可動式櫓
次回 2/25 20時
岡莉菜はコンクリートの電柱に、側頭部を激しく打ち付けたようだ。更には反対から硬い木造櫓が襲い掛かり、サンドイッチ状態になったまま、気を失った。さすがの岡莉菜も、頭をまともにやられては立っていられない。
崩れ落ちる岡莉菜を後目に、櫓は春道らに近づいてくる。五人の男がしがみ付いているのが見えた。どれも聖女無天の作務衣を着て、口々に喚いている。春道に向かって卑怯者と か、抜け駆けは許さんとか、大宮様は俺のものとか、罵詈雑言を浴びせかけてくるのは、どれも大宮桃龍の氏子たちであった。
「春道よ!この計画の事、何で黙ってやがった!手柄のひとり占めは許さんぞ!」
そう言って櫓を飛び降りたのは、柘植重衛という忍の末裔を自称する、葉を剥いた粽のような白い男だった。更にはマタギの梅也、安治鵺丸、京極乳二郎と言った古株の氏子が着地する。
そしてその後ろ、いや、櫓の中から声がした。
「お前ら喧嘩は後にせい。とにかく逃げるぞ。早う、全可動式櫓によじ登れ」
「本当に作ったのか!」
春道は呆れた。しかし、もしもここへ来る道すがら、下山の際に、この大山大和に出会っていなければ、皆、協会の餌食になっていたかもしれない。
櫓の中のサドルに座ってべダルに足をかけ、ハンドルを握った大山は「あの時、何か、妙な気がしたんじゃ」と笑った。
「さあ、碧小夜さんは儂の後ろじゃ」
見ると、大山の後部に小さな丸椅子が縛り付けてある。
「座り心地は悪いと思うが、堪忍してくれ」大山は嬉しそうだ。前で運転する自分の腰に手を回してしがみつくような作りになっている、大山、渾身の作であった。
「よし、助かった。撤退するぞ!」
猫の坊が威勢よく、櫓にしがみついた。しかし他の氏子は動こうとしない。腕組みをして何かを考えている。
「何をしている」と猫の坊が言うと、柘植が吐き捨てた。
「お前たちは良いわい。もう手柄を作りおって。しかし儂らはまだ何にもしとらん。何か爪痕を残すまでは帰れんぞ」
「何を言う。拙僧らの窮地を救った。十分な働きだ」
「馬鹿な事を言うな」とマタギが言った。「お前らなんぞ、誰が好き好んで助けるか」
「種無しになってくれたほうが喜ばしい」と京極。
「ではどうする?」
「このままこの櫓で協会会館に突撃する」
「そんなことをして何の得になる。そんなもんは手柄とは言わん」
「では、クソ坊主、何か俺たちの手柄を考えろ!」
柘植の身勝手な要求に、猫の坊は溜息をもらして言った。
「ではあれを連れて帰るか」
そう言って岡莉菜を指さした。遠くで岡莉菜が気を取り戻し、立膝をついてこちらを伺っている。
「ほら、のんびりしているからまた起きやがった」
「お前、正気か?猛獣を連れて帰るようなもんだぞ。そもそも、どうやって連れて帰る?抱えて帰れる代物じゃないぞ」
「これに縛り付ければいい。何か縛るものはあるか?」
「針金があるぞ」大山が返事した。「この機体は針金で急ごしらえしたもんじゃ、いっぱい余っとる」
「ようし!それで櫓に縛って帰ろう」
「しかし、あんなもん、連れて帰って、それこそ何の得になるのだ?」
「どんな物にも、使い道はある。あれは使えるぞ」
猫の坊はそういうと、櫓の内側に縛り付けられた二輪車に跨り、ハンドルを握った。
「このまま突進するぞ!」
男どもは皆、慌てて櫓にしがみついた。
「これでは馬力が足りん!後ろから押せ!」
北野、江州、牛飼いの三人が櫓の尻「せーの!」と掛け声を上げて押し出した思うと、猫の坊がペダルを踏む挙動すら与えることも無く、岡莉菜めがけて突進した。
ふらりと立ち上がった岡莉菜は、目前から己めがけてやってくる櫓を認めて目を見開い た。かわす余裕もないと覚悟を決めると、うおおおおおっ!と気合の声を上げて両手を開いた。
柘植が叫ぶ。「受ける気だぞ!」
「構うな!突き進め!」
猫の坊の声が響くと、櫓はいっそう速度を上げ、岡莉菜の巨体とぶつかった。
一瞬、両者の馬力が拮抗し、岡莉菜の両足と櫓の車輪がコンクリートの地面にめり込んだかに思えた。が、次の瞬間、岡莉菜の状態がのけ反り、脳天が地面についてしまうかという体制になったかと思うと、櫓がその上をぐしゃりと嫌な音を経てて通過した。岡莉菜の口から里芋が丸ごと吐き出され、それから栓を切ったように、夕食の弁当が逆流して吐き出された。
