碧小夜奪還作戦
次回2/23 12時
二階建て民家の屋根に届くほどの高さの櫓が三棟並んでいる。そのてっぺんに置かれた煉瓦造りに炉の中に、乾燥させた夢南瓜が薪と共に放り込まれると油が注がれ、火が点けられた。燃え上がる火は無数の星が瞬く夜空を赤く照らした。
雨乞いの儀の前夜祭である。聖女無天村の村人が櫓を囲んで跪き、呪文を唱えながら善女龍王の降臨を祈祷する。
祈祷が終わると燃え尽きた南瓜の灰の一部が壺に入れられ、旦国寺に奉納されることになる。後祭灰奉納の儀と言って、祭の総代二名が旦国寺に運び、奉納するのだが、今年はその役目を那智の春道と天空雨の丞が担うことになった。例年は馬方藤十郎と西院熊二郎が行うのだが、今夜は都合がつけられず大宮の氏子筆頭である春道と相棒の雨の丞が選ばれ、役目を仰せつかった。
選んだのは大宮、桃龍である。
木々の間から漏れる月明りの他、足元を照らす光の無い石段を二人は一段一段、探りを入れるように上って行く。
相変わらずあたりは不気味な闇で、時折、得体の知れぬ獣の鳴き声が聞こえて来る。
階段を登り切り、ようやく山門に着いた時、門下に提灯を持ち、剃り上げた頭を下げている男の姿が見えた。寺の小姓、北野修郭斎という若者である。
天空雨の丞が灰の入った壺を開けると春道が灰を抓んで、山門の左右に立つ金剛力士像の前に撒いた。
再び壺の蓋をすると、修郭斎が封印をして壺を抱え、そのまま揃って山門を抜け本堂に入る。
本堂にはすでに袈裟を纏った旦国寺猫の坊の姿があった。猫の坊は壺を受け取ると仏前に備え、読経を唱え始めた。静かな山上の寺に時折、鈴の音が響く。
やがて読経が終わると猫の坊が振り向き、説法を始めた。その中身は桃龍への情念と、春道への嫉妬心をねちねちと厭味ったらしく吐き捨てる事に始終し、ふたりを呆れさせた。
北野修郭斎が温い茶を入れて来て皆の前に置く。
「どうも」という春道に、彼は「いえ」と答えて柔らかに微笑んだ。
「…どうも」もう一度言った。
「…はい」修郭斎は返事した。
ふたりは見つめ合った。
春道は、北野修郭斎は茶を置くとそのまま、立ち去るかと思っていた。が、彼は動かな い。微笑みを含んだシラこい顔をして、彼はサクっと車座に加わった。猫の坊は気にも留めていない様子である。
「で、拙僧に用か?貴様が用も無しにここに来るとは思えん」
「そうか?」春道は答えた。「儀式の一環だ。致し方ない」
「馬方の爺さんや西院の代役がお前等というのもおかしな話だ。柘植やらマタギやら、他にももっと年期の入った男もおるだろうに。何か企んどるのではないか」
「俺も好き好んで来たわけではない」
「利害関係の一致だな。何か動機がないことには人は動かぬ。さては、仲間を集めておるのだろう。それは無益では乗れない危険な企みであり、成功した暁に利益を得ることができる者はさほどおらん。しかし、拙僧はその数少ないひとりというわけだろう」
「さすがに鋭いな」
「だが、拙僧はよほどのことでない限り、貴様に協力はせんぞ」
「ではそれが、俺の意思ではなく、大宮様の意思ならば?」
「大宮様が拙僧を取り込むように言ったのか?大宮様の意向とあらば、無碍にするわけにもいかん。そうか、大宮様もようやくこの拙僧に仕事の機会をくださったか、有り難や」
「俺が言うのもなんだが、一気に氏子筆頭に登り詰めるチャンスかもしれんぞ」
「なんと!」
「こんな時はあの短小変態糞坊主が頼りになる、大宮様の御言葉だ。事が成った暁にはあんたの汚い尻を三日三晩弄んでやるよと」
猫の坊は脇のばいを掴むと、木魚を一発、ぽくっと叩いて歓喜した。
