大山の嗅覚
一昨日の雷の後、葦原京は一気に暑さに包まれた。盆地である。まるで、煮立った鍋の中のようだ。
「何か臭いな」
幸村の部屋の除湿器を分解しながら、大山大和は呟いた。
「だってこの暑さですから」犬若が笑いながら言う。「幸村さんはもはや人間ではありません。ただの雑巾です」
「うん。確かに部屋に入った瞬間、地獄とはこのことかと思うた。もう二、三台、除湿器を買うて来い」
「うちもそんなに余裕が無いんですよね。限られた財源を部長ひとりの為に使うわけにもいかないですから」
「阿呆、これは必要経費じゃろう。この臭いにどれだけの者が迷惑しとるか。皆がクリーンで爽やかな気持ちになれるんじゃったら、除湿器の五、六台なんぞ安い買いモンじゃろ?」
がははと笑いながらも大山は普段とは違う会館の空気を感じていた。彼が言う臭いというのは実のところ、実体的な異臭ではない。特に今日、顔を合わせた幹部クラスが何か普段とは違う雰囲気を醸し出していた。先ほど汗をダラダラ掻きながら外出して行った幸村朱鷺や玄関にいた沢井宗八からは何か緊張感が感じられた。それに廊下ですれ違った太川浩市山と劉陽之助、それに岡莉菜を引き連れた有沢獅子。もっとも関東派はどちらかというと気味が悪いほど上機嫌であった。
「有沢に声を掛けられたぞ。珍しくあの男にほうから」
「へえ。何て?」
「よう!と」
「それだけですか?」
「それだけでも珍しい。いつもはいきなり殴りかかって来るんやないかっちゅう目つきで睨んでくるのに」
「今夜は慰労会ですからね」
「慰労会?」
「宴会ですよ。有沢さん、そういうのは大好きですから」
「それで幸村はソワソワしとったんか?」
「そんな風に見えました?不味いなあ」
「何が不味いんじゃ?」
「いえ、何でも」
「お前も今日はおかしいぞ」大山は舐めるような目つきで犬若を見た。
「大山さん、有沢さんの事、どう思います?」
「どうって、ワシはあいつが嫌いじゃ。怖い」
「いや、そういう意味じゃなくて、観光協会としての人物のことです。それは乱暴なところはありますよ。でも観光協会青年部総長としての人物像は尊敬に値するところもあると思うのですが、どう思います?」
「やっぱりお前もおかしいな。お前、この前、ワシに言うたやないか。自分は難しいことはわからんと。幸村や有沢に命令されたことに従うと」
「私もそれなりに考えていますよ。あの時は気分が優れなかっただけです」
「お前、その調子の悪い時は大丈夫なんか?いきなり死んだなんて洒落にならんぞ」
「体はすこぶる元気です。気分が優れないだけで」
「そんな時こそ、夢南瓜やないのか。それが一番手っ取り早いのはお前がようわかってるじゃろ?」
「私も観光協会青年部の幹部ですよ。冗談でもそんなことは言わないで下さい」
「うん、それは悪かった」
「南瓜や薬に頼っても意味がないのです。自分の力で乗り越えないと」
「お前、なかなか偉いやないか」
「でも、実際のところ乗り越えてやろうという気持ちよりも、このまま消えてしまいたいと思ってしまうから恐ろしいのです。すみません、こんなことあまり人に話したくないのに」
「人に話したくないことを話したくなる男がこの大山大和じゃ」
「大山さん、私を抱いてもらえますか?」
そう言うおもむろに犬若は胡坐から体を起こすと四つん這いになり、大山に向かって摺り寄り始めた。
突然の犬若の奇行に大山は飛び上がって目を剥きながら後ずさりし、「何を阿呆なことを!」首を振った。
それを見て犬若は体を起こし、「冗談ですよ」とゲラゲラ笑った。「まさかこんなに本気にするなんて」
大山は蛸のように真っ赤になりながら解体した除湿器を素早く組み上げると、「だ、代金は後で請求するかなら」と喚いて出て行った。
犬若はそれを見送りながら、碧小夜をめぐる最大のライバルになり得るのは彼ではないかと考えた。しかし不思議と不快感はなく、むしろ可笑しさがこみ上げてきた。もし大山大和と一緒になったなら、碧小夜も幸せだろうな、と思った。
そして彼は再び、今宵はどうするべきかと考えながら仰向けになった。
縁側から差し込む日差しが彼の白い体をジリジリと焦がした。