大きく進行した櫓は、猫の坊がハンドルについたブレーキをおもいっきり握ったことで、甲高い音を上げて止まった。そこにしがみついていた男どもが、輪っか状にぐるぐる巻きにした針金を肩から掛けて飛び降り、岡莉菜の元へ走ると、ぐったりとした巨体を起こし、櫓に張り付けた。
「それ、縛れ!」
猫の坊の合図と同時に、柘植重衛が時計周りに、安治鵺丸が反対方向に、輪に巻いてある針金を解きながら櫓の周りをぐるぐる周る。
やがて、ぐったりと頭を垂れた岡莉菜をミノムシのように縛り付けた櫓は、「えいえいおーっ」という村人の勝鬨と共に、東に向かって連行されて行った。
村人の声が遠ざかって行く中、残された春道の前には、犬若が立っている。何かふつふつと唇が動いている。何か呟いているようだが、聞き取れない。
春道は咄嗟に碧小夜の腕を掴み、櫓が去って行ったあとを追うようにして駆けだした。
が、数歩も進めぬ間に、右脇を、辻風のように影が走ったかと思うと、目の前に現れた犬若が、息をも吐かず、春道の顔面めがけて正面から襲い掛かる。馬の脚のようにしなやかな腕が伸び、蹄のように尖った拳が春道の右頬を捉えた。
「お前は俺から碧小夜まで取り上げるのか!」
倒れ込んだ春道に向かって、犬若は吐き散らした。
そんな犬若の春道は目を見開きながら睨み付けるとゆっくり立ち上がって、今度は反対に殴り返した。犬若は逃げることも、手で遮ることもせず、口と左顎の間に春道の拳を喰らってよろけたが、そのまま体をくねらせるように、まだ上体の下がった春道の眉間を殴りつけた。今度は春道も倒れない。右足を踏ん張って体を起こすと、犬若の腰をめがけて突進す る。そうして馬乗りになると、左右の頬を一回ずつ殴りつけたところで、今度は犬若に体制を返された。
春道は仰向けになったまま歯を食いしばり、目を閉じた。右頬に衝撃が走った。必死だったせいか、痛みはそれほどなく、妙な重みだけを感じた。その重みが左頬にも走った。また右頬、今度は左の顎を打たれ、この一撃は意識を朦朧とさせた。横になった視線の先に、ぼんやりと碧小夜の足が見えた。その視線を上に向かって辿って行く。胸元で指の先を交差しながら合わせた両手が見えた。さらに上に行くと、白い首を伝って丸みのある顎が見え、やがて唇にたどり着いた。両端が左右に上がっていて、笑みを浮かべているように見える。この争いを止めることも無く、何がそんなに面白いのか。
春道は、それは何かの錯覚だろうと思った。朦朧とした意識と定まらぬ視力がそれを見せているのだと思い、再び次の一撃に向けて覚悟した。
が、数秒が過ぎても衝撃も痛みも感じなかった。目を開けると、足掻く犬若とその両脇 を、下げた頭を左右に振りながら必死に締め付けている獏爺の姿があった。
春道はふたりが縺れる間に、僅かに残った力を腕に込めて状態を起こすと、体をまた反転させて地面を這い出し、時間をかけて立ち上がった。
犬若が獏爺の襟を掴んで、振り投げると、老人の体は地面に転がった。しかし、彼は尚 も、犬若の足にしがみつき、離さない。「行け、行け!」と春道を見上げながら喚いてい る。
子供の頃、夕暮れのパンプキンバーの前で三人が遊んでいると、おい、小僧ども!と笑いながら獏爺がやって来た。ぶら下げたビニールの袋にはお菓子が入っている。
「やったー」と春道が駆けよって行く。
「ああっ、ハル君、だめよ!わたしが先なんだから」と碧小夜が後を追いかける。
「おいおい、これは儂のお菓子だぞ!」と意地悪を言う獏爺に、ふたりがしがみ付いている。その後ろから、ふわりと風のようにやって来て、遠慮がちに笑み浮かべながら指を咥えている犬若がいた。そして四人で道脇の丸太に腰かけてチョコレートや一口大の小さなドーナツを食べた。
春道はそんなことを思い出すと、今いる不思議な状況に得も言われぬ寂しさを感じた。
地面に這いつくばる痩せこけた獏爺に、己の傍らに成熟した体をして立っている碧小夜、そして観光協会の法被を羽織り、首や額に筋を立てて睨み付けている犬若、何故、今はあの時のように他愛のない話をすることもできないのか。
「行くぞ」
春道は碧小夜の手首を握って駆け出した。彼女がどんな表情をしていたのかわかならい が、その足取りは抵抗することもなく、素直だった。
春道は決して後ろを振り返らぬと決心して、遠く見える東の山を目指して、重い足を進めた。
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