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欲望のカボチャ村と古都の荒くれ観光協会  作者: 源健司
フフシル事件
54/125

カタストロフは南瓜のまわりで渦を巻く

 例年ならばこの季節になると、犬若は比較的、快調になる。

 世間では夏は皆、開放的になると言われるが、要するに人間という者は、暑さで塞ぎ込んでいる暇もないほど、馬鹿になるのだ。汗をだらだら掻きながら、暑い暑いと呻いている と、小さな悩みなどいつしかとっくに忘れている。いらぬ悩みが吹き飛んだ後は、天気も良いので、次の休日は海へ行こうか、花火でも見に行こうか、などと遊ぶことばかり考えている。


 犬若も夏になると、非番の時には団扇を片手に畳に転がっていたり、近所を散歩したり、庭で太陽の光を浴びて、白い素肌を焦がしてみたり、人並みに間の抜けた生活を過ごすのだが、今年は調子が一向に上がって来ないでいた。原因は会館の奥の間にいる。


 あの夜、腕ずくで彼女を連れ去ったが、その後、彼は奥の間に近づこうともしていない。


「お前は一体どうしたいというのだ」


 ある日、大欠伸をしている犬若に、隊長室で法被をハンガーに掛けながら幸村朱鷺が呆れたよう訊ねた。カッターシャツは汗に濡れて素肌にへばりつき、黒い乳首が透けて見えている。


「俺たちも、あの娘をどう扱うべきか、困っているのだ。いつまでもあそこの部屋に入れておく気か?自分が攫ったのなら攫ったなりの責任を持て」


 まるで、せっかく買ってあげた高い玩具を放り出された親が、子供を叱るように言った。


「彼女に一言の言葉もかける度胸もないのなら、いっそ山へ帰してしまったらどうだ?」


「山って…、野生動物じゃないんですから」


 煙草を燻らせながら咎める高山紫紺に向かって、犬若はボソリと呟いた。


「彼女を閉じ込めて、勝った気でいるなら大きな間違いだぞ」


「誰が勝った気でいるのですか」


 犬若が実に生意気な目で睨むので、さすがの高山も腹を立てたのか、柄にもなく突っかかろうとしたが、何かを思い出したように、起こした体を再び沈めた。

 そんな高山に犬若は追い打ちをかけるように、「俺は普通の男ではないのです!」と立ち上がって喚いたところで、幸村が「そこまでだ!」と一喝して、その場は静まった。


「失礼します」


 犬若が出て行った後、黙っている高山の横で、幸村が大きく溜息を吐いた。


「あの時は仕方がなかったのだ。俺たちは観光協会、犬若は南瓜の売人だったのだ。今とは立場が違うし、あいつも有沢の口利きがあったとは言え、己の意思でここへ来て今がある。お前は間違ったことなど言ってはない」


 幸村が言い終わると、高山はようやく根本まで燃え尽きた煙草の火を、灰皿の隅に擦りつけた。


「それはそうと、例の情報はまだ不確かなのか?」


 幸村は話題を変えるように、声のトーンを低くして訊ねた。


「ああ、笠子もなかなか情報が掴めないでいる」


「デマだということはないのか?」


「いや、それは無い。取引相手が村に出入りしている。しかし、限られた者と外部に漏れないところで話が行われていて、まだ情報が掴めない。日時については大体の見当はついている。しかし、確証がない。それに、場所だ。これがわからん」


「破談になる可能性は無いのか?」


「その可能性もある。村の中でも皆が賛成しているわけではない。とりわけ、那智の春道という男だ。あいつはなかなか利口な奴だ」


「有沢襲撃の首謀者か」


「首謀者にしたのは俺たちだがな。あいつはこの取引がどんな状況を引き起こすのか、予見できているのだろう。それに大宮桃龍の氏子筆頭だ。意見し易い立場にいる」


「その大宮様は?」


「まだ態度をはっきりとしていないのだろう。しかし、積極的になるとも思えないが、如何せん、彼女は一般社会の政情に疎い。先々の問題も予測できないだろう。話が進展するとならば推進派が大宮様を押し切ってくる。そうなると我々は一刻も早く情報を掴まなければならない。笠子たちが頼りだ」


 不意に襖が開いて、ふたりは身構えた。


「何じゃ、お前ら、うんこでも漏らしたような顔をしてからに。もしかしてキスでもしとったんか?邪魔なら出直すが」


「大山さんが除湿器の調子を見にいらっしゃいました」


「幸村よ。夏場はもう乗り切れんぞ。協会の本部にでも言うて、最新機種を買うてもらえ。業務用の頑丈なやつを」


 大山大和が畳をドシドシと踏み鳴らして入って来た。その後を、堀川清介も付いて入る。


(マズいな。聞かれてはいないか)


 高山は黙ってふたりの様子を伺ったが、大山は鼻をつまみながらふざけた表情で、溜まった水の受け皿を引き出しているし、堀川もせっせと茶瓶から冷たい麦茶を茶飲みグラスに注いでいる。

 今はまだ、企みが実行される疑惑を公にしたくはなかった。こちらが探りを入れていることがどこで漏れるがわからない。この事を知っているのは協会ではまだ、幸村、高山と探索方の一部だけである。ましてや大山大和は聖女無天村にも出入りしている。最も漏らしてはいけない人物のひとりであった。


 幸村も高山も黙ってグラスに口を付けた。いっぱいに注がれた麦茶が瞬く間に喉を流れていった。


 やがて大山が除湿器のスイッチを入れて点検し始めた。大きな音をたてて除湿器が動き出す。


「もう寿命じゃな。早う買い替えや。それはそうと、碧小夜殿は元気かね?」


「お前には関係ないだろう」


 幸村が顔をむっつりとさせ、胡坐を掻いたまま上目遣いで大山を見た。


「関係ないとか言うなや。ワシも彼女に惚れているのや。惚れた女子がこんな猛獣の檻の片隅で生肉のように放置されているかと思うとワシは居ても立ってもおれんのや」


「心配するな。もしも妙な真似をする奴がいたら、俺たちが責任を持って処分する」


「抜くんかい?」


「無論だ。理性の無い奴に生殖機能は必要ない」


「おお怖い。ワシも気を付けんといかんの」


 大山はがははと笑いならが立ち上がった。その後ろから堀川清介も退出して行く。


 堀川老人は大山を玄関まで見送った。


「碧小夜殿をよろしく頼んだぞ。頼りになるのは、男の賞味期限の切れたあんただけじゃ。イチモツが役に立たんようになったこの歳で、役に立てるのは碧小夜を守ることだけじゃ。頼んだぞ」


「…」


「冗談じゃ。怖い顔をすな。それはそうと、あいつら言うてたのは何の話じゃ?」


「何の話とは?」


「部屋に入る前、あんたも襖の向うの話を聞いとったやろ?」


「知らんな。何の事かわかりません」


「ほうか、それならええ。ほな、碧小夜のこと、宜しく頼んだで」


 大山は庭にいた平部員の尻を撫でてゲラゲラ笑いながら去って行った。

 堀川清介はその後ろ姿を見えなくなるまで見送った。


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