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欲望のカボチャ村と古都の荒くれ観光協会  作者: 源健司
会館の決闘
30/125

尻の痛みが雪を溶かす

 ふたりの間を隔てる壁を、或は深い海溝のような隔たりを、今夜こそは取り除く努力をせねばならないという使命感に、春道は駆られた。

 絶対に今、この期に何等かの動きを起こさないといけない。今まで、己にだけ与えられたチャンスをみすみす放置してきた事実はもう、取り消すことはできない。切羽詰まらねば何もできない人間がいる。春道はそれである。後悔多き人生を過ごす人種だ。


 何が彼を切羽詰まらせているかというと、祭の日の舞台で舞う有沢、犬若、そして不気味に蠢いていた大山大和である。


 幼少の頃から誰よりも碧小夜と物理的距離的に有利な状況に身を置いていたにも関わら ず、あの時、間抜けにも楠木の上で傍観するしかなかった己が恨めしい。

 彼奴らの野生的本能がその身を動かすがままに行った行動に対して、理性的と言えば聞こえが良いが、要するに度胸が不足していることが起因した保留の人生が自らを追い込んでいるのだ。俺は今、優位な立場に無い、と彼ははっきりと認識するに至っている。


 池の中でじっとしていた朱い鯉の体がびくりと動き、体を反転するとすーっと向うへ泳いで行った。


「どうしたの?」


 不意打ちを喰らったかのような碧小夜の問いに、春道は「えっ!」と我に返った。

 そうして己が暫く、碧小夜の脇に突っ立ったまま、呆けていたことに気が付いた。

 春道にとってはまさかの展開と言えばそうなのだが、よく考えてみれば、脇に立った男がじっと自分を見つめていれば、誰だって気味が悪い。知らない人間ならばただの変質者であるが、相手は幼馴染だ。どうしたの?と問うて然るべきだ。

 今までの彼ならば「いや、何でもない」とそそくさと立ち去って、事無く保留を達成していただろうが、今は切羽詰まっている。偶然にも思いがけず、いとも簡単に出来たきっかけを逃す手は無い。ひびの入った壁を己が拳で叩き壊さねばならい。


 そう思っていると突然、尻の痛みに襲われた。「あいっ!」と言いながら廊下に体を横たえて尻を押さえた。


「何してるの?」


 碧小夜は綺麗な宝石でも見るかのように、爛々とした瞳で、悶える春道を上から覗き込んだ。春道は涙目になりながら碧小夜の顔を見た。彼女が笑っている。


 そのうち痛みも和らいできて、彼は床を這いながら、濡れ縁に腰かけようとした。碧小夜がどこからか座布団を持って来て、尻と床の間に挟んでくれた。


「どうしたのよ、そのお尻」


「観光協会にやられたんだ。文句あるか?」


「まさか」


「犬若じゃない。あの有沢って野郎だよ」


「ああ」


 碧小夜は別段、興味もなさそうだった。


「それで、何その頭」


「思うところがあったのだ。似合わないと思ってるんだろ?どうせ俺は絶壁だからな」


「いいじゃない、似合ってるかどうかは別にして可愛いよ」


 完全に馬鹿にされている。春道は再び、犬若や有沢の事を思い出した。彼らの伝統歴史文化芸術を取り込んだ求愛のアプローチに比べて己ときたら、尻が痛くて転げまわるという情けなさを通り越して間抜けっぷりを発揮したのが結末である。勢いがあった分、大山大和のタコ踊りのほうが幾分、まだマシにさえ思われた。


 再び、間が空いた。


 何か話をしないといけないと思った。祭の事、昔話、宮での生活、いくつもの話題の中からどれを拾えばよいのかなと春道は悩んだ。しかしどれも陳腐な会話にしか発展できないような気がして、なかなか言葉にできなかった。


 そのうち、「ねえ」と碧小夜が口を開いた。


「何でずっと私を避けてたの?」


「べつに避けてたわけじゃ・・・」ちょっと沈黙を置いて、彼は言った。「でもいつまでもこんな調子じゃ駄目だろうとはずっと思ってた。たったひとりの幼馴染なんだから」


「ふふっ、やっぱりハルくんも気にしてたんだ?」


 碧小夜は左肘を太ももに載せて、片手で頬杖をつき、彼を覗き込むような恰好で聞いてくる。


 春道は横目でその表情を捉えたが、顔に血が上るのを感じながら咄嗟に前を向いた。


「ずっとというか、俺も大人なったからな」


「いつくらいから?」


「いつと言われても」


 それはずいぶん昔からだ。そう思いながら言葉に詰まっていると、碧小夜は左手を顎から離して背を伸ばした。

「何度もここですれ違ったね?」


「ああ」


「あたし、いつもハルくんが話かけてくれるのを待ってた。だって、ふたりが別人になったわけじゃないし、子供の頃のように、話がしたかった」


「じゃあ、声をかけてくれたらよかったのに」


「だって、あたしを遠ざけたのはハルくんじゃない?」


 春道はすぐに、了解し、己の言葉を反省した。犬若が彼女の氏子になると決まったあの夜のことだ。


 だってあの夜、と言いかけたが、言葉を呑んだ。犬若はいなくなり、碧小夜はひとりになった。悲しみに打ちひしがれた己も含めて、幼少期を共にした三人が一夜にして心も体も離れ離れになったのだ。今更誰かを責めて終わらせられるほど、易々たる数年ではない。


「ごめん」


「そんなつもりじゃないよ。でもあたし、絶対に話しかけてやるもんかって考えてたの。いつもハルくんの姿が見えると、今日は話かけてくれるかなって思ってた。でもハルくんはいつも何か言いたげにしながら、でも何も言えずに去って行く。そのもどかしそうな後ろ姿を見るのも好きだったの」


 そう言う碧小夜の顔を見て、春道はあっと声が漏れそうになった。今までに見た事の無いような、妖艶さの交じった表情だったからだ。その妖艶さは紛れもなく、桃龍が誓約の中で見せるものであった。

 もしかして、この数年の間、言葉を交せぬもどかしさを、碧小夜は自分に与えることで、一種の興奮を覚えていたのではないか。

 そう考えると、この場にいることに得も言われぬ羞恥心が沸き起こり、耐えられなくなってきた。今夜は一旦リセットすべきだ。


気温が下がり始めて寒くなったのか、碧小夜は体を小さくした。が、春道の体は逆に熱くなる一方である。


「今夜はそろそろ帰るよ」


 そう言って立ち上がると、赤い顔をしながら春道は訊ねた。


「また、ここで会ったら話してもいいか?」


「うん」碧小夜もにっこり笑って頷いた。


 池の中の朱い鯉がすーっと泳いで戻って来た。


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