深夜の決闘、負けたら追放!
c会館へ戻った有沢らは奥座敷で、新しい一升瓶をもう一本開け、宮女らに命じて中身を徳利に移し替させると、今度は隣に座らせ、肩に手を回してお酌をさせていた。しゃべっているのは太川と楊ばかりである。有沢は黙ったまま、碧小夜が注ぐ酒を、テンポよく煽るばかりであった。
小一時間ほど時間が過ぎた。
有沢は今夜、何かが起こると踏んでいた。しかし、何も起こらない。雨がいっそう激しさを増すばかりである。
(つまらん)
そう思った。本心かどうか、自分でもよくわからなかった。思考の速度が鈍り、精度が落ちている。気づかぬうちに、呑み過ぎていた。
不意に、雨音が弱まった。しかし、止む気配はない。明日も日中は降り続くだろう、と彼は思った。
有沢が腕時計を見ながら、
「今夜はもう遅い。それにこの雨だ。君たちは泊まってゆけ」
と言った。
紅金魚と天竺蓮華が碧小夜のほうを見た。
「でも私たちは今夜中に帰ると言って出て来ています。無断で下界に泊まるなんて」
「下界だとよ。何様のつもりだ?君は」
有沢は太川を見ながらははっ、と笑った。
「まあいい。じゃあこういうことにしよう。部の者に使いを出して、大宮様にその旨を伝えさせる。お預かりした宮様らに風邪でも引かれては申し訳ないと」
「ここに泊まるのですか?」
「ここでは君たちに失礼だろう。俺たちはこんな男臭いところで寝起きしない。各々、外に部屋を借りている。人を雇って掃除もさせているから清潔だ。そっちへ移動しよう」
「私たち三人がひとつの部屋ですか?」
「冗談言うな。子供じゃあるまい」
「それでは」
c「そういうことだ」と言う有沢は、断れば何をするかわからねえぞ、とい凄みを孕む、もはや命令と言って差し支えない目つきであった。
「そうと決まれば早速ここを出よう。遠くはない」
有沢は碧小夜、太川は紅金魚、劉が天竺蓮華の手を取って立ち上がると、強引に体を引いて玄関のほうへ向かった。
外はまた、雨は激しくなっていた。
「何とも不安定な雨だ。もう少し待ちましょうか?」という太川に、有沢は言った。
「他の連中が帰ってきたら面倒だ。それに、俺はもう我慢の限界にきている」
「確かに!」
太川と顔を見合わせてゲラゲラと笑っていた劉陽之助が、その時、突然、背後から襲われた。目出し頭巾を被ったずぶ濡れの作務衣が四人、劉を羽交い絞めにすると、仰向けに地面に引きずり倒し、そのままよってたかって押し付けた。
が、劉は目の前の鍵屋の利吉に頭突きを食らわし左右の雨ノ丞と室戸を振り離すと、春道に掴まれた下半身から右足を抜き、彼の顔面に繰り出した。
「やってくれるじゃねえかよ」
劉はそう言うと室戸の腹を蹴り上げた。室戸は声も出せないほど悶絶し、のたうち回っている。
有沢は余裕の表情では無い。これが単なる宮女の奪還作戦ではないことを了解し、見えない何かを警戒するように、眼球を左右に動かず。そうして周りの状況を確認し終わり、ゆっくり春道らを見据えて歩み出したかと思った次瞬間、彼の体が消え、気が付くと雨の丞の体が宙を飛んでいた。
「油断するな」有沢は前を向いたまま静かに言った。「敵はこいつらだけじゃねえぞ」
言うが早いか春道に仕掛けてきた。
「お前、尻の野郎だろ!顔を隠したってわかるよ」
有沢が飛び上がると、更に空中を蹴り上げたかのように見えた。高い。そのまま春道に踵が振り下ろされる。辛うじて避けた春道は、濡れた砂利の上を転がった。流れる視界の中に碧小夜が手を合わせてその様子を見つめているのが見えた。
