沢井宗八の掌
春道らは高天の宮の外壁の瓦の上に顔を出し、その光景の一部始終をただただ下唇を噛みしめて眺めることしかできなかった。とりわけ仲間意識の希薄な関係とはいえ、これほどまでにいたぶられる村人を前に、気分が良いはずもない。
(こんなになるなんて聞いちゃいないぞ、高山!)
春道はもどかしがったが、しかし、感情に任せて飛び出せば全てが水泡に帰し、特に宮女の安全確保の可能性が極めて低くなるので、ここはぐっと耐えるしかなかった。
春道が高山と接触したこと、その話の中身について、桃龍の他、ここにいる四人だけが知っている。
「有沢はそう易々と罠に嵌るような馬鹿じゃねえ。村ぐるみで大がかりな芝居を打てばそこら中に綻びが出る。戦略は最低限の者だけに内密にして事を運べ」
高山は春道にそう指示した。戦略を立てることに最も重要なことは味方を欺き、己の意思で思惑通りに動かし、限りなく自然的状況を創り上げることである。
あるいは、村全体を巻き込むと、必ず異議を唱える者が現れる。反対する者が多ければ多いほど、全体の意見を統一する為に説得に回るという時間が必要になる。下準備や演技指導にも時間を要する。しかし、そんなことをしている余裕はない。
更に春道の憶測ではあるが、集団で観光協会に攻め込めば、騒ぎが大きくなる。おそらく高山は騒動の規模を、世間に露見せぬ程度の最小限に留めたいと考えているのだ。幸村派にとって、正体がばれるということはあってはならない。もし大人数で攻め込み、騒ぎが大規模化して持久戦になれば、現場に西京府の警察が駆けつける恐れがある。そうなっては困る。
やはり、高山としては聖女無天村の協力者は最少人数にしておきたいのだ。
しかし、村にとって、その代償は想像以上に大きかった。
「くるぞ!」
天空雨の丞が押し殺した声で言うと、四人揃って地に飛び降りた。春道、雨の丞、南極亭常夏、それに鍵屋の利吉という比較的気心の知れた体躯と威勢の良い好漢を含めた四人である。
彼らが玄関脇に陣取ると、やがて観光協会の部員らが朱塗りの門を潜って入って来た。
「これは何のつもりか!」
広々とした式台に立った桃龍の一喝に、部員たちは砂利の上に足を止め、両脇に立つ春道らを睨んだ。
「宮女を数人、ちっくらお借りしたい。今夜、我々は宴会を開くことになっててな、酌をしてもらいてえんだよ」
鈴方祀がそう言いながら歩を進めたが、行く手を春道らが遮った。
「何だ?文句でもあるのか?まあ、それなら力ずくで押し通るだけだ」
恫喝にも怯まず、春道らは黙って手を横に広げた。それを見た鈴方が唾を吐くと顎をしゃくりながら雨ノ丞の顔を覗き込む。そうして何かを言いかけた時、後方から別の部員が「やあやあ」と進み出て来た。鈴方と同様、ジャージではなくスーツの上に、幹部の印である白の二本ラインが入った法被を羽織っている。
「すまないが、こっちも手荒な真似はしたくない。ほんの数時間でいい。お宮様を数名、こっちで面倒を見させてもらえないか?」
丁寧かつ洋々をした沢井のはっきりした声に、春道はようやく返事した。これも高山からの指図である。交渉相手は沢井宗八だ。他の輩とは問答するな、と言われていた。
鬼のような顔で雨の丞が沢井を睨んでいる。迫真の演技ではなく、実際に恨みがある。先だって、模擬刀で腹を突かれたことを根に持っているのだ。
「わかりました、宜しくお願いします、なんて言えるわけなねえだろう!」
「そりゃあそうだ」
沢井は鈴方の顔を見ながら笑った。鈴方は馬鹿にされたと思ったのか、怒りながらも決まりが悪そうに舌打ちしている。
「しかし俺たち下っ端も上から言われればどうしょうもねえんだ。何とか顔を立ててくれねえか?」
「だが、なぜ宮様なのだ。勇名を馳せる観光協会だ。その一声で女なんて何とでもなるだろう?」
「いやあ、ここのお宮様方はそこいらの女とはわけが違う。古今祭以来、うちの上の人間たちもそりゃあ、あの美しさが忘れられなくてね。しかも、今日は我々にとっても特別な宴会だ。有沢の快気祝いも兼ねてるんで、何とか最高の会にしたい。そこで、碧小夜様を」
碧小夜という名が出た時、春道の腹の奥からガスのようなもやもやが立ち込めるような感覚が襲った。だが、それなら尚、ミスは許されない。そのむせ返るような感情を押し殺し、静かに鼻から息を吐いた。
「もし断ればどうなる?力ずくで連れて行くのか?」
「無論、そうなるだろうな。俺も命令には従わなければならない。だが、さっきも言った が、手荒な真似はしたくない。なに、本当に酌をしてもらうだけだ。宴会が終われば責任を持って、送り届けよう」
「では俺たちがお前らの宴会場の前で待っている」
「それは勘弁してくれ。観光協会がどんちゃん騒ぎをしている周りをお前からうろうろのさばっていたなんて噂が立ってみろ。警察署の前を泥棒が平然と走り回っているのと同じだ。俺たちの面子が潰れる」
沢井は、信用してくれと、頭を軽く下げた。
春道は桃龍を見た。桃龍も春道を見返すと少し頷いて、「宮女を集めて参れ」と付き人の少女に命じた。
沢井を見ると、(なかなか芝居が上手いじゃねえか)とでも言いたそうに口元が少し右上がりに歪んでいた。沢井が春道らの警戒が緩むように話す。そうして渋々、桃龍を納得させる。あの夜、高山が事細かに指示した戦略の一部だ。
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