南瓜の唄
南瓜の種を撒きましょう
黄色い花が咲くころに
櫓を囲んで踊りましょう
高天の宮の宮様の
喜ぶ顔が見てみたい
雨雨降れ降れたんと降れ
早く実になれ夢南瓜
あの頃、小夜はパンプキンバーのテラスに座ってよくこの歌を唄っていた。
葦原京の西の彼方に沈む夕日を眺めながら、窓際にガラス細工の人形を一体ずつ並べるかのように、一文字ずつ丁寧に唄った。
側で春道と犬若が取っ組み合いの喧嘩を始めようが、気にも止めることなく、唄い続ける。
二人の喧嘩なんて珍しい事でもないが、こうも関心を示されなければ、燃え上がる闘志の熱も冷め、沸き立つ血潮も引いてしまう。もっと言うと、喧嘩の原因は小夜なのである。
そうかと思えば、馬鹿らしくなって振り上げた拳を収めようとすると、驚いたような、あるいは訴えかけるような目を投げかけてくる。「なぜ拳を繰り出さないの?」と言わんばかりに、だ。口は動いている。唄うのをやめない。
戸惑っている横から、犬若に殴り飛ばされる。再び闘志が燃え上がり、反撃に転じると、小夜は納得したように笑みを浮かべてまた、夕日の方に朧げな目を向けた。まるで二人の喧騒をリズム代わりにして、唄っているように見えた。
春道口の中は、出血で錆びのような味がする。
普段は口数も多くなく、大人しい犬若だが、喧嘩になると絶対に自分から手を引く事はなかった。なので、喧嘩は得てして獏爺が止めに入ることで終わる。パンプキンバーの中から、舌打ちしながら彼が出てきて、「コォラ!」と割って入り、春道はようやく胸を撫で下ろす。
獏爺が間に割って入ったところで、小夜も唄うのを辞めた。
テラスの柱に吊り下げてあるラジオから、テンポの良いカントリーミュージックが流れる。その周りで数人の大人たちが南瓜ドリンクの入ったジョッキを傾けながら、夕涼みしている。
獏爺はただ、黙々と手当の準備をするだけで、「今日は何が原因だ?」とは聞かない。春道も聞かれたとて、むっつり押し黙っていただろう。
そもそも、何が犬若の逆鱗に触れたのか、よくわからない。
「いずれは俺が小夜の氏子になってやるよ」と冗談のつもりで言っただけだ。小夜には普段から、これくらいのちょっと揶揄う程度の話しはするし、それに、別に犬若に向かって言ったわけでもない。
「これでよし。小夜よ、犬若の顔を綺麗になったか」
春道の絆創膏を貼り終えた獏爺が言った。小太りの気の良い老人である。乳白色の作務衣のサイズが合っていないので、全身タイツのようにピチピチに張っていて、尻の割れ目の部分も少し破れているが、本人はまるで気にしていない。
「うん、これでいい?」
小夜は血の付いた手ぬぐいを獏爺に渡す。小夜はおっとりとした雰囲気を漂わせていた。普段通りの小夜に戻ったと言っていい。彼女は時折、さっきまでの唄っていた時みたいに、不気味な色で夜を見下す赤月のような空気を醸し出す。何が彼女をそうさせるのかわからない。ひとつ、春道が気づいているのは、そのような小夜になる時、自分は気分が悪いということだ。何らかの苦痛を味わっているから、余計に恐ろしい気持ちになる。
獏爺は小夜から手ぬぐいを受け取ると、もう二、三度、犬若の白い肌を撫でてから隣に犬若の顔にも手際よく、絆創膏を貼り始めた。
犬若も犬若で難しいところがある。
カッとなりやすいところはあるものの、春道に比べると大人しいというか、幾分、ガサツなところがなく、どことなく品のある子供であった。
彼は一歩後ろの位置から、他の二人に合わせて行動し、いつの間にかしっかり遊びに溶け込んで遊んでいる。そして何でも卒なくこなす。石投げをしても最後に投げて一番遠くまで飛ばすし、木登りも上手い。喧嘩駒も強かった。
しかし、彼には困った習性があった。
ふと気がつくと抜け殻のようになっている時があるのだ。丸太小屋の材木の丸太に腰かけてぼんやり空を見上げながら、一言も声を出さなくなっていたり、突然、草むらに座り込んで、これまた何も言わなくなったりしたまま数日間続く。それが年に数回あるのだ。
春道は、最初は嫌な気持ちになった。せっかく皆で遊んでいるのに、何のつもりだ、と腹を立てたものだが、そのうち気にならなくなった。犬若は放っておいて、小夜とふたりでじゃれ合って遊ぶ。日が経てばまた、元の犬若に戻るというを知ったからだ。
テラスで屯する大人の人数が増えてきた。
「よし、犬若もこれでよし」
老人はそういうと、大きな頭陀袋の中に手を入れ、何かごそごそと漁り始める。子供たちはもうわかっていて、前のめりになる。喧嘩のことなんてすっかり忘れてしまっている。
「何してるの獏爺。早く出してよ」
小夜が作務衣の袖を掴んで揺らす。
「待ちなさい、ちゃんとこの中にあるから」
そう言ってようやく袋の底から、薄手の生地の巾着袋を取り出して、小夜に手渡した。彼女はそれを引っ手繰るようにして紐を解き、中を覗いた。左右から春道と犬若も覗き込む。中には葦原京から持ち帰ってきたお菓子が入っていた。
三人は袋を引っ張り合い、中身のお菓子を取り合った。
「まだ食うなよ!夕飯を喰ってからだぞ」