平素、村の儀式を司る立場であるこの僧侶は、他の村人のように営業活動で成果を上げて報酬を得るという機会が無い。自然、高天の宮に出入りすることも少なく、日々、自慰に耽って性欲を満たすしか方法が無いでいる。春道には、彼がこの与えられた何等かのチャンスをものにして、桃龍の氏子としての番付の上昇を目論み、話に乗ってくるのが容易に予想できた。
「那智よ。話してみい!」
「単刀直入に言うが、明日の夜、観光協会の会館に入り込み、碧小夜を連れ戻す」
「やはりそういうことか。いよいよ来たか。碧小夜様は大宮様の娘、攫われたまま黙って指を咥えている場合ではないと思うっておったが、とうとう大宮様が動かれるか。碧小夜様は拙僧にとって、義理の娘と言っても過言ではない大事なお方だ。協力するに吝かではない。しかし、危ない仕事だぞ。会館の門前から堂々と殴り込んでも、玄関先にすらもたどり着けず、種無しにされるのは目に見えている。勝算が無ければ迂闊に手はだせんが、何か良い条件でもあるのか?」
「ああ、そこで、あんたに相談したい」
「明日の夜、会館が手薄にでもなるのか?」
「その通りだ。なぜなら明日、馬方さんらが動く。今夜も何か大事な下準備があるのだろ う。日の高いうちから葦原京に赴いて帰って来ない。だから代役として俺たちがここにい る」
春道は馬方や西院らが推し進める夢南瓜の販路拡大計画について、予測できる限りを話した。
「大宮様の話では、取引の大詰めとなる交渉が明日、開かれるだろうと。何者かはわからないが、佐藤果花とかいうブローカーを介して、相手と接触するようだ」
雨の丞が呟いた。
「観光協会が情報を掴んでいると仮定すれば、部員総出となって潰しに来る。その隙に碧小夜を奪還する」
「馬方の爺さんらを囮に使うつもりか?」
春道が静かに答えた。
「この取引を成功させるに最も警戒すべきは観光協会だ。だから、馬方さんらも、大宮様を除いて村の中ですら重要な情報は漏らしていない。俺たちも直接知らされたわけではない し、彼らは大宮様にすら、正確な日時は伝えてはいない」
「待てよ、大宮様にも正確な日時が知らされてはいないとなると、お前たちにも当然、話してはいないということだな。そうなると、つまり、交渉が必ずしも、明日開かれるというわけではないのか」
代わってまた雨の丞が言う。
「だが明日は雨乞いの儀だ。その儀式の総代である両人が欠席を表明しているところを見ると、ただの営業に出るわけではない。観光協会も明日の儀式のことは知っている。そんな日に、我々が葦原京へ出て大きな動きをするとは考えないと、馬方さんらも裏をかいたつもりなんだろう」
「しかし、さっきの言いぐさだと、協会に感づかれているというわけか」
「というより情報としてしっかりと漏れている。だから明日が交渉日だということはほぼ、間違いない」
「そのこころは?」
「大宮様にも情報が入っているからだ。大宮様も何等かの手段で、協会の動向を掴むことができている。その手段は俺にもわからないが、観光協会は昨日、すでに明日の捕縛作戦の実行を青年部全体に発表し、市中に情報網を張り巡らせ、場所の特定に躍起になっているらしい」
「しかしこちらの情報は何故漏れた?馬方の爺さん本人らも警戒を重ねていたのだろう?」
「それはわからない」
「やはりあの噂は本当なのか。この村に観光協会の回し者が潜り込んでいるというあの噂 は」
「まあ、自然とそう考えてしまうよな」雨の丞が茶碗を持ち上げ、冷めた茶を飲み干し た。
「ならば、すぐにでも馬方さんらを捕まえて、交渉を中止させるべきではないか?」
「中止にされたら碧小夜を助け出す絶好の機会が無くなってしまうだろう」
