観光協会幸村派
少し時を遡り、その日の正午頃である。
聖女無天村に昨夜の被害者を送り届けた木村刑事は、その足で葦原京の中心部にある長屋を訪れ、主の楠木勝治を連れ出すと、少し西に行ったところにある観光協会青年部会館を訪れた。
会館というが、建物は藤田三郎という大地主の所有する大きな和風家屋で、三年ほど前から無償で使用させてもらっている。息子の藤田翔は協会の幹部である。
「邪魔するぜ」と木村刑事が門番に声を掛け、中へ入ろうとした。
「ちょっと、待って下さい。取次も無しに入られては困る!用件は何ですか」
紺色のジャージに鶯色の法被を着たふたりの門番が慌てて彼の前に立ちはだかった。
「たかが落ちこぼれのチンピラ集団が、何を偉そうに」
何だと、ポリ公!とでも言いたげに突っかかろうとするひとりを、もうひとりが静止した。
「おう?やるか、コラ!逮捕するぞ!」
そう言って笑う木村に、背後から男が「どうも」と声を掛けた。振り向くと、白馬を擬人化したような、背の高い男が、スーツに法被を羽織った姿で立っている。
「相変わらず、良い性格ですね。木村さん」と言いながらも面長な顔は笑っていない。
「おう、高山か」
門番のふたりが改めて手を後ろに組み、背筋を伸ばした。
「お前らに用がある。幸村は?」
「こっちですよ」
高山紫紺はふたりと従えて門を出た。細い通りの向う側に、入道雲が浮かんでいるのが見える。
会館の西に塀を隔てて大きな寺がある。革命遷都の遥か以前からある由緒正しき寺だ。
その広い境内から威勢の良い叫び声が賑やかに聞こえる。三人が門を潜ると砂利を蹴り上げ、地面を転がる大勢の観光協会部員が目に入ってきた。
「これは何をしているかね?」
楠木老人が訊ねた。部員四人がひと塊になって、境内を右に左に駆けまわっている。そのうち三人が注射器のようなものを持って前を走り、背後からひとりが肩紐のついた木箱を提げて付いて行く。そうして他の一団とぶつかると、戦闘が開始される。といっても殴り合うわけではなく、相手に向けて注射器を突き出し合う。
向うに聳える本堂の石段の前で腕組んでいる鰓の張った男が一瞬、ぎろりと三人の方を見た。
男は会釈もせず、再び目を訓練に映し、遅い遅い!オラッ、もっと繰り出せ!こらそこっ!一旦、間合いを取って鳩尾に飛び込んで腕を取れ!と声を荒げながら、手に掴んだ饅頭を一口がぶりと齧って、膨らんだ頬を上下させた。
注射器の先端が体に触れると赤丸の印が付く。どうやら針の代わりに判子のようなものが取りつけられていて、印を付けられた者は退場、人数が減っても全滅するまでクループは次の相手に戦いを挑むというルールらしいが、「秘密です」と高山は答えた。楠木老人は、さほど追及するほど興味もないように「なるほど」と言った。木村は黙っている。彼はこの訓練が意味するところを理解している。
三人がその訓練を迂回するように周り、喚いている男に近づくと、彼は「何か用ですか」と不愛想に言った。
「挨拶も無しに用ですかはねえだろうよ、幸村。あんな騒ぎを起こしておいて、よくもの呑気に饅頭なんか喰ってられるなあ。楠木さんも迷惑してらっしゃるんだから、とりあえず、詫びの一言くらい言ったらどうだ?」
「いや、儂は別に」と老人は何ゆえ、自分がこの場に呼ばれたかもわからないという態度で呟いた。幸村は食べかけの饅頭を掴んだまま黙っている。
「楠木さんよ、あんたが葦原京の区長なんだぜ?迷惑被ってるって、はっきり言わないと、責任取らされるのはあんたなんだよ?」
「儂だって、好きでやっとるわけじゃないわい。持ち回り順番が来たらやっとるだけだよ」
「これだから葦原者は。とにかく、次にこんな騒ぎをおこしたら、マジでしょっぴくぞ」
その時、いつの間にかその輪の中に混じっていた小柄な男が「ふふっ」と笑った。「しょっぴくったってそんな権限もないくせに」
「昨夜の騒ぎの原因はお前だろうが、犬若!」
「騒いだのは太川さんたちです。最初から私に任せてくれたら、あんな大事にはならなかった」
「そうかな?結果は大して変わらんかったと思うが、なあ?幸村、高山、黙ってねえで何とか言ったらどうだ?」
「我々は歯向かう罪人を拘束しただけです。別に間違ったことはやってない。しかも、あの程度で騒いでたら、これからどうするんですか?」
高山が目頭を押さえながら口を開いた。「有沢さんの謹慎が解けたんですよ?こんなところで油を売ってないで、部下でも連れてパトロールにでも行ったらどうです?午前中からもう、街に出て行きましたよ」
「また厄介なのが」と砂利を蹴り上げるようにして、木村刑事は寺を出て行った。