立ち上がった春道は続けざまに、腹、胸、顔を連続して蹴りを浴びた。
その向うで劉に羽交い絞めにされた鍵屋の利吉が太川の拳を顎にもろに喰らって崩れた。鍵屋はその場に倒れ込んだ。口内を切って吐いた血が、作務衣の首元を赤く染めた。意識があるのかも判然とせず、これ以上の戦闘が不能は誰の目にも明らかである。
室戸が呼吸を取り戻し「おらあ!」と有沢に飛びかかった。が、そのまま拳を掴まれ捻り上げられると悲鳴を上げて体をぐねった。
「大したことないな。君たちを助けに来てくれた男たちは。もうこんな変態野郎どもの村には戻るな。ここでもっといい暮らしをさせてやる」
有沢が碧小夜らに向かって叫んだ時、何かが頭上の屋根から飛び降りて来た。それは有沢の背後から彼の首を絞めつける。有沢の腕から力が抜けてゆき、やがてううっと呻きながら室戸の腕を離した。
太川が有沢を救わんと背後の男に攻撃をしかけた。体を解放された有沢はむせ返り、濡れた前髪を振り乱しながら顔を上げた。
「やっぱり来たか」
乳白色の作務衣が更にふたつ、増えている。いや、門からも、もうひとつが入ってきた。皆、頭巾を被っているので顔は見えない。
新手のふたりが関東派に飛びかかった。
ひとりが有沢、ひとりが太川。有沢とやり合っているほうが、「もうひとりはテメエらで何とかしろ!」と叫んだ。
幸村朱鷺、自ら出て来たか。春道を始め、関東派もそれを悟り、一層気合いが入ったように見えた。太川とやり合っているのは体形から見て沢井宗八である。ただ、門の傍でその様子を伺う者がわからない。南極亭常夏でもない。佇まいや体つきが違う。
春道ら四人は立ち上がると劉陽之助を取り囲んだ。劉もさすがに多勢に無勢、容易に動いて来ない。室戸が突進した。春道、雨ノ丞と劉にかかっていった。
三つの戦闘が一進一退、やがて皆、体力を消耗し始め、動きが鈍くなってきた。
(高山はまだか)
幸村は焦った。彼の不在が誤算である。もうひとりいれば、こちらが優勢になる。門のところにいる堀川はもはや戦える年齢ではない。彼の存在は計算外だが、戦力として彼が役には立たないのは想定の範囲内である。
劉陽之助が「もう限界だ!」と叫んだ。一度に三人を相手している。それもちょろちょろと動きまわるのでスタミナに限界が来た。
「少し休憩だ!」そう言って、門から出ようとした。だが、そこで新たな刺客に遭遇した。鮮やかな動きで劉に飛び乗ると、肩車の体制になり、両足で劉の首を絞め、体は地に落ち崩れた。
男が会館の庭に入ったとほぼ同時に、太川のラリアットが沢井にさく裂する。全体重を極太の丸太のような腕に乗せた攻撃を喉元に喰らった沢井の体は、空中で前回りに回転し、体の前面から地面に叩き付けられた。太川が倒れた沢井の頭巾を脱がそうと掴んだ。しかし、劉を倒した男がそれを阻む。
高山かと最初、幸村は思った。が、違う。高山はもっと地に足を付けた戦略的手法で戦う。あの行き辺りばったりの、天武の才だけで戦うやり方は犬若。
無論、春道にもわかった。そして碧小夜にも。
幸村と有沢、犬若と太川という構図で再び、激しい戦闘となった。
「幸村よ。これで負けたほうはどうなる?」
激しく動きながら、有沢が訊ねた。
「幸村とは誰だ。俺は聖女無天村の者だ」
「馬鹿め。聖女無天の者に俺たちがやられれば規則に背く。そういう作戦だろう。いかなる争いにおいても敗北することを禁ず。お前が負けたらその頭巾、取らせてもらうぜ。種無しにして追放してくれる」
