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欲望のカボチャ村と古都の荒くれ観光協会  作者: 源健司
フフシル事件
79/125

一緒に帰ろう

次回 2/25 19時

 境内を出て参道の石畳を歩き、石の鳥居を潜ったところで獏爺に別れを告げた。


「本当に協会に残るのか?」と旦国寺猫の坊が訊ねる。


「ああ、犬若はまだ協会におる。儂はあいつを見守ってゆく。それが儂の責務だ」


「何もそこまで自分を責めるな。運が悪かっただけだ。他の誰かが付いていても同じ結果になった」


「儂がこうしたいのだ。春道にも言ったが、こいつらは皆、儂の息子同然だ。息子が無事に巣立つまで見守るのは親の役目だ。犬若は、体は立派に成長したが、元々心が弱い。加えてあの事件があった。今、自立させるには心もとない。それに儂が村へ帰ったところでこんな種無し爺は食い扶持を増やすだけの足手まといじゃ。ここで協会の動向を探っておるほう が、村の役にも立つ」


「南瓜汁を一献、やりたいだろう?」


「いや、抜かれてからというもの、欲しいとは思わなくなった。そう考えると、奴らのやり口は、南瓜の撲滅という目的にとって有効な手段だ。残虐に見えるが合理的とも言える。さあ、そろそろ行け。奴らが帰ってくるにはまだ、ちとかかるだろうが、早く立ち去るに越したことはない」


「では、達者でな」


「このこと、ここにいる者だけの秘密だぞ」


 獏爺がそう言って別れの手を上げた時、「おい!」と囁きながらも愕然としたような北野修郭斎の声が鼓膜に響いた。

 振り返った春道の目に飛び込んできたのは、東へ向かう路地暗がりの中、南に流れる小川にかかった橋の向うに立つひとりの観光協会部員の姿だった。

 皆、黙ったまま鼻でゆっくりと呼吸して、動向を伺う。部員がゆっくりと近づいてきた。そして橋の上に差し掛かった時、街灯の灯りに男の顔が晒された。


「ワンちゃん」


 碧小夜が小さく呟きながら、一歩、後ずさりした。

 獏爺が春道や猫の坊の横に並んだ。

  犬若は尚も、ゆっくりと歩いて来る。北野、牛飼い、江州の三人が進み出た。

 

 「和尚、やってしまうぞ!」と言うが早いか、三人揃って犬若に飛びかかった。


 犬若は体制を屈めた。北野の振り回した右手は勢いで跳ね上がった陣羽織の裾をかすめたに過ぎず、剃り上げた頭から前のめりによろけた。その間、江州の脛に、屈んだままの体制から繰り出された犬若の足の甲がさく裂した。江州は脛を抱えながら「ぐがああ」地面を右に左に転がった。そこで再び背後から襲い掛かった北野だったが、まるで後頭部に目がついているのかと思うほど、彼の殺気を感じ取り、また正確に北野の顔面ど真ん中に裏拳が入った。鼻を押さえて前かがみになる北野の指の間から血がこぼれ落ち、やがて両手と作務衣の襟元が真っ赤に染まった。


「てめえら、何してやがる!」


 犬若の表情が動いたかと思うと、今までに誰も見た事のない怒気を露わにして、怒鳴った。これには春道、碧小夜、獏爺も混乱した。彼の感情がただ事ではなくなっているのは明らかだった。

 牛飼いが犬若に立ちはだかった時、「待て!」と言ったのは獏爺だった。


 犬若が震える唇を開いた。


「堀川さん、あんたもグルなのか?あんた一体何なんだ!なんでいつも俺の周りをうろちょろするんだ!俺をどうにかしたいのか! 


「犬若、お前この人の顔をよく見てみろ!」


 春道に言われて、犬若は眉間に皺を寄せたまま、口を半開きにして、両肩を揺すりながら歩み寄り、老人の顔を覗いた。


 暫く眺めた後、苛立ちに満ちた表情のまま不思議そうに春道を見た。


「見てやったぞ。これは堀川清介っていう観光協会の老人だ。それがどうしたっていうんだ。えっ?春道よ!」


 修羅場の真っただ中とはいえ、五年ぶりに犬若に名前を呼ばれ、春道はくすぐったいような気持ちがした。


「獏爺なんだよ、この人は」


 春道の言葉に犬若は歪めていた目を見開いた。そして、もう一度老人の顔を見た。

 獏爺は瞬きもせず、犬若にその痩せた顔を見せてやった。


「獏爺って、何で・・・」


「ねえ、ワンちゃん、訳は後で聞けばいいから、ワンちゃんも一緒に村へ帰ろ」


 何を言っているのだ、碧小夜は!と、目を丸くしたのは春道だった。観光協会として幾多の村民を襲撃し、生きがいとも言える活力を奪って来た犬若が今更、帰村できるわけはないだろう。恐ろしいことを言う女だと、身が震えた。


 犬若が目に見えて動揺している。彼の表情からも何を馬鹿げたことを言ってやがるという気持ちがありありと伝わってきた。


 その時、牛飼いの譲の叫び声が聞こえなければ、どのような結末を迎えていたのだろうか。

 皆が一斉に振り向くと首を締め上げられながら宙ぶらりんで足をバタつかせている牛飼いが、もはや悲鳴を上げることすら出来ない状態でもがいている。まるで大木に吊るされているようだ。その大木の正体に気づいた時、獏爺との別れを惜しんでモタモタしていた行動を後悔した。

 岡莉菜は牛飼いを左右の何度か振ると、小川に掛かる橋の下に投げ捨てた。浅い川の水面が割れる音がした。


「まずいぞ、まずいぞ、こいつぁまずいぞ」


 猫の坊がぶつぶつと呟いている。


「どうすればいい?あれにゃあ、さすがに勝てんぞ」


 江州悪太郎は足を引きずりながら、はあはあと荒い息を吐いている。短く刈り込んだ硬そうな毛髪が汗でキラキラと光っている。その横には、口元を血まみれにした北野修郭斎。向うでは小川の土手を、牛飼いの譲が苦悶の表情をしながらよじ登ってきた。


 岡莉菜が、むんと地面を踏みつける。


全員が息を呑んだ瞬間、ひょおおおおおっ、という奇声を上げながら岡莉菜が突進してきた。春道らは瞬発的に四散する。岡莉菜はぶううううん、と唸りながら軌道を右に旋回した。行く手には旦国寺猫の坊の姿がある。


「なんで拙僧なの!」


 猫の坊は首を左右に振りながら、袈裟の裾をまくりあげて、細い路地を北に向かって全速力で走る。春道が足を止めて、下駄の音が遠のいて行くその様子を伺った。


 遠方に小さな交差点があった、猫の坊が駆け抜けた。後ろから岡莉菜が差し掛かった時、東から何か周りの家屋の屋根よりも背の高い、塔のようなものが現れ、岡莉菜に当たったかと思うと、その巨躯もろとも、電柱にぶつかって止まった。

 北野らが再び、春道の周りに集合した。碧小夜も駆け寄ってきた。一様に、何が起きたかがわからず、呆然としている。


「おい、人が乗っているぞ」


 北野修郭斎がその方向を指さした。なるほど、人間がしがみ付いているのが見えた。ひとりではない、何人かが下りて来て、「せーの!」と皆で力を合わせて塔の向きをこちらに向けようとしている。そこに逃げた先から戻って来た猫の坊が、恐る恐る覗いたかと思うと、安心したように背筋を伸ばして何かを喚きだした。


 やがて体制を整え直した建造物が向かって来た。近づいてくるに従って、それは塔ではないことがわかった。櫓だった。


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