夜のデートwith大山
次回2/23AM11時
碧小夜は進み行く先々がどこだかわかっていない。ただ、大山が力強く引き進む人力車に乗って、夜空に煌めくネオンを見つめていた。過行く左右の雑居ビルに、小さな色とりどりの看板が縦に並び、瞳が大きくなったり小さくなったりする感覚がして、ふんわりとお尻が浮いたように気持ちが良かった。
「ここはどういう場所ですか?」
碧小夜が訊ねると大山は首を向けて答えた。
「まあ、男の遊戯場ですな。日ごろの疲れを癒してくれる、オアシスのような場所です」
「素敵なところなんですね」
「想像されているのと若干イメージが違うような気もしますが」
その時、横から、「大山さんやないの」という男とも女ともわからない掠れた声がした。見ると赤い口紅をさした小太りのおじさんが立って微笑んでいるので、碧小夜は思わず目を丸くして、凝視してしまった。
「何よ、えらいべっぴんさん連れて、憎たらしい」
口紅おじさんは速度を緩めた大山の腕を掴んで、体をくねくねと摺り寄せている。
「ちょっとやめえや!変な誤解されるなやないか」
「あらやだ、ちょっと、この娘、聖女無天のお宮さんなないの?」
「何や、わかるのか?」
「アタシも都育ちの南瓜愛好家よ。それにしても大丈夫なん?お宮さん攫って来て」
「人聞きの悪いことを言うな!観光案内みないなもんじゃ」
「それやったら一杯呑んで行ってよ。お宮さんが来たなんて言うたらママも大喜びよ」
「碧小夜さん、すまんな。社会勉強やと思うてちょっと付き合うてもらえますか」
人力車を下りると口紅おじさんに連れられてふたりは雑居ビルの、三人乗れば満杯になる小さなエレベータに乗った。大山大和と口紅おじさんの熱気が密室に充満する。
エレベータの扉が開くと、差し込む空気がとても美味しく感じた。そのフロアにはいくつかのお店があって、一番奥の「ホルモンバランス」という文字プレートが付いた扉を入る と、細身の新たな口紅おじさんが「いらっしゃいませ、あっ大山くん、いらっしゃい!」と出迎えた。
「や、やあママ、久しぶり」
「さあ、入って入って、あらまあ、美しいお嬢さんも。ってこの娘、お宮さんや。どうしたん、まさか誘拐?」
「あほなことを。儂も捨てたもんやないやろ?」
「何か怪しいなあ。まあ、お宮さんが来てくれたやなんて光栄の極みや。サービスさしてもらうで」
店の中はコの字型になったテーブルが二つに分かれてセットしてあり、それぞれ十人くらいが座れるようになっていた。そこから照明に照らされたステージが見渡せる。
ふたりは奥のステージ前の席に座らされた。コの字の中に、色とりどりの口紅おじさん達が座って接客している。
「こんばんわあ」とねっとりとした低い声を出しながら、ふたりの対面に座ったのはショートカットの、キャミソールから胸を半分ほどさらけ出した綺麗な人だった。先ほどの二人の口紅おじさんとは違って、声を聴かなければ女で通ってしまいそうな男である。
「おう、パパイヤやないか。ご無沙汰やの」
「ほんまやわ」
「碧小夜さん、こいつも好きなんですわ。南瓜」
「そう。大好きなんよ。それで大山さん、いつ抱いてくれるのよ?」
「アホ、儂は男は抱かんぞ。腰振るたんびにぶらぶらしたら気が散るさかい」
「あらアタシは工事済みよ」
「あの、何の話ですか?」
碧小夜が覗き込むように訊ねるので、大山は慌てて「いや、気にせんでくれ」と鼻の孔を広げた。
「ここの人たちは何で女性の恰好をされているのですか?」
「あらやだ、ここはニューハーフパブよ」
パパイヤがそう言って豪快に笑った。そして、手際よくウイスキーの水割りを作って大山と碧小夜の前に置く。
「あ、すまん。この人にはジュースをやってくれ」
「ああ、そうか。お宮さんはアルコール、駄目なんよね。失礼しました」
「いえ、とんでもない。私、呑みます、これ」
「ええんですかい?」
「はい、今夜はお勉強ですから」
そう言うと碧小夜はグラスの口をつけ、ウイスキーを口に含んだが、苦しそうに喉に流し込むと、べえと舌を出して顔をしかめた。