有沢の拳が幸村の鳩尾を捉えた。幸村が飲み食いしたものを吐き出した。しかし、倒れない。今度は幸村が有沢の横っ腹を蹴殴った。有沢はげふげふと咳き込んだ。
太川も強い。犬若ひとりではいつ決着が着くかわからない戦況に、再び立ち上がった沢井が参戦した。が、ラリアットのダメージが大きく、まともに歩くこともままならない。
そのうちふたつの戦闘が庭の中央で交錯し、四人が同時に入り乱れた。そして、再び離開すると、今度は犬若と有沢が相対していた。
有沢が笑った。
「犬若か。面白い」
「有沢さん。私はあなたの事を尊敬していたんですよ。憧れていたのです」
「嘘をつけ」
「嘘じゃないです。今もあなたのようになりたいと思っています。協会に入れたのはあなたのおかげです。感謝します」
「感謝している相手をお前は排除する気か?」
「あなたを倒さないと守れないものがある。だからあなたを倒さないといけない」
「あの女か。相当な執着だな」
「幼馴染ですよ」
ふんと有沢は鼻をならした。「まあいい、それなら俺もお前をぶち殺すだけだ。今日でお別れだな、犬若」
「はい」と言う返事を合図にふたりが取っ組み合った。その後は蹴りの応酬、互いに身が軽く、まるで二羽の鷹が餌を奪い合っているかのように、庭中を飛び回った。
気が付けば雨が上がっていた。その場には激しい鼻息と呻き声、砂利を蹴り上げる音だけが響き渡っている。春道らもまた、援護しようと立ち上がったが、つけ入る隙が見当たらない。
碧小夜のほうを見ると、さっきと同じように手を合わせて立っている。その前にいつの間にか、門から戦況を見ていたもうひとりの男が彼女らを守るかのようにその前に立っていた。
幸村も太川を相手にしながらこの状況を打開するのは難儀と感じていた。
(高山は何をしている!)
まさか作戦を利用して聖女無天が別動隊を組織して、高山を襲撃したのではあるまいか。そしてそのまま協会と一線交え、あわよくば壊滅に追い込む狙いだとしたら。そんな大それたことをするか。勝算は限りなく低いだろう。しかし、奴らも今夜はまたとないチャンスと考えているかもしれない。いや、それはない。あまりにも無謀だ。
幸村は自問した。しかし、考えても仕方がない
最早、高山紫紺の到着まで時間を稼ぐのみと結論付けたその時、戦況がまたも大きく動いた。大きな雄たけびと共に巨大な生物が門から入り込んでくると、犬若とやり合う有沢に背後からぶち当たった。有沢の体は玄関の引き戸のガラスをぶち破った。太川が何事かと振り向いた時、すでに犬若が体制そちらに向け、太川の脳天に踵を突き刺した。右片膝をついて崩れた太川の左ひざを踏み台にして、幸村の蹴りが太川の鰓の張った顎にさく裂した。所謂、閃光魔術。太川は砂利の上に倒れ、びくともしない。
「岡莉菜!この場を去れ!」
「女を・・・」
「馬鹿野郎!渡せるわけがないだろう!」
幸村が叫ぶと岡莉菜は大口を空けながらあたふたとし、悲しみを背負った怪物のように肩を落としながら門を出て行った。
「ああっ、何とかなった」
幸村は肩で大きく呼吸をしながら、春道らに向かって「手を煩わせた」と深々と頭を下げた。
「何のねぎらいも無いが、お宮様方を連れて村へ帰ってくれ。トロリーバスを用意した。乗って行け!」
その言葉と同時に門の前に瓦屋根の乗ったバスが一台、横づけされ、運転席から「おい、急げや、お前ら!」という聞きなれた声が聞こえた。見ると窓から大山大和が顔を出して白い歯を見せていた。
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