「貴様とて、この村の男だということな。血も涙も無い。さすが、大宮様の氏子筆頭だけのことはある。憎たらしいのう」
「この村に情なんてもんは無いだろう。それに、全てが秘密裏に行われているんだ。交渉の場は全くわからない。観光協会にも嗅ぎ付けられていないだろう。協会の探索空しく夜が明ける可能性が高い。それで碧小夜が戻って来られたら上等じゃないか。これは大宮様の意思だ。大宮様は馬方さんらが犠牲になろうとも、碧小夜の救出を優先したのだ」
「なるほどな。ならば異論はない!」
「そこで必要となるのはまずは人間だ。儀式もあるから大勢は連れ出せないし、それ以前に募ったところで進んでと協力してくれる奴はいないだろう。それとも、他の大宮氏子衆に協力を請うか?」
雨の丞が訊ねると猫の坊は「冗談じゃねえや、べらんめえ!」と屁をこきながら吐き捨てた。
「皆で仲良く任務遂行したなら皆なかよくお褒めの言葉を賜って、それで終いではないか。番付を一気に上げるには、奴らに寸分の手柄もくれてやるわけにはいかん!黙っておけ!」
「ならば協力させるのは今、村で主人を持たぬ若い者がいい。春道、大宮様に碧小夜様奪還がうまくゆけば、この輩に主人を付けるよう、大宮様に交渉はできるか?」
「ああ、任せてくれ」春道がはっきりした口調で答えた。
「そうすると牛飼いの譲、江州悪源太、室戸の陰松あたりか」と、猫の坊が指を折る。
「室戸は、馬方さんらと行動を共にしているから駄目だ」春道が、さも致し方ないというように、口先で室戸を軽く排除した。
「いちばん活きの良いのが欠けたな」
「奴は碧小夜に波羅愛されているから最初から駄目だ」
「あいつも不憫な男だな」
「自業自得だ」
「そうか、お前は知らんのか」
旦国寺猫の坊はそう言うと、「あっ」と言ってーしまったーという顔をした。
「おい、坊主。室戸が波羅愛されたのは掟を破ったからだろう。それとも何か他に訳があるのか?」
「知らんなら知らんでいてくれ」
猫の坊はそれっきり、その話題に関しては貝のように口を閉ざしてしまった。
「私も御供してよろしいか?」
その時、不意に北野修郭斎が参加を表明した。
「そうか、お前も主人がいなかったな」
「小姓の立場なんで、こんなチャンスでもなければ一生、氏子にはなれません」
「よかろう、こいつも入れてやってくれ」
修郭斎は懇願するような目で春道を見つめている。大宮筆頭氏子という立場で日々、全村民どもが羨む淫蕩を貪ることのできる自分が、このような朽ち果てた寺で日々、この世の仏教界において最低最悪の坊主に、奴婢のように扱われる小姓の千載一遇のチャンスを何故 に、拒むことができるであろうか。
「女を知らぬまま男を辞めることになるかも知れないぞ?」
「覚悟の上です」
面子の目処が立ったところで、明日の行動の協議に入った。だが、那智の春道は同時に、猫の坊が漏らした言葉の片鱗に思考を巡らせていた。それと室戸が言った、碧小夜が恐ろしい女だという言葉が紡がれるのか。室戸が碧小夜に波羅愛された理由が、噂されている事実と異なっているということは、残念ながら那智の春道は確信せざるを得ない。
夜も深まって寺を出る時、最後に伝えた春道の展望は、旦国寺猫の坊を俄然、やる気にさせた。
「もう一つ、言っておきたいことは、俺は碧小夜を連れ戻すことができたら、正式に碧小夜の氏子となれるよう大宮様に直訴するつもりだ」
「お前、大宮様を波羅愛するつもりか?」
天空雨の丞は桃龍に恥を掻かせるような真似だと、主張した。大宮様を振ったなど、村の歴史上、聞いたことがない。
しかし、旦国寺猫の坊にしてみれば、氏子筆頭が居なくなり、おまけにこの大仕事によって番付が上がる。ひょっとすると、今回の手柄の度合いによっては、己が氏子筆頭に躍り出ることも十分にあり得る、と考えたのだろう。