「やっぱりジュースにしましょうね」
パパイヤが慌てて出したオレンジジュースを碧小夜はごくごく飲み干すと、「皆さん、これを美味しいと思って呑んでるのでしょうか?」とびっくりしたような表情で言った。
「まあ、馴れですさかい」
「うーん、馴れ、ですか」
碧小夜はウイスキーのグラスを持ち上げて、色々が角度から眺めた。グラスの底の水滴がテーブルに落ちる。
「ねえ、大宮様って桃龍って人よね?どんな人?何年か前に今昔祭で見たけど、この世のものとは思えない艶めかしさよね。何かわからないけど、アタシたちには想像もつかない経験をしないと、ああはなれないわ。前に人を殺したことがあるっていうお客さんが来たけど、あの雰囲気にているわね。でも、人を殺したという人とはやっぱり、背負っている業の種類が違うわね、あの人は」
「こらパパイヤ、やめえや。この人は大宮様の実の娘さんやぞ」
「えっ、やだ。ごめんなさい」
「いいのです。私も母が怖くなる時があります」
「へえ、それはどういう時にです?」一転して大山も深々、持ったグラスを小刻みに揺らしながら訊ねる。
「あの人が男性といる時は、私は近づきたくないのです。男性に対して話をするだけでも、母はまるで、悪魔が凄惨な儀式を行っているような怖さがあります」
「なんと。儂もその生贄になってみたいものじゃ」
「なんならアタシの生贄になる?」
パパイヤが言うと大山は勘弁してくれと首を振った。
「お前と儂とじゃ、おっさん二人のサンバカーニバルじゃ」
オカマバーを出ると、店を替えてダーツをした。碧小夜は初めこそ、ダーツがボードを大きく外して奥の壁に刺さったり、床に転げたりしたが、コツを掴むと当たるようになり、だんだんと面白くなってきて、気が付けば二時間ほど楽しんだ。
その後は石畳の道を人力車で駆け抜け、カフェに入ってフラペチーノをテイクアウトし、浅い川を眺めながら飲んだ。水面に料亭の提灯の灯りが映ってキラキラしている。
「今夜はそろそろおひらきにしましょう」
大山がストローを咥えながら言った。
「ほんとうに楽しい夜でした」
碧小夜も人力車に座ってカップを両手で持ちながら答えた。
「本当に村には戻らんのですか?」
「はい」
「それは犬若の為ですか?」
「いえ、もう少し、自分の居場所を考えたいのです。そして誰が本当に私の事を必要としているのか。誰にも必要とされていないかもしれないし」
「そんな事はない。少なくとも儂はあなたを必要としている」
「面白い冗談ですね」
「冗談ではないですが、しかし今の儂の器ではあなたを収めることが出来んと思う」
大山は自分が生きて来た世界と、彼女が生きて来た世界が、同じ世界であるとは思えなかった。本当は二つの世界が重なりあっていて、お互いが透けて見えているだけで、実際は目の前の彼女に触れることもできない。手を伸ばせばすり抜けて空を掴むのではないかと思えている。しかし那智の春道や犬若は、しっかりと彼女の世界に存在している。向うの世界に行くには、その入り口を超えようとする者に究極の問答仕掛けて来る女神の額を、鉛玉で撃ち抜くことに抵抗のない人物でないと行けない。それができる者をと考えれば、有沢獅子や高山紫紺の顔が浮ぶ。
「碧小夜さん、あなたを必要としてくれる者の迎えを待っているのですか?」
「村に戻る時は、誰かに戻って来なさいと言ってもらいたいのかもしれない」
「ならばその時、もしも有沢事件のような物騒な事態になるようなら、戻るにしても留まるにしても、儂が全力であなたの味方をする」
「優しいですね、大山さんは」
「儂とあなたはもうお友達ですから。ですよね?」
「はい、あなたとお友達になれて、私は本当にうれしいです。本当に」
その時、碧小夜は今までめかし込んでいた分厚い化粧が崩れ落ちて、その奥に隠された本当の素顔をさらけ出すように、澄み切った笑顔を見せた。そして暫く微笑みを崩さないまま人力車の後ろで温くなったフラペチーノのカップを見つめていた。
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