残された気の小さい老人は暫く所在なさげに本堂の階段に座っていたが、「儂も帰る」と立ち上がりながら「あんまりややこしいことは起さんでくれよ、幸村くん」とため息まじりに言いながら、一冊の本を幸村に手渡した。海外で発行されている、この葦原京を紹介したガイドブックのようで、「TRAVEL ASHIHARAKYO」と、わかり易いファンキーな丸文字が表紙を飾っている。
「これは何です?」幸村がようやく口を開いた。
「読めば解るよ」
「後で見ておきます。とにかく、楠木さんには迷惑はかけませんよ。我々に任せておいてもらえば大丈夫。葦原京を美しく平和で安全な世界一の観光地にして見せます」
「世界一でなくてもいいから、儂は静かに余生を暮らしたいよ。いつからこんな街になったのか」
楠木老人はまた、ため息をつきながら帰って行った。
訓練の場を他の幹部に任せて、幸村朱鷺は会館に戻った。高山紫紺と犬若も続いて玄関で靴を脱いだ。明るい外から急に黒々とした物々しい会館に入ったので、まるで深海に沈んだように思える。ひんやりと冷たい廊下の板の温度を足の裏に感じながら奥へ進み、やがて辿り着いた部長室の襖を開けると、こざっぱりとした和室になっている。
三人は部屋に入り、ちゃぶ台を囲んで着席した。春の日差しが差し込む、気持ちの良い室内の片隅で、何か変に気分を害する低い音が響いている。
見ると、黒い艶々した四角い物体が、苦しそうな唸りを上げていた。数日前から調子が良くない古い型の除湿器である。この除湿器が無いと大量の汗をかき始める汗っ掻きの幸村によって、部屋じゅうがむっとするどころか変な臭いも充満するので、調子が悪くとも、止めるわけにもいかない。
「犬若よ。またあの馬鹿を呼んで修理させておいてくれ」
「はーい!」と無邪気に返事する犬若を見て、今日は調子がいいと思い、幸村の気持が少し、和らいだ
。
縁側と庭の間のガラス戸から春の日差しは差し込み、部屋はいつもより明るく感じた。平部員が入って来て、冷たい麦茶の入ったグラスを三つ、置いて出て行った。
「それにしてもいい天気だ。やっと、春が来たな」幸村が呑気な声で言った。
「これから夏が来ます」犬若が笑う。
「当たり前だ」
「あれ?幸村さんは夏が好きですか?」
「冬よりはな」
「そんなに汗かきなのに?」
「汗かきだからと言って、暑さが苦手なわけではないぞ」
「へえ、そうなんですか」
「お前はどうなんだ?」
「私は、夏は好きではないなあ。だって、次に秋が来るから。もうすぐ夏が来るっていうこの季節がいちばん好きです」
「ドリームパンプキンはその果実から種、葉、弦に至るまで、酩酊成分と精力増強、性感促進作用を含む趣向品である。葦原京においてのドリームパンプキンは合法として扱われている作物である。その為、様々なルートを通して購入可能である。しかし、当地域における一部の治安取締権を持つ組織、葦原京観光協会青年部においては治安の不安定化の懸念から違法薬物と認定するよう働き掛けている。平行して、彼らは自治権限を利用し、ドリームパンプキンを独自の観点から違法と見なし、使用者を取締対象として取り締まる活動を行っている。彼らに所持、又は使用事実を発見された場合、暴行まがいの行為を受けることもある為、注意。この地域においては自治権が存在し、刑法上の彼ら取締方法、範囲共も曖昧であり、どのような被害を受けても自己責任となることを認識して行動することが必要」
ガイドブックに目を落としていた高山紫紺がその箇所を抜粋翻訳して読み上げると幸村朱鷺が口に含んだお茶を吐き出さんばかりに目をむいた。
「それではまるで俺たちがヤクザのような書かれ方ではないか」
「外国ではそう思われているようだな。ネットの掲示板やSNSではもっと酷いかかれようだ。どうせあんたは見ていないと思うが」
「ネットなんぞの出鱈目に、我々の意思が揺らぐことはない」
「今の世の中、ネットは声は怖いですよ。って言っても無駄か、幸村さんには」犬若が鼻で笑った。
「俺達が南瓜を取り締まるのは、あくまでこの街の為、如いては訪れてくれる観光客の安全を守る為だぞ、高山!」
「人間というもの、綺麗ごとのように聞こえる道理よりも、快楽や欲望を優先するものだ。そしてそれを優先させる為に別の道理を考える。夢南瓜を逆説的に観光資源にするとか、医療に用いるとか、捻りだせばいくらでも言い分はある」
「かといって、俺たちは観光客に暴行まがいの行為などは働かん。ひっ捕らえてもすぐに釈放するではないか」
「関東派には関係ないようですよ」
関東派とは有沢獅子が古くからの仲間で固めた、関東方面出身者の一派である。
「先週だって酔っ払った太川さんがでっかい黒人を殴り飛ばしたそうですから。そんな人に取り締まりは任せられません」
「それで昨日は騒ぎを大きくしたのか」
「すみません」犬若は肩をすくめた。
