パンプキンバーの寄席
聖女無天村、そのルーツは定かではなく、地図帳にもそんな村は見当たらない。国の市町村データベースでも検索できない村ではあるが、現実として確かに存在している。
更に深く掘り下げ、国会図書館の文献や、歴史資料館の古文書に記載される僅かな手がかりを頼りに、重箱の隅を突くようにしてそれらしき村に関する記述を抜粋して紡ぎ、遡ってゆくと、先の時代の革命より前にはすでに、存在していたようである。
村の呼称は何度か変わっているにせよ、位置方角や風俗風習から、それらが聖女無天村の前身であることは断定でき、村の生活習慣が垣間見える。
落ち武者狩りを行ったとか、義賊を匿ったとか、一揆を企てる者に武器を用立てしたとか、いずれにせよ、先祖代々、危ない橋を渡りつつ生計を立てていたようだ。
そしてどの文献にも、固有名詞が一切登場しないことから、特定のリーダーが先導していたのではなく、村全体が一丸となって、生き抜いていたことがわかる。
現在ですら、西京府にも隣県にもどちらにも住民表やその類のものは存在しておらず、出目も本名も定かでない者が多数いる。これが徒党を組んで生活しているのだから世間からみれば奇妙奇天烈で、一種のカルト教団体に近い扱いを受けて然るべきであり、村人が乳白色の作務衣を着て、都を歩いているのを見ると、人々は敬遠する。
その理由は、社会のはぶれ者の集まりであるということもあるが、最たるところ、彼らの大きな収入源といえる夢南瓜の存在もその一因である。
宮を出た春道は、聖女無天村へ入るゲートの近くの店に入った。
ウエスタン風の木造建築で、三段の階段を上ったテラス上に立つ店で、通称、パンプキンバーという。
ところが、バーといえども、酒は無い。
この村の者は酒や煙草は一切、嗜まない。体が穢れるからだ、というのは宮女への礼節のようなもので、村に根付く暗黙の掟である。
その代わりに彼らは夢南瓜を嗜む。
バーでは南瓜の果肉をドリンクにしたものや煮物を中心とした料理、米と一緒に炊き込む南瓜飯等の主食を出す。あとは葉を乾燥させて紙巻や葉巻にして喫わせる一般で言う嗜好品の類も置いている。
橙色に照ったランプが明るくする店内は村民たちで繁盛していた。皆が例の作務衣を着て、毛髪を汚さぬように頭巾を被っていたり、あるいは頭を剃り上げている。
無数の乳白色が白光していっそう明るく見える店内に、ひとり異彩の風貌をした男がいた。カウンターに座ったその男は、ひとりだけ小汚く、浮いていた。
「よお!」春道が声を掛けると、大山も「おう!」と小さく手をあげてニヤっと笑った。ふたりは意外にウマが合う。
春道はカウンターで葉巻をふかしているマスターに、南瓜ドリンクを注文した。
「暇そうだな。相変わらずガラクタばっかり作ってんのか?」と春道は大山をからかった。
「阿呆、忙しすぎて南瓜の世話にならんとやってられん。今日も仕事で来た。あれじゃ、肛門洗浄機。あれの修理じゃ。何が悔しゅうてお前らの汚物の付いた機械を直しに来なあかんのか」
大山はグラスを片手にぶつぶつ言った「もっとアヌスを緩めんかい。締まりが良すぎるから流動が悪うて貯水タンクが悲鳴を上げとる」
洗浄機の水圧が上がっていたのはそのせいか、と春道は納得した。
大山大和は、良く言えば人懐っこく、悪く言えばデリカシーの無い、所謂人の気持ちに土足で上がり込むような性格で、一般市民はとうてい寄り付かない聖女無天村のような得体の知れない共同体に、頻繁に出入りしている希少な存在だ。
実のところ、こんなポンコツ野郎の発明品も、文明社会とかけ離れた自給自足に限りなく近いこの村に限っては重宝された。特に性具である。先に言った肛門洗浄機は誓約に当たっての必需品であり、これがなければ生物学的衛生面に大きな課題を残すことになり、宮女の精神衛生面にも影響を及ぼす。
誓約とは非情にデリケートなもので、心にほんの僅かな邪念すら混ざってはいけない。
例えば、菊の門の傍らに汚物がこべりついていようものなら、宮女が興ざめる原因となり、「あの者、尻にウンチがついておった。故にもう二度とまぐわない」という悲劇の引き金ともなりかねないので、大山には最低でも月に一度は来村してもらって、メンテナンスを実施してもらわねばならなかった。
他にも性感帯を刺激するハンドルをくるくる回して局部を動かす挿入具や、可動式の分娩台等、現代社会では電化式あるいは油圧式性具として流通しているものを、彼はからくりを用いて製作し、村に提供している。その対価として夢南瓜を分けてもらうことで、豊かでない暮らしをしながらも、高価な夢南瓜を楽しんでいる。
「昨夜は雨の丞が世話になったみたいだな」
春道が言うと大山は「改まるな、改まるな」と言ってまた、グラスに口をつけた。
そんな話をしてるいと、噂をすれば何とやらで、額や顎に絆創膏を貼った天空雨之丞が周囲を威嚇するように入って来た。
今朝、這う這うの体で村に帰って来た昨夜の事件の当事者である。彼は大山に礼を言い、同じドリンクを頼んで一気に飲み干すと、「それにしても腹が立つ」と観光協会に対する罵詈雑言を吐き始めた。
何が悔しくて奴らに怯えながら商売をしないといけないのか、ということを吐き散らし、このままでは村の生活もままならなくなると溜息をついた。
