南瓜野郎は立ち入り禁止
御園天満宮へ到着したのは昼を暫く過ぎたころで、一日の中でいちばん日が照っている時間だった。
着物を重ねた花魁姿では堪えるだろうと皆心配したが、宮女たちは顔色ひとつ変えず、毅然とした表情で人力車に座っている。
その周りにカメラを持った観光客が集まってきた。
外国人にはさぞかし喜ばれるだろう、世俗離れした純和風の花魁たちであるが、他にも聖女無天村の高天の宮の宮女が見られる数少ない機会ということで、国内からも客が集まって来ている。
春道ら村の男たちは、何か不測の事故が起こっても宮女の身を死守せんと、人力車の周りをしっかり固めて歩く。
やがて、敷地を大きく迂回して境内を目指すため、鳥居をくぐろうとした時、一塊の集団が突然、人込みを掻き分けて目の前に現れた。
鶯色に統一された観光協会青年部の面々が、行列の先頭を取り囲むようにして立ちふさがった。
十人ほどいるが、ひとりを除いて皆、揃って巨躯である。スーツに袖にラインの入った法被を着ている鈴方祀、太川浩市山、劉陽之助の前に、肌の色が青白く、唇の薄い一際小柄な男が笑みを浮かべながら立っている。
ただでさえ鋭い鳥獣のような目の周りに、黒い影を作るような薄い化粧をしているようで 余計に凶暴さと不気味さを増していた。沢井宗八あたりが相手なら啖呵も吐けるが、彼の場合、それすらも憚られる迫力がある。
(有沢獅子だ。まずい奴が出てきた)
村の男たちは皆、そう思って硬直した。
部長の幸村朱鷺と双璧を成す権力を与えられた青年部会館長がこの男だ。聖女無天村にもその名が知れ渡った超危険人物であり、幸村、高山以上に加減を知らぬ男である。
ここ数年で何人もが、彼の犠牲になっている。淡路の金助、天王寺権兵衛、蛙の勝利、牛殺し三四郎、八方塞がり太助太郎他、有罪無罪関わらず、出会いがしらに、ことごとくが討ち取られた。
彼の場合、一にも二にもまず、暴力である。淡路は背骨を折られ、天王寺は頭蓋骨陥没、蛙は池に放り込まれ、牛殺しは半殺し、八方塞がりは袋小路に追い詰められて実際的に八方塞がれて死線を彷徨った。
「何かしら!」
両者睨み合う中、後方にいた桃龍の人力車が前方へ進み出てきた。もちろん、傍らには那智の春道が控えている。彼の脳裏にすでに、あの日の夜の事が蘇っていた。公衆トイレで出会った男だ。
桃龍が毅然として睨み据えながら声を上げると、有沢獅子もその鋭い視線を桃龍に据えて少し鼻に抜けるような美しい声で返した。
「観光協会青年部が命ずる。葦原京の治安維持の為、本日の葦原京今昔祭に聖女無天村の男を入れること罷りならん。お宮様ご一同は我々が責任を持って警護する故、男性諸君は即刻 この場を離れられい。逆らう者は己の存在意義を失うことを覚悟するがいい」
そうして一同を見渡ながら「男を辞めたいか?」と言い、ははっと笑った。
村民は言葉を失った。両者、硬直状態が暫く続く。
何事かと、周囲の観光客が固唾を飲んで見守る中、ようやく、聖女無天村の方に動きがあった。ひとりの老人が進み出て来たのである。馬方藤十郎であった。
馬方は、もごりとひとつ、口を動かすと、腹の底から振り絞るよう、にかすれた声を上げた。
「貴方方の任務は重々承知している。葦原京を想う気持ちとその働きには感服する。しかし 我々にとってもこの祭は先祖代々与えられてきた大事なお役目。我々も貴方方が守ろうとする葦原京の伝統の一部なのだ。そこを理解して頂きたい」
「悪いが、理解に及ばん。見ての通り、俺たちは脳味噌まで筋肉で出来ている。頭が悪い故 貴様の言う道理がさっぱりわからん!」
観光協会一同が爆笑する。
「そういう訳で問答無用だ。大人しく帰れ」
「有沢殿、他はどうあれ、お主は馬鹿には見えぬが」
「なんだと!」
殴り掛からんとする鈴方祀を有沢が制した。