「しかし関東派の行動はもはや目に余る」
高山が割っては入り、目を閉じながら、ここ最近の関東派の暴挙を羅列し始めた。
葦原京の秩序を乱すと因縁をつけ、酔っぱらって暴れていた学生を羽交い絞めにして清水川へ投げ落とす。葦原京の空気を害すると、バードな洋楽イベントを行うクラブに火炎瓶を投入。葦原京の景観を損ねると、独断と偏見による器物破損。サービスが悪いとチェーン店居酒屋で暴れ、店舗を半壊させる。酔った勢いでトロリーバスを乗っ取り、市中を暴走。制服姿で風俗店を利用。ヤクザと殴り合い。見境の無いナンパ。立ち小便に河原で野グソ。その他、素行の悪い不良外国人との乱闘事件は日常茶飯事。
「それに何て言いましたか、あの料亭。ねえ高山さん」
「香住屋の件か?」
「そう、香住屋です。有沢さんがそこの美人女将を手籠めにしたっていう」
「犬若、何でお前がそれを知ってるんだ!」
「部員ならみんな知ってますよ、幸村さん」
「そんなことをベラベラしゃべるのは沢井の野郎だな!人がどれだけ苦労して揉み消したと思ってるんだ、あの馬鹿野郎!」
「更に困ったことに、協会の職権を個人の問題に利用しているという噂だ。恐喝まがいの方法による金の借り入れ。借飲食代の踏み倒し、偽物や違法物品の売買、それに」
幸村は両足を畳に投げ出した。「もういい、頭が痛い」
「本部の爺さん達からも苦情が来ている。観光協会が治安を悪化させて葦原京のイメージを貶めていては本末転倒だとな」
そこへ、不意に襖が開く。足音もたてずに入ってきたのは堀川清介だった。背が低く痩せていて、まるで猿のような風貌であるが、口周りに生やした白い髭が立派な老人である。
「有沢さんが」老人が膝をつきながら低い声を潜めて言うには、昨夜の事件の取引相手だった外国人を捕まえて、清寺川の河原に晒そうとしたというのである。
「すぐに西京府から葦原京に駐在している警官が割って入ったが、しばらくは関東派と警官らの睨み合いが続いた。先ほどようやく関東派が折れて引き下がったそうです」
高山がポケットから端末を取り出した。青年部内の連絡ツールに新着の画像があった。外国人を関東派を引き離そうとする警察官がもみあっている写真である。彼はそれを幸村に見せた。
「謹慎が解けたかと思ったらすぐにこの有様か。堀川さんよ。すまないが会館にいる部員を、もう十人ほど街に派遣してくれ。有沢らを見つけたら、監視するように」
堀川は「わかりました」と言って立ち上がり、出て行った。その時、堀川から一瞬、目を向けられた気配を感じて、犬若はとっさに目をそらした。
犬若はこの堀川清介という老人が苦手だ。
部員らはまだ学生をしている年齢か、幹部であっても三十路に満たない若さの協会において、ひとりずば抜けて歳をとっている。聞くところによると、協会本部の長老格の一人で、重田屋という料亭の主人の古い友人であると言う。
犬若が入隊して半年ほどが過ぎた頃に、堀川老人が重田文四郎からの紹介状を持って、会館に現れた。
がさつな若者ばかりで構成されている青年部の疎かになっている経理業務や清掃管理、その他雑務を受け持たせるという内容であったので、幸村も何かやりにくさを感じつつ、籍を置かせることにした。
彼は日々の業務、否、もはや雑務というべき仕事を黙々とこなした。
財務面に関しても、そこかしこに存在していた使途不明金が俄然、減った。外食ばかりで栄養バランスの崩れていた食生活も、食事当番制を定めて自炊することで改善された。それまで男子学生寮同然にいと不潔で異臭の漂っていた会館館内も、清掃当番制を定めることで以前に比べて清潔を保てるようになった。
彼はルールを守らない者には、非常に厳しい姿勢を取る。
出金伝票の提出が遅れた部員は正座させられ、金銭管理の重要さをとくとくと説かれた挙句、もはや禅寺修行さながらに足の感覚が失われ、説法が終わった後も暫く立ち上がるもままならないほどの苦痛を与えた。
おかず一品の味が良くないと食事当番全員連帯責任、三十本分の大根をおろさせる。掃除が行き届いてないとなると、水入りバケツを持たせて廊下に立たせた。部員らは彼の厳格さを煩わしく思う反面、若者の中に一人交じっても一切の妥協を許さず、指導を重ねる古典的な老人を敬う気持ちも持っていた。
しかし、犬若に対する態度だけは、他とは一線を画すように思われた。
出金伝票の提出が遅れても、食事の分量を間違えても、掃除をさぼっていても、ぎろりと睨むことはあってもそれ以上のことはしなかった。
もっと言えば、挨拶すらまともに返してもらえない。
かと思えば、犬若を完全に無視するわけでもなく、先ほどのように何か物言いたげな視線を向けてくるので、気味が悪い。自然、犬若は堀川を避けるようになった。