舞台裏の屈辱
葦原京雪月花を終えた桃龍を先頭にして高天の宮の花魁たちが、舞台袖の階段を下りてきた。観光協会青年部がその脇に並び、花道を作る。
桃龍は確かに、観客の心をつかむことには成功したといえる。最後には、人々は彼女が幻想的空間たらしめた舞台に酔いしれたと言っていい。面子は十分に保ち、聖女無天村の高天の宮総代、大宮桃龍の名は一躍、普遍的に堤高した。
しかし、群衆の評価とは裏腹に、彼女自身は面白くなかった。狂おしいほど、むかついていた。胸が詰まって、この場にいることを後悔するほどに、腹立たしかった。恐れながら真摯に表現すると、彼女は己の未熟さを痛感していた。
有沢の登場によって、計画していた台本が脆くも崩れ去り、それどころか、有沢獅子によって突発的に潜在能力を引き出され、悔しいかな、舞台は理想を遥かに超える成果がもたらされた。
イメージした身体の動きを実行してみると、自然と形になった。偶然ではなかった。その証拠に、練習すらしたことのなかった、千回転扇飛をこの土壇場で慣行し、成し遂げてい る。それも、無謀な挑戦ではなく、何の根拠も無いが失敗することを想像できなかったのだ。絶対に成功する、回転した扇が毬のように弾み、観客がどよめく未来がはっきりと見えた上で、実行した結果だ。全てが、これまでに味わったことのない感覚であった。
木の葉に覆われた柔らかい土の上で、桃龍は地に足が着かないような感覚に陥っていて、後方での悶着にも気が付かなかった。「大宮様!」という、紅金魚の声に反応するまでは。
声を掛けられてようやくはっとした。振り返ると、そこには、有沢獅子の背中があった。碧小夜の前に立ちふさがり、彼女の行く手を阻んでいた。
「あんな錆びれた村に帰ってどうする?今夜は俺と一緒に楽しみに行かないか?」
有沢はそう言いうも、強引に腕を引いたりはせず、碧小夜の顔を凝視して返答を待っている。
碧小夜の周りで他の宮女たちも、無意識のうちに隣同士で手を握りしめたり、半身になって小さくなっているばかりで、どうすることもできない様子だ。
幸村や高山も一回り離れた場所で腕組みをし、眉をひそめながら傍観している。
桃龍は舞台での屈辱も冷めやらぬまま、もはや我慢もできず、「おぬし、どこまでわれらを侮辱するつもりか!」と、咆哮した。
しかし、有沢は顔色も変えず、振り向こうともせず、それどころか碧小夜のほうへ、足を踏み出そうした。
その時、前にひとりの会員が立ちふさがった。
俺を殺してから行けと言わんばかりの目で、有沢を睨み付けている。
「犬若よ。さっきからやけに突っかかってくるな」
有沢の言葉に、周りにいた関東派の連中も罵声を発した。
それでも犬若は黙っている。
「さてはまだ聖女無天に未練が残っているんだろ?その程度の覚悟で、協会の幹部が務まると思ってんのか?」
犬若の眉がぐっと逆立った。
しかし尚も黙って動かない犬若に、有沢が「そこをどけ!」と、低くかすれた声で恫喝した。
犬若が地面を蹴った。有沢の顔面めがけて溜め込んだ拳をえぐり出したその瞬間、
「貴様ら!たいがいにせえよ!」
と、意外な人物の以外な怒声が、裏の森を突き抜けるほどに響き、一瞬に辺りは静まった。
怒声の主は平会員と同じ、紺色のジャージに無地の法被を羽織り、根を生やしたように両足でしっかりと大地を踏みしめ、踏ん張るような姿をした堀川清介である。
辺りが静まったのは、この老人のこのような怒りをかつて誰も見たことが無かったから だ。無論、会館では頻繁に鉄拳制裁を発動するが、それとは明らかに違う怒気である。
犬若は再び、黙ってその場に立ち尽くし、堀川清介を凝視した。堀川の視線も、間に立つ有沢を貫いて、犬若に突き刺さっていた。
「しらけたな」
有沢はそう言って桃龍の一瞥もすることなく通り過ぎ、そこにいた老人に一言、「堀川さん、あんたも匂うな」と吐き捨てて去っていった。
有沢の言葉は桃龍も耳にも届いた。彼女は去りゆく有沢の背中をいっそう強く睨み付け る。堀川老人はその桃龍に向かって軽く頭を下げると、部員の集団の中に消えた。
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