血の気の多い男である。
体格も良く力も強い。相手が協会の平部員のひとりふたりなら、なぎ倒して無事帰村せしめるだろうが、幹部クラスになると到底歯が立たない。
彼は普段から村民も商売に赴く場合、武装して一戦交える準備をすべきと主張しているが、村民らは皆、肉も食さない菜食主義のヘルシー志向、壮年女性のダイエットにも似た生活スタイルを、地で日々実行している為、どうしてもモヤシ的体形化しているのが大勢をしめるので、協会相手に大立ち回りできる人間など皆無、そんな生活の中でもより野生的筋力が発達している特異体質の雨之丞はもどかしくて仕方ない。
「協会とやり合ったところで、増えるのは怪我人だけさ。それで治安の悪化だの何だので、夢南瓜が規制されでもしたら、俺たちの行き場はなくなる」
春道の言葉を聞いて大山が「それは困る」と言った。
「ならばお前も入村すればいい。どうせ社会的立場も無いに等しいだろう?俺たちと変わらない」
「それも悪くない。確かに儂もタダで南瓜が好きなだけ堪能できて、綺麗な宮様に抱かれる生活が羨ましくないと言えば嘘になる。しかし、儂は何より自由を愛する男じゃ。村人にはなれん」
「訳が分からん」
春道がそう言ったとほぼ同時に、背の高い男が乱暴に扉を開けて、店に入ってきた。
彼は天空雨之丞を捉えると、薄笑いを浮かべながら近づいてきて「昨日、しくじったらしいな」とわざとらしく鼻で笑った。
「困るんですよねえ、ちゃんと仕事してもらわないと」
「仕事をしないお前が言うな」
春道が睨み付けて言うと、男はまたわざとらしく「へへっ」と鼻を鳴らし、奥にあるボロボロになった合皮のソファーに座っている男たちの中に腰を下ろした。こちらを見ながら何か言い、笑っている。
この室戸の陰松と言う男と春道の関係は険悪だ。ウマが合わないというような単純な理由ではない。
彼は以前、碧小夜の氏子だった男なのだ。
しかし、礼節を破った為に主との関係を解消、この村で言うところの「波羅愛」という処分を受けた過去がある。
春道は犬若の事件の後、碧小夜の氏子が陰松に決まったと知らされた時、自らもこの村を去ろうかと考えた。
数日間、夜も眠れず、碧小夜を力ずくで奪い去ろうか、はたまた闇に紛れて陰松を葬ってやろうかと、心身錯乱状態の中で葛藤しているうちに、間もなく陰松が波羅愛された。
春道はそのまま村に残った。ただ、陰松がほんの僅かな間でも、碧小夜と主と氏子の関係にあったことを考えるだけで、未だに許すことができない。
「まあまあ、他に行き場もない者同士じゃ、仲良うせいや」
その様子を黙って見ていた大山が、諭すように言ったが、春道は「ここの村民同士は対抗心や嫉妬心こそあれ、仲間意識なんてねえよ」と吐き捨てた。
事実、そうである。聖女無天村の男どもの最たる原動力は至高の誓約であり、自分にとって最高の主と主従関係を結ぶことである。
宮中の女性は複数の男性と関係を結ぶことも許されるが、男性は複数の主を持つことは、禁止ではないが、礼節を破るという意味で、波羅愛という処分を受ける恐れもある。
一度、波羅愛の履歴を作ると、清廉な宮中の女性からは敬遠され、次の主と関係を築くことが容易ではなくなる。
室戸の陰松は碧小夜との一件以降、未だ宮中からのお呼びがかからないでいる。彼が営業に出ないのも、対価が得られないからだ。
そういう意味で、容姿や技術等を含めて自らが望む唯一の主との関係確立を、男同士が競い合っている。
また、同じ主を持つ男同士が抱くのは嫉妬心だ。他の者が営業で成果を上げ、宮中で愛する主に可愛がられているかと想像すると心穏やかではいられない。ゆえに皆、観光協会が蔓延る危険地帯に飛び込んで南瓜を売りさばいて来なければならない。
「最近、おかしいとは思わないか?」と天空雨之丞がふいに口を開いた。
「図ったかのようなタイミングで、協会の連中が取引現場に踏み込んでくる。まるで事前に知っていたかのようにだ」
「内通している奴がいると思っているのか?」
「それしか考えられないだろ」
春道は一呼吸おいて、「俺もそう思っていた」と言った。「大宮様も、同じように考えていると思う」
「あいつしかいないだろ」天空の声が低くなった。そしてゆっくりと室戸の陰松に目をやった。「宮に出入りできなくなった腹いせに、協会に情報を売っている」
「滅多なことを言うな」と春道は言ったがそのまま尻すぼみに黙ってしまった。証拠は無い。が、自分もそうかもしれないと思う節があったからだ。
その時、チャンチャカと、カセットデッキから三味線の出囃子音が流れて来て、拍手が沸き起こった。
待ってましたっ!という声が混じる中、バーの奥の小さなステージに和服を着た南極亭常夏が座布団を置いて正座し、深く頭を下げた。村の数少ない娯楽のひとつが彼の落語である。
大山が「おっ、今日は寄席の日か。ええ日に来た、ええ日に来た」とグラスを持って立ち上がり、ステージの近くの席へ移動して行った。同時に春道も席を立ち、バーを出て住処へ戻って行った。
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