獏爺はそう言って、小夜の頭に手を置いた。
ラジオは夕方のニュースの時間になってた。ニュースを読み上げる明るい女性の声とともに、テラスの大人たちも景気の良い声をあげ始めた。まるで、お祭りの朝のようだ。
「何かあったの?獏爺」
「葦原京がワースポの誘致を決めたのさ」
「ワールドスポーツフェスティバル?」
「四年に一度、世界の各国が一堂に会す大運動会だ」
「それって凄いことなの?」
春道がラスクを齧りながら言った。
「そりゃあ、凄いさ。村も潤うぜって、コラ!お菓子は飯の後だと言っただろう。おい、小夜!チョコを開けるな!」
三人の子供は喧嘩の事も忘れてお菓子の袋を抱えながら、きゃっきゃと笑いながら獏爺から逃亡を図ろうとするも、簡単に捉えられてお菓子も取り上げられてしまった。
「何だよ、ちょっとくらい」
春道が取り上げられたラスクの袋を恨めしそうに見つめて吐き捨てた。
「その何とかってのをすると、南瓜が売れるのかい?」
「おっ、なかなか鋭いな、犬若よ。その通りだ。なんせ、世界中から人々が押し寄せる。葦原京名物夢南瓜も飛ぶように売れるさ。九年後の話だから、その頃はお前たちも立派な大人だ。大いに活躍してもらうぞ」
「そんなに先の話かよ」
春道ががっかりしたように言った。
「九年なんてあっという間だ」と獏爺。
「おい、餓鬼ども。飯だぞ」
パンプキンバーのマスターが剃り上げた頭を光らせながら、ご飯と煮豆、お揚げの焚いたものの乗った皿を持って出て来た。それを子供たちの前にひとつひとつ置くと、ベンチに腰掛け、葉巻に火をつけて、空中に薄い色の煙を燻らせた。
「獏さんよ。今日も稼いできたかい?」
「外人さんがたんと買ってくれたよ。隣の国は景気がいいからな。金に糸目をつけない」
「九年後が楽しみだな」
「ああ。しかし、それまで夢南瓜が規制の対象にならなければよいが」
「そうなりゃ村も終わりだ。取り締まられたって売らなきゃなんねえ。そうだろ?」
「違いねえ」
「なあ、坊主」と、マスターが皿を持ち上げて行儀悪くご飯を口に書き込んでいる春道の頭を叩いた。
「九年後の葦原京はどうなってるんだろうな?今とはたいそう変わってるかもな」
春道はフォークを持った手を止めず、視線だけをマスターに向けた。口元からボロボロと、煮汁のしみ込んだご飯粒が床に落ちた。
「あっ、もうこんな時間。お勤めにいかなきゃ」
小夜がそう言って食事の手を早めた。同時に犬若は機嫌を損ねたようにフォークを置いた。
お勤めというのが何なのか、彼も理解する年頃になっている。高天の宮女の世話をする仕事である。彼女は宮へ帰ると、真っ赤な着物を着て顔を白く塗り、髪を溶かして、男を宮女の元へ導くのだ。
お勤めと聞くと、良い気分がしなかった。小夜はこの村独特と言って良い、大人の世界を垣間見ている。
それに引き換え、自分はまだ子供であった。そんな嫉妬心もあるが、他にも何か腹の底がうずうずと落ち着かない気分に襲われる。
夕食を食べ終えると、月が照らす大通りを、三人の子供は高天の宮へ向かって歩き出した。小夜を送り届けるのが、男ふたりの日々の役目であった。
路傍にいる、グラスを片手に葉巻を咥える男や頭を垂れて座り込む男、何もせずにこちらを睨んでいる男、皆が乳白色の作務衣を着ている。総じて目つきが気味悪いが、三人は意に介さずに、北へ向かって歩いた。秋の涼しい風が首筋を吹き抜ける。
「あなたたちも大人になったら夢南瓜を売りに行くの?」
小夜が両脇の春道と犬若を交互に見ながら訊ねた。
「そうなんじゃないか」
犬若がまるで他人事のように返事した。春道は何も言わない。そんな先の事を考えたことがなかった。自分がやがて大人になるということも考えたことが無く、だから小夜の問いに即答した犬若に関心もした反面、嫉妬した。
この村では大人の階段上り始めようとも、誰も導いてはくれない。村の慣習の中で、己の力で己を立ち位置を確立しなければならない。だからこそ、さっき自分が放った軽々しい冗談に、犬若が殴り掛かってきたのかもしれない。
春道はその時、犬若の調子がおかしくなるのは大人への成長の証なのではないだろうか、と思った。そう思うと未だ子供の頃と変わらぬ気分で日々を過ごしているが恥ずかしくなった。
高天の宮へ辿り着くと門で待っていた浴衣姿の宮女が、小夜を迎えた。彼らより五つほど年上の美しい女の人だ。この美しい女の人を見るのが春道の一日の大きな楽しみだった。彼女の開いた胸元を見ると、何かうずうずした気持ちになる。
「じゃあ、またね」
小夜は一日の別れを惜しむこともなく、振り向くことさえしないで、宮中に消えた。
ふと横を見ると、犬若も同様に何か心地が良いのか悪いのか、奇妙な気分に襲われたような顔で小夜と宮女の消えた先をまだ、見つめていた。
(さては、犬若も)
そう思って春道は安堵した。
夢南瓜の収穫時期が迫った、九年前の夜のことである。
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