「ほら、見ての通り、俺たちは口より先に手が出てしまう。危ないからとっとと帰んな」
「宮様を置いては帰れぬ。ここは腕ずくでも通してもらうぞ」
問答の最中、騒ぎを聞いて更にもうひと塊の部員たちが御免っ、御免っ!と人混みを掻き分けて現れた。
「何の騒ぎだ、有沢さん」
詰め寄る幸村朱鷺に目も合わさず、有沢が言った。
「彼らがこの大鳥居をくぐることは断じて許さん。即刻立ち去ってもらう。異論は無いよな?」
「しかし、夢南瓜を所持していない以上、現行犯ではないのだ。どうにもできないだろう」
「夢南瓜どうこうという問題ではない。祭りには国内外から多くのお客様がいらしている。そんな場所にこんな怪しげな恰好をした変態どもにうろつかれては、葦原京のイメージが失墜する。観光収入に損益をもたらす者を放置するわけにいかないだろ?ちがうか、幸村さんよ?筋は通っているだろうよ。南瓜を追いかけるだけが我々の仕事じゃないんだぜ」
確かに、有沢の言い分は観光協会の活動としての本質をとらえているので、幸村は何も言えなかった。その上、幸村らの派閥が、南瓜の取締ばかりに躍起になっている点は痛いところは突かれた思いすらした。確かにその他の活動が疎かになっている。
「そういうわけだよ、聖女無天の皆さん。それでも立ち去らないというなら、望むところだ!」
有沢の宣言と共に、控えていた巨躯の面々が進み出てきた。鈴方祀が馬方藤十郎をひょいと担ぎ上げて、ボールのように後方に放り投げた。あれーっと宙を舞う老人の体が地面に叩きつけられぬよう、村民数人が慌てて落下地点に入り、受け止めた。
劉陽之助も、手前にいたふたりの首根っこを捕まえて振り回すように投げ飛ばした。
天空雨之丞が「この野郎!」と立ち向かったが、太川浩市山にどすこい!と突っ張られ、地面に転がった。それを見て他の村民も戦意を失い、ただただ不満げな顔立ち尽くした。
「宮女たちのことは我々が責任を持つから安心しろ。さあ行くぞ」
有沢が言うと、協会の面々が村民を掻き分けて人力車を奪い取ろうとしたが、待てや待てやと、大山大和が割って入って「車を引くのは儂らの仕事やぞ。儂らは村の人間やないからええじゃろが?」と口を尖らせて言うので、有沢も仕方なしに彼らの入場は許可した。
再び後方の人力車が続々と進み出て来て、順に次々と鳥居をくぐって行く。それを村の男たちはただただ指を咥えて見送るしかなかった。
やがて大山大和の曳く碧小夜の車が出発し、後続の車夫が桃龍の車の柄を持ち上げた時である。
行列を監視していた有沢が「それでは我々も行くか」と、言うが早いか、碧小夜の車に飛び乗り、「失礼!」と彼女をぐいっと押しやって、その横に腰を下ろした。余りにとんでもない行動に一瞬何が起こったわからないという空気が流れた後、桃龍が「無礼者!」と一喝した次の瞬間、那智の春道が有沢に向かって飛びかかっていた。
しかし相手が悪い。
有沢は立ち上がり、台座から飛び上がると、春道の背後に回って、右の尻をつま先で突き蹴った。高圧電流を流されたような痛みが尻に走り、彼の体は参道へ続く人々の群れに向かって飛んだ。
観光客がわっと両脇へ逃げる。春道は尻を押さえながら地面を転がった。有沢はゆっくりと、悶える春道に近づくと、馬乗りになって、彼の肩を地面に押さえつける。春道は全く動けず、首から上だけを有沢のほうに起こして睨み付けるのが精いっぱいである。
「怒るなよ。ちょっとからかっただけだろ」
有沢は言葉とは裏腹に、さっきまでの透き通った声とは明らかに違う、殺意すら籠ったような、低くかすれた声で言った。
それも春道にしか聞こえないほど小さな声だった。
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