「ええだろうが、雨の丞よ。己の気持ちに正直に生きるのは近代仏門に於いても正道と看做される」
「適当な事を言うな。そんな仏法を唱えているのはあんたみたいな変態糞坊主だけだ。罰当たりめ。春道よ。お前、本気なのか。下手をすれば碧小夜の氏子として認められないことはおろか、村八分にされても文句は言えんぞ」
「ああ、それならそれで村を出る覚悟だ」
「心配するな、その時は拙僧も一緒になって大宮様を説得して進ぜよう」
明くる日の夕方、村の櫓に再び、火か灯された。
村人たちの猛り声が遠く聞こえる中、那智の春道、天空雨の丞、旦国寺猫の坊、北野修郭斎、さらに宮女との正式な主従関係を約束に加わった牛飼いの譲、江州悪源太という若者二名が高天の宮は桃龍の私室は柔らかな絨毯の上にて、打掛姿の桃龍の御前に跪いた。
「麗しきご尊顔を拝し、恐悦至極に存じまする」
猫の坊が畳に額を擦りつけながら仰々しく申し上げた。
「このたびは、我が私情も含むことで、お主らには申し訳なく思う。しかし、碧小夜は我が娘。このまま観光協会に囚われたままにしておくわけにはいかぬ」
「滅相もない!」
猫の坊が頭を上げた。「本来なら村を上げて救出に向かわねばならぬところ。しかし、乾物屋の定、鍵屋の利吉と続けざまにああなってしまった今、村の男は観光協会と聞くだけで震えあがってしまう有様、何か官能の限りを尽くした、もとい、大いなる見返りでもない限り、安易に腰を上げる者はおりませぬ。しかし、安心めされい!この旦国寺猫の坊、身命を賭して碧小夜様を奪還してまいいりまする」
「頼んだぞ」
桃龍は立ち上がると、紅地の打掛に手をかけた。その打掛が膝を付く猫の坊の前にばさりと落ちる。顔を上げると、一糸纏わぬ桃龍の姿があった。首から下には一本の体毛も無い。限りなく純白に近い色をした身体は、触れようにも触れられぬほど滑らかであった。
主人を持たぬ三人はもはや、メデューサに睨まれて石化したように、目を斜めに上げたまま固まってしまった。
「さあ、行ってくれ」
桃龍の合図に春道は立ち上がり、彼女の前に来ると一礼すると、腰をかがめて柔らかな乳房に口づけをし、障子の隙間に突風が吹き出したように、部屋を駆けだして行った。
天空雨の丞も桃龍の手の甲に口をつけると春道に続いた。
「さあ、お前たちも、口づけしておくれ」
艶めかしく微笑む桃龍に、続いて北野修郭斎が歩み寄り首筋に、牛飼いの譲は二の腕に、江州悪源太は臍に、それぞれがたどたどしく口づけして部屋を出た。
最後は旦国寺猫の坊である。彼はもはや桃龍の前に立つと、崩れ落ちんばかりに涙を流した。
「ああ、大宮様、お慕いしております、お慕いしております。拙僧は今宵、必ずや碧小夜様を観光協会の手から救い出して見せまする。拙僧は命がけでございます。いざとなれば己が男性機能と引き換えに、差し違えてでも!そうです、拙僧は決死の覚悟であります。そうなれば二度と、大宮様のお虐げを堪能することもままなりませぬ。ああ、大宮様、今宵はお許し下され」
「不幸にも、貴様が犠牲となったとしても、旦国寺に聖女無天村始まって以来、空前絶後のド変態糞坊主がいたことは、しっかりと歴史に刻んでおく」
「何と・・・、それは滅相も・・・」
「冗談じゃ。無事に帰って来ておくれ、我が氏子よ」
「はああああ、有り難や、有り難いや!」
猫の坊はゆっくりと膝をつくと桃龍の腰に手を当て、両足が一つになるところに唇を当 て、立ち上がると葦原京に向かって行った。
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