓜をやっているのを見た事はない。村にいる時は講座で話をしている以外、その姿をあまり見ることもなかった。
「もうそろそろ、次の営業に出るころかい?」
雨の丞の問いに常夏は暫く黙っていたが、やがて「はい、明日には」と答えた。
「丁度いい。明日、下界に下りるついでに一件、取引を頼みたい。野暮用があってね。明日の大事な客との約束に行けそうにないんだ」
「他の人では駄目ですか?」
「他は嫌なんだよ。見返りの要求がえげつない」
「私ならタダでやるとでも?」
「これは失礼。見返りは何がほしい?」
「いえ、別に何も欲しいものはありませんけどね」
ぶっきら棒に答えながら、常夏はそれでも渋った。時間が合わないとか、自分は観光協会に出くわした時に太刀打ちできないとか、のらりくらりと理由を作って拒否しようとしたが、最後は雨の丞の強引さに折れ、今回一回限りという約束でとうとう引き受けさせられた。
「明日の夜の九時だ。何とか都合をつけてくれ」
常夏は頭を斜に構えてこけた頬に影を作ると、前方に落とした視線は何を見ているのか判然としないが、ともかく恨めし気な表情をして、パンプキンバーを出て行った。
翌日の昼過ぎ、天空雨の丞が村に入るゲートで待っていると、紫色の風呂敷を抱えた南極亭常夏が重い足取りで歩いて来た。まだ日中は残暑が厳しい。日光で脳天がこんがりと良い具合に焼かれるようだ。
常夏が前を通り過ぎようとした時、雨の丞はすかさず、南瓜の入った生成り帆布のリュックを手渡した。常夏は足も止めずに受け取った。そうしてそのまま柔らかい土の上を、落ち葉を踏みしめながらふたり横並びに歩き出す。
「手間かけるね」という雨の丞に、常夏は「なんのなんの」とは言わない。あからさまに迷惑そうな顔で黙々と歩いている。
「タダとは言わず、報酬は弾むからよ、何でも言ってくれ。快諾できないこともあるけどよ」
「では、紅金魚様に可愛がってもらいましょうか」
眼鏡の奥の陰気な目つきで生意気な要求をする常夏に、雨の丞はムッとした。それと同時に、懐疑を抱いていたこの男の本当の姿を垣間見た気がして、恐ろしさを感じた。
「まあ、当然、そうなるわな。しかし、悪党子はいいのかい?随分あんたをお可愛がりのようだが。あんただけを」
「この村にそんな綺麗事など、馬鹿馬鹿しい。あんな女、いつ波羅愛されても惜しくも何ともないですよ」
「そうかい。わかった、約束するよ。しかし、絶対にばっくれるなよ」
「どういう意味です?」
「何をムキになっている?俺はただ、今夜は大事な得意客だから、必ず物を届けてくれって意味で言ったまでさ」
「…」
「見返りの約束は守る。その代わり、あんたがしくじった時は悪党子がどうなるか知らねえぜ。あっ、もう未練は無かったんだっけか」
「…」
「冗談だよ。悪い癖なんだ。こんなの頼んだ人間がとる態度じゃないよな、悪かった。じゃあ、俺は村に戻る。宜しく頼んだぞ」
地に落ちるどんぐりを蹴りながら南極亭常夏は下山して行く。雨の丞はその姿が見えなくなるまで見送ると、常夏の足跡を確かめるように、再び歩を進